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第13話「もう一人の男子」

---


 十三歳。中学一年生の四月。


 聖蘭学院の正門は、小学校のそれとはスケールが違った。


 蔦の絡まる石造りの門柱。桜並木のアプローチ。奥に見える時計塔のある校舎は、学校というより古い洋館だ。鷹司家が理事を務めるだけあって、隅々まで品格が行き渡っている。


 奨学生試験は合格した。雫も、僅差で滑り込んだ。合格発表の日、雫が電話口で泣いていたのを覚えている。「よかった……れんくんと、同じ……」と、それだけ繰り返していた。


 真新しい制服に袖を通す。紺色のブレザーに、エンジのネクタイ。鏡を見ると、少しだけ大人になった自分がいた。


「にいに、かっこいー!」


 結月が目を輝かせている。十一歳になった妹は「二年後、絶対にここに来る」と毎日のように宣言している。勉強も本当に頑張っているらしく、最近のテストは常に学年上位だ。


 りんねえは中学三年生。地元の公立中学に進んだ。今朝は先に家を出ていたが、玄関に手紙が置いてあった。


『れんくんへ。中学おめでとう。離れても、わたしはずっとれんくんのお姉ちゃんだから。追伸:鷹司の二人に気をつけて。追追伸:神楽坂さんにも。追追追伸:天宮さんにも。……結局全員じゃないかと自分でも思いました。いってらっしゃい。』


 りんねえ、自覚あったんだ。


---


 校門をくぐると、すぐに見つけた。


 桜の木の下に、沙耶が立っていた。


 聖蘭の制服は女子も紺色のブレザーだが、沙耶が着ると不思議と和の雰囲気が出る。黒髪を下ろしたその姿は、桜に溶け込むように美しかった。


「……おはよう、蓮」


「おはよう。待っててくれたの?」


「たまたま。……たまたま、早く着いただけ」


 沙耶の「たまたま」は信用できない。靴がぴかぴかだし、髪もいつもより丁寧に整えられている。


「案内するわ。教室はこっち」


 沙耶と並んで歩き出す。周囲の新入生たちの視線が集まる。「男の子がいる」「鷹司さんと一緒に歩いてる」と囁き声が広がっていく。


「蓮!」


 背後から、力強い足音。振り返ると紫月が走ってきた。制服の上からでも分かるほどに鍛えられた身体。剣道部のバッグを肩にかけている。


「遅い。わたしの方が先に着いてたのに、沙耶に取られた」


「取ってないわ。わたしが先に見つけただけ」


「同じことよ」


 早速始まった。入学式の朝から鷹司家の二人に挟まれるのは、壮観というか、周りの生徒の目が怖い。


「お二人とも、落ち着いて。とりあえず教室行こう」


「わたしが案内する」


「わたしが先に声をかけたの」


「じゃあ二人で案内してくれ」


 結局、左に沙耶、右に紫月。小学校の入学式を姉妹に挟まれて歩いた日を思い出した。


---


 一年A組。


 教室に入ると、雫と玲奈がすでにいた。


 雫は窓際の席で、緊張した面持ちで座っている。俺を見つけた瞬間、表情がぱっと明るくなった。


「れんくん……! おはよう」


「おはよう、しずく。同じクラスだったな」


「うん……。また隣の席だといいな」


 玲奈は教室の後ろの方で腕を組んでいた。


「おはよう、玲奈」


「……おはよう。その制服、サイズ合ってないわよ。袖が長い」


「成長を見越して大きめにしたんだよ」


「だらしないわ。……放課後、お直しの店を教えてあげる」


 朝から世話焼きだ。本人は絶対に認めないが。


 席順は出席番号順で、雫の隣にはなれなかった。雫は少し残念そうだったが、「休み時間にお弁当一緒に食べようね」とすぐに切り替えた。強くなったな、と思った。


---


 入学式が終わり、HRが始まった。


 担任の自己紹介の後、恒例の生徒自己紹介。一人ずつ立って、名前と趣味を言っていく。


 俺の番が来た。


「日向蓮です。趣味はダンジョン関連の本を読むことと、走ることと、剣道です。よろしくお願いします」


 教室がどよめいた。男子の自己紹介というだけで注目されるが、「ダンジョン」という単語が更に波紋を広げた。


 一通り自己紹介が進み、最後から二番目の生徒が立った時。


 空気が変わった。


ひいらぎ 奏太そうたです。よろしくお願いします」


 男だった。


 教室がざわつく。俺も驚いた。聖蘭学院にもう一人、男子がいる。


 柊奏太。線の細い身体に、柔らかな栗色の髪。伏し目がちな瞳。声は小さくて、自己紹介の間ずっと手元のプリントを見ていた。趣味はピアノと読書。


 ――この世界の「典型的な男子」だ。


 おとなしくて、控えめで、自分から前に出ない。大勢の女子に囲まれることに慣れていなくて、萎縮している。前世の記憶を持たない、「普通の」男の子。


 自己紹介が終わると、奏太の周りにも女子が集まった。当然だ。男子が二人もいるクラスは珍しい。


 でも、奏太は明らかに怯えていた。「あ、あの……すみません……」と小さくなっている。


「おい」


 俺は立ち上がって、奏太の方に向かった。


「日向蓮。よろしく、柊」


 手を差し出す。奏太がびくっと肩を震わせた。


「えっ……あ、は、はい……よろしく、お願いします……」


 おずおずと手を握り返してきた。手が震えている。


「同じクラスに男子が二人って珍しいな。心強いよ」


「あ……うん……。ぼ、僕も、男の子がいて、ほっとした……」


 小さく笑った。その笑顔には、安堵があった。


 この子は、ずっと「男」であることの重圧を一人で背負ってきたのだろう。大切にされすぎて、守られすぎて、自分から動けなくなった男の子。前世の記憶を持たない俺が、この世界でこうなっていたかもしれない姿。


---


 昼休み。


 奏太が一人で弁当を食べているのを見つけて、声をかけた。


「一緒に食べない?」


「え……いいの?」


「当然。こっち来なよ、友達を紹介する」


 雫と玲奈のところに連れていく。雫は「はじめまして」と穏やかに微笑み、玲奈は「ふうん」と一瞥しただけだった。


 奏太は最初こそ緊張していたが、雫の落ち着いた雰囲気に少しずつほぐれていった。


「柊くん、ピアノが好きなんだよね。何の曲を弾くの?」


「えっと……ショパンとか、ドビュッシーとか……」


「素敵。わたし、音楽は詳しくないけど、聴いてみたいな」


 雫と奏太の会話は自然だった。二人とも穏やかな性格だから、波長が合うのだろう。


 その光景を見ていて、ふと気づいた。


 雫は奏太に優しい。丁寧に接している。でも――距離が違う。


 俺と話す時の雫と、奏太と話す時の雫。声のトーンが違う。目の輝きが違う。身体の向きが違う。


 雫自身が気づいているかは分からない。でも、傍から見れば一目瞭然だった。


 玲奈も同じだった。奏太に対しては普通に、それこそこの世界の女性が男性に対して取る丁寧な態度で接している。でも俺に対しては相変わらず「あんた」呼ばわりで、毒舌で、素直じゃない。


 つまり――玲奈にとって、男だから特別なんじゃない。俺だから特別なのだ。


 その事実に気づいた瞬間、少しだけ心臓が跳ねた。前世の記憶があるくせに、こういう感覚には鈍い。


---


 放課後。


 沙耶と紫月が教室まで迎えに来た。俺とは別のクラスなのに、わざわざ。


「蓮、帰り道に新しいパン屋ができたの。寄っていかない?」


「わたしは道場に行くけど、蓮も来るでしょう。今日は稽古の日よ」


 沙耶と紫月が同時に誘ってきて、一瞬で空気が冷えた。


 その時、教室の後ろから奏太が小さく声をかけてきた。


「あの……日向くん、明日も一緒にお昼、食べていい……?」


「もちろん。明日な、柊」


 奏太がほっとした顔で頷いた。


 沙耶がそれを見て、少しだけ目を細めた。


「蓮、あの子は?」


「同じクラスの柊奏太。男子」


「……そう」


 沙耶の声は平静だった。でも、その平静さが逆に怖い。


 紫月は奏太をちらりと見て、すぐに興味を失ったように視線を戻した。


「ふうん。大人しそうな子ね。……蓮とは全然違う」


「そうか?」


「全然違うわ。蓮は……蓮だけよ」


 紫月はそれだけ言って、道場の方へ歩き出した。


 「蓮だけ」。その言葉が、妙に耳に残った。


---


 帰り道。


 一人で電車に乗り、地元の駅で降りる。聖蘭は電車通学だから、りんねえの送り迎えはなくなった。少し寂しい。


 家に着くと、結月が宿題をしていた。最近の定位置だ。


「にいに、おかえり! 中学校どうだった?」


「楽しかったよ。同じクラスにもう一人男子がいてさ」


「えっ、にいに以外にも男の子いるの?」


「うん。柊奏太って子。ピアノが上手いらしい」


「ふうん……」


 結月は鉛筆を回しながら、首を傾げた。


「その子、にいにと仲良くなるの?」


「まあ、友達にはなるだろうな」


「……にいにに男の友達ができるの、なんか変な感じ」


「そうか?」


「だって、にいにの周りっていっつも女の子ばっかりだったから。……ちょっと安心かも」


「安心?」


「女の子ばっかりだと、にいにを取り合いになるでしょ。男の友達なら取り合いにならないから」


 十一歳の洞察力が鋭すぎる。


「ゆづきは取り合いとか気にするのか」


「当然。ゆづきはにいにの妹だもん。にいにのいちばんの席は、ゆづきのものだもん」


 天真爛漫な笑顔でとんでもないことを言う。この妹、将来が怖い。


「……いちばんの席かあ」


「そうだよ。誰にも渡さないんだから」


 結月はにこにこ笑いながら宿題に戻った。


 姉も妹も、友達も、お嬢様も。みんなが「蓮の一番」を求めている。


 前世の記憶がなければ、この状況に気づきもしなかったかもしれない。でも、気づいている。気づいていて、答えを出せずにいる。


 ――十八歳まで、あと五年。


 まずはダンジョンだ。それだけは、揺るがない。


 それ以外のことは……もう少しだけ、先延ばしにさせてくれ。


---


 第13話 了


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