蛮族令嬢は調教する 〜辺境はゴミ捨て場ではございません〜
スカッとしたくて、破天荒な人たちを書いてみました。
わたしの家であるリューゲイト家は、ユニコレット王国の辺境にある。
ちょうど魔物がよく出るミシュタルの深淵と接しているため、そこで暮らす人たちは心身ともに強靭でなければやっていけない。従って、辺境伯家であるわたしの家族を筆頭に、住民たちは皆脳筋である。
──そう、脳筋だ。難しいことなど考えず、たいていのことを力技で解決する。力こそパワー。その頂点に位置するうちの父や後継である兄などは、王都で「死神伯」「筋肉魔王」などという、笑えない二つ名付きで恐れられているという。
なお、リューゲイトは王都から離れすぎている上、常に魔物の脅威にさらされているので、平和且つ用のない王都になどは行かない。父が辺境伯を継ぐ前は、年に一度王宮に報告に上がっていたようだったが、今は「あんなめんどくさいところには行かない」と言い張って、書簡での報告しかしていない。
なのに、なぜ王都の噂や二つ名が伝わってくるのか。
それは、ひとえに我が辺境伯に人が捨てられがちだからだった。
人。そう、人が捨てられてくる。「使えないから」「問題を起こしたから」「処罰として」辺境に来る。体のいい人材の廃棄先だ。
たしかに来る人は瑕疵のある人が多い。追われてくるほとんどの人は協調性に欠け、凶暴だったり無能だったり、悪意なんかにまみれている。ごく稀に無実の罪で追われてくる人もいるのだが、王都の裁判所が有能なのか、本当に稀である。
そんな感じで癖が強い人ばかりが来るのだが、たいてい辺境の皆に揉まれるうちに、「辺境の住民」になっていく。
過去にここに追いやられてなお、悪意を持って辺境を牛耳ってやろうと意気込んだ人物がいた。まわりを見下し、自分より賢い者はいないのだから、うまく使ってやろうともくろんだその人物は──ここで過ごすうちに、やっぱりこの地に落ちた。尊重され、信用され、愛されたその人は、今では辺境伯家の夫人として、この地の頭脳となっている。
まぁ、いうなればうちの母である。
そんな母曰く、王都やその他の情報は、他からリューゲイトにやってきた人たちが持っている情報や人脈で賄えるものなので、いちいちめんどくさい王都などに行く必要はないらしい。
そうでなくとも元侯爵令嬢、王都との秘密の伝手もあるといっていたので、なにかあったらこの人に任せておけば万事解決だろう。王都での社交などというものはこの地では不要。リューゲイトに必要なものは、ミシュタルの深淵からやってくる魔物を屠り、竜を育て、他ににらみを利かせる力。そして家族であるこの地の住民を大切にすること。それだけだと言う。「旦那様の一睨みで気絶するもやしなど、構う必要はないわ」とのことだ。これには甚だ同意である。
「ヘンリエッタ」
そんな辺境伯領の頭脳である母が、わたしを呼んだ。手にしていた手紙を忌々しそうに机に放り投げると、母は至極めんどくさそうに告げた。
「また王都からやってくるわ」
本当に我が領地は人が捨てられがちである。ゴミ箱ではないのだから、問題児は元いたところで調教してほしい。
「今度は何人ですか?」
「四人よ。男が三人、女が一人。全員もやしね」
ひょろひょろとした白いもやしは、東方から伝わってきた野菜である。豆の成長過程の一部だが、見た目に反してなかなか栄養価は高く、辺境では芋と同じくらい重宝されているが、母はその見た目が気に食わないらしい。食べでがないと不満げなので、我が家の食卓には上がらない食材だ。
「巨大ミミズでないといいのですけれど」
巨大ミミズは馬ほどに大きな黒紫のミミズで、大きさからもわかる通り魔獣の一種だ。非常に貪欲で、こいつが生息しているところは草の一本すら食べつくされてなくなってしまうくせに、その死骸からはなんの恩恵もない。毒液を体内に持つので食用にも向かないし、そのままでは大地にも還らない。火魔法で灰になるまで焼き尽くし埋めるしかできないのだが、埋めた後の土地を肥やすことすらできない無能な魔獣だ。
「ガイアよりもやしの方が使えないわ」
「もやしはあれでいて栄養がありますから」
母は毒液を活用したいらしく、ガイアの研究をしているけれど、その研究が成功しない限り不利益しかもたらさない問題児である。まだリューゲイトに追放されてくる人間たちの方が幾分使いでがある。
「それで、どういった罪状で?」
「不貞をした第二王子がでっちあげによる婚約破棄を狙って失敗したのよ」
忌々しそうに鼻を鳴らし、母は呆れたと言いたいのか、そのたおやかな両手を広げた。
「二代続けて似たような騒ぎを起こすとか、頭おかしいんじゃないかしら」
こう見えて母は、当時のユニコレット王国第一王子の元婚約者だった。うまくいけば王妃になるはずだった母は、母のことを嫌った第一王子と、現在国王となっている第二王子と、第二王子の想い人だった実の妹に陥れられてこのリューゲイト領に追いやられてきたという。
まぁ、敵には容赦がない母だ。身分差や力関係、また将来のことを鑑みて破棄を受け入れたらしいが、元婚約者であった第一王子は失脚して他国に婿の一人として出され、代わりに王位を継いだ弟王子は母の婚約破棄の元凶となった母の妹の過大な浪費と無関心によって悲鳴を上げているという。
現王妃である叔母の一人勝ちかと思いきや、この叔母もまた母の協力者であったというのだから、容赦がない。要は婚約者であった第一王子に見切りをつけた母が、裏で贅沢をしたい叔母と手を組み、王子たちをいいように操って自ら辺境に来たというのが実際のところだった。
まぁ、自ら辺境に追放されたと言えど、母は王家が嫌いなので今回の追放者は受け入れ難いようだった。辺境伯である父は母の手の上なので、母が受け入れなければ彼らはリューゲイトには来れない。
「お断りするのですか?」
「まさか! 新しいおもちゃをくれるっていうのだから、エリーザベトには感謝しなきゃね! さぁ、どう躾けようかしら」
辺境に追放された時点で、彼らは罪人として貴族籍を失っている。第二王子であろうとも、母に歯向かうことは許されない。
妹から差し入れをもらった母は、年齢を感じさせない美しい顔に、黒い笑みを浮かべた。大変楽しそうでなによりである。母の機嫌がいいと辺境は平和だ。
細い指を顎に当て、こてんと首を傾げて母は言う。
「ただねぇ、ちょっと今、ミシュタルの深淵が不安定なのよね。新しいおもちゃは魅力的だけれど、旦那様のお手伝いの方が大事なの。おもちゃたちは壊れてもいいものだから、ヘンリエッタ、好きに遊んでいいわよ」
まさかの丸投げ。母の性質上、面倒になったというより本当に忙しいのだろう。父は母の掌の上だが、当の母は父第一主義なので、天秤にかける必要すらないようだった。
「お兄様でなくて、わたくしでいいのですか?」
「ええ、ヴィルフリートは旦那様と一緒にミシュタルに行っているでしょう? ヴィルフリートの方が楽しく遊ぶのはわかっているし、あの子も残念がると思うのだけれど、次期辺境伯としてはミシュタルの深淵の方が大事だから」
「それもそうですね」
見た目は父そっくりの兄ヴィルフリートは、「筋肉魔王」の二つ名が表すように、父から巌のような筋肉を、母から悪辣な戦略を受け継いだハイブリッドだ。罪人となった元王子なんておもちゃをもらったら、それはもう楽し気にそのプライドを折って折って折りまくって調教するだろう。
「気に入ったらヘンリエッタの近くに置いてもいいわよ。あ、元王子と元侯爵子息はあなたの従兄だからよろしくね」
「従兄……ですか」
王子だけでなく、もう一人従兄が混じっていたらしい。
わたしは生まれてこの方リューゲイトから出たことはないので、従兄である第二王子も、もう一人の従兄も会ったことはないけれど、どちらも母の縁者らしかった。
「そうなの。侯爵子息は末の妹の産んだ子ね。調教よろしくって連絡があったわ。あと元王子に関してはもういらないから好きにしていいって」
まさかの親公認。さすがは母の妹である。
「見たらわかるけど、平民育ちの男爵令嬢が男三人を侍らせた挙句、第二王子の婚約者の公爵令嬢に冤罪をでっちあげて婚約破棄を吹っ掛けたものの、事前に第一王子を自陣営に抱き込んで反撃した公爵令嬢に負けて四人とも貴族籍を剥奪されたんだって」
テーブルの上に放り投げられた手紙を見るよう指示され、手を伸ばす。見ると、王宮からの指令書のようだ。
リューゲイトに送られてくるのは、元第二王子マインラート・フォン・ハンクシュタイン、元侯爵令息アルバン・シンデルマイサー、元伯爵令息ダミアン・キューン、そして彼らを侍らせていたという元男爵令嬢リタ・アンゲラー。このうち元王子マインラートと、元侯爵令息アルバンがわたしの従兄だという。
「有責を隠すために罪を捏造して婚約破棄を企んだことに対して、貴族籍抹消とは罰が大きすぎやしませんか?」
「止めに入った第一王子に頭もお尻も軽い男爵令嬢がすり寄ったせいで、激昂した第二王子がナイフを出してきたからね。軽傷だったけれど、暗殺未遂ってことで平民落ち」
暗殺未遂という罪状は母も同じだけれど、こちらは実妹相手だったのと、その生家に犯罪者を出したくないという現国王の甘さで貴族令嬢のままリューゲイトにやってきた。
「アロイジウス王の決断とは思えない仕打ちですね」
刃を向けた張本人とはいえ、マインラート王子は我が子だろうに。そう思ったわたしに、母は嫣然と微笑んだ。
「エリーザベトがね、お金がかかるからいらないって言うのよ。婚約者だったコンスタンツェちゃんのお家が、甘い処分をしないなら慰謝料まけてくれるって言ったらしいの」
息子をお金のために売る叔母は、まさしく母の妹だ。贅沢したいがために王妃になった人だけある。
「まぁ、残った第一王子が健康な上きちんとした子みたいだし、スペアがなくても大丈夫だと思ったんじゃないかしら」
「ええと、確認させてください。第二王子……」
「罪人なんだし、呼び捨てでいいわよ。上下関係は大事だからね」
「……マインラートは、好きにしていい。アルバンは調教希望。ダミアンとリタは?」
「どちらも家から切り捨てられたわ。特に希望なし」
「好きにしていいのが三人で、叩き直しが一人ですね」
調教希望とはいえ、我が子を立ち直らせたいと願う末の叔母がまともすぎる。
「では、それぞれ断崖修道院に入れて躾けますね。最初は男女別、何度か心を折ってからアルバンだけ別の修道院に移動して調教を続けますわ。他の者は……うーん、最後はお母様の研究協力者にしてもいいのでは」
「素敵。たくさん楽しんでね、ヘンリエッタ」
断崖修道院は、リューゲイトにいくつかある変わった修道院だ。そのどれもが、追放されてきた人たちの受け入れ先で、断崖と名にあるように、切り立った崖の上に立っている。そこに行くためには、長い縄梯子を上るか、竜に運ばれるかのどちらかで行くしかない。
もちろん罪人たちは縄梯子を登らされる。そして、逃げようのない崖の上、修道院に勤めるリューゲイトの民に叩きのめされるのだ。清く正しく美しく。リューゲイトの精神は筋肉に宿る。
「楽しそうなおもちゃを譲ってくださってありがとうございます、お母様」
「ミシュタルの深淵が早めに落ち着いたら、わたくしもヴィルフリートも参加させてもらうわね」
微笑んで告げると、母は満足そうに頷いた。
元々兄も母も、遊ぶのは大好きなのだ。間に合うことを祈っておこう。
「お待ちしておりますわね、お二人とも」
◇
マインラートは不満だった。
側近たちの尽力で、コンスタンツェの罪の証拠は完璧に出来上がっていたのだ。あのままいけば、うまいことレーヴェレンツ公爵家有責で婚約破棄ができたのに、兄がしゃしゃりでてきたために失敗した。
(あのまま悪女ブリギッタのように、愚かなコンスタンツェが踊ればよかったのに! 兄上が出てきたりするから!)
マインラートの伯母であるブリギッタ・ギースベルトは、父アロイジウスが即位する前、当時第一王子だった伯父テオバルドの婚約者だったものの、実の妹である母エリーザベトの命を狙ったとされ、婚約破棄ののち辺境伯領に追放された悪女だった。
艶やかに巻かれた金の髪に緑柱石の瞳という、毒々しいまでに美しい容貌を持ち、肉感的な身体で様々な貴族子息を篭絡していた悪女ブリギッタは、追放先であったリューゲイトの領主ヘルフリート・リューゲイトを篭絡したものの、その後辺境から出ることは許されず、魔物に翻弄されて憔悴して生きているらしい。
そんな風にあの女もなればよかったのに、なぜ、追放されるのが自分たちなのか!
(コンスタンツェ、あの女……見せかけの淑女なくせに、兄上にすり寄って私を陥れるなど! 王都に戻ったら目に物を見せてやる!)
腸が煮えくり返るような気持ちだったマインラートに、そっと傍らのリタがすり寄った。
「ラート……辺境って、どんなとこなの……? あたしたち、帰れるのかなぁ……」
その新緑の瞳に涙を浮かべるものだから、マインラートは焦った。焦るマインラートを宥めるように、ぱちぱちと長いまつ毛に彩られたリタの瞳が瞬く。
「ごめんなさい、あたし……ローラント様だったらラートを助けてくれるって思って頑張ったんだけど……なんだか怒らせてしまったみたいで……」
雨に打たれたたおやかな花のようなその面持ちに、マインラートはたまらず手枷が嵌められた腕を伸ばし、彼女を腕に抱きしめた。
この馬車に乗せられるまで、ここにいる皆はそれぞれ貴族牢に閉じ込められていたものの、リタの抱き心地は変わらず柔らかかった。それが、マインラートを安心させる。
「大丈夫だ、リタ。これから行くリューゲイトには、私とアルバンの伯母がいる。母上が連絡しておいてくれるそうだから、悪いことにはならないさ」
「でも……こわい」
その母の連絡というものが、「もう不要なので好きにしていい」というとてつもなく非情なものだということはつゆ知らず、マインラートはこの道行が、ちょっとした失敗に伴う休暇とばかりに考えていた。
すがるように胸元に顔を寄せるリタの頭を撫でていると、反対側に座っていた従弟のアルバンが力づけるように言葉を継いだ。
「大丈夫ですよ、リタ嬢。うちの母も伯母上によろしく頼むと手紙を出したそうです。辺境でしばらくかくまってもらって、それから家に戻りましょう」
銀縁の眼鏡を押し上げながら、なだめるような口調でアルバンはリタに告げた。
「アルバン……ほんと?」
「ええ。母曰く、伯母上はとても優しいそうです。末の妹である母は、よく甘えていたのだとか。悪女とは言われていますが、母は優しくしてもらったことしかないのだそうです。だから大丈夫ですよ。愛らしく、皆から好かれるあなたのことだ。きっと向こうでも受け入れられ、ゆっくりできますよ」
アルバンとマインラートの伯母であるブリギッタが甘いのは、彼女の家族と認められた相手に限定されているとは、残念なことにアルバンは知らなかった。
アルバンの母であるカミラには甘いブリギッタだったが、嫁いだカミラが敵対しようものなら、きっと全力を持って叩きのめすだろう。貴族女性たるもの、嫁ぎ先を優先することはままある。嫁いだからには、妹ではあるけれどもはや家族ではないというのが、ブリギッタの考えだった。
カミラが優しくされているのは、ひとえに便利な情報供給先という立ち位置からなのだが、それを逸脱しようものなら、多少の手心は加えるだろうが、容赦はしないだろう。
もちろん、王家に嫁いだエリーザベトも同様だ。姉の苛烈さを理解していて、且つ彼女の共犯者になった過去もあるエリーザベトの方が、幾分ブリギッタのことを理解していた。だからこそ早々に次男をあきらめ、姉とは関わらないところで自分の人生を謳歌することにしたのだ。
「リタ、元気を出して! マインラート殿下も、アルバン様も、僕もいるよ! 君はひとりではないのだから、怖がる必要なんてないよ! ほら、リタの笑顔は可愛いんだから、笑ってほしいな!」
元気な子犬のような笑顔で、ダミアンがアルバンの後押しをした。マインラートやアルバンの言葉で安心しきった彼は、愛する少女の笑顔を取り戻そうと、無邪気な励ましの言葉を口にした。実家の両親があっさり嫡男であった彼を諦め、見捨てたことをダミアンは知らない。
「そうね……ラートやアルバンの伯母様がいらっしゃるところなら、きっと安心よね。やだあたし、ミシュタルの深淵がすごい危ないって聞いて、ちょっと怖くなってたの。でも、みんながいるなら大丈夫だよね!」
ぶるっと震えた身体を手枷のついた手でさすったリタは、三人の取り巻きを安心させるように、心細そうな笑顔を浮かべてみせた。
彼らが置かれた現況は、リタが思うほど大丈夫なわけがなかったが、馬車に乗っていた四人は誰一人として危機感を覚えていない。
「魔獣の餌になるぞって、牢屋番の人に脅されて……あたし、こわくって」
「そんな! 城に戻ったら、その看守には罰を与えよう! リタをいたずらに怖がらせるなど……万死に値する!」
「ラート! やっぱりラートが一番だわ!」
未だ王子のつもりなマインラートの無責任な言葉に、リタは華のような笑顔を浮かべた。リタに片思いをしていたアルバンとダミアンは、少しだけつらそうな表情を浮かべたが、主君とその妃として今後お守りしようと、気持ちを改める。リタもまた、一瞬上位である第一王子テオバルドに乗り換えようと企んだことなど忘れたように、マインラートに甘えて見せたのだった。
四人が浅はかな会話を交わしている間にも、馬車は辺境リューゲイトへ向かっていた。
走竜ではなく馬に牽かせていたため、進みはとても遅かったが、それでも健気な馬の頑張りで、王都を出て二週間後、一行はリューゲイトとその隣の領地を分ける領壁までたどり着いたのだった。
「なにあの石塀……すごくこわいわ」
「ミシュタルの深淵を抱えるリューゲイトは危ないからな。万が一魔獣が溢れた場合、リューゲイトの外に出さないよう、領地を頑強な石塀で囲ってあるんだ」
「単なる塀で防げるの?」
「リューゲイトの領壁は、何重にもなっているんですよ。だから、魔獣がリューゲイトからあふれることはありません」
聳え立つような石積みの壁におののくリタに、マインラートやアルバンの慰めが添えられる。リタが安心した笑顔を浮かべたとき、門が開き、再び馬車が動き出した。
だが、少し走って馬車は止まってしまう。
「どうした?」
貴族令息らしい面持ちでアルバンが御者に声を掛けると、護送していた兵士たちが無言で馬車の扉の鍵を外す音がした。
「我々の護送はここまでだ。リューゲイトの兵がお前たちを迎えに来ている」
「偉そうに……おまえ、どこの家の者だ。礼儀がなってないな! こちらにいらっしゃるのは第二王子殿下だぞ!」
武骨な兵士に食って掛かったダミアンに、鎧装の兵士は兜の中で鼻を鳴らした。護送隊の兵士たちには、行先と共にマインラートたちの現在の身分も告げられており、容赦をする必要は一切ないと言い含められていたから、歯向かうことになんのためらいもない。
だが、彼らから舐められていることに、マインラートたちは気づいていなかった。彼らはマインラートたちが逃げ出さないよう、用足し以外では馬車から外に出そうとしなかったので、兵士たちが自分たちを下に見ていることなぞ、今まで気づきもしなかったのだ。
「いつまで貴族でいらっしゃるつもりなのか。その頭の軽さは、むしろ哀れなものだな」
「なんだとっ!」
「元伯爵令息様、いい加減自分の罪をきちんと自覚した方がいいぜ?」
走竜を使わなかったので、リューゲイトまでの道行は長期間に亘っていた。その分兵士たちもストレスが溜まっていたので、ついそれを自分たちより下である罪人たちに向けたのだが、未だ貴族のつもりであったダミアンたちはそれに耐えられなかった。
「不敬だぞ! 父上に言って、お前の一族もろとも誅滅させてやる!」
カッとなってマインラートが吠えると、馬鹿にしたようにダミアンを口撃していた兵士が笑い出した。彼を始めとして、他の兵士たちも笑い出す。
「その手に嵌った手枷の意味を思い出したほうがいいぜ、オウジサマ!」
「さあ、リューゲイトの蛮族たちがお迎えだ! さっさと外に出な!」
手枷の太い鎖を引っ張られ、引きずり出されるようにマインラートは馬車の外に出た。ほぼ転がり落ちるような形で地面に落ちたマインラートに、涼やかな声が降る。
「護送、ご苦労様。あとはわたくしたちリューゲイト軍が引き受けます」
地面に伏したまま視線を上げると、そこには簡素な、けれども仕立ての良いドレスを身にまとった令嬢がいた。
つややかな銀髪に、けぶるようなまつ毛に囲まれた青い瞳。華奢なデコルテや素晴らしい上半身の線をあらわにする、ぴたりと身体に沿うデザインのコタルディは、けれども令嬢らしく下半身の様子を一切伺わせないふわりとしたスカートに繋がっており、色めくとともにつつましやかさも見せつけるものだった。
リタが愛らしい令嬢だとしたら、目の前のこの令嬢は麗しさの化身のようだった。マインラートのまわりの貴族令嬢のように厚く化粧を重ねていたり、強く香水を香らせていたりはしない。だが、誰よりも目を引く存在だった。
濃い深緑のドレスから覗く飾り袖の白さに気を取られているマインラートの上に、静かな声がかけられた。
「あなたがマインラート?」
敬称もなくマインラートの名を呼ぶその声に、本来ならマインラートは激怒していた。だが、令嬢のあまりの美しさに気を取られていたマインラートは、慌てて地面に手をつくと、立ち上がってきざったらしく名乗りを上げた。
「さよう。私がマインラート・フォン・ハンクシュタイン。このユニコレット王国の第二王子だ。令嬢、名は?」
「あら、ハンクシュタインの家名は剥奪されたと聞いていたのだけれど。まぁいいわ。残りの者たちも馬車から出てきなさい。修道院までは距離があるので竜車で送らせるわ」
令嬢──ヘンリエッタは、鷹揚に手を振ると、ユニコレット王国兵を帰らせ、リューゲイト兵に罪人たちの鎖を預けた。
「感謝なさい。ここから歩かせることもできたのだから」
「なっ、な、おまえは!?」
生まれてこの方無視されたことのないマインラートが、激昂した。ヘンリエッタの美貌に気を取られていたものの、さすがに無視には耐えられなかったのだ。
「わたくしは会話の許しを与えた覚えはないわ。ねぇ、ただのマインラート。従兄弟のよしみで教えてあげる。このリューゲイトの地で、安穏と過ごせると思わないで頂戴」
嫣然と微笑むヘンリエッタは、彼女の母によく似ていた。父の色合いのせいで清冽さが表に出ているだけで、ヘンリエッタは間違いなくブリギッタの娘だった。
◇
初めて相対した二人の従兄は、予想通り愚か者だった。リューゲイトに放逐された意味も理解せず、未だに自分たちが元の身分のままだと思い込んでいる。
身分を笠に着て騒ぐ少年たちに雷を落としたのは、わたしについてきてくれていた領軍だった。
リューゲイト兵は、脳筋且つ荒くれ者であり、また領主一族への信仰にも似た忠心を持つ可愛らしい領民だ。
しかも、今回わたしが率いた中には、王都から追放された元問題児もいる。彼らは王都の貴族を憎むとともに、自分を愛し鍛え上げてくれたうちの家族を崇めている。
「ほぉ~お、頭スッカスカのハリボテ王子がなんか言ってらぁ。おまえなんざ、ヘンリエッタ様からお言葉をもらうには三度は死ななきゃ足りねぇんだよ」
「なぁ、お嬢。竜車なんてもったいなくねぇか? こいつら走竜に括り付けて走らせようぜ!」
そう言ったのは、わたしが生まれるより前、母の追放に遅れること三年でこの地に来たウルリヒ元子爵令息と、その五年後にやって来たファビアン元伯爵令息である。
彼らはもはや貴族として生きてきた中で学んだマナーなどは過去のものとして忘れ、リューゲイトの民として蛮行を楽しんでいる気のいい人たちだ。貴族然とした細身は今や立派な筋肉で覆われ、なくしたマナーの代わりに愛領心を詰め込んで、日夜魔獣を屠っている。
なお、彼らが追放された原因は、結婚詐欺と度の過ぎた賭け事であったと聞いている。
結婚詐欺を行ったウルリヒは、自慢の整った容貌はすでに過去のものとなり、もしゃもしゃの髭に覆われて見る影もない。
また、賭け事にハマっていたファビアンも、ひりひりするような魔獣とのやり取りの方がお気に召して、今やサイコロにすら触れることはない。
「ファビアンの言も一理あるけれど、こんな筋肉のかけらもない彼らを走らせたら、修道院につく前にすり下ろされちゃうわ」
くすくすと笑いながら、わたしはちらりとマインラートを見た。
金髪の王子様は、辺境までの旅路でいささかくたびれたようすだったが、まだその華やかな容貌は保たれている。罪人として扱われているため、その身を包むのは刺繍や宝石に彩られた豪勢な服ではなく、通気性のいい麻地のシンプルな服だったが、あんな弱い布地、この辺境の大地にこすられたらひとたまりもないだろう。岩なんかですぐびりびりになると思う。
「な、おまえは──」
「わたくしの名は、ヘンリエッタ・リューゲイト。リューゲイト辺境伯ヘルフリートの長女ですわ。ああ、わたくしのことはお嬢様とでも。あなた方に名前を呼ぶ許可は与えません」
「マインラート様になんと失礼な! いくら従妹とはいえ、不敬が過ぎますよ!」
「家の名を剥奪されたあなた方と、今後親戚関係を認める気はございません。あくまでもあなた方は貴族ではなく、単なる罪人。そこのマインラートも、このリューゲイトの地では罪人マインラートにしか過ぎず、領主令嬢のわたくしとは、天と地の差がありますわ」
元罪人としてリューゲイトの地に追放されてきたウルリヒは、先程わたしの名を呼んでいた。つまり、あの髭もじゃの兵士より、元王子マインラートの地位は下だと言外に示されたことを理解したのか、一拍ののちに彼らの顔は真っ赤になった。怒りで血が上ると顔は紅潮するのね。なかなか直で見ない例なので興味深く観察する。
「お嬢に近づくんじゃねえよ」
地を蹴ってわたしにつかみかかろうとした男たちに、うちの兵士たちは容赦がない。元より筋肉量に多大なる差があるので、一瞬で制圧されてしまった。拘束される取り巻きに、元男爵令嬢がぽかんと口を開けている。ちょっとみっともないわよ。
「さあ、行きましょう。明るいうちに着かないと、梯子も登れないでしょうし」
飛竜で修道院まで送るつもりはさらさらない。あの長く不安定な梯子を、一歩一歩自力で登ることもまた、鍛錬だ。第一、王都でぬくぬくと育ってきた彼らに、身体強化の魔法が使えるとも思えないし。
健全な精神は健全な肉体に宿る。リューゲイトで生きるならば、筋肉は必須なのだから。
うちの兵士たちによって、罪人の一団は竜車に放り込まれていく。文字通り放り込まれたので、中から呻き声が聞こえるが、それも些細なことだ。彼らに人権などない。元男爵令嬢が甲高い声で出せと騒いでいるが、真隣であんな怒鳴り声を出されて、あの少年たちの鼓膜は無事なのだろうか。わたしならごめんこうむるので、きっとあのぽかんと開けた口に布かなんかをかますと思う。
◇
リューゲイトには、追放されてきた問題児のための断崖修道院がいくつかある。
元は現世と隔たって神の祈りに浸りたいという敬虔な修道士のために作られたそれは、修道士のためのものとは別に、問題児たちを現世と隔離するための檻として新しく作られた。
修道士専用の修道院には石積みの長い階段を作ったが、隔離場の修道院にはそれがない。罪人たちは自らの足で修道院まで辿り着き、逃げられずにそこで自らの罪と向き合うのだ。
深夜に起きて神に祈り。夜明けに起きて神に祈り。早朝に祈り。昼に祈り。午後に祈り。夕に祈り。そして就寝前に祈る。
祈りに彩られた生活の中で、畑仕事をし、筋肉トレーニングをし、細工仕事をし、筋肉トレーニングをする。
修道院の生活は、祈りと懺悔と筋トレでできている。
改悛できるようになって、はじめて下界に降りて鍛錬に移れるのだ。鍛錬が様になってきたら、ようやくミシュタルの深淵に向かい、魔獣退治に当たる。
ここまできたら、もう元の問題児は存在しなくなる。皆筋肉と辺境伯を信じ、敬い、讃える辺境伯領の領民になっている。
さぁ、今回の問題児はどれくらいかかるかしら。あんまりにも脱落するようだと、母の研究協力者の座に追いやることになるので、命が惜しいならば頑張っていただきたい。
「修道院からいつ降りれるか、賭けたい?」
「もう賭け事では興奮しないのでどうでもいっす。そろそろミシュタルの深淵に行ってきてもいいっすか? ね、お嬢!」
元ギャンブラーなファビアンは、過酷な修道院コースを卒業してミシュタルの深淵へ潜るようになってから長い。もう完全に賭け事には興味がないようだが、皆たまに揶揄って訊く。
「ほんと好きねぇ」
「命を張ってるあのヒリヒリ感がたまんねぇんすよ!」
「ま、いいんじゃない? ヘンリエッタ様、待ての聞かないファビアンはあるじのところにやりましょーや。新人の躾は俺たち第二隊がやりますよ!」
「まっじ! ありがとなーウルリヒ! じゃあ第四隊は深淵に遊びに行ってきます!」
目的の断崖が見えてくると、ファビアンの我慢が限界を迎えたようだった。あんまりおいたをしていると、母や兄に甚振られるだろうに……。まぁ、ファビアンにとってはご褒美の可能性もあるけれど。
「リュデ修道院に男子を、ヒュンディン修道院に女子をそれぞれ送ります。ある程度躾が行き届いたら、アルバンは第二隊か、耐えられそうになかったら第三隊の隊でしごいてあげて。他のメンツは移動させず、さらに調教します。見込みがなかった場合はお母様の研究室へ。見込みがあった場合は……ウルリヒの隊でしごいた後、第一隊のところで鍛えようかしら」
「えー、師匠のとこで⁉︎」
「だって、トレーニングにも段階が必要でしょう?」
筋肉を育てるのに、いきなり最大の負荷をかけてはいけない。うちの最大の負荷は父や兄になるけれど、まぁ領主手ずからは最終段階。第一隊を率いるバルドゥルの許可が下りてからだと思う。カミラ叔母様のお願いがあるから、アルバンだけは一番楽なコースの予定。
「さあ、着いたわ! マインラートたちの枷を外してあげて、命綱だけ腰に付けてね。監視役の皆は、手間だけどすぐ下についてフォローをしてあげて。梯子から落ちて調教前に死んでしまったらつまらないわ」
ああ、わくわくするわ!
問題児が来るのは久しぶりだから、わたしだけでなく、領軍の皆も高揚してるみたい。
みんなで楽しくしごきましょうね!
◇
わざと揺らしているのかと疑いたくなるほど散々な道中を超えて、マインラートたちはようやく竜車から降ろされた。
「私は王子だぞ! もっと丁寧に運べ!」
「あらいやだ、言葉が通じないのかしら……それともやっぱり頭が悪い?」
耐えられず文句を言うと、顔だけ美しい従妹が、しれっと酷いことを言う。
(この蛮族が! 礼儀というものを知らんのか!)
マインラートの隣でリタはしくしく泣いているし、アルバンは揺れる車内でぶつけた眼鏡の調子を確かめている。ダミアンは言葉もなく青ざめているだけだ。
「えっと、まずは女子からね。この縄梯子をさくっと登って、あの崖上にある修道院に行って頂戴」
「はあ⁉︎」
泣いていたリタが、ヘンリエッタの悪魔のような指示に目を剥いた。悪鬼もかくやといわんばかりの形相だったが、リタにとっては幸いなことにマインラートたちはヘンリエッタを凝視していたので、その顔を見たのはリューゲイトの面々だけだった。
「無理よ! 見りゃわかんでしょ! こんなの梯子って言わないし、大体どんだけ高いのよ! か弱いあたしには無理!」
「えぇ? これくらいの高さ、なんでさくっと登れないのかしら。大した高さじゃないわよ?」
崖上からぷらぷらと揺れる縄梯子を指差して、リタが叫ぶ。王都組からすれば、それはひどく真っ当な意見だったが、なにぶんここはリューゲイト。飛竜に乗り天空から落下ののち着地して到着するのが当たり前な面々ばかりなので、リタの意見は癇癪として捉えられた。
「荷物を持って上がり下りする修道士じゃあるまいし、手ぶらでただ登るだけがなんでできないのかしら」
修道士専用のゼーネ修道院は荷物のために階段が作られているが、問題児の改悛のための修道院であるリュデとヒュンディンは、脱走防止のためもあって縄梯子でしか行き来できない。竜が留まれるようなひらけた場所もないため、竜で来たものは肉体強化して空から飛び降りるし、また帰る際は否応なく縄梯子か飛び降りるかだ。
だが、リューゲイトの実情を知らない面々は、目の前の令嬢の度を越した嫌がらせだと思った。彼らは、リューゲイトの日常をまだ知らない。
「あんた頭おかしいわよ!」
「あらぁ、お口には気をつけた方がいいわ。利けなくなってから後悔したのじゃ遅いもの」
その白い頬に手を当て、煽るようにヘンリエッタは微笑む。微笑みだけならば王都の淑女もかくやといった様子だったが、マインラートは違う意味でぞっとした。この従妹は、自分たちが抵抗できないことをいいことに、なぶる気だ。
「まぁ、あなたは女の子ですし、特別に竜で上げてあげてもいいけれど……あなた、肉体強化の魔法は使えて? 強化しないまま着陸台に飛び降りたら、潰れるわよ?」
側から見たら、リタもヘンリエッタも華奢で筋肉などなさそうななよやかさを持っている。だが、淑女然としたヘンリエッタは、リューゲイトの民らしく脳筋だった。竜に運んでもらうならば着地は自力。それがリューゲイトの〝普通〟だ。
「そんなのできるわけがないでしょ! あたしはか弱い令嬢よ⁉︎」
「じゃあ登ってもらうしかないわね」
「無理! 絶対無理!」
紅茶色の髪の毛を振り乱して全力で抵抗するリタに、ヘンリエッタがため息をついた。
マインラートたちは知らなかったが、王都から追放されてくる人間は、いつもこうだ。元追放メンバーたちも、さすがに過去の自分が思い出されて恥ずかしいのか、苦笑を浮かべている。だがしかし、マインラートたち現追放組はそれに気づかない。
「いつも通りでいきましょーや」
頭を掻きながら、隊長格の男が言う。それが一番手っ取り早いと。
男の提案に頷くヘンリエッタに、マインラートは言い募った。リタを助けたいということもあったが、変な嫌がらせをされて自分にまで飛び火したら困るからだ。
「おい! おまえ従兄の私に対して変なことをしたらすまないぞ! 父上が黙っていないからな!」
マインラートは伝家の宝刀である「父上に言いつけるぞ」というカードを切ったが、ヘンリエッタをはじめ、リューゲイトの面々にそれは通用しなかった。理由は簡単だ。リューゲイトにはブリギッタがいる。冤罪で追いやったのと、一方通行とはいえ愛妻の実姉であることと、さらには本人の資質もあって、アロイジウス王はブリギッタとリューゲイトに文句をつけるのを恐れている。ブリギッタの報復は容赦ないうえ、気軽に王妃がそれに手を貸すのだ。
王宮からなにを言われても両親や領民の強さを信じているヘンリエッタは、マインラートのいちゃもんをスルーした。そのまま、率いていたリューゲイト軍や走竜と共にいた、自分の飛竜を呼ぶ。
「マイロ、おいで!」
ペットでも呼ぶような気軽な声に、ばさりという重々しい空気への打擲音が重なる。ヘンリエッタは笑顔のまま、大地を蹴って巨大な飛竜に飛び乗った。馬ではない、飛竜だ。マインラートをはじめ、その場にいた王都組は目を剝く。
飛竜は走竜と違い、離着陸に場所を必要とするため王宮では飼われていない。このリューゲイトの地でしか見ない種だ。それを華奢な令嬢がやすやすと乗りこなしているなぞ、夢にも思わない出来事だった。
「きゃあああああッ!」
ぽかんと見上げていたのはその悲鳴が響くまでだった。ヘンリエッタの乗った飛竜は、その禍々しいまでに鋭い爪で、あろうことか次期王子妃となるリタをつかんだのだから!
「リタっ! おいおまえ! リタに何をする!」
子どもらしい青さで、マインラートはヘンリエッタに食って掛かった。死神と悪女の子だけある。あの従妹はなんて悪辣なのだろう!
だが、近づくのが怖いマインラートは、言葉だけでやめるように言うのが精一杯だった。それでも好いた少女を助けようとしただけマシかもしれない。
「リタを離せ!」
「あんまりにも聞かん坊なので、実践してみるだけですよ! さあ! 身体強化をかけて! 上空から入りますよ!」
「ぎゃああああああっ!」
だが、ヘンリエッタはマインラートの声など耳に届いていないかのように、マイロと呼んだ飛竜を操って断崖のさらに上まで上昇していった。愛らしさの演出など忘れた、リタの本気の絶叫がそれに続く。
「さあどうぞ!」
「ひぃああああああッ!」
青空を背景に、飛竜がリタを落とした。様々なしぶきをまき散らしながら、リタは白目を剥いて宙を舞う。仮に身体強化がかかっていたとしても、意識を失っていては意味がないだろう。
マインラートもアルバンもダミアンも、リタの死を確信した。あの高さから崖に叩きつけられたら、命なんて残るわけがない。それどころか身体も四散して残らないだろう。
マインラートたちの真実の愛は、今ここで散るのだ。
「あら、気絶しちゃいましたの?」
口から泡を吹きだしながら落ちるリタを見て、ヘンリエッタは悪魔のような微笑みを浮かべて飛竜から飛び降りた。風魔法や身体強化を使いつつ、意識のないリタの胴をつかんでふわりと優雅にヒュンディン修道院に舞い降りる。だが、断崖の上の様子を見ることのできないマインラートたちは、意味が分からずガタガタ震えることしかできなかった。
(な、な、な……!)
何が起こったのかわからない。あの女は、マインラートの最愛を攫い、上空から突き落とし、なぜか自分もその後を追った。意味がわからない。なにがおこったのか。
そんな王都組をあざ笑うかのように、崖の上からふわりとスカートをなびかせてヘンリエッタが飛び降りてきた。ちょっとした段差を飛ぶように、当たり前の顔をして。
ぎゅがあ、と飛竜が鳴く声がした。リューゲイトの民にはのんきな声に聞こえるが、リタの惨劇を見た直後の王都組にとって、それは殺戮開始の合図のようだった。
「やっぱり手間がかかりますわねぇ。おとなしくしてくれればいいのに。さて、皆様。お待ちかねのリュデへ参りましょうか。皆様はご自身で上がられますよね?」
悪魔が、終わりを告げた。
◇
いつもの通りの手順を重ねると、追放されてくる人間は面白いように折れる。
「お嬢様! 見てください! 僕、岩を持ち上げられるようになりました!」
リュデに押し込めた面子の中で、まず最初に従順になったのは元伯爵令息のダミアンだった。
もとより元男爵令嬢の犬のようなポジションだったダミアンは、速攻で飼い主を変えた。だがわたしは犬より竜派なので愛着は湧かない。まだ本物の犬は可愛いけれど、成人間近の年上の男性が距離感を間違えて懐いてきても鬱陶しいだけだ。
ということで、ウルリヒの下で筋トレ生活に慣れさせながら、距離感を正しく取れるよう調教中。小さな岩一つで褒めたら毎回アピールしてくるようになったので、今はウルリヒに丸投げ。三つくらい重ねてバランス取れるようになったら呼んで欲しい。まだ筋肉が足りない。
ダミアンが脱落したことで、わたしの従兄たちはおびえた。あんな風に自分も変えられるのかといった様子だったが、予想外に彼らは仲間割れした。
なぜかって? それは親の愛情の差に他ならない。たまに手紙を差し入れるカミラ叔母と、丸っと無視のエリーザベト叔母。なんなら元王子にエリーザベト叔母のご決断をここで教えてもよかったけれど、ここで変な風に折れてしまったら母の研究協力者一直線ルート確定なので、違う折り方をすべく調教。
「もう帰りたい……こんな生活、私には無理だ……無理ぃ〜」
育ちのせいかすぐ泣くし、立ち直りも遅いし、もうこのままガイアの研究材料にしてもいいかなぁと思ったり。筋肉の付きも悪いし。深淵から帰宅したら、兄でも投入しようかしら。
「マインラート、そこをどけ。役に立たないやつは椅子に座るべきではない。あ、ヘンリエッタ、見てくれ、母から差し入れがあったんだ。手紙と、なんと砂糖菓子まで!」
母親の愛情の差と、この場では元の地位が関係ないと悟ったもう一人の従兄は、変に自信をつけてしまったのでもう少し調教を進めることにする。カミラ叔母の愛情に縋って鼻っ柱が高いままでは、この後がうまくいかないからだ。愛情は無限ではないことを実感してほしい。もしかしたら一番時間がかかるかも。だってまだウルリヒのところに預ける段階でもないのよ?
研究協力者ルートに足を踏み入れる場合は、母からカミラ叔母に一言言ってもらわなきゃね。
一方で柔軟性が高かったのはリタ。さすが根っからの貴族ではないだけあって、ヒュンディンになじむのも早かった。豪華でない食事や畑仕事なんかもさくさくこなすので、なかなか見どころがある子だ。
「あ、おじょーさまぁ♡ 見てください、お芋がこんなに豊作! あたし、農業向いてるみたぁい。ね、久しぶりだし、お茶でもしませぇん?」
だが、甘ったれた自信家なところが残っているのはいただけない。わたしにおもねれば生き残れると見る決断力の速さは評価するけれど、やり方を間違えたままではいけない。
彼女は母の信者に育てるか、わたしを信奉させるか考え中。乗り越えられない上下関係を、命ぎりぎりで思い知らせながら調教。どちらの手下になるかは母次第かな。
まぁ、まずは筋肉を鍛えさせよう。彼女は女性隊長であるエルケのところでしごいてもらう予定。王都でハーレム築いてた子だから、男性社会に入れるのはまだ危険だわ。
それにしても、本当に王都の面々は気軽に辺境へ人を捨てすぎ! 調教するのも大変なんですけど。
まぁ、調教がうまくいって正しくリューゲイトの民となった皆は頑張り屋さんなので、新しい領民を増やす手順として頑張ろうかな。
ミシュタルの深淵を押さえるための戦力は、いくらあっても困らないんだから。
◇
その後の話になるが、今回の追放者の行末はこんな感じになった。
まず、ダミアン・キューン。伯爵家の出身だった彼は、同じ伯爵家出身ということでウマが合ったのか、ファビアンに懐いた。ウルリヒの元からファビアンの元へ所属を移し、彼が率いる第四隊で生き生きとミシュタルの深淵を満喫している。
きゅるっとした小柄な少年はもういない。いるのは小柄ながらもゴツい一人の兵士だ。この間は棍棒を振り回していた。ファビアンとよく魔獣の肉の食べ比べをしている様子。ヒャッハー!という魔獣めいた笑い声が聞こえたら、そこに彼はいる。
続いてリタ・アンゲラー。彼女は人一倍リューゲイトに慣れるのは早かったものの、なかなか男性に甘える癖が抜けなかったので、女性陣で囲いに囲ったところ、なんとこちらも第五隊隊長であるエルケに心酔し、筋肉信奉者として日々トレーニングに勤しむようになった。
今の彼女の視界に、男性はいない。いるのは女性の筋肉のみ。この間など、エルケのような肉体になりたいと、うっとりした瞳でわたしに語ってくれた。わたしの信奉者兼エルケ親衛隊みたいな形に落ち着いたようだ。
「推しがいればオトコなんていらない」とリタは言う。男性のゴツい筋肉より、女性のしなやかな筋肉がお好みらしい。
従兄アルバン・シンデルマイサーは、カミラ叔母の待つ侯爵家には帰れなかった。
彼は筋肉とは相性の悪い体質だったようで、トレーニングを始めてもさほど筋肉はつかず、身体強化の魔法も使いこなせなかったため、あわや母の研究所送りになりかけたが、叔母の気持ちを鑑みて修道士としてゼーネ修道院に移ることになったのだ。
己が命を救った母の愛に涙した従兄は、神の愛と母の愛に報いるべく、祈りの日々を送っている。叔母とは手紙をやりとりしているようだ。
そしてマインラート・フォン・ハンクシュタイン。ユニコレット王国の第二王子だった彼は、情けないことに筋肉を鍛えるステージにすら行けなかった。
母の椅子兼治験者兼実験体として研究所に送られた彼の行末を、わたしは知らない。
ヘンリエッタ・リューゲイト:リューゲイト辺境伯家の長女。見た目はたおやかな美女。色合いだけ父似。淑女に見えてなんだかんだで脳筋。
ブリギッタ・ギースベルト・リューゲイト:リューゲイト辺境伯夫人。元はギースベルト侯爵令嬢。悪役令嬢が悪の女王に。妹は王妃とシンデルマイサー侯爵夫人。
ヘルフリート・リューゲイト:リューゲイト辺境伯。脳筋。自身の宝物であるブリギッタとヘンリエッタを溺愛。筋肉こそすべて! 通称「死神伯」。
ヴィルフリート・リューゲイト:リューゲイト辺境伯継嗣。脳筋。辺境伯のコピーかと思うくらい激似。性格は父よりは母に似て悪辣。通称「筋肉魔王」。
マインラート・フォン・ハンクシュタイン:ユニコレット王国の第二王子。見た目キラッキラ頭カッスカス。王家は偉いんだから自分の思ったことが正しい!
リタ・アンゲラー:平民育ちの男爵令嬢。可愛いは正義なんだから、マインラートに選ばれたあたしがトップに相応しい!
アルバン・シンデルマイサー:侯爵令息。辺境伯夫人ブリギッタの甥。あの悪魔のような伯母のいる地には行きたくなかった! メガネが本体説。
ダミアン・キューン:伯爵令息。強い者に従う主義。弱い犬なのでよく吠える。
ローラント・フォン・ハンクシュタイン:ユニコレット王国第一王子。珍しい常識人枠。
コンスタンツェ・レーヴェレンツ:公爵令嬢。マインラートとリタの策略で悪役令嬢ブリギッタの再来扱いされた。第一王子への布石のおかげで逆転勝利。
アロイジウス・フォン・ハンクシュタイン:ユニコレット国王。兄の婚約者であったブリギッタの妹エリーザベトに懸想したが、同じ家から二人も王家に嫁に出すわけにはいかないので、エリーザベトの暗殺疑惑を兄と共に捏造し、ブリギッタを辺境送りにした張本人。無事エリーザベトを娶ったものの、浪費が激しくて財政難に。
エリーザベト・ギースベルト・ハンクシュタイン:ユニコレット王妃。ブリギッタの妹で、アルバンの伯母。王妃の座を賭けて姉を蹴落とした。特に夫アロイジウスに思い入れはない。こう見えて姉の情報源。
テオバルド・ハンクシュタイン:アロイジウス国王の兄で、辺境伯夫人ブリギッタの元婚約者。ブリギッタが怖いので弟の力を借りて退けたが、同時にブリギッタの策略で国王に相応しくないとされ、国外に婿へ出された。なお、婿入り先のハーレムでは苦労しているとのこと。
カミラ・ギースベルト・シンデルマイサー:シンデルマイサー侯爵夫人。アルバンの母でブリギッタとエリーザベトの妹。息子がやらかして姉のいる辺境に行くことと、その顛末を手紙で報告した。息子は心配だけれど、やらかしがひどかったので、お姉様矯正お願いいたします! 姉の情報源2。




