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第4話「手紙と、雨の日の出会い」

---


 小学校生活が始まって一週間。


 七歳の日常はすぐにルーティンになった。


 朝は結月に見送られ、りんねえと登校。教室では雫と隣同士で授業を受け、休み時間には楓がクラスに乗り込んできて騒がしくなる。昼休みは楓と走り、放課後はりんねえと帰る。


 週末には、時々沙耶から手紙が届いた。


 私立の名門校に通う沙耶は、手紙という手段でしか俺と連絡を取れない。スマホを持つには早すぎる年齢だ。


『蓮へ。

 こちらの学校は退屈です。みんな行儀は良いけれど、あなたのように変わった人はいません。

 ダンジョンのことは、まだ考えていますか。

 ……考えているのでしょうね。

 体に気をつけて。

 鷹司沙耶』


 毎回、ダンジョンのことを聞いてくる。反対しているくせに気にしている。不器用だな、と思いながら返事を書く。


『沙耶へ。

 元気? こっちは楽しいよ。新しい友達もできた。鳴瀬楓っていう子で、すげー足速い。あと、ダンジョン探索者になりたいんだって。おれも負けてられないなって思った。

 おれは元気です。ダンジョンのことは、めちゃくちゃ考えてます。

 蓮』


 この手紙を読んだ沙耶がどんな顔をしたかは、知る由もない。


 ただ、次の手紙の文面が少しだけ硬くなっていたのは、気のせいではなかっただろう。


『蓮へ。

 新しいお友達ができたのですね。それは良いことです。

 ……よかったですね。

 鷹司沙耶


 追伸:鳴瀬さんという方のことは存じませんが、ダンジョンを目指す者同士気が合うのでしょう。

 追追伸:手紙の返事が三日も遅いのは、忘れていたからですか。

 追追追伸:別に気にしていません。』


 気にしてるじゃん。


---


 五月。ゴールデンウィークが明けた頃。


 世間を騒がせるニュースが飛び込んできた。


『――政府は本日、「ダンジョン探索規制法改正案」の骨子を発表しました。現行法ではダンジョン探索に年齢制限は設けられていませんでしたが、改正案では十八歳未満のダンジョン入場を禁止し、探索者登録制度の厳格化を図る方針です。また、探索者に対する保険制度の整備や、ダンジョン内での救助体制の構築も盛り込まれ――』


 テレビの前で、俺は食い入るようにニュースを見ていた。


 ダンジョンが出現してから十年。最初は無法地帯だった探索も、ようやくまともな法律ができ始めている。


 十八歳未満は入場禁止。まあ、当然だろう。七歳の子供がダンジョンに潜れるわけがない。


 でも、逆に言えば。


「十八歳になったら、行けるんだ」


「れん……」


 母さんが心配そうな目を向ける。


「あと十一年。……長いなあ」


「長くありません」


 母さんが、珍しく強い口調で言った。


「十一年なんて、あっという間よ。つい昨日、あなたを抱き上げたばかりなのに、もう七歳なんだから」


「……うん」


「約束して。少なくとも十八歳までは、絶対にダンジョンに近づかないって」


「それは約束する。法律は守るよ」


 母さんは少しだけ安心したように息を吐いた。


 でも、十八歳になった後のことは、何も約束していない。母さんも、それを分かっていて、あえて聞かなかったのだと思う。


---


 もう一つ、ニュースがあった。


『――なお、本改正案では「男性のダンジョン探索」について特別な条項は設けられていません。これについて、男性保護を推進する市民団体からは「男性のダンジョン入場は全面的に禁止すべき」との声が上がっており、国会でも議論が――』


 男性のダンジョン探索を禁止すべき。


 そういう意見があることは、子供心にも感じていた。ダンジョン関連のニュースの度に、コメンテーターが「貴重な男性をダンジョンに送るなんて論外」と言うのを何度も聞いた。


 紫月の言葉が蘇る。


『あなた一人の命じゃないのよ』


 正論だ。この世界の価値観では、完全なる正論。


 でも。


「……おれの人生は、おれのもんだ」


 七歳の呟きは、リビングのテレビの音にかき消された。


---


 六月。梅雨の始まり。


 ある雨の日の放課後、教室に一人残っていた。雫は塾があるとかで先に帰り、楓はサッカークラブの練習へ。りんねえはまだ授業中。


 窓の外を見ると、灰色の空から絶え間なく雨が落ちている。


「暇だなー」


 ぼんやりしていると、教室の扉がカラリと開いた。


「あの……一年二組の、日向蓮くんは、いますか」


 聞き覚えのない声。振り返ると、教室の入口に一人の女の子が立っていた。


 長い黒髪を低い位置で一つに結んでいる。丸い眼鏡の奥に、知性を感じさせる大きな瞳。手には分厚い本を抱えていて、全体的な印象は「小さな図書館司書」だ。


「おれだけど。えっと、誰?」


「わ、私は……二年一組の、白峰しらみね 理緒りおです。あの、突然すみません……」


 二年生。一つ上だ。


 理緒は緊張した面持ちでおどおどしながらも、手に持った本を胸の前に掲げた。


「あの……この本、読んだことありますか?」


 表紙を見る。『世界のダンジョン図鑑 ジュニア版』。子供向けに書かれたダンジョンの解説書だ。


「あ、それ図書室で借りて読んだ。面白いよな! 三層の結晶洞窟の写真とか、めちゃくちゃきれいで」


「やっぱり!」


 理緒の目がぱっと輝いた。おどおどした雰囲気が一瞬で吹き飛ぶ。


「わ、私もこの本大好きで……! 特に、五層以降の未踏領域についての考察が素晴らしくて、あの、筆者の仮説では深層部には既存の物理法則が通用しない空間がある可能性が示唆されていて……」


「あー、あった! 重力がおかしくなるかもって話だよね? 天井に水が流れてる写真あったじゃん。あれ、すごくなかった?」


「すごかったです! あれは恐らく局所的な重力場の反転現象で、もしそれが人工的に再現可能なら、建築工学に革命が……あっ」


 理緒は突然ハッとして、口を手で押さえた。


「す、すみません、つい興奮してしまって……。あの、えっと、本題なんですけど」


「ん?」


「その……噂で、聞いたんです。一年生の男の子で、ダンジョンに行きたいって言ってる子がいるって。それで、もしよかったら……一緒に、ダンジョンの話が、できたらいいなって……」


 理緒は顔を真っ赤にして、本の陰に隠れるようにした。


 この世界で、「男の子に話しかけに行く」という行為がどれだけ勇気のいることか。しかも一つ上の学年から、わざわざ教室を訪ねてくるなんて。


「もちろん! つか、ダンジョンの話できる人めっちゃ嬉しい! りおちゃん、いろいろ詳しいんだね!」


「りお……ちゃん」


 理緒が固まった。


「え、もしかして呼び方まずかった? 白峰先輩の方がいい?」


「い、いえっ、りおちゃんで、いいです……! むしろ……嬉しい、です……」


 理緒は本の陰に顔を埋めたまま、耳まで真っ赤になっていた。


 眼鏡が曇っている。息で。どれだけ熱を発しているんだ。


「じゃあさ、りおちゃん。今度一緒に図書室行こうよ。ダンジョン関係の本、もっと読みたいんだ」


「……っ、はい! ぜひ! あの、私のおすすめリストがあるんです! 三十二冊あるんですけど……」


「三十二冊!? すげえ!」


「えへへ……」


 理緒は照れながらも、嬉しそうに笑った。知識を共有できる相手が見つかった喜びが、全身から滲み出ている。


 学者タイプの女の子。ダンジョンに対する知的好奇心で繋がれる相手。前世の感覚で言えば「同じ趣味の友達ができた」というだけの話だが、この世界では――特に男の子相手では――きっと違う意味を持つのだろう。


 でも、そんなこと、七歳の俺はいちいち気にしない。


「よし、明日の昼休みに図書室集合で!」


「は、はいっ! ……あ、あの、蓮くん」


「ん?」


「ダンジョンに行きたいって、本気、ですか?」


「本気だよ。いつか絶対に潜る」


 理緒は俺の目をじっと見つめた。そして、ぽつりと呟いた。


「……私も、いつか。ダンジョンの深層を、この目で見てみたいです」


「お、まじ? じゃあ、一緒に行こうよ!」


「……えっ」


「楓もダンジョン行きたいって言ってたし、三人で探索チーム作れるじゃん!」


「た、探索チーム……蓮くんと……」


 理緒は眼鏡の奥で目をぱちぱちさせた後、小さく、でも確かに頷いた。


「……はい。約束、です」


「おう!」


 こうして、俺の未来の探索チームは(本人の中では)メンバーが三人になった。


 全員小学生だけど。


---


 帰り道、遅くなった俺を校門で待っていたりんねえが、不機嫌な顔をしていた。


「おそい。何してたの」


「ごめんごめん、新しい友達と話してた」


「……また?」


「二年生の白峰理緒ちゃん。ダンジョンにめちゃくちゃ詳しくて、すげー面白い子なんだ」


「………………」


 りんねえの沈黙が長い。


「りんねえ?」


「……鳴瀬さんの次は白峰さん。……次は誰かしらね」


「え、なんか怒ってる?」


「怒ってない」


 怒ってる声だった。


「れんくんは、女の子の友達ばっかり増やして……わたしは……」


「りんねえも友達じゃん。つーか、家族だし」


「そういうことじゃないの! ……もういい」


 りんねえはずんずんと先を歩いていった。


 九歳の姉の感情は、七歳の弟には複雑すぎた。いや、前世の記憶がある分、なんとなく察しはつくのだが……まさかな、と思って深く考えないことにした。


 姉ちゃんは姉ちゃんだ。それ以上でもそれ以下でもない。


 ――この時の俺は、本気でそう思っていた。


---


 夜。


 部屋に戻ると、枕元に一通の手紙が置いてあった。母さんが届けてくれたのだろう。


 差出人は、鷹司紫月。


『日向蓮へ。

 小学校には慣れましたか。あなたのことだから、もう女の子に囲まれてへらへら笑っているのでしょう。

 今日はあなたに一つ報告があります。わたしは今学期から、剣道の稽古を始めました。鷹司流ではなく、実戦向きの流派です。

 理由は言いません。ただ、あなたがいつかダンジョンに入るなどと馬鹿なことを本当に実行しようとした時、力ずくで止められるようにするためです。

 ……嘘です。

 嘘ではありませんが、それだけでもありません。

 とにかく、わたしは強くなります。あなたが何をしようと、わたしの方が上だと証明するために。

 次に会う時を楽しみにしなさい。

 鷹司紫月


 追伸:前の手紙に「しづきちゃん優しいね」と書いてありましたが、あれは的外れです。二度と書かないでください。

 追追伸:手紙の返事は三日以内にしなさい。沙耶が拗ねていたのはあなたのせいです。

 追追追伸:わたしは別に拗ねたりしません。念のため。』


 俺は手紙を読みながら、声を出して笑ってしまった。


 強くなる、か。


 紫月は、俺を止めるために強くなると言う。りんねえは、俺を守るために強くなると言う。楓は、一緒にダンジョンに潜るために強くなると言う。


 みんなの「強くなりたい」理由はバラバラだけど、方向は同じだ。


 俺も、負けてられない。


「……よし」


 明日から、走り込みを始めよう。楓に勝てるようになるまで。そして、十八歳になった時、ダンジョンの入口に立てるように。


 まだまだ先は長い。でも、一人じゃない。


 友達がいる。家族がいる。


 手紙をくれる、素直じゃないお嬢様もいる。


 前世で何者だったかは分からないけど、この世界での俺は――多分、かなり恵まれている。


 カーテンの隙間から、雨上がりの夜空に星が一つ見えた。


「……待ってろよ」


 誰に言ったわけでもなく呟いて、目を閉じた。


---


 第4話 了


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