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第2話「鷹司のもう一人のお嬢様」

---


 幼稚園に通い始めて、一ヶ月が過ぎた。


 四月の桜はすっかり散り、五月の風が園庭を吹き抜ける頃には、俺――日向蓮の幼稚園生活はすっかり軌道に乗っていた。


 というか、乗りすぎていた。


「れんくん、いっしょにおすなばいこ!」


「れんくーん、こっちでおままごとしよー!」


「ねえねえ、れんくん、きのうのアニメみた?」


 朝、登園するなり女の子たちに囲まれるのは日常になっていた。クラスの男子は俺一人。園全体を見ても、男の子は年長さんに一人いるだけだ。


 前世の感覚で言えば、アイドルが学校に通っているようなものだろうか。いや、それ以上かもしれない。この世界の男女比を考えれば、男の子の存在自体がレアキャラなのだ。


「うーん、どうしよっかなー。じゃあ最初におすなば行って、そのあとおままごとして、アニメの話はおべんとうの時にしよ!」


「「「やったー!」」」


 全員と遊ぶ。誰かを選ぶんじゃなくて、全員と。


 前世の感覚では当たり前のことだ。友達は多い方がいい。誰かをハブにするのは好きじゃない。


 でも、この世界では「男の子が自分から全員に声をかける」という行為自体が規格外らしく、先生たちがいつも遠くからハラハラした顔で見守っている。


「れんくん、むりしてない……?」


 雫が控えめに聞いてくる。他の子たちが散った後、いつも隣に残っているのは雫だ。


「むり? なんで?」


「だって、いつもみんなのあいてして、つかれない?」


「全然。みんなと遊ぶの楽しいし」


「……そっか」


 雫はほっとしたように笑って、それから少しだけ俯いた。


「わたしは……れんくんと、ふたりのときが、すき、かな」


「ん?」


「な、なんでもないっ」


 雫はぱたぱたと手を振って話題を変えた。四歳の「好き」がどういう意味なのか、前世の記憶を持つ俺でも正直よく分からない。友達として好き、なのだろう。きっと。


---


 砂場で城を作っていると、沙耶がやってきた。


 いつも通り、静かに。気配を消すのが上手いというか、いつの間にかそこにいる。


「……何を作っているの」


「お城。ダンジョンっぽくしたいんだけど、うまくいかないんだよなー」


「ダンジョン」


 沙耶の眉がぴくりと動いた。一ヶ月前、俺がダンジョンに潜りたいと言った時の微かな怒りを、まだ覚えているのかもしれない。


 でも、沙耶は何も言わなかった。代わりに、すっとしゃがみ込んで、砂を手に取った。


「……壁は、こうした方が崩れにくい」


「お、さやちゃんうまいね!」


「当然よ。鷹司の家には日本庭園があるの。砂の扱いくらい心得ているわ」


 四歳で何を言っているんだとツッコみたかったが、実際に沙耶が手を加えた砂の壁は綺麗に整っていたので、素直に感心するしかなかった。


「すごいなー。じゃあ、ここにトンネル作ってよ。ダンジョンの入口みたいなやつ」


「…………」


 沙耶は少し黙った後、小さくため息をつきながら、指先で丁寧にトンネルを掘り始めた。


「……一つだけ言っておくわ」


「ん?」


「わたしがこれを作るのは、あなたが喜ぶからであって、ダンジョンに賛成しているわけじゃないの」


「はいはい」


「はいは一回」


 沙耶の語彙力は四歳離れしている。鷹司家の教育の賜物だろう。


 黙々と砂の城を作る二人の横で、雫がちょっと寂しそうな顔をしていたので、「しずくちゃんも旗作ってよ、葉っぱで」と声をかけると、ぱっと表情が明るくなった。


 三人で作った砂の城は、なかなかの出来だった。


---


 そんな穏やかな日常が続いていた、五月末のある日。


 幼稚園にお迎えに来た母さんの顔が、少しだけ緊張していた。


「れん、今日はまっすぐ帰らないよ。ちょっと寄るところがあるの」


「どこ?」


「……鷹司さんのお屋敷」


 意外な名前だった。なぜ、うちの母さんが鷹司家に?


 聞けば、鷹司家から「息子さんがうちの沙耶と仲良くしてくださっているようで、ぜひご挨拶を」という招待があったらしい。


 この世界で、名家が男の子の家族に挨拶を求める。その意味を、母さんは分かっているのだろう。表情が硬い。


「れん、お行儀よくしてね」


「うん、わかった」


 りんねえも一緒だった。母さんに手を引かれながら、姉ちゃんは不安そうな顔をしていた。


「……りんねえ、どうしたの?」


「べ、別に何でもない。ただ……鷹司って、すっごいおうちなんでしょ? れんくんがとられちゃわないか、ちょっと……」


「とられるって何だよ」


「だ、だから何でもないってば!」


 姉ちゃんは耳を赤くして、ぷいっとそっぽを向いた。


 六歳児なりの心配なのだろう。微笑ましいと思いつつ、りんねえの手を握った。


「大丈夫。おれはどこにも行かないよ」


「……ほんと?」


「ほんとほんと」


 りんねえは、きゅっと握り返してきた。その力が妙に強かったのを、覚えている。


---


 鷹司家の屋敷は、屋敷というより「城」だった。


 広大な敷地に和洋折衷の建物が建ち並び、手入れの行き届いた庭園が広がっている。門をくぐるだけで空気が変わるような気がした。


「ようこそいらっしゃいました」


 出迎えてくれたのは、沙耶の母親だという女性。切れ長の目元が沙耶によく似ていた。上品な所作で俺たちを応接間に通しながら、その視線が俺に向いた時、一瞬だけ鋭い光が宿ったのを感じた。


 品定め、だ。


 この世界では珍しくない。男の子がどんな子か、健康か、賢いか、性格はどうか――そういったことを見極めようとする目。前世の感覚で言えば、お見合いの席で値踏みされているようなものだ。


 四歳の子供相手に、それをやるのがこの世界の常識。


「蓮くん、でしたね。沙耶がいつもお話ししてくれるのよ」


「あ、はい。さやちゃんにはいつもお世話になってます」


 前世仕込みの社交辞令――というか、普通の挨拶をしただけだが、沙耶の母親が少し目を見開いた。


「まあ……はきはきした子ね」


「えへへ、よく言われます」


 母さんが隣で「すみません、ちょっと元気すぎるところがありまして」と恐縮しているが、沙耶の母親は穏やかに笑っていた。ただ、その奥にある計算高い光は消えていない。


 そこに、襖がすっと開いた。


「――沙耶」


 入ってきたのは沙耶本人だった。自宅では幼稚園の時と雰囲気が少し違う。背筋がさらに伸びていて、表情も硬い。鷹司家の中では「鷹司の娘」として振る舞わなければならないのだろう。


「蓮。……来たのね」


「おう。おじゃましてます」


「…………」


 沙耶が一瞬、ほっとしたような顔をしたのが見えた。幼稚園での距離感のまま話しかけられて、少しだけ肩の力が抜けたのかもしれない。


「沙耶、お客様にお茶をお出ししなさい。それと――紫月も呼んでいらっしゃい」


 沙耶の母親のその言葉に、沙耶の表情が微かに曇った。


「……紫月、来ているの?」


「今朝からいらしているわ。蓮くんに会いたいって」


 沙耶は何か言いたそうに口を開きかけ、結局何も言わずに部屋を出た。


 紫月。


 新しい名前だ。


---


 数分後、沙耶が茶器を載せた盆を持って戻ってきた。四歳にしては見事な所作だったが、その顔はどこか憂鬱そうだった。


 そして、その後ろから。


「――ふうん。これが、沙耶の言ってた男の子?」


 高い声。自信に満ちた、というより、自信しかないような声。


 襖の陰から現れたのは、沙耶と同じ黒髪の少女だった。ただし、沙耶が静かな湖のような雰囲気だとすれば、この子は燃え盛る炎だ。


 つり上がった目。腰に手を当てた堂々としたポーズ。沙耶より少し背が高く、全身から「わたしはお前より上だ」というオーラが出ている。


 四歳で、この貫禄。


「わたしは鷹司紫月たかつかさ しづき。沙耶の従姉妹よ。あなたが日向蓮?」


「うん。よろしくね、しづきちゃん」


「……ちゃん?」


 紫月の目が、すっと細くなった。


「初対面で馴れ馴れしいわね。男の子ってみんなもっとおどおどしてるものだと思ってたけど」


「えー、そう? おれ、おどおどするの苦手なんだよね」


「ふん。変わった子ね」


 紫月は腕を組んで――四歳児が腕を組む姿はなかなかシュールだが――俺を頭のてっぺんからつま先までじろじろと見た。


「まあ、顔はそこそこね。でも、鷹司の家に来るならもっとちゃんとした格好をしなさいよ。その服、量販店でしょう?」


「し、紫月……」


 沙耶が小声でたしなめるが、紫月は意に介さない。


「だってほんとのことじゃない。鷹司の名に恥じない振る舞いをしなさいって、おばあさまもいつも言ってるでしょう? お客様にもそれ相応の品格を求めるのは当然よ」


 母さんの顔がこわばるのが分かった。りんねえは俺の後ろに隠れるようにしながらも、悔しそうに唇を噛んでいる。


 ……ふむ。


 前世の記憶がなくても、この子が何を言いたいのかは分かる。要は「あなたは鷹司家に釣り合わない」ということだ。四歳にして立派なマウント能力である。


 でも、俺はこういうタイプが嫌いじゃない。


「しづきちゃん、すごいね」


「……は?」


 予想外の返答だったらしく、紫月が怪訝な顔をした。


「四歳なのにそんな難しい言葉知ってるんだ。かっこいいなー」


「……っ。ば、馬鹿にしてるの?」


「してないしてない。本気で感心してる。おれなんか『ひんかく』って何か分かんないもん」


 嘘だ。前世の記憶があるから普通に分かる。でも、四歳児のフリをするのもたまには必要だ。


「……ふんっ。分からないなら教えてあげてもいいわよ。品格というのはね――」


「お、教えてくれるの? やった、しづきちゃん優しいね!」


「やっ……優しいんじゃないわよ! 無知な子を放っておけないだけで……!」


 紫月の頬がほんのり赤くなった。ちょろい。


 沙耶がこちらを見ている。その目は「あなた、何をしているの」と言いたげだったが、口元がわずかに緩んでいた。


---


「――で、あなた。ダンジョンに入りたいんですって?」


 客間で出されたお菓子をもぐもぐ食べていると、紫月が突然切り出した。


 沙耶から聞いたのだろう。


「うん。いつかね」


「はあ? 正気?」


 紫月の目が吊り上がった。さっきまでの高飛車とは少し違う、本気の怒気が混じっていた。


「男がダンジョンに入るなんて、ありえないわ。あなた、自分がどれだけ貴重な存在か分かってるの?」


「んー、まあ、男が少ないってのは知ってるけど」


「知ってるなら、なおさらでしょう! 男はね、守られるべき存在なの。安全に、健やかに、大切に生きるべきなの。ダンジョンなんて危険な場所に行くなんて……あなた一人の命じゃないのよ!」


 紫月の声には、子供離れした切実さがあった。


 この子も、鷹司家の教育を受けて育っている。「男は守るもの」。その価値観が骨の髄まで染み込んでいるのだろう。


 しかも紫月の場合、それを攻撃的な形で表に出す。沙耶が静かに怒るタイプなら、紫月は真正面からぶつかってくるタイプだ。


「しづきちゃんさ」


「何よ」


「心配してくれてるんだよね? ありがとう」


「……はあっ? べ、別に心配なんかしてないわよ! ただ、男が無駄死にするのは社会的損失だって言ってるの!」


「あはは、社会的損失って。しづきちゃん、ほんとに頭いいんだな」


「当たり前でしょう! 鷹司の人間は全員優秀なの!」


「うんうん。じゃあさ、そんなに頭いいなら、おれがダンジョンに安全に潜れる方法を考えてくれない?」


「…………は?」


 紫月が固まった。


「えっ、ちょ、何を言って……」


「だってさ、おれがどうしてもダンジョンに行きたくて、でもしづきちゃんがおれを守りたいなら、一番いいのは安全に潜る方法を考えることじゃん?」


「そ、そういう問題じゃ……」


「ねえ、それよりさ、このおかし美味しいね。もう一個もらっていい?」


「話をそらすな!」


 紫月が顔を真っ赤にして叫ぶ。


 沙耶が横で小さく「……ぷっ」と吹き出した。紫月が「沙耶! 笑うな!」と矛先を変え、二人の小さな言い合いが始まる。


 それを眺めながら、菓子をもう一つ口に運ぶ。


 ――うん、おいしい。さすが鷹司家。菓子のレベルが違う。


 りんねえが隣で「れんくん、食べ過ぎ」と小声で注意してきたが、その手も菓子に伸びていた。


---


 帰り際。


 玄関で靴を履いていると、紫月が仁王立ちで待っていた。


「日向蓮」


「ん?」


「わたしは、あなたがダンジョンに行くことを絶対に認めないわ。男が命を危険にさらすなんて、鷹司の教えに反する。……いいえ、人として間違ってる」


 その目は真剣だった。高飛車な態度の奥に、本気の信念が見えた。


「おれは、行くよ」


 静かに、でもはっきりと言った。


「ロマンがあるから。見たいものがあるから。それだけの理由だけど、おれにとっては十分なんだ」


「……っ」


 紫月は唇を噛んだ。


「……あなたって、ほんっとうに、馬鹿ね」


「よく言われる」


「言われ慣れてるんじゃないわよ! ……もういいわ。覚えてなさい。わたしが絶対にあなたの考えを改めさせてみせるから」


「楽しみにしてる」


「楽しみにするな!」


 紫月が地団駄を踏む。四歳児の地団駄は、正直かわいい。


「それとね」


 紫月はふいに声のトーンを落とした。


「……次に来る時は、もうちょっとまともな服を着てきなさいよ。別にあなたのためじゃなくて、鷹司の客間にふさわしい格好をしてもらわないと、わたしの品格に関わるから」


「次、来ていいの?」


「……来るなとは言ってないでしょう。行間を読みなさいよ」


 紫月はくるりと背を向けて、足早に屋敷の奥へ消えた。最後に見えた耳が、赤かった。


 門の前で待っていた沙耶が、小さく頭を下げた。


「……紫月が、ごめんなさい。きつい子だけど、悪い子じゃないの」


「分かってるよ。面白い子だなって思った」


「面白い……」


 沙耶が不思議そうに首を傾げた。


「紫月を面白いって言った人、初めてだわ。大体の人は、怖いか、嫌いかだもの」


「そう? 素直じゃないだけで、根っこは優しい子でしょ。心配してくれてるのバレバレだったし」


「…………」


 沙耶は数秒間、じっと俺を見つめた。夕焼けに照らされたその瞳が、一瞬だけ揺れたように見えた。


「……蓮って、ほんとうに変わってるのね」


「また言われた」


「褒めてるのよ。……たぶん」


 沙耶は、本当に微かに、笑った。幼稚園でもほとんど見せない、柔らかい笑顔。


「……また幼稚園でね」


「うん。明日もいっしょに遊ぼう」


「……ええ」


 沙耶はもう一度小さく頭を下げて、門の中に戻っていった。


---


 帰り道。


 夕焼けに染まった住宅街を歩きながら、母さんが何度か口を開きかけては閉じるのを繰り返していた。


「母さん、なに?」


「……れん。鷹司さんのお家の人たち、すごかったでしょう」


「うん。お菓子おいしかった」


「そうじゃなくて」


 母さんは苦笑しつつも、少し真剣な顔になった。


「鷹司さんみたいな大きなお家は、れんのこと……男の子のことを、とても大事に考えているの。だから、色々と気にかけてくださるかもしれない。でもね」


「うん」


「れんは、れんのまんまでいいからね」


 母さんの手が、ぎゅっと俺の手を握った。


「お家が大きいとか小さいとか、そんなの関係ない。れんが楽しく過ごせるなら、それでいい。母さんは、いつもそう思ってるから」


「……うん。ありがとう、母さん」


 素直にそう言えるのは、前世の記憶のおかげかもしれない。親の愛情がどれだけ有り難いものかは、「大人の感覚」を持っているからこそ分かる。


 りんねえが母さんの反対側の手を握りながら、ぼそっと言った。


「わたしも、れんくんのこと、まもるから。あのお嬢様たちにまけないくらい」


「負けるとか勝つとかじゃないでしょ」


「いいの。わたしがそう決めたの」


 六歳の宣言は、どこまでも真っ直ぐだった。


---


 家に帰ると、結月が玄関で待ち構えていた。近所に住む母さんの友人に預けられていたらしい。


「にいにー! おそいー!」


 飛びついてくる結月を受け止めて、抱き上げる。


「ごめんごめん、ちょっとお出かけしてたんだ」


「どこいってたの?」


「お友達の家」


「おともだち? にいにの? ゆづきもいきたかった!」


「今度ね」


「やくそく!」


「うん、約束」


 小指を絡めると、結月は満面の笑みで「ゆびきりげんまん」を歌い始めた。


 なんだろう、この平和な感じ。


 ダンジョンが世界のあちこちに出現し、社会が変革期を迎えている現代日本。男女比の歪みが生む独特の社会構造。俺自身の前世の記憶。


 色々と「普通じゃない」要素だらけの世界なのに、家に帰ればこうして妹が笑っている。姉が見守っている。母さんが温かいご飯を作ってくれている。


 この日常を大事にしたいと、心から思う。


 でも同時に、胸の奥で疼く何かがある。


---


 夕食後、テレビのニュースが目に入った。


『――愛知県のダンジョン第五層にて、探索チーム「ヴァルキュリア」が新種の鉱石を発見。この鉱石は従来の金属を遥かに超える硬度と軽さを併せ持ち、研究者からは「夢の素材」と……』


 画面には、薄い青色に輝く鉱石のサンプルが映っていた。既存のどの鉱物とも違う、この世界のものとは思えない美しさ。


『また、第三層で採取された果実「星露の実」は、一般市場での取引価格が一個あたり五十万円を超える高値を記録。その味は「食べた瞬間、体中の細胞が喜ぶようだ」と表現され……』


 一個五十万円の果実。食べた瞬間、細胞が喜ぶ味。


 ――やっぱり、行きたい。


「れん、またダンジョンのニュース見てる……」


 母さんの声が、キッチンから聞こえた。心配と諦めが半分ずつ混ざったような声。


「だって、すごいんだもん。こんな石、見たことないし。一個五十万の果物とか、どんな味がするんだろう」


「……れんは、本当にダンジョンが好きなのね」


「うん。好き」


 四歳児の「好き」を、大人たちはどこまで本気にしているだろう。子供の夢、と笑い飛ばしてくれればいいのだけれど。


 母さんは何も言わなかった。ただ、少しだけ目を伏せて、食器を洗う手を速めただけだった。


---


 布団の中。


 暗い天井を見上げながら、今日のことを振り返る。


 鷹司紫月。沙耶の従姉妹。高飛車で、口が悪くて、プライドが高くて――でも、根は悪くない。


 「男はダンジョンに行くべきじゃない」という彼女の主張は、この世界では至極真っ当なものだ。五十人に一人しかいない男が命を危険にさらすなんて、社会的にも感情的にも受け入れがたいことだろう。


 でも、俺には前世の記憶がある。


 男だから守られるべき? 男だから安全に生きるべき?


 前の世界では、そんなこと誰も言わなかった。男も女も、自分の人生は自分で選んでいた。


 もちろん、この世界にはこの世界の事情がある。男が少ないのは事実で、だからこそ社会が男を守ろうとするのも理解できる。


 でも――。


 あの鉱石の光。あの果実の話。まだ見ぬダンジョンの最深部に何があるのか。


 その好奇心は、「守られるべき」なんて言葉では抑えられない。


「……いつか、絶対に」


 呟いて、目を閉じる。


 隣の布団で、りんねえが「……ん……れんくん……どこにもいっちゃだめ……」と寝言を言っていた。


 さらにその隣で、結月が「にいに……おやつ……もっと……」と全然関係ない寝言を言っていた。


 ……この姉妹の温度差よ。


 小さく笑って、意識を眠りに沈めた。


 明日もきっと、騒がしくて、楽しい日になる。


---


 第2話 了


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