婚約破棄された私、魔印で嘘を暴き公爵に溺愛される
大広間の天井画が、やけに遠い。
祝福の音楽は止み、杯の音だけが落ちていく。
壇上の公爵が、私から視線を外したまま言った。
「本日をもって――婚約を破棄する」
ざわり、と空気が割れた。私の背中に、何十本もの視線が刺さる。
隣に立つ聖女候補は、白い頬を上げ、勝ち誇った笑みを隠しもしない。
「昨夜、孤児院宛の寄進金が消えました。公爵家の命令書が用いられ、署名はこの令嬢のもの。魔印まで押されていました」
胸の奥が、冷たい水で満たされる。
私が? 横領? 偽造?
否定の言葉より先に、喉がひりついた。怒りではない。悔しさだ。善意を踏みにじられた悔しさ。
――逃げるな。
頭の中で、自分に言い聞かせる。
私の手には、一通の封筒がある。控室で渡された「証拠」だと言われた封。そこに押された淡い印。魔印。
まだ、光らせてはいけない。
これは切り札だ。今ここで振り回せば、潰される。
私は一歩、前へ出た。
「婚約破棄、承りました。ですが――私の罪は、私が暴きます」
言った瞬間、大広間が静まり返った。誰もが「弱い令嬢が泣き崩れる」方を想像していたのだろう。
私は泣かない。泣くのは、嘘つきの番だ。
聖女候補が眉を吊り上げる。
「身の程を――」
「触れるな」
公爵が低く命じた。私に向かって伸びかけた衛兵の手が止まる。
その声は冷たい。けれど、私の腕に落ちそうだった爪を、見えないところで弾いたみたいに、確かに守った。
公爵は続けた。
「夜明けまでに監査局が来る。そこで裁定を下す。……それまで彼女は、私の屋敷に留める」
――夜明け。
期限が落ちた。逃げ場は、ない。
「幽閉ですか?」聖女候補が甘く笑う。「逃亡を防ぐために?」
公爵は答えなかった。ただ、私を見る。
氷のような瞳。けれど、その底にだけ、焦げた火が揺れている気がした。
私の背中を、また視線が刺す。
――よし。約束する。
今夜、私は嘘を暴いて名誉を取り戻す。そして、二度と踏みにじられない場所に立つ。
*
大広間を出された途端、膝が笑った。遅れて、痛みが来る。
婚約破棄。公爵が、あんなふうに。
廊下の角で、私の宝飾に手が伸びた。封筒を奪おうとする手も、同じように。
「……封筒は渡しません」
私が封筒を胸に抱くと、強引な手がさらに伸びた。
その瞬間、背後から低い声が落ちた。
「封筒はそのままにしろ」
公爵だ。いつの間に。周囲の者たちが息を呑む。
「公爵様、しかし――」
「私は『触れるな』と言った。彼女の手から奪うな」
小さな勝利。最初のカタルシス。
私は、泣き崩れる代わりに、堂々と封筒を抱えた。
公爵は私にだけ聞こえる声で、短く言った。
「離すな」
その二文字が、胸の冷水に小さな穴を開けた。
*
客間に通され、扉が閉まる。鍵の音がした。
幽閉。そう言われればそうだ。けれど、ここは牢ではない。窓もある。机もある。逃げる気もない。
机の上に、封筒を置く。
魔印は静かだ。触れると、薄い震えが指に返ってくる。生き物みたいに。
昔、公爵が言った言葉を思い出す。
『魔印は嘘をつけない。押した者の癖が残る』
だから、貴族は紙切れを恐れるのだ、と。
扉がノックされた。入ってきたのは監査官補だった。灰色の外套、硬い顔。職務で動く人間だと一目で分かる。
「事情は聞いた。夜明けに聴取を行う。言い分があるなら、今のうちに整理しておけ」
「あります。私は横領していません。命令書も偽造していません」
私は封筒を指で押さえたまま言った。
「聖女候補は“魔印まで押されていた”と言いました」
「魔印は強い証拠だ。だが、扱い方を誤れば刃にもなる。公爵家にとってもな」
監査官補の視線が封筒に落ちる。私は首を横に振った。
「今は、まだ」
「……温存か。賢い」
賢い?
私が? 胸が少しだけ温まる。私は無力じゃない。
監査官補は続ける。
「期限は夜明けだ。夜明けを過ぎれば、お前は監査局に移される。移送中に口を塞がれることもある」
「だから、夜明けまでに。ここで、決めたい」
「手順は用意する。だが勝つのは、お前の口と証拠だ」
私は頷いた。
「私は暴きます」
*
夜。屋敷は静かだった。静かすぎて、自分の鼓動がうるさい。
私は机に向かい、寄進簿の写しを指でなぞった。数字は揃っている。消えたのは昨夜の分だけ。――狙い撃ち。
ふと、窓の外に影が落ちた。誰かが下を通った気配。
噂は速い。私が「善意を食った女」になったら、孤児院はまた石を投げられる。
それだけは、嫌だ。
私は封筒を握り直した。
「……絶対に、取り戻す」
*
扉の外で、かすかな衣擦れがした。
気配が一つ。甘い香り。香水が強すぎる。
私は息を殺し、扉を少しだけ開けた。
そこにいたのは聖女候補だ。衛兵がいない。どうやってここまで?
「ねえ、令嬢。夜更けに一人で震えているの?」
彼女は同情するふりで、目だけが笑っている。
「用件は」
「簡単よ。封筒を渡して。あなたのために言ってるの」
――来た。
切り札を奪いに。
「渡しません」
「あら。公爵はもう、あなたの味方じゃないのに?」
胸がチクリとする。痛いところを、わざと突く。
「公爵がどうであれ、これは私のものです」
「分かってないのね。魔印が光れば、あなたの罪が確定するのよ。みんなの前で」
彼女は、ちらりと封筒を見た。見ただけで、ふっと言う。
「淡い青。公爵家の魔力色ね」
私は瞬きをした。
封筒の魔印は、まだ光っていない。色なんて、誰にも見えないはずだ。
聖女候補は、しまったという顔を一瞬だけした。すぐに笑みで塗り潰す。
「私、聖なる目を持っているの。見えるのよ」
「なら、どうして“青”だと分かるんですか」
「……え?」
「光っていない魔印の色を、どうやって?」
聖女候補の頬が引きつった。
小さな勝利。二度目のカタルシス。
彼女は突然、声を荒げた。
「言いがかりよ! 私は救う側の人間! あなたみたいに――」
その言葉の途中で、廊下の奥から低い声が落ちた。
「その口は、夜明けに使え」
公爵だ。いつからそこに?
聖女候補の顔が、一瞬で白くなる。
「公爵様、私はただ――」
「戻れ。夜明けに全てが決まる」
公爵の瞳は冷たい。けれど、その冷たさは私ではなく、彼女の逃げ道を凍らせていた。
聖女候補が去ったあと、公爵は私に近づいた。近づくのに、触れない距離。
「今の失言は記録した。監査官補にも伝える」
「……公爵は、私を信じているんですか」
「信じている」
即答だった。
私は、その即答が怖い。優しさが怖い。だって昼には、私を切り捨てたのだから。
「じゃあ、どうして婚約破棄なんて」
「公の場で否定すれば、お前は“共犯”にされる」
「でも私は――」
言いかけた私の言葉を、公爵は視線で止めた。
氷の目。けれど、そこにあるのは命令じゃない。焦りだ。
「黙れ、とは言わない。言うなら、勝てる形で言え」
「……勝てる形?」
「夜明けに大広間で。魔印を“正しく”光らせる」
それだけ言うと、公爵は踵を返した。
「逃げ道は塞ぐ。お前も、敵も」
背中が、やけに大きい。冷徹に見えて、私の世界を囲い込む背中だ。
*
夜は長かった。
私は眠れない代わりに、考えた。聖女候補が狙ったものは何か。寄進金だけではない。寄進金が消えたと騒げば、私は「善意の泥棒」になる。公爵家の命令書が使われれば、公爵家の顔に泥が塗られる。つまり――公爵に私を捨てさせる口実になる。
悔しさが、怒りに変わる。
机の上の封筒を見つめた。
魔印は嘘をつけない。なら、嘘をついたのは誰だ。
扉がノックされた。監査官補だ。
「公爵から話が来た。夜明けに大広間で簡易裁定をする」
「私も出ます」
「当然だ。……言っておく。聖女候補は“聖なる目”を理由に、手順をねじ曲げようとするだろう」
「手順は、監査局が守る」
「守るが、世論は守らない。だから、お前の言葉が要る」
監査官補は机の上の封筒を見た。
「中身は見たか」
「いいえ。公爵が“離すな”と言いました」
「……ふむ。開けるのは大広間でいい。だが一つ、確認したい」
監査官補が手袋越しに、封筒の魔印の縁をなぞる。
ほんの一瞬、指先が止まった。
「香りがある」
「香り?」
「甘い。蜂蜜のような……魔力癖だ。押した者の特徴の一つ」
私は息を呑んだ。
聖女候補の香水も、甘ったるい蜂蜜の匂いがした。
「一致しそうですか」
「推定だ。断言はしない。だが夜明けに光らせれば、はっきりする」
監査官補は封筒から手を離した。
「お前は、最後に一言だけ言える。その一言で場をひっくり返せ」
「……はい。暴きます」
*
夜明け前。私は鏡の前で髪を結び直した。
顔色は悪い。目の下に影もある。けれど、目だけは負けていない。
大広間へ向かう廊下で、公爵とすれ違った。
彼は私の隣を通り過ぎ――るはずが、止まった。
誰もいない。
「怖いか」
公爵が言う。感情の少ない声。だけど、問いは問いだった。
「怖いです。……でも、悔しい方が大きい」
「なら動ける」
公爵は懐から薄い布を出した。
「これを」
「……何ですか」
「香りを遮る布だ。魔印の癖を読むとき、邪魔になる」
私は受け取った。公爵の指が、ほんの一瞬だけ私の手袋に触れた。触れた、というより、確認した、という触れ方。
その一瞬が、心臓を変なふうに叩いた。
「公爵は」
「私は、逃がさない」
答えになっていない。でも、その言い方は――私を守る言い方だった。
*
大広間に再び灯が入った。
眠れなかった貴族たちが、好奇と恐れの混ざった顔で集まっている。
壇上には公爵。傍らに監査官補。聖女候補は胸を張っている。私を見る目だけが、刺すように鋭い。
公爵が宣言する。
「監査官補の立ち会いのもと、昨夜の疑惑を裁く」
心臓が跳ねた。ここが公開舞台。逃げ場はない。
私は進み出て、封筒を掲げた。
「これが問題の命令書です。魔印が押されています」
ざわめきが走る。聖女候補が笑う。
「ほら。自分で罪を証明する気? 愚かね」
私は封筒をまだ開けない。温存。焦らない。
「公爵にお願いします。魔印を、ここで“正しく”光らせてください」
公爵が、初めて私に視線を寄越した。
短い頷き。――信じろ。
公爵は手袋を外し、命令書に指をかざした。
魔印が、静かに光った。
淡い青ではない。深い、蜂蜜めいた香りを伴う金色。
大広間が凍る。
「……そんな。公爵家は青のはず……!」聖女候補が叫んだ。
「今、色を口にしたな」監査官補が即座に言った。「昨夜も“青”と言った。光っていない魔印の色を、どうして知っている?」
聖女候補が口を開けたまま固まる。
「聖なる目よ!」彼女が叫ぶ。「私は見えるの! だから――」
「なら答えろ」監査官補が遮った。「魔印の色は、起動しなければ見えない。見えたと言い張るなら、起動に関与したと自白するのと同じだ」
大広間の空気が、さらに冷えた。
公爵が低く告げる。
「魔印は押した者の魔力癖を残す。これは、公爵家のものではない」
「で、でも、偽装できるはず! 彼女が――」
「偽装の痕跡は出る。監査局の標準手順だ」監査官補が淡々と言った。
私は一歩、前へ出る。
「命令書の内容は、孤児院宛の寄進金を“別口座”へ移す指示です。私の署名もあります。でも――私の筆跡ではありません」
「筆跡で争うのは不毛だ」監査官補が言う。「魔印がある。魔印で決める」
監査官補が命令書に手をかざす。魔印の光が揺れ、指先に絡むように伸びた。
彼は一拍置いて、告げる。
「発動者は……この場の者に一致する」
監査官補の視線が、聖女候補を射抜く。
「聖女候補。お前の魔力癖と一致した」
大広間が、どっと沸いた。嘘が剥がれた音がした。
三度目のカタルシス。胸の冷水が、一気に引いていく。
「違う! 私は、私は聖なる者よ!」
「聖なる者は、孤児院の金を食わない」私は言った。「あなたが欲しかったのは、公爵夫人の座でしょう」
聖女候補の顔が歪む。恐れている。失うものは、地位と信仰の看板。
彼女は突然、扉へ走った。
「待って!」
叫ぶより早く、公爵が指を鳴らした。
重い扉が、ぎぃ、と音を立てて閉じる。金具が噛み合い、内側から動かなくなった。
逃げ道封鎖。扉封鎖。
聖女候補は扉を叩き、振り返った。
「公爵様! こんなの、私への――」
「お前への裁定は、これからだ」
公爵の声は低い。私の背中を支える低さだ。
監査官補が宣告した。
「監査局は本件を横領未遂および偽造として受理。聖女候補の資格停止、資産凍結、取り調べを行う」
聖女候補の笑みが崩れた。焦りが露わになる。
「寄進金は、孤児院のために使うつもりだったのよ! 私が管理した方が――」
「管理の名で食うつもりだった」私は言った。「“救う側”を名乗るなら、奪わないでください」
衛兵が動く。今度は誰も止めない。
彼女は叫びながら連れ去られた。大広間の誰も、もう彼女を崇めない。
*
人が引き始めた大広間で、私はようやく息を吐いた。
足が震える。だけど、倒れない。
監査官補が書面をまとめながら言う。
「名誉は回復した。だが今後、寄進の手順は改めろ。善意は狙われる」
「……はい」
善意が狙われる。知った。だからこそ、守る。
監査官補が去ろうとしたとき、公爵が一歩前へ出た。
「もう一つ。公の場での責任を取る」
まだ残っていた貴族たちが、息を呑む。
公爵は私の前に立ち、そして――頭を下げた。
「昨夜、私は婚約破棄を口にした。必要だったとはいえ、彼女の心を傷つけた。……詫びる」
ざわめきが走る。
公爵が頭を下げるなんて、見たことがない。
私は胸が詰まって、言葉が出ない。
公爵が顔を上げ、私を見た。氷の目ではない。炎の目だ。
「彼女の名誉は公爵家が保証する。寄進は今後も彼女の管理のもと続ける。――そして」
公爵は小さな箱を取り出した。中で光る指輪。
「婚約は破棄した。だから新しく結ぶ。今度は、彼女の意思で」
私の心臓が、喉まで跳ねた。
みんなの前で? 今?
公爵は私の左手を取る。指先が熱い。
そして、指輪を嵌めた。
溺愛の行動。言葉より確かな重みが、指に残る。
大広間がどよめき、すぐに拍手に変わった。
さっきまで私を疑っていた視線が、今は祝福に変わる。――社会が、ひっくり返る音。
涙がこぼれそうで、私は必死に笑った。
「……私の意思で。嘘を暴いて、ここに立ちたかった」
公爵が低く囁く。
「望みは叶えた。次は、私の望みだ」
「何ですか」
「笑え。私だけに」
そんなの、反則だ。
私は泣き笑いになって、公爵の袖を握った。
*
拍手の波が引き、貴族たちがざわめきながら去っていく。
私は指輪の重みを確かめた。現実味が、まだ追いつかない。
公爵が私にだけ聞こえる声で言った。
「無理をしたな」
「……してません」
「している。お前は、強いふりが上手い」
言い返そうとして、言葉が詰まった。図星だ。
私は喉の奥の痛みを飲み込み、正面から公爵を見る。
「公爵。私は怒っています」
「当然だ」
「婚約破棄って言いました。あの場で。みんなの前で」
耳の奥に、あの声がまだ残っている。
私の世界が崩れた音。
私は正面から公爵を見る。
「あなたが私を信じているなら、なぜ――」
「信じているからだ」
「意味が分かりません」
公爵は私の手を取った。指輪のついた左手を、そっと持ち上げる。
指輪に触れるわけではない。けれど、その仕草だけで逃げ道が塞がる。
「聖女候補は、証拠を握った者を潰す。監査局を呼ぶ前に、お前を“罪人”にして閉じ込める算段だった」
「私を……?」
「うん。だから私が先に婚約破棄を口にした。彼女に勝ったと思わせ、証拠を動かさせるためだ」
胸が苦しくなる。
理解はできる。けれど、痛みが消えるわけじゃない。
「私は、捨てられたと思いました」
「捨てない」
公爵の声が、低くなる。周囲の空気が変わる。
冷徹な宣言ではない。必死な宣言だ。
「捨てるなら、指輪を用意しない。……お前が他人に利用されるのが、耐えられない」
「それは、公爵の正義ですか」
「独占だ」
即答だった。
誤魔化しも、美化もない。
「お前の善意は美しい。だが、狙われる。だから私は囲う」
「私は鳥じゃありません」
「知っている。だから“お前の意思で”と言った」
公爵が指輪を見つめる。
「お前が嫌だと言えば、私は引く」
「引けますか」
「……引く努力はする」
その言い方がおかしくて、私は思わず笑ってしまった。
笑った瞬間、胸の痛みが少しだけほどける。
「公爵」
「うん」
「次に私の前で“破棄”と言ったら……そのときは、本気で怒ります」
「二度と言わない」
公爵が、ほんの少しだけ口元を緩めた。
「怒らせた償いは、これから払う」
「どうやって?」
「毎日、お前の味方でいる」
真面目な声で言うから、ずるい。
私は指輪を軽く撫で、頷いた。
「なら私も。――あなたの隣で、暴き続けます」
*
その日のうちに、孤児院への寄進金は戻された。監査官補が淡々と手続きを進めたらしい。
聖女候補は「偽りの奇跡」で集めた寄進も調べられるという。誰の金も、誰の善意も、もう食えない。
私は公爵の屋敷の小さな庭で、朝日を見た。夜明けだ。
期限の夜明けは、私の敗北ではなく、勝利の合図になった。
「これから忙しくなる」公爵が言う。「公爵夫人になる準備だ」
「逃げません。……今度は、あなたの隣で暴きます」
「うん」
短い返事。そのくせ、指輪の上から私の指を包む手は、離す気がない。
夜が明けるころ、屋敷の門前に手紙が積まれていた。
昨日、私を疑った者たちからの謝罪と、取り繕った祝辞。風見鶏のようで腹が立つのに――それでも、社会がこちらに傾いた証拠だ。
私は全部読む。握り潰さない。笑って受け取る。
忘れないために、胸の奥にしまう。次に同じ手を使われないために。
公爵は机の上に、新しい寄進の手順を書きつけた。
「監査局の立ち会いを必須にする。善意を餌にする連中には、餌をやらない」
「ええ。私も、もう一人で背負いません」
「一人にさせない」
言葉が短いのに、約束の重さは指輪と同じだった。
窓の外から、遠くで子どもたちの笑い声が聞こえた気がした。寄進金が戻っただけで世界は救えない。けれど今日の私は、奪われるだけの女じゃない。
嘘つきは監査局へ連れて行かれ、私の名誉は大広間で光り、指には新しい指輪がきらめいた。
最後までお読みいただきありがとうございました。
婚約破棄から夜明けの公開裁定まで、一夜で「嘘→暴く→逆転→溺愛確定」を走り切る短編にしました。善意を餌にする者へのざまぁは短く鋭く、主役ふたりの幸福を濃く。公爵の冷徹さの裏にある囲い込みも、少しでも刺さっていれば嬉しいです。
続きが気になったら、ブクマ&評価で応援して頂けると励みになります。次は新しい婚約の初日から、さらに甘く波乱です。どうぞお楽しみに。




