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第10話「幼馴染の覚悟」

---


 十一歳。五年生。


 ダンジョン研究ノートは、一年かけて三冊に増えていた。


 一冊目は各層の基本情報と素材図鑑。二冊目は探索チームの事例集と生存戦略。三冊目は深層の未踏領域に関する仮説と考察。理緒の筆まめさと玲奈の情報網のおかげで、小学生が作ったとは思えない密度のノートに仕上がっていた。


 それが、思わぬ形で注目を集めた。


「蓮くん、ちょっといいかな」


 五月のある日、担任の先生に呼び止められた。


「夏休みの自由研究コンクール、去年の入賞作品を県の教育委員会に推薦するんだけど……蓮くんたちのダンジョン研究ノート、推薦してもいい?」


 去年の自由研究として提出した一冊目が、先生の目に留まっていたらしい。


「いいですけど、おれだけじゃなくて四人の共同研究です」


「もちろん、四人の名前で推薦するよ。……正直、先生もびっくりしたの。小学生でここまで調べ上げるって」


 結果として、ノートは県のコンクールで最優秀賞を受賞した。地方紙の小さな記事にもなった。


『小学生四人がまとめたダンジョン研究ノートが話題――「いつか自分たちの目で確かめたい」』


 記事には俺たち四人の写真が載った。楓がピースして、理緒が本で顔を半分隠して、玲奈が腕を組んで、俺が笑っている。


---


 記事が出た翌日、いくつかの変化があった。


 まず、紫月から手紙が来た。


『記事を見ました。あんたたちの研究が評価されたのは認めます。でも、調子に乗らないこと。知識があるのと実際にダンジョンで生き残れるのは別問題です。稽古は休まないように。追伸:写真のあんたの笑顔は気が抜けすぎです。もっとしゃんとしなさい。』


 相変わらずだ。でも「認めます」は紫月にしては最大級の賛辞だ。


 次に、沙耶から電話があった。母さんのスマホ経由で。


「……記事、読んだわ」


「どうだった?」


「すごいと思った。……でも、蓮の隣に知らない女の子が二人いて、少し……」


「少し?」


「何でもない。おめでとう」


 電話はそれで切れた。通話時間、四十二秒。沙耶は電話が苦手だ。でも、わざわざかけてきた。それだけで十分だった。


 そして、最も意外な反応があった。


---


 放課後。教室で帰り支度をしていると、隣の席で雫がじっとこちらを見ていた。


「どうした、しずく」


「……れんくん、ちょっと時間ある?」


 雫の声が、いつもと少し違った。普段のおっとりした柔らかさの奥に、硬い芯のようなものが感じられる。


「あるよ。どうした?」


「屋上に行きたいの。二人で話がしたい」


 二人で。雫がそう指定するのは珍しい。


 屋上に上がると、五月の風が髪を揺らした。フェンス越しに見える街並みが、夕日でオレンジに染まっている。


 雫はフェンスに手をかけて、しばらく黙って景色を眺めていた。


「……新聞、読んだよ」


「おう」


「蓮くんと楓ちゃんと理緒ちゃんと玲奈ちゃん、四人で。……すごいなって思った」


「しずくも手伝ってくれればよかったのに」


「……うん。そうだよね」


 雫は振り返った。茶色い大きな瞳が、まっすぐに俺を捉えた。


「ねえ、れんくん。わたし、ずっと考えてたことがあるの」


「うん」


「れんくんがダンジョンに行きたいって言った時――幼稚園の時から、ずっと。わたし、怖かった」


 風が吹いた。雫の長い髪が揺れる。


「れんくんが遠いところに行っちゃう気がして。わたしの知らない世界に行って、わたしの知らない人たちと、わたしの知らない景色を見て。……わたしだけ、ここに残される気がして」


「しずく……」


「だから、見ないふりしてた。ダンジョンの話はれんくんと楓ちゃんたちの世界だって。わたしはれんくんの隣にいるだけでいいって。……でも」


 雫の手が、きゅっと握りしめられた。


「記事の写真を見た時、思ったの。わたしの場所が、ない」


 声が震えていた。でも、目は逸らさない。


「四人の中に、わたしはいない。れんくんの夢の中に、わたしの居場所がない。……それが、すごく、怖かった」


 ここまで感情を剥き出しにする雫を見たのは初めてだった。幼稚園の頃、泣きそうな顔でしゃがみ込んでいたあの子が、今、自分の言葉で自分の想いを叫んでいる。


「だから――」


 雫は一歩、俺に近づいた。


「わたしも、れんくんと一緒にダンジョンに行きたい」


 風が止んだ。


「わたし、何もできないかもしれない。足も速くないし、難しい論文も読めないし、お金持ちでもない。でも……れんくんの隣にいたい。どこに行っても、隣にいたい。だから――」


 雫の目に涙が浮かんだ。でも、泣かなかった。


「わたしも、強くなる。れんくんの隣にいられるくらい」


 七年間。幼稚園で俺が手を差し伸べた日から、ずっと隣にいてくれた女の子。いつも穏やかで、控えめで、俺のことを一番近くで見ていた子。


 その子が、初めて自分から手を伸ばしている。


「……しずく」


「う、うん……」


「お前、すげえかっこいいよ」


「……え」


「ずっと隣にいてくれたこと、おれ、ちゃんと分かってたよ。しずくがいてくれたから、おれは安心して前を向けたんだ」


 雫の瞳から、一粒だけ涙がこぼれた。


「だから、一緒に行こう。五人目の仲間だ」


「……っ、うん……!」


 雫が泣き笑いの顔で頷いた。


 夕日が、二人の影を長く伸ばしていた。


---


 屋上を降りると、階段の踊り場に楓がいた。


「あ、二人とも。何してたの?」


「しずくが仲間になった」


「お、まじ!? しずくちゃん、ダンジョン来てくれるの!?」


「は、はい……。足手まといにならないように、頑張ります……」


「やったー! 五人だ! もう探索チームじゃん!」


 楓が雫の手を取ってぶんぶん振った。雫が目を白黒させている。


 そこに、廊下の奥から玲奈が歩いてきた。


「何を騒いでるの」


「しずくちゃんがチームに入るんだって!」


「……ふうん」


 玲奈は雫をちらりと見た。


「天宮さん。あんた、何ができるの」


 玲奈の問いは冷たかったが、試す目ではなかった。どちらかと言えば、確認する目。


 雫はまだ赤い目のまま、それでも真っ直ぐに答えた。


「今は、何も。……でも、これから見つけます。わたしにできることを」


「……そう」


 玲奈はほんの一瞬だけ、口元を緩めた。


「足手まといは許さないわよ」


「はい」


「……覚悟はあるようね。なら、いいわ」


 玲奈が認めた。それは、この一年で初めて見る、他人への肯定だった。


 五人になった。


 全員が小学五年生。ダンジョンに潜れるのは七年後。


 でも、チームの形が見え始めていた。


---


 第10話 了


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