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苦手な方はご注意ください。

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婚約破棄からはじまる物語

愛しい貴方が恋に落ちる瞬間を見た

作者: 弍口 いく

 前作「婚約破棄した公爵令息は辺境の地に飛ばされて魔物を討伐する」のマリアナ視点ですが、こちらだけでも話はわかります。

「マリアナ! 君との婚約を破棄する!」

 アレク様は怒り心頭で私に言い放った。


 ああ……これでやっと長い苦しみから解放される。


 ここは王立学園内の渡り廊下、昼休みで人通りも多い。そんな場所で大声を上げたのは、ローデリア公爵家の嫡男アレク様、オリーブの髪にヘーゼルの瞳、精悍な顔つきの美丈夫だ。


 彼の婚約者である私は、オルビス侯爵家の長女マリアナ。プラチナブロンドの巻き毛にサファイアの瞳、自分で言うのもなんだが誰が見ても美少女だ。王立学園に通う二年生で、成績はいつもトップ、淑女の鑑と言われる完璧な令嬢、そう振舞っている。


 アレク様と婚約したのは十年前、彼が八歳、私が七歳の時だった。初めて彼と会った時、私は一瞬で恋に落ちた。弾けるような明るい笑顔が印象的で、将来、彼と結婚できるのかと思うと胸が躍った。


 しかし彼はそうでもなかったようだ。まだやんちゃ盛りの八歳、男の子のほうが精神年齢は低いのかしら、婚約、結婚と言われてもピンと来ていないようだった。私と過ごすより、男友達、特に幼馴染のギデオン王子と一緒にいるのが楽しいようだった。


 でも、蔑ろにされていたわけではない。大人たちのアドバイスだろうが、交流を深めるために催される月二回のお茶会には欠かさず参加してくれたし、誕生日のプレゼントも毎年手渡ししてくれた。他にも事あるごとに花束やプレゼントが届いた。いつも笑顔で接してくれた。


 お茶会は楽しみだった。当時はまだ健在だったローデリア公爵夫人はとても優しい方だった。朗らかで可愛らしい人、身分を笠に着るようなところはなく、いつもお高く留まって威張り散らしている私の母とは大違いだった。


 ローデリア公爵家は夫人を中心に笑い声が絶えない温かな家庭だった。我がオルビス家とは全く違っていた。


 オルビス侯爵家は由緒正しい歴史のある家で、私は幼い頃から厳しい淑女教育を強いられた。それに加え、将来公爵夫人になるために、さらに厳しい教育が課せられた。母はオルビス家のために派閥トップのローデリア公爵家に私を嫁がせたかったのだ。私は母の期待の応えるために、そしてアレク様に相応しい女性になるため努力を重ねた。


 『そんなに頑張り過ぎなくてもいいのよ、無理しないでね』と言ってくれていたローデリア公爵夫人が病で亡くなったのは五年前、公爵家から太陽が消えた。


 それでもアレク様と会えるお茶会は楽しみだった。


 しかし、アレク様が一足先に王立学園に入学してから、状況が変わり始めた。お茶会に来てくれても三十分ほどで席を立つ、『学園の用事があるんだ。勉強が大変なんだ、俺、あんまり頭良くないから。ギデオンの手伝いで忙しい』等々。嘘ではないと思う、仕方ないことだとわかっていても寂しかった。


 アレク様の代わりにレイフ様が相手をしてくれることが増えた。

 アレク様の弟で私より一つ下のレイフ様は、母親似でハニーブロンドに群青の瞳の、アレク様とは違って知的で繊細なタイプだった。だから私の様子にも気付いてくれたのだろう。


「君って不器用だね、素直に寂しいって言えばいいのに、兄上はハッキリ言わなきゃわからない人だから」

「そんな、ご迷惑でしょ」

「婚約者なんだから、もっと甘えていいと思うよ」

「…………」

 甘え方なんか知らない。だって、甘えさせてもらった事なんかことなんかないもの。





「最近、レイフ様と親しくしているようね」

 母に指摘された。


「え、ええ、アレク様は学業が忙しくて、あまり時間がないようなので」

「そうなの……、でも、レイフ様と親しくするのは感心しないわね、いくら義弟になる方と言っても、殿方には違いないのだから、婚約者以外の方と親密にしていれば、あらぬ疑いをかけられるわ」


「疑いって、レイフ様とはそんな関係ではありません」

「あなたはしっかりアレク様を捕まえておかなければダメなのよ、公爵夫人になるのですからね。レイフ様は次男、将来はローデリア公爵が持つ伯爵位を頂くのがせいぜいよ。利用価値は低いわ」


 利用価値って……そんな基準で友人を選ばなければならないの? レイフ様は私のことを慮ってくれている優しい人なのに。

 もちろんその時は、レイフ様を利用しようなどと思ってもいなかった。


 オルビス家のためにローデリア公爵家と縁を結ばなければならない事くらいことくらいわかっているわ。そのための政略結婚だとちゃんと理解しているもの。



   *   *   *



 一年遅れで私も王立学園に入学し、学園で行動を供にするようにしたので、アレク様と過ごす時間が増えた。

 たとえ、私がアレク様に寄せる想いと、彼が私に対する思いに、かなりの温度差があったとしても婚約者なのだから傍にいる権利はあると思う。


 アレク様は私を邪険にすることもなく、出来る限り一緒にいてくれた。彼は私に恋をしているわけじゃない、婚約者としての義務をはたしているだけだとわかっていても嬉しかった。





 しかし、半年前、セリーヌとの出会いが、すべてを変えてしまった。


 出会いは偶然だった。

 図書室でたくさんの本を抱えたセリーヌとアレク様がぶつかったのは故意ではない。

「ゴメン!」

「申し訳ございません!」

 お互いにそう言いながら、床に落ちた本を拾う時、手が当たった。それも意図的ではなかったと思う。


 指先が触れ合い、ハッとして顔を見合わせる。目が合った瞬間、二人の間で何かが弾けた。そして目の色が変わったことに私は気付いてしまった。それは恋に落ちる瞬間だった。

 アレク様と初めて会った時の私と同じく、セリーナの頬が薔薇色に染まる。それはアレク様も同じだった。


 これが〝運命の出会い〟と言うものなのだろうか。





 セリーヌ・マッケイ男爵令嬢、金髪碧眼の庇護欲をそそる可憐な美少女だ。奇しくも同じクラスだが、家格が違うので話をしたことはなかった。成績によってクラス分けされているので、彼女も上位の成績を保持しているのだろう。今まで興味がなかったので、目の端にも入れていなかったから、よくは知らない。


 所詮は下位貴族、身分が違うし、アレク様とは学年も違う、二人に接点はないので、それ以降、言葉を交わすことはなかった。たとえ彼がいつも目で彼女を捜していたとしても、彼女が遠くから彼を見つめていたとしても……。


 惨めだった。

 私は一度もアレク様にあんな目で見られたことはない。熱を帯びた切ない眼差し、声をかけたいけど踏みとどまって半開きになる口元、そんな彼の心の揺らめきに私が気付かないはずはない、十年も彼だけを見つめてきたのだから。


 でも、鈍感な彼は自分の恋心に気付いていないだろう。このまま放っておけば通り過ぎる泡沫の恋になるだろう。

 でも私は許せなかった。私以外の女に熱い眼差しを向ける彼を……。


 学園主催の舞踏会の時だって、私と踊っていても、視線は私を通り越してセリーヌを捜している。無意識だろうが、そんな失礼なことってある? 腸が煮えくり返るってこんな感じを言うのかしら、怒りのあまり顔面が痙攣するのを必死で隠していた。


 他の女に想いを残したまま、政略結婚相手の私と結ばれる。私は愛されない妻になるの? 愛する人に愛されたいと思うのは贅沢なことなのかしら? 結婚するのだからそれでいいじゃない、と人は言うだろう。でも、それではあまりに哀れだ。


 アレク様のことだから、私をあからさまに蔑ろにはしないだろう。表面上は仲のいい夫婦を装う、でも、私を抱きながら、ほかの女を思い浮かべるのかと想像しただけで気が狂いそうになる。


 こんなに彼を愛しているのに、十年も彼だけを見つめて来たのに応えて貰えない辛さ、切なさが募る。


 恋心が深い憎悪へと変化していく。


 レイフ様は兄の心移りにいち早く気付き、私を心配してくれた。

「相手がどんなご令嬢かは知らないけど、兄上は君に嫌われていると思っているからね、つい、他に目が行っちゃったんだよ」


「違うわ、嫌ってなんかない」

「でも、一緒にいても楽しそうじゃないし、表情が変わらないから何を考えているのかわからないって言っていた」

「緊張して素直になれないだけなの、それに淑女は感情を出してはいけないと教育されているから、それが身についてしまっているのよ」


「それは俺にはわかるけど、以前も言ったけど、兄上は鈍感だからハッキリ態度に出すか、口にしないとわからない人だよ」

「そう言われても、どうすればいいのかわからないわ」


 今更素直になれない。彼の心があの女に移っていると気付きながら、『私を見て!』と縋るようなことは言えない。自尊心が許さない。可愛げがないのはわかっているわ、でも……出来ないのよ。


 そんな話をするようになってから、レイフ様と私は急接近した。


 私とレイフ様が親しくしてもアレク様は気にも留めない。その後もセリーヌの姿を目で追っている。私はアレク様に見向きもされない心の隙間を埋めるように、レイフ様との関係を深めていった。レイフ様と友人以上の関係になるのに時間はかからなかった。


 男女の関係を結んでから、レイフ様は私に夢中になってしまったようだ。熱を帯びた目で私を見つめてくれる、アレク様に向けてほしかった眼差しをレイフ様が向けてくれるのは嬉しかったが……。


「こうなってしまっては、正直に兄上に打ち明けて、君との婚約を解消してもらおう。兄上は君に恋愛感情はないようだし、受け入れてくれると思う」

 悪意はないだろうが、残酷な言葉だった。


 レイフ様に体を許しながらも私の心はまだアレク様に囚われたままだ。レイフ様には本当に申し訳ないと思っているが、心は自分の思い通りにならない。


「俺は次男だから公爵家は継げないけど、父が持つ伯爵位と領地の一部を譲り受けることになっているから、君に不自由はさせない、大切にするよ」

 ありがたい言葉だった。彼はちゃんと私だけを見てくれている。


 でもダメなの!


 私は公爵夫人になるために十年間厳しい教育に堪えてきたのよ、完璧な淑女として振舞ってきたのよ。今更、格下の伯爵夫人では満足できない、十年の努力が無駄になってしまう。それに両親が許すはずはない。


 私は必ず公爵夫人にならなければいけないのよ。





 そんな時、セリーヌが退学するかも知れないという噂を耳にした。どうやら家庭事情で学費が払えなくなったらしい。

 それを知って、私は決意した。


 アレク様が私を見てくれないのなら、私の前から消えてもらおう。そうすれば胸が痛むこともない。

 そして、レイフ様に公爵家の継嗣になってもらおう。



   *   *   *



 私はセリーヌに接触した。

 しおらしく涙を浮かべた瞳で訴えた。


「私には他に愛する人がいるのよ、アレク様との婚約を解消したいけど、家同士が決めた婚約だし、私から言い出すことは出来ないの。だから、アレク様から破棄してもらう必要があるのよ、協力してくれないかしら」


 セリーヌは親しくもない自分になぜそんな相談をするのかと、あからさまに警戒した。

「アレク様なら、事情を話せば納得してくださるのではありませんか?」


「それは無理、アレク様は私を気に入っているもの、十年も婚約して親睦を深めてきたのよ、今更解消する気はないようだわ。でも、もし私以上に気に入った女性が現れれば考えを変えるかもしれない」


「その役を私に?」

「ええ、あなたならアレク様を篭絡できると思うわ、ただでとは言わない、あなたの家を援助させていただくわ」

 調べによると大した額の借金ではない、私の宝石を二、三個売れば十分だ。


「前金で半額、婚約破棄が成立すれば残りの半分を渡すわ、それと、弟さんが入学される時も援助させていただくわ」

「調べたんですね、私を選んだのはそう言うことですか」

「ええ、あなたが退学すると聞いて」


 今が絶好のチャンスだった。なぜなら、曲者のギデオン王太子殿下が半年間隣国に留学されるからだ。彼がいては男爵令嬢が近付くチャンスはない。すぐに疑念を抱かれるだろう。


 セリーヌが断るはずない。もちろんお金の事もあるけれど、彼女自身、アレク様とお近づきになりたいと思っていたはずだから。最近は視線が合うようになってきている。でも、身分が邪魔をしてお互いに二の足を踏んでいる状態だ。

 いいでしょう、私が背中を押してあげるわ。


 契約が成立し、私はせっせと偶然の出会いを作り出した。元々惹かれあっている二人が親しくなるのに時間はかからなかった。二人の気持ちは燃え上がり、ほどなく恋人関係になった。


 私は二人の仲に嫉妬して嫌がらせをする悪役令嬢を演じる。セリーヌにも口裏を合わせてもらってアレク様の怒りを私に向けさせた。


 そうして、ようやくこの日が来た。

 私は婚約破棄を言い渡される。それも狙い通り公衆の面前で。



   *   *   *



「君は陰険な嫌がらせだけでは飽き足らず、彼女を階段から突き落として怪我を負わせた!」


 冒頭の続きが始まる。

 アレク様は声を張り上げた。その横には不安げに寄り添うセリーヌの姿。私という婚約者がいながら、セリーヌと浮気したのを棚に上げて、ヒーローのごとく私を弾劾した。まんまと策に嵌ったとも知らずに。


「私には身に覚えのないことですが、婚約破棄のお気持ちは承りました、ただ、私たちの婚約はローデリア公爵家とオルビス侯爵家の契約ですから、私がここで勝手にお返事するわけにはまいりません」

 私は顔色一つ変えず、ピンと背筋を伸ばした美しい姿勢も崩さずに凛とした声を発した。


「それから、冤罪をかけられるのは矜持に反します、このことはハッキリと否定させていただきます」

 そう言い残して、踵を返した。私がセリーヌを虐めていた証拠なんてどこにもない、それどころから、彼女の嘘が露呈するように仕組んである。





 予定通り、レイフ様が冤罪を立証してくれた。セリーヌがアレク様に言ったことは全て嘘、嫌がらせやイジメの事実はないし、階段から落ちたのも自作自演だと証明した。


 私とレイフ様の関係は、アレク様の浮気に悩む私がレイフに相談しているうちに、親密になり、恋仲になったということにしてある。それはまったくの嘘でもない。ただ、アレク様とセリーヌが恋仲になるように仕向けたのが私だと言うことは秘密である。


「残念だよ兄上、あんな女にコロッと騙されるなんて、そんな浅慮じゃ、侯爵家を継いでも、詐欺かなんかに遭って家を潰しかねない、俺がしっかり守っていくから、安心して任せてくれ」


 アレク様の愚行に激怒したローデリア公爵は、彼を廃嫡とした。そして、レイフ様を継嗣にして、私と婚約を結び直した。これで私は将来公爵夫人になれる。



   *   *   *



「どういうこと? アレク様が廃嫡って、あなたは罪を認めて身を引くんじゃなかったの?」


 その時になって、ようやくセリーヌは変だと気付いたようだ。私とあんな形で婚約破棄すれば廃嫡になるとは思っていなかったようだ。やはり下位貴族、上位貴族の厳しさを少しもわかっていない。


 私たちは最後の報酬の受け渡しのために、人気のない夜の公園の片隅に来ていた。


「罪? なんのことかしら? 私はあなたに何もしていないわよね、それはレイフ様が証明してくれたし」

 私にアリバイがあること、犯行は不可能だと証明してくれた。


「話が違うじゃない、アレク様が廃嫡されるなんて聞いてない」

「あなたは()()()()()に私が依頼した通りにやった、それでいいじゃない、無事に婚約破棄出来たし、残りの報酬はお支払するわ」


 後金を渡せばそれでお終い、今更、あなたが何を言っても誰も聞いてくれないわよ。あなたは公爵令息を誑かして破滅させた悪女なんだから。


「まさか、最初からアレク様が廃嫡されることを狙っていたの?」

「それは結果よ、選んだのはアレク様よ。まさかあなた、私に代わって自分がアレク様と婚約できると思っていたの?」


「思ってないわよ、身分が違うのは心得てるわ。そもそもこんな計画自体がバカげている、うまく行くはずないと思っていたもの。でも、失敗しても前金は返さなくていいと言ったから引き受けたのよ。それが、まさかアレク様が私を愛してくださるなんて……」


 セリーヌの言葉に虫唾が走った。〝愛されている〟と、堂々と口にするなんて!


「ずっと苦しかった、私も彼を愛してしまったから……。騙していることが辛くて、何度打ち明けようと思ったことか。でも、お金のために男を誑かす仕事を引き受けたなんて知られたら、愛も冷めてしまうでしょう。彼に軽蔑されるなんて耐えられない、だから、終わったらひっそりと消えるつもりだった、懺悔するために修道院へ行くつもりだった」


「行けばいいじゃない、終わったのだから」

 もう後金も渡したのだから早く立ち去りたかった。こんな女の戯言など聞きたくもない、どこへでもさっさと行けばいい。この女を見ているだけで体内を黒い感情が埋め尽くす。愛されていると躊躇いなく言うセリーヌへの憎しみが湧き上がる。


「私はアレク様の将来を潰してしまったの、取り返しがつかないことをしてしまった」

 オーバーに涙を零す彼女は、まるで悲劇のヒロイン気取りね、イライラするわ。


「そんなこと、少し考えればわかることだったでしょ。あなた成績が上位だからSクラスだったんじゃないの? 頭がいいんじゃなかったの? てっきり私は承知の上で()()()()()に引き受けたのだと思っていたわ」


「違う! 私はあなたが婚約を解消したいと言ったから、アレク様から解放されたいと言ったから」

「解放されたわ」

 あの人は私の前から消える。やっと十年の想いを消し去ることが出来るわ。


「アレク様はどうなるの?」

「王国騎士団に入団して、魔物が大量発生しているスタークス辺境伯領へ派遣されるそうよ」

「そんな危険なところへ!?」

「任務ですもの、仕方ないわ」

「公爵令息だったら、そんなところへ行かされないわ」

「そうかもね」


「なぜ? なぜアレク様を陥れたの? 彼が何をしたというの?」

「そんなことはもういいじゃないの、彼は王都からいなくなる、戻ってくるかもわからないんだから、あなたも忘れなさい」


「……もしかしたらあなた、アレク様が好きだったの? でも、婚約者なのに愛されなかったから、腹癒せに彼を破滅させたの?」

「違うわ! 彼との婚約は政略だったのよ、なんの感情もなかったわ」


 思わず声を荒げてしまった私を見て、セリーヌは眉をひそめた。


「あなたがそんなに感情的になるのを初めて見たわ。いつも感情を隠した淑女の笑みを浮かべて、何事にも動じないって顔して、なのに今は」

「煩い!」


「やはりそうなのね、愛していたから、彼の愛が得られないくらいなら、目の前から消してしまおうと考えたのね」

「違う! 違うと言ってるでしょ!」


 私はつい爆発してしまった、抑えていた感情的があふれ出す。淑女の鑑と言われ、感情を表に出すことを良しとせず、冷静に振舞ってきたのに、丸裸にされた気持ちになり激しい嫌悪感を覚えた。こんな女に、こんな身分の低い女に見透かされるなんて屈辱だわ!


 怒りが沸々と込み上げた。

 乱れた感情が手に負えない。


 そして、気が付くと……、彼女を刺していた。


 護身用に持っていた短剣、それは相手に危害を加えるものではなく、不測の事態が起きた時、辱められるくらいなら、自ら命を絶つために持っていたものだ。


 短剣は腹部に深く突き刺さっていた。

 信じられないといった目で私を見るセリーヌ。私だって自分がしたことが信じられなかった。


 彼女は崩れ落ちた。


 見下ろす足元に、鮮血が広がる。


 どうしよう……私はセリーヌを殺してしまった。


 放心状態の私の手から、護衛騎士のカインが短剣を取り上げた。

「後のことはお任せください」

 彼は私に忠誠を誓ってくれた騎士だ、他言することはないだろうし任せればいい。


 しかし、こんな犯罪の隠蔽、なんの見返りもなしというわけにはいかない。私はカインにも体を許すことになった。もう純潔はレイフ様に捧げてしまったのだから、あとは誰に体を開こうと同じことだ。





 セリーナの死も知らずに、アレク様はスタークス辺境伯領へ旅立った。


 今回の魔物討伐は過酷な現場と聞いている。筆頭聖女のエディット様が赴いているが、一カ月経った今も収拾していない。犠牲者も多く出ているらしいし、アレク様が向こうで死ねば、もう二度と会うことはない、私の心を乱す者はいなくなる。これからはレイフ様と心穏やかに過ごせる。


 そう思っていたのに……。



   *   *   



 アレク様は戻ってきた。

 聖剣に選ばれた聖騎士として、聖女と力を合わせて魔物討伐を成し遂げた。


 そして、英雄となって華々しく凱旋した。


 その後の展開は想定外だった。いいえ、心のどこかで最後にはこうなるのではないかと怯えていた。それが現実になっただけ。


 国王陛下の謁見の場で、アレク様は陛下に言った。


「調査をお願い申し上げます」

「調査とは?」

「セリーヌ・マッケイ男爵令嬢が殺害された事件です」


「お前! まだあの女のことを! ん? 殺害された? 逃げたのではないのか?」

 ローデリア公爵が身を乗り出した。

「殺されました。彼女の弟イーサンが目撃しています」

 騎士団の中から十二、三歳の少年が出てきた。見覚えがある、セリーヌの弟イーサンに間違いなかった。見られていたの? 私が彼女を刺した現場を……でも暗かったし顔まではわからなかったはずだ。現に今、私に反応していないもの。


 しかし、国王陛下の横に控えていたギデオン殿下が口を挟んだ時、全身が凍り付いた。ああ、王太子自ら調べたんだ。

「間違いはありません、セリーヌ嬢の遺体を森で発見しました」

「それは真か」

 思わぬ展開に、少々困惑している陛下にギデオン殿下は畳みかけた。

「それだけではありません、昨日、アレクに暗殺者が放たれました」


 ギデオン殿下が視線で合図すると、近衛騎士が猿轡を噛まされた男を引き立てて来た。私は直接会ってはいないが、カインが手配した、大金を積んで雇ったプロの暗殺者だろう。失敗しただけでなく捕らえられていたなんて……。


 ああ、もう何もかも暴かれているのね。


 アレク様が聖騎士として凱旋すれば、きっとローデリア公爵は彼を継嗣に戻すだろう。国を守った英雄だもの、国王陛下も後押しするはずだ。それは困る、私がアレク様の婚約者に返り咲くことはないのだから。


 彼に帰還されては都合が悪い、死んでもらうしかなかった。しかし、あえなく失敗に終わったのだ。





「セリーヌ嬢の殺害事件とアレクの暗殺未遂事件は繋がっています。私の調査結果と、捕らえた暗殺者が証拠です。セリーヌ嬢を殺したのもこの者です。金を積めばなんでもやるプロの暗殺者ですが、雇い主に忠誠はありませんから、簡単に白状しました」


「いったい誰が雇ったのだ」

「わかるでしょ、アレクが失脚していちばん得をするのは」

 おのずとレイフ様に視線が集まった。


「えっ? 俺はなにも……」

 レイフ様は戸惑いの表情、そうだろう、彼は何も知らないのだから。


「悪い女に唆されたのでしょう」

 ギデオン殿下の視線が私に突き刺さった。


「私が直々に王家の捜査機関を使って調べ上げた。私はアレクが廃嫡された話を聞いてすぐにピンときた、嵌められたなって。少し調べたらセリーヌ嬢は行方不明、口封じされたのだと確信した。でも、弟のイーサンが殺害現場を目撃していてよかった、唯一の証人だからな」


「でも、身分の低い俺が訴え出ても、信じてもらえるかわからなかったから、アレク様を頼ったんです」


「どう言うことなんだマリアナ、君はいったいなにをしたんだ」

 レイフ様がオロオロしながら尋ねる。


「セリーヌが後をつけられていたなんて」

 思わず漏らしてしまった。どうせギデオン殿下にはすべてバレているのだ。


「アレクとは結婚したくない、でも、公爵夫人の座は欲しい君が、セリーヌ嬢を使ってアレクを陥れたんだな」

 ギデオンの言葉にレイフ様はさらに困惑した。

「君は俺を公爵家の継嗣にするために兄上を排除したのか?」


「俺と結婚したくなかったのなら、そう言ってくれればよかったのに。マリアナが俺に好意を持っていないことは薄々感じていた。君とレイフが恋仲になっていたのなら、こんな策を巡らせなくても、俺は跡継ぎの座なんかに執着していなかったから譲ったのに」

 アレク様はこの期に及んでも何もわかっていない。


「待ってくれ兄上、俺は公爵家を継ぎたいなんて思っていなかった。最初の予定通り、父上から伯爵位を譲ってもらって、マリアナと結婚出来ればそれでよかったんだ。マリアナが公爵夫人に執着しているなんて知らなかったんだ」

 ああ、レイフ様まで私の気持ちを理解してくれないのね。


「私はアレク様と婚約した十年前から、公爵夫人になるべく厳しい教育を受けてきたのですよ、今更、伯爵夫人に落とされるなんて屈辱でしかありません」

「そんな、愛さえあればいいじゃないのか?」

「愛だけでは足りないのです、私の十年間の努力が無駄になってしまうなんて耐えられなかった」


 私は感情を隠せているだろうか? 人前で涙を見せるなんて淑女の矜持に反する。こんな可愛げのないところがアレク様を遠ざけたのだろうな。でも、これが私なのだ。


「計画通り俺は廃嫡となり辺境伯領へ飛ばされた、なのになぜ、セリーヌを殺したんだ? 殺す必要があったのか?」


「私に向けて下さったことのない優しい笑顔を向けられていたからです」

 そういった私を見たアレク様の間抜け面と言ったら、訳がわからないって顔をしている。ほんと、この人は……。


「それは、どう」

 さらに詰め寄ろうとするアレク様を、隣にいた聖女エディット様が袖を強く引いて止めた。さすが聖女様だ、この会話の中から私の気持ちを察してくれたのね。


「詳しい話は取調室で聞かせてもらおうか、連れて行け」

 ギデオン殿下の指示で、私は近衛騎士に拘束された。


「うまく行ったと思っていたのに、まさか聖騎士になって、英雄になって戻って来るなんて、どこまでも運がいい人なのね」


 騎士たちに連行される時、私はしっかり顔を上げて前を向いていた。

 目の端に、崩れ落ちるレイフ様の姿、彼には本当に申し訳ないことをしたわ。私を愛してくれたのに深く傷つけてしまった。


 ごめんなさい。



   *   *   *



 私はオルビス侯爵家から除籍され、平民になった。

 慌てて私を排除したところでオルビス家が無傷でいられるはずないのに、軽くて降爵、重ければ褫爵、私と同じ平民になればいいのよ。


「オルビス家は子爵位まで降爵、領地も半分以上召し上げられた」

 鉄格子の前に現れたギデオン殿下が教えてくれた。


「あら、爵位を剝奪されたのではないのですね、残念ですわ」

「そうだな、取り潰したほうがいいと父上に進言したが、直接かかわっていなかったからな。しかし、夫人にとっては耐え得難い屈辱だろ」

「そうですね」


 私以上に自尊心が高い母のこと、二度と社交界には出られないだろう。きらびやかな社交界が大好きな母は堪えるでしょうね。フフッ、この先ずっと、田舎の領地に籠って泣き暮らせばいいのよ。


「それを伝えるためにわざわざいらして下さったのですか?」

「いいや、君が黙秘したままだと聞いて」


 そう、今更なにも言うことはないから。


「こんなことになってしまって、俺も少し反省しているんだ。君とアレクが心を通わせていないことは昔から気付いていた、でも、貴族の政略結婚なんてそういうものだ、アレクも不満に思っていなかったようだし……君がここまで思い詰めるなんて、考えが及ばなかったんだ。もっと早く君の気持ちを慮って、アレクに言い聞かせるべきだった」


「何を言い聞かせると? 人の心は自由になりません、殿下がどう言ったところで、アレク様の気持ちが変わることはなかったと思います」


「そうかな、あいつもようやく君の気持ちに少し気付いたようなんだけどな」

「少しですか」

「どこまでも鈍感な奴だから」

「ええ」


「俺に理解できないのは、アレクのことをよくわかっていながら、なぜ、もっと君から歩み寄ろうとしなかったんだ?」

「無駄ですよ、どのみち私は愛されない、愛されるのはセリーヌです、二人の出会いは運命だったのですよ」


「たとえ運命の出会いだったとしても、アレクは誠実な奴だぞ、君が余計なことをして焚きつけなければ、二人が接近することはなかったはずだ」

「アレク様がセリーヌに心を移したまま、それを隠して私と結婚するなんて、私の自尊心が許さなかったからです」


「じゃあ、なぜあきらめなかったんだ? 君のほうからアレクを捨てればよかったのに、なぜ執着したんだ?」

「ほんと、なぜでしょうね、さっさとあきらめていれば……」

 セリーヌを殺してしまうこともなかった。

 運命を変えるチャンスはいくつもあった。違う道を選べたはずなのに、最悪の道を突き進んでしまった。


 人生は自分の思うとおりに行かないものと頭ではわかっていた。どんなに努力しても報われないことも多いのは私に限ったことじゃない。みんな折り合いをつけて生きているのだと知っていたのに。


「レイフは君のことが好きだった、アレクなんかあきらめて、レイフの気持ちにちゃんと応えていれば、君はここにいなかったはずだ」

「そうですね、レイフ様には申し訳ないことをしました」


 酷く傷つけてしまった。私がアレク様からされたこと以上に酷いことをしたのね。彼を愛そうと努力はしたのよ、でも、自分の気持ちを変えることは出来なかった。心は思うように動かない。


「でも、幼いころから公爵夫人になるのだと言い聞かせられて、その為に努力してきたことが無駄になるのが耐えられなかった。私が手に入れるはずだった場所にセリーヌが座ることが許せなかったんです」


 執着するあまり、そして自尊心が高すぎたために、いくつもの間違いを犯してしまった。


「カインはどうなります? 彼は私の命令に従っただけです」

「部下に優しい心配りができる人なのに、残念だよ」


 ギデオン殿下はそう言い残して、鉄格子の前から姿を消した。

 で、結局、殿下はなにをしに来たのかしらね?





 残念?

 そうね、残念な人生だったわ。そしてこの先も残念な未来しかない。


 ああ、やり直したい。

 もしやり直せるのなら、今度はうまくやるわ。自尊心も執着も捨てて慎ましく生きるわ。出来るならもう一度、やり直したい……。


 そうだわ!

 巷で流行った小説にそんな物語があったわね、非業の死を遂げたヒロインが死に戻って、そこから人生の逆転劇が始まる。そして幸せになる……。


 じゃあ、一度、死ぬ必要があるのね。


 投獄される時の身体検査で、身に着けていたものはすべて取り上げられた。でもバレッタは見逃されたわ、これを外すと長い巻き毛がバラけて収拾がつかなくなる、まだ刑は確定していないから、髪を切られることもなかったし。まさかこれが刃物になるなんて思いもしなかったのでしょうね。


 母に持たされていた最終手段。いつも言っていたわ、誇りを失ってはいけない、辱めを受けるくらいなら、貴族令嬢として潔く自ら命を絶ちなさいって。


 フフッ、そう言っていた母は、殺人犯の母親という屈辱的な立場になっても、生きているようだけどね。


 これを持たせてくれたことには感謝するわ。

 バレッタの飾りの部分を外すと剃刀の刃が現れる。

 それを首筋に当てた。


 命を絶つんじゃない、死に戻るのよ。


 そして、今度こそ、絶対間違えないわ。


   おしまい


 最後まで読んでいただきありがとうございました。

 婚約破棄からはじまる物語をシリーズにしましたので、他の作品も読んでいただければ幸いです。

 ☆☆☆☆☆で評価、ブクマなどしていただけると励みになります。よろしくお願い致します。


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― 新着の感想 ―
> 「私はアレク様と婚約した十年前から、公爵夫人になるべく厳しい教育を受けてきたのですよ、今更、伯爵夫人に落とされるなんて屈辱でしかありません」 「そんな、愛さえあればいいじゃないのか?」 「愛だけで…
 先にアレク視点を楽しく拝見いたしましたが、マリアナ視点はこちらが苦しくなりそうなほどの情念の濃さに驚いてしまいました。母親に恵まれなかった点では気の毒かと思うのですが、もし毒気の強い母親がいなかった…
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