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第7話「ダンジョンの欠片」

---


 十一月。


 玲奈が転校してきてから一ヶ月が経った。


 相変わらず「認めてない」が口癖だったが、昼休みに一緒に図鑑を眺めるのは日課になっていた。最初は俺が一方的に話しかけていたのが、最近では玲奈の方から「今日はこの項が面白い」と教えてくれることもある。


「……別にあんたのためじゃないわよ。わたしが読みたいところを読んでるだけ。あんたが隣にいるのは偶然よ」


「毎日偶然って、それもう必然じゃない?」


「うるさい」


 こういうやり取りにも慣れた。


 雫は相変わらず俺の隣で穏やかに笑っているが、玲奈が来るたびにほんの少しだけ表情が曇る。最近の雫は「れんくん、わたしとも昼休み一緒にいてね」と控えめに主張するようになった。おっとりした雫にしては珍しい自己主張で、成長を感じる。


 楓は楓で「蓮、最近昼休み走ってくれないじゃん!」と不満顔だ。仕方ないので朝練に切り替えた。毎朝七時にグラウンドで楓と走る。まだ一度も勝てていない。


---


 ある土曜日の午後。


 楓から「うちに来て!」と電話があった。母さんのスマホに楓の母親から連絡が入り、許可が出たので向かう。


 楓の家は、うちから自転車で十分ほどの住宅街にあった。こぢんまりとした二階建て。庭にはなぜか砂袋とタイヤが転がっている。


「蓮、こっちこっち!」


 楓が玄関から飛び出してきた。興奮で顔が紅潮している。


「どうした? すごいテンションだけど」


「お母さんがね、ダンジョンから帰ってきたの! で、すっごいもの持ってきたの! 早く早く!」


 手を引かれてリビングに通される。


 テーブルの上に、小さな布袋が置かれていた。


 その横に、楓の母親が座っていた。


「はじめまして、蓮くん。楓の母の、鳴瀬なるせ あおいです」


 日焼けした肌。鍛え上げられた体格。楓の面影がある快活な笑顔。しかしその左腕には、肘から先を覆う白い包帯が巻かれていた。


「楓がいつも話してくれるの。ダンジョンに行きたい男の子がいるって」


「はい。おれ、ダンジョンにすごく興味があって」


 葵さんはしばらく俺の目を見つめた後、ふっと笑った。


「いい目してるね。……見せてあげる」


 布袋の紐を解く。中から取り出されたのは――


 拳ほどの大きさの、蒼い石だった。


 呼吸が止まった。


 写真で見たことはある。図鑑で何度も眺めた。でも、実物は全く違った。


 石の内部で、淡い光が脈動している。まるで心臓のように、ゆっくりと明滅する蒼い光。テーブルの上に置かれているだけなのに、空気が変わる。重力が微かに歪んでいるような、不思議な感覚。


「これが、ダンジョン第四層産の蒼輝石。わたしたちのチームが今回の探索で持ち帰った」


「……触っても、いいですか」


「どうぞ」


 両手で包み込むように持ち上げた。


 冷たい。でも、芯に温もりがある。矛盾した感覚。石の中の光が、俺の手に反応するように一度強く瞬いた。


「……すげえ」


 声が震えた。


 これが、ダンジョンの欠片。人智を超えた世界の産物。画面越しじゃない、本物。


「ねえ蓮、すごいでしょ!」


 楓が横から覗き込む。目がきらきらしている。


「うん。……すごい。これが、ダンジョンの中にあるんだ」


「そうだよ。お母さんが取ってきたんだよ。かっこいいでしょ!」


 楓は自慢げだ。そして、葵さんを見る目には純粋な尊敬が溢れていた。


 葵さんは微笑みながらも、包帯の巻かれた腕にそっと手を添えた。


「蓮くん。きれいなものでしょう? でも、これを手に入れるために、うちのチームは一人怪我をした。前回の探索では、別のチームで死者が出た」


 声のトーンが変わった。


「ダンジョンは美しくて、魅力的で、人を惹きつける。でも同時に、容赦なく命を奪う場所。それでも行きたい?」


 試されている。


 大人の探索者からの、真剣な問いかけ。


「……行きたいです」


「理由は?」


「見たいから。この石みたいなものが、もっと奥にあるんですよね。誰も見たことないものが。それを、自分の目で見たい」


 葵さんは数秒の沈黙の後、大きく息を吐いた。


「……楓が気に入るわけだ。そっくり」


「え?」


「わたしも同じこと言って、ダンジョンに潜り始めたから」


 葵さんが笑った。楓と同じ、太陽みたいな笑顔だった。


---


 帰り道。蒼輝石の感触が、まだ手のひらに残っていた。


 あの光。あの温もり。あの、世界が歪むような感覚。


 ダンジョンには、あれ以上のものがある。もっと深く、もっと奥に。


 胸の奥で、何かが確かに燃え上がった。


---


 翌週の月曜日。


 昼休み、理緒が息を切らせて教室に飛び込んできた。普段おっとりしている理緒が走ってくるのは珍しい。


「れ、蓮くんっ……! 大変です……!」


「どうした、りおちゃん。落ち着いて」


「落ち着いてる場合じゃないんです……! これ、見てください……!」


 理緒がランドセルから一枚のプリントを取り出した。どこかの学術誌からコピーしたもの。小学生が読むようなものではない。


「これ、何?」


「東京大学ダンジョン科学研究所の最新論文です。図書館のデータベースで見つけました」


 タイトルを読む。


『ダンジョン深層部における時空間異常の観測報告 ――第七層以深で確認された因果律の乱れについて――』


「……因果律の乱れ?」


「はい。第七層より深い領域で、時間の流れが不均一になる現象が複数の探索チームから報告されているんです。ある地点では一時間が外の世界の一分に相当し、別の地点ではその逆が起きる」


 理緒の目が、興奮で輝いている。眼鏡の奥の瞳が、知識に触れた喜びで燃えていた。


「それだけじゃありません。第八層では、探索者の持ち込んだ機器が『未来の時刻』を記録していたケースが報告されています。つまり――」


「ダンジョンの深層では、時間が狂ってる」


「はいっ。しかも論文の結論部では、こう書いてあるんです。『ダンジョンの最深部には、既知の物理法則が完全に書き換えられた空間が存在する可能性がある』」


 鳥肌が立った。


 既知の物理法則が通用しない空間。時間すら歪む場所。この世界の誰も到達していない最深部。


「……やっぱり、行かないと」


「蓮くん?」


「こんなの聞いたら、余計に行きたくなるに決まってるだろ」


 理緒は一瞬目を丸くして、それから、ふわりと笑った。


「……ですよね。わたしも、同じことを思いました」


「りおちゃんも一緒に行こう。楓と三人で、誰も見たことない場所まで」


「……はい」


 理緒は眼鏡を押し上げながら、強く頷いた。


 その横で、さっきから話を聞いていた玲奈が、図鑑のページをめくる手を止めていた。


「……時空間異常、ね。うちの研究部門でも、似たようなデータを取ってるわ」


「え、まじ?」


「企業秘密よ。……でも」


 玲奈は本を閉じて、俺を見た。


「あんたが本気でダンジョンに行くつもりなら、知っておくべきことはまだ山ほどある。……教えてあげてもいいわよ。あんたの知識が足りなすぎて見てられないから」


「おお、ありがとう!」


「感謝するほどのことじゃないわ。……ただの暇つぶしよ」


 玲奈は顔を背けた。定番の照れ隠し。


 気がつけば、俺の周りにはダンジョンの話ができる仲間が集まっていた。


 体力担当の楓。知識担当の理緒。情報担当の玲奈。


 そして俺は――ロマン担当だ。


 十八歳まで、あと九年。


 まだまだ先は長い。でも、準備はもう始まっている。


---


 第7話 了


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