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第3話「小学生になりました」

---


 時が過ぎるのは、あっという間だった。


 幼稚園の三年間で、俺――日向蓮の周囲はすっかり固まっていた。


 天宮雫は、もう人見知りの面影がない。とは言い過ぎだが、少なくとも俺の隣にいる時は自然に笑えるようになった。相変わらず他の人にはおっとりと控えめだけれど、俺といる時だけは饒舌になる。先生たちが「雫ちゃん、蓮くんといる時だけ別人みたいね」と笑っていたのを覚えている。


 鷹司沙耶は、幼稚園卒業の日に「小学校は別々になるけれど」と静かに言った。鷹司家は私立の名門小学校に通わせる方針だという。


「……また会えるわよね」


「もちろん。友達でしょ」


「…………ええ」


 沙耶は頷いて、それきり何も言わなかった。ただ、帰り際に振り返ったその目が少しだけ潤んでいたのを、俺は見なかったことにした。


 鷹司紫月は、卒園式には来なかった。代わりに、後日母さん宛てに丁寧な手紙が届いた。沙耶の母親の筆跡で「紫月が蓮くんに渡してほしいと」と添えられた封筒の中身は、一枚の便箋だった。


『日向蓮へ。

 あなたのダンジョンの夢は相変わらずばかげていると思います。でも、小学校に行っても元気でいなさい。病気とかケガとかしたら許さないわよ。

 追伸:次に会う時はもっとまともな服を着てくること。

 鷹司紫月』


 達筆だった。六歳で。鷹司家の教育はどうなっているのだろう。


---


 七歳。小学一年生。


 四月の朝は少し肌寒くて、真新しいランドセルが背中で揺れるたびに、かちゃかちゃと小さな音がした。


「れんくん、ランドセルのぶた、あいてるよ」


「お、ほんとだ。ありがとう、りんねえ」


 三年生になったりんねえが、当然のように俺の横を歩いている。もう九歳。背もだいぶ伸びて、俺を見下ろす角度が大きくなった。


「……今日から一年生かあ。れんくんのクラス、女の子ばっかりなんでしょ?」


「まあ、そうだろうね」


「大丈夫? いじめられたりしない?」


「逆に聞くけど、この世界で男子をいじめる女子って存在するの?」


「……それもそうか」


 りんねえは少し安心したように笑ったが、すぐに真剣な顔に戻った。


「でも、何かあったらすぐにわたしに言ってね。お姉ちゃんが絶対に守るから」


「はいはい」


「はいは一回!」


 沙耶と同じことを言う。姉ちゃんの口癖がうつったのか、沙耶の口癖がりんねえにうつったのか。


 後ろからとてとてと走ってくる足音。振り返ると、五歳になった結月がランドセルもないのに必死でついてきていた。


「にいにー! まってー!」


「ゆづき、お前まだ幼稚園でしょ」


「やだ! にいにといっしょにいく!」


「幼稚園は反対方向だって」


「やだやだやだー!」


 結月の目にみるみる涙が溜まる。この技を使われると弱い。


「……じゃあ、途中の分かれ道まで一緒に行こう」


「ほんと!? やったー!」


 一瞬で涙が引っ込む。大物の片鱗が見えた。


 右手にりんねえ、左手に結月。七歳の春、俺は姉妹に挟まれて小学校への道を歩き出した。


---


 一年二組。


 教室に入った瞬間、空気が変わるのを感じた。


 三十人の生徒のうち、男子は俺一人。幼稚園と同じ構図だ。この世界の男女比を考えれば当然のことだが、前世の感覚がある俺には毎回少しだけ不思議に映る。


 前の世界なら、こう――男子が十五人くらいいて、始業式前の教室はもっと騒がしかったはずだ。


 でも、ここには俺しかいない。


「あ……男の子だ……」


「ほんとだ、男の子がいる……」


「かっこいい……」


 ひそひそ声。好奇と期待の入り混じった視線が、あちこちから刺さる。


 幼稚園では三年かけて慣れてもらったが、ここではまた一からだ。


 まあ、やることは同じ。


「おはよう! おれ、日向蓮。よろしくね!」


 教室全体に向かって、にかっと笑ってみせた。


 しん、と静まった後。


「「「よ、よろしくおねがいしますっ!」」」


 なぜか全員が立ち上がって挨拶を返してきた。


 いや、そこまでかしこまらなくていいんだけど。


---


「――れんくん」


 自己紹介タイムが終わって席についた俺に、隣の席の女の子が声をかけてきた。


「あっ、しずくちゃん! 同じクラスだったんだ!」


「うん。えへへ、嬉しい……」


 天宮雫。幼稚園からの幼馴染。同じ小学校区だったので、再会は予想していたが、まさか隣の席とは。


 雫は七歳になって、ずいぶん雰囲気が変わっていた。


 幼稚園の頃のもじもじした感じは薄れて、代わりに穏やかな落ち着きが出てきた。背が少し伸びて、長い髪を一つにまとめている。大きな茶色い瞳は相変わらずだが、どこか大人っぽくなった。


「三年間、ずっと同じ幼稚園だったもんね。また同じクラスって、運命かも」


「う、運命……?」


 雫の頬がさっと赤くなった。


「あ、いや、えんがあるっていうか、縁があるっていうか」


「えん……うん、えん、だね。うん」


 雫は自分を納得させるように何度も頷いていた。


 前世の感覚で「運命」なんて軽く使ったが、この世界で男の子から「運命」と言われるのは多分かなり重い言葉だ。反省。


 ……いや、七歳相手だし、大丈夫だろう。たぶん。


---


 一時間目が終わった休み時間。


 教室の扉が勢いよく開いた。


「あーっ! ここが一年二組ね!」


 入ってきたのは、赤いリボンで髪を一つに結んだ女の子だった。日に焼けた肌。くりくりした大きな目。何より目を引くのは、全身から放射されるエネルギーの塊のようなオーラだ。


 春の嵐が教室に飛び込んできたような、そんな印象。


「ねえねえ、この組に男の子がいるって聞いたんだけど、ほんと!?」


 一年一組の子らしい。わざわざ隣のクラスから走ってきたのか。


 教室中の視線が俺に集まる。


「あ、おれのこと? うん、男だよ」


「うおおっ、ほんとだ! すっげー! 男の子初めて見た! わたし、鳴瀬楓なるせ かえで! よろしく!」


 ずいっと距離を詰めてくる。前世基準でもなかなかの距離感の近さだ。この子、俺とはまた別ベクトルで距離感がおかしい。


「お、おう。日向蓮。よろしく」


「蓮かー! いい名前! ねえねえ、蓮って足速い? わたしめっちゃ足速いんだよ! 幼稚園の時はいっつも一番だった!」


「へえ、すごいじゃん。勝負してみる?」


「まじ!? やるやる! 昼休みにグラウンド集合ね! 約束だよ!」


 嵐のように来て、嵐のように去っていった。教室に残された一年二組の面々がぽかんとしている。


「……すごい子だね」


 雫が呆然と呟いた。


「うん。面白い子だ」


「れんくん、ああいうタイプ、好きなの……?」


「好きっていうか、元気な子は見てて楽しいよね」


「……そう」


 雫が少しだけ口を尖らせた。七歳の嫉妬。いや、これは嫉妬なのか? よく分からない。


---


 昼休み。約束通りグラウンドに出ると、鳴瀬楓はすでにスタートラインに立っていた。


「おっそーい! 待ちくたびれたよ!」


「まだ昼休み始まって二分だけど」


「二分は長いよ! ほら、あそこの木がゴールね。よーい……」


「ちょ、待っ」


「どん!」


 待ってくれなかった。楓は弾丸のように飛び出した。


「ずるっ!」


 慌てて追いかける。七歳の身体は、前世の記憶が求めるほど自由には動かない。でも、走ること自体は嫌いじゃなかった。


 風を切る。足が地面を蹴る。楓の背中が近づいて――近づいて――。


 届かなかった。


「わたしの勝ちー!」


 ゴールの木に手をついた楓が、満面の笑みで振り返る。息を切らせて追いつくと、楓が手を差し出してきた。


「いい勝負だったよ! 男の子でこんなに走れるの初めて見た!」


「はあ……はあ……まじで速いな、かえで」


「えへへー。でも蓮もすごいよ。もっかいやろ!」


「いや、ちょっと休ませて……」


「えー、だめー!」


 この子、体力おばけだ。


 結局、昼休みの間に三回走って三回負けた。悔しいけど、清々しい。


 走り終わって芝生に寝転がると、楓も隣にどさっと倒れ込んだ。


「あー、たのしかった! 蓮、また明日も走ろうね!」


「……毎日やるの?」


「当然! わたし、将来はダンジョン探索者になるんだ! だから体力つけなきゃ!」


 俺は思わず身体を起こした。


「……ダンジョン探索者?」


「うん! お母さんがね、ダンジョン探索チームに入ってるの。たまに持って帰ってくるダンジョンの素材とか食べ物がすっごいんだよ! わたしも大きくなったら絶対に探索者になる!」


 目が輝いていた。純粋な憧れが、溢れ出ている。


「……おれもさ、ダンジョンに潜りたいんだよね」


「えっ、まじ!?」


 楓がガバッと起き上がった。


「蓮もダンジョン行きたいの!? うわー、初めて同じこと言う子に会った! みんなにはいっつも『危ないからやめなよ』って言われるんだよ!」


「分かる。おれもそればっか言われる」


「だよねー! でもさ、あのキラキラした石とか、食べたら泣くほど美味しい果物とか、ぜーんぶダンジョンの中にあるんだよ? 行きたいに決まってるじゃんね!」


「そうそう! ロマンだよな、ロマン!」


「ロマン! なにそれ、かっこいい! わたしもそれ使う!」


 二人で笑った。


 なんだろう、この感覚。前世でもこんな風に、同じ夢を語り合える友達がいた気がする。記憶は曖昧だけれど、感覚だけは確かに残っている。


「ねえ、蓮」


「ん?」


「約束しよ。大きくなったら、一緒にダンジョン潜ろうね」


 楓が小指を差し出した。


「……おう。約束だ」


 指を絡めた。


 楓は嬉しそうに笑った。太陽みたいな笑顔だった。


 遠くの校舎の窓から、雫がこっちを見ているのに気づいたのは、教室に戻った後だった。雫は「べつに、なんでもない」と言って、自分の席に座ったきり、五時間目の授業中ずっと窓の外を見ていた。


---


 放課後。


 帰り道で、りんねえが待っていた。三年生は五時間目までだが、わざわざ一年生の四時間目の終わりに合わせて待ってくれている。


「りんねえ、別に一人で帰れるってば」


「だめ。お姉ちゃんと一緒に帰るの」


「…………」


 過保護だが、りんねえの場合は断っても聞かないので諦めている。


 並んで歩いていると、りんねえが思い出したように言った。


「ねえ、れんくん。今日、昼休みに女の子と走ってたでしょ」


「見てたの?」


「三年生の教室の窓から丸見えだったの。……誰、あの子」


「鳴瀬楓。隣のクラスの子。めっちゃ足速い」


「ふうん」


 りんねえの「ふうん」には、温度がなかった。感情を押し殺した時の「ふうん」だ。九歳にもなると、そういう器用さが出てくるらしい。


「……楽しそうだったね」


「うん、楽しかった。楓もダンジョンに行きたいんだって。初めて同じ夢の子に会ったよ」


「……ダンジョン」


 りんねえの足が、少しだけ遅くなった。


「れんくん、本当にダンジョン、行くつもりなの?」


「うん」


「…………」


 沈黙。風が吹いて、りんねえの髪が揺れた。九歳の少女は前を向いたまま、静かに言った。


「……わたし、強くなろうかな」


「え?」


「何でもない。ただの独り言」


 りんねえは、それ以上何も言わなかった。


 ただ、翌日から、りんねえが毎朝庭でストレッチをしているのを俺は目撃することになる。


---


 第3話 了


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