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第8話「冬の境界線」

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 十二月二十五日。クリスマス。


 朝起きると、枕元にプレゼントが三つ置かれていた。


 母さんからは手袋。温かそうな紺色のニット。手紙に「ダンジョンを目指すなら、まず風邪をひかないこと」と書いてあった。母さんらしい。


 りんねえからは手作りのお守り。赤い布で縫われた小さな袋に、何か硬いものが入っている。裏にりんねえの字で「れんくんが無事でいられますように」と刺繍されていた。十一歳の手芸スキル、侮れない。


 結月からは粘土の人形。七歳になった結月の粘土技術は格段に向上していて、ちゃんと人の形をしていた。にこにこ笑っている人形の横に小さなメモ。「にいにだよ! にてる?」


 似てるかどうかは微妙だが、嬉しいものは嬉しい。


「ありがとう、三人とも」


 朝食の席で礼を言うと、りんねえは「べ、別に大したものじゃないし」と赤くなり、結月は「にいにのえがお、いちばんのプレゼント!」と満面の笑みを見せた。


 平和だ。この上なく平和だ。


---


 十二月二十八日。


 沙耶からの手紙に従い、鷹司家を訪れた。冬休みの間に一度来てほしいと、珍しく沙耶の方から誘われたのだ。


 門を叩くと、出迎えたのは沙耶本人だった。白いタートルネックのセーターに、紺色のスカート。私服の沙耶を見るのは久しぶりだ。


「来たのね」


「呼ばれたからね」


「……うん。来てくれて、嬉しい」


 沙耶がまっすぐにそう言った。飾りのない言葉。だからこそ、重い。


 屋敷の奥の、小さな和室に通された。庭園に面した部屋で、窓の外には雪がちらついている。


「ここ、わたしの部屋なの」


「へえ。静かでいい部屋だね」


「……あなたを、初めて自分の部屋に入れたわ」


 沙耶は正座して、丁寧にお茶を淹れてくれた。湯気が立ち上り、部屋に温かい香りが広がる。


「学校はどう? 手紙だと分からないこともあるでしょ」


「……相変わらず退屈。でも」


 沙耶は茶碗を置いて、こちらを見た。


「あなたの手紙が届く日だけは、いい日だと思える」


「…………」


 この子は時々、こういうことを事実として淡々と言う。恥ずかしがるわけでもなく、媚びるわけでもなく。ただ、そうだから言う。


 前世の感覚でも、これは「友達」の言葉じゃないと分かる。でも、九歳の沙耶がどこまで自覚しているのかは分からない。


「……沙耶はさ、ダンジョンのこと、まだ反対?」


「当然よ」


 即答だった。


「でも」


 沙耶は窓の外の雪を見つめた。


「あなたが行くなら、止められないとも思ってる。蓮は、誰が止めても行く人だから」


「……よく分かってるな」


「三年も手紙を書いていれば、分かるわ」


 沙耶は小さく息をついた。


「だから……わたしも考えてるの。止められないなら、どうすればあなたを守れるか」


「守る?」


「鷹司の力を使えば、最高の装備を揃えることも、優秀な探索者をつけることもできる。……あなたが無事に帰ってこられるように」


 九歳の少女が、名家の力を使って一人の男の子を守ろうとしている。


 その想いの深さに、一瞬言葉を失った。


「……ありがとう、沙耶」


「お礼はいらない。……ただ、約束して。必ず帰ってくるって」


「約束する」


 沙耶は頷いた。その目が、微かに潤んでいたのは、きっと湯気のせいだ。


---


「――遅い!」


 和室を出た途端、廊下で仁王立ちしていた紫月に捕まった。赤い稽古着を着ている。


「しづきちゃん、久しぶり」


「久しぶりじゃないわよ! 沙耶とばっかり話して! わたしを待たせるなんていい度胸ね!」


「いや、知らなかったんだけど」


「知らなくても察しなさい!」


 無茶を言う。


 紫月は竹刀を二本持っていた。一本を俺に突きつける。


「道場に来なさい。手合わせよ」


「え、おれ剣道やったことないんだけど」


「構わないわ。あなたの実力を知りたいの」


 有無を言わさず道場に連行された。鷹司家には専用の剣道場がある。広い板張りの空間に、凛とした冷気が漂っている。


 防具を着けさせられ、竹刀を構える。構え方すら分からないが、紫月は容赦しない。


「行くわよ」


「ちょっ――」


 鋭い踏み込み。竹刀が閃く。咄嗟に受けようとしたが、あっさりと胴を打たれた。


「遅い。もう一本」


 また打たれた。三本目も四本目も。


 九歳で三段。その腕は本物だった。動きに無駄がなく、打ち込みの一つ一つが正確で重い。


 でも、不思議と嫌じゃなかった。


 楓と走る時と似ている。強い相手と向かい合う時の、あの高揚感。


「……おりゃっ!」


 五本目。がむしゃらに打ち込んだ。当然のように弾かれたが、紫月が一瞬だけ目を見開いた。


「……今の。少しだけ、良かった」


「まじ?」


「ほんの少しよ。百回に一回くらいの出来。……でも、筋は悪くない」


 紫月は竹刀を下ろし、面を外した。汗で頬が紅潮している。


「蓮」


「ん?」


「剣道、やりなさい。ダンジョンに行くなら、身を守る術くらい持っていないと話にならないわ」


「……紫月が教えてくれるの?」


「誰がそんなことを言ったの。わたしは対戦相手が欲しいだけよ。周りが弱すぎて退屈してるの」


 紫月はぷいっとそっぽを向いた。


「……月に一度、ここで稽古してあげてもいい。あんたがどうしてもと言うなら」


「言う。どうしてもお願いします」


「……っ、そんなすぐ食いつかないでよ。心の準備が……もういいわ」


 紫月が早足で道場を出ていった。


 残された俺は、竹刀を見下ろして笑った。剣道か。新しい挑戦だ。楽しくなってきた。


---


 十二月三十一日。大晦日。


 日向家のリビングで、家族四人、紅白を見ながら年越しそばを食べていた。


 りんねえは俺の左隣、結月は右隣。母さんは向かいのソファ。毎年恒例の配置だ。


 時計が二十三時を回った頃、結月がうとうとし始めた。


「ゆづき、眠いなら寝ていいよ」


「ねむくない……にいにと、としこしする……」


 結月は俺の肩にもたれかかった。小さな体温。規則正しい寝息。


 ……寝た。


「しょうがないなあ」


 結月を抱き上げて、布団まで運ぶ。布団に下ろすと、結月が寝ぼけ眼で俺の袖を掴んだ。


「にいに……いかないで……」


「どこにも行かないよ」


「うそ……にいに、ダンジョンいくんでしょ……ゆづきも、いく……」


 寝言だ。でも、その手は離れない。


「……ゆづき」


「にいにと、ずっといっしょ、がいい……」


 七歳の妹の、無防備な本音。


 この子は普段、明るくて天真爛漫で「にいに大好き!」といつも笑っている。でもその奥に、俺がどこかに行ってしまうことへの不安があるのだと、この瞬間に初めて気づいた。


「……どこにも行かないよ。行っても、必ず帰ってくるから」


 小さな手を握った。結月は安心したように指を緩め、静かな寝息に戻った。


 部屋を出ると、廊下にりんねえが立っていた。壁に背を預けて、腕を組んでいる。


「……聞いてた?」


「全部」


 りんねえは、暗い廊下の中で俺を見つめた。十一歳の目は、もう子供のそれじゃなかった。


「ねえ、れんくん。わたしも、同じこと思ってるよ」


「……りんねえ」


「わたしも、れんくんとずっと一緒がいい。……でも、ゆづきとは違う意味で」


 心臓が、一度だけ強く鳴った。


「りんねえ、それって――」


「おやすみ」


 りんねえは踵を返して、自分の部屋に入っていった。


 閉じたドアの向こうから、小さな声が聞こえた気がした。


 聞こえなかったことにした。


 ――除夜の鐘が鳴っている。


 新しい年が来る。


---


 第8話 了


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