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第19話「剣と、涙と、秘密」

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 十月。全国高校剣道選手権大会。個人の部。


 会場は東京の日本武道館。一万人収容の大空間が、熱気で揺れている。


 俺は観客席の最前列にいた。沙耶が鷹司家の枠で席を確保してくれた。隣には沙耶、その向こうに雫と玲奈。楓と理緒はテレビ中継で観戦しているはずだ。


 決勝戦。


 鷹司紫月 ごじょういん 五条院楓華ふうか


 紫月は十六歳で高一。対する五条院は高三で、昨年の優勝者。三連覇がかかる試合だ。


 面を着けた紫月が、コートの中央に立った。


 遠い。観客席からは表情が見えない。でも、分かった。あの構えは、俺と稽古する時と同じだ。一切の無駄がない、鷹司紫月の剣。


「始め!」


---


 試合は、壮絶だった。


 五条院は巧い。経験で上回り、間合いの支配が抜群だ。最初の一本は五条院が取った。素早い面。紫月の出鼻を完璧に捉えていた。


 会場がどよめく。


 でも俺は知っている。紫月は、一本取られてからが本番だ。追い込まれると目の色が変わる。稽古で何度も見た。


 果たして、紫月が動いた。


 構えが変わった。道場での正統な構えから、半歩前に出た攻めの形。紫月が俺との稽古の中で磨いた、実戦特化の構え。


 二本目。紫月の胴。五条院の防御を掻い潜る、低い軌道からの一閃。審判の旗が上がった。


 三本目は、時間との勝負だった。残り十五秒。互いに動かない。静寂の中で、竹刀の先端が微かに揺れている。


 残り五秒。


 紫月が踏み込んだ。


 叫びが聞こえた。面を着けているのに、紫月の気合いが武道館全体に響いた。


 ――面。


 一瞬の交差。審判の旗が、三本とも紫月に上がった。


 優勝。


 会場が爆発した。


 俺は立ち上がっていた。声が出ていた。何を叫んだか覚えていない。ただ、隣で沙耶が微かに笑い、玲奈が腕を組んだまま「ふん」と鼻を鳴らし、雫が「すごい……」と呟いているのが聞こえた。


---


 表彰式の後。控室の前で待っていると、紫月が出てきた。


 道着から制服に着替えていたが、髪はまだ乱れている。頬が紅潮し、目が潤んでいた。泣いた跡がある。紫月が人前で泣くはずがないから、控室で一人で泣いたのだろう。


「紫月、おめでとう。すごかった」


「……当然よ。わたしは鷹司紫月。負けるわけがない」


 いつもの台詞。でも、声が震えていた。


「ご褒美の話、覚えてる?」


「覚えてる」


 紫月は俺の前に立った。俺より十センチ低い目線が、真っ直ぐにこちらを見上げている。


「目を閉じなさい」


「……え?」


「いいから」


 逆らえない声だった。目を閉じる。


 数秒の沈黙。紫月の気配が近づくのが分かった。微かな呼吸の音。汗と、制汗剤と、ほのかな花の匂い。


 額に、唇が触れた。


 柔らかくて、温かくて、一瞬で離れた。


 目を開けると、紫月が二歩後ろに下がっていた。顔が真っ赤だ。耳まで、首まで、全部赤い。


「……っ、これが、ご褒美よ」


「紫月……」


「勘違いしないで。これはわたしへのご褒美。あんたにご褒美をあげたんじゃない。わたしが欲しかったの。……ずっと」


 声が消えかけていた。最後の「ずっと」は、ほとんど吐息だった。


「何か言いなさいよ」


「……ありがとう」


「そこはありがとうじゃないでしょう……! もっと他に言うことがあるでしょう……!」


 紫月が目に涙を溜めて叫んだ。さっき控室で拭ったはずの涙が、また溢れている。


「……紫月」


「何よ」


「驚いたけど嬉しかった」


「…………」


 紫月が固まった。


「……嬉しい、だけ?」


「今はそれしか言えない。ごめん」


 正直に言った。嘘は言えない。紫月の覚悟は本物だ。その覚悟に、中途半端な答えで応えるわけにはいかない。


 紫月は数秒間、じっと俺を見つめた。それから、ふっと笑った。泣き笑いの、きれいな顔だった。


「……いいわ。今は、それでいい。でも覚えておきなさい。わたしは待たないわよ。次は、もっとちゃんとした答えを聞くから」


 紫月はくるりと背を向けて歩き出した。三歩進んで、振り返った。


「蓮」


「ん?」


「わたしの剣は、あなたのために強くなった。……それだけは、嘘じゃないから」


 紫月が去っていった。


 額に残る温度が、いつまでも消えなかった。


---


 翌週。


 法案の影響で、学校や街の空気が変わり始めていた。テレビの討論番組では毎日のように「男性のダンジョン探索」が議題に上がり、SNSでは賛否が飛び交っている。


 聖蘭学院でも、俺を見る目が変わった。


 同情の目。好奇の目。そして、ごく稀に、軽蔑の目。


「男のくせにダンジョンに行きたがるなんて」「みんなが守ってくれてるのに、自分勝手」「どうしてじっとしていられないの」


 直接言ってくる者は少ない。でも、囁き声は聞こえる。


 そんなある日の放課後。教室で一人、帰り支度をしていると。


「日向くん」


 柊奏太が、教室の入口に立っていた。


 顔色が悪い。目が赤い。泣いた後だ。


「柊? どうした」


「あの……話が、あるんだけど……二人きりで……」


---


 空き教室に入った。奏太は椅子に座ったまま、しばらく黙っていた。俯いた顔から、涙がぽたりとこぼれた。


「……僕、ダンジョンに行きたかったんだ」


 予想しなかった言葉だった。


「おとなしくて、弱くて、守られるだけの男の子。みんなそう思ってるでしょ。……自分でもそう思ってた。でも、本当は違うんだ」


 奏太の声が震えている。三年間の付き合いで初めて見る、感情の爆発。


「小さい頃から、ダンジョンのニュースを見るのが好きだった。きれいな鉱石の写真を集めてた。探索者に憧れてた。でも、誰にも言えなかった」


「なんで」


「言ったら、怒られるから。男がそんなことを言うなんて危険だ、おかしいって。……お母さんに一度だけ言ったことがあるんだ。小学生の時。そしたら泣かれた。『お願いだからそんなこと言わないで』って」


 奏太の涙が止まらなくなった。


「日向くんが羨ましかった。ずっと。堂々と夢を語れるのが。周りに仲間がいるのが。……僕には、それができなかった。怖くて」


「柊……」


「法案が出たでしょ。男はダンジョンに入るなって。あれを見た時、思ったんだ。ああ、やっぱりそうなんだって。僕みたいな男は、夢を見ることすら許されないんだって」


 奏太は顔を手で覆った。嗚咽が、空き教室に響く。


 この世界の男が背負っているもの。守られるという名の檻。大切にされるという名の束縛。前世の記憶がなければ、俺も同じだったかもしれない。奏太が見せているのは、この世界の男の子たちの、声にならない悲鳴だ。


「柊」


 奏太の前に膝をついた。視線を合わせる。


「おれと一緒に、声を上げないか」


「……え?」


「法案に反対する。男にもダンジョンに挑む権利があるって。お前の夢は、おかしくなんかない。おれが保証する」


 奏太が顔を上げた。涙と鼻水でぐしゃぐしゃの顔。


「僕に、できるかな……」


「一人じゃないぞ。おれがいる。仲間もいる」


「……仲間」


「そうだ。お前はもう一人じゃない」


 奏太は、しばらく俺を見つめた後、小さく、でも確かに頷いた。


「……うん。やる。僕も、声を上げる」


 奏太の手を取って、立ち上がらせた。


 この日、チームに九人目の仲間が加わった。男の子だった。


---


第19話 了

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