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最愛ロールプレイング  作者: 伊藤ゆい
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冷凍したい夏

登場人物


清水美桜 21歳

橋本みどり 33歳

長内岳 22歳


▼美桜


講師の田中先生の手拍子に合わせて、口を動かす。


「あ、え、い、う、え、お、あ、お」

「か、け、き、く、け、こ、か、こ」


教室にみんなの声がこだますごとに空気が震え、異様さが加熱していく。大学生を対象としたアナウンススクール。40名のうち、女子が30名、男子が10名。

 この発声練習を、わをん、まで3周やりきるのがウォーミングアップ。次はニュース原稿を読む練習だ。

「参議院選挙を控え、――と予想されます」

モニターに映る自分の姿を確認する。少し表情が固いけれど、背筋は伸びているし、視聴者と目が合うような印象を保ちながら、うまくカメラを見ることが出来ている。 

講師の田中先生が、ハイッと手を叩いた。

「清水さん、発声がとてもいいですね。スピードも聞き取りやすさもオッケー。もう少し顔に余裕が出ると、より良いですよ」

褒められて思わず笑みがこぼれる。私の直前に原稿を読んで注意をいくつも受けた女の子が悔しそうにこちらを見ていた。気持ちはわかる。私はまだ2年生なのに褒められて、あの子は試験を半年後に控えた3年生なのに、まともに舌も回っていない。

「では、今日は続けて自己PRもしてもらいましょう。30秒程度でアナウンサーになりたい理由を言ってみてください」

え、という言葉をなんとか飲み込む。そんなことを今日やるなんて聞いていない。周りを慌てて見回すけれど、みんな特に驚いたり、戸惑ったりしている様子はない。そんなに気負わなくてもよいものなのか。落ち着こう、と自分に言い聞かせる。


「●●大学●●学部の××です。僕は地元で大地震が起きた時に、被災地でテレビをずっと見ていた経験から、が明るい気持ちになれるような笑顔を、ニュースとともに届けたいと思いました――」

「▲▲大学の▲▲です。私は入院していた時に、お天気お姉さんに元気を貰っていました――」


まず大学三年生が一通り喋り、二年生の私の番になった。クラスの中に、二年生は2人しかいない。それは先生に可愛がられる理由にもなったけれど、同時にクラスの中で目立つ理由にもなった。落ち着こう、とまた自分に言い聞かせる。聞き取りやすく、背筋を伸ばして、笑顔で。

「■■大学■■学部の清水美桜です。私は、人に何かを伝える仕事がしたいと思って、アナウンサーを志望しました。人の人生を知るのが好きなので、ドキュメンタリー映像に関わってみたいと思っています」

悪くない出来なはずだ。けれど田中先生の表情は渋い。

「相変わらず発声はいいわね。でも、内容が薄い。あなたの自己PRには、個性がないわ。面接官は一日に何人も見るんだから、その人独自の切り口がないと、ひっかからない。もっと自分を見せるようなことを言わなくちゃ。今のあなたの言葉では、あなたという人が見えてこない」

田中先生の口元の深いほうれい線が、一段と深く見えた。顔がカッと熱くなるのが自分でもわかる。あなたという人が見えてこない、って何。他の子達のエピソードなんて、全部ウソっぽかった。

その時、くすっと笑う声が聞こえたような気がして、音がしたほうを見ると、舌もまともに回っていないと思ったあの子と目があった。彼女はこちらをチラリと見た後、視線が合ったはずの目をスッとそらした。ざまあみろ。そう言われている気がして、胸の中の暗い気持ちがさらに広がった。

その日、モヤモヤから抜けきれないままスクールを後にすると、道端で「清水さん」と名前を呼ばれた。立ち止まって振り返ると、スクールで一番さえない男の子が笑っていた。「気にすることないよ」とその口ぶりは、同情しているようにも思えた。

「清水さん、2年生だし、自己PRの準備なんて出来て無くて当たり前だよ。よかったらこれあげる」

薄いファイルを手渡された。

「自己分析シートだよ。俺たち、これから駅前のカフェで一緒にこのシートを埋めるんだけど、清水さんも来る?」

 俺たち、の言葉に目をやると、さっき馬鹿にしたような目つきでこちらを見ていたあの女の子を含めた数人が後ろに経っていた。

「清水さんに教えることで俺たちも勉強になるし。遠慮せずにおいでよ」

足が震えているのが分かった。私は今、一番下に見られているんだ。あんなに発声がうまいと褒められたのに。あの子たちより、顔だって可愛いはずなのに。

「ありがとうございます。でも用事があるので」

わざと敬語を使って突き放す。私は、あなた達の仲間じゃない。何とか笑ってみせて、足早にその場を離れた。悔しい。そして、恥ずかしい。

数メートル前に、「カフェ」の看板が見えた。「全席喫煙可」。

ここなら喉を大事にしている、アナウンサーの卵たちは絶対にこない。そう思って飛び込むと、店内はおじさんだらけで煙くさかった。クーラーがきいていて涼しい。

「1人です」と小さく言って、一番奥の席に座る。

アナウンサーになりたい具体的なきっかけ。そんなものはあるはずがない。子供の頃から何度もスカウトされてきた。大学の行き帰りにもスカウトされたり、ミスコンへのお誘いもあったから、もしかしたらそういう世界と縁があるのかもしれないと思ったのだ。芸能界は怖いから、全部断ったけれど、キラキラした世界に憧れはあった。アナウンサーなら会社員だし、安定しないから、あのキラキラに近づける。だから目指しただけだった、薄いファイルに入っていた2枚のシートをじっと見つめる。

「自分の長所を2つ、短所を2つ書きましょう」

「これまで頑張ってきたことを3つ書きましょう」

馬鹿馬鹿しく、内容の無い問いだと思った

――たかだか大学生に、そんなものが本当にあるの?


「――ねえ、ねえってば」

その声で、ハッと我にかえった。誰かに話しかけられている。慌てて顔を上げると、健康的な色気の漂うかっこいい男の人が、笑っていた。日焼けした肌に、盛り上がった腕の筋肉。笑顔の口元の歯並びが良い。

「コーヒー冷めちゃうよ。……っていうかもう冷めてる。飲まないの?」

言われて初めて気がついた。入店してからもう30分経っているのに飲み物に一口も口をつけていなかった。

「飲みます、ごめんなさい」

隣の席の斜め前に座っていたその人は、私の目の奥を見るようにして笑った。

「難しそうなもの見てるね。大学生?試験勉強?」

私は慌ててシートをしまった。

「違います。お兄さんは、大学生ですか?」

「俺?いや、大学は行ってない。この近くのジムでトレーナーをしてるんだよ。まぁ、年齢的には大学生なんだけど、勉強好きじゃないから、大学は行かなかった」

信じられない言葉だった。今どき、大学に行かない人って、かなり少数派だと思っていた。大学に行かないのは、不安じゃないんだろうか。

「好きな仕事で、やりがいがあるよ。キャンパスライフには憧れるけど、自分の夢を考えた時に、時間のムダな気がしちゃってさ。あ、ごめんね、大学に行ってる子にむかって、失礼だよね」

彼の自然体の言葉が身にしみこんでくる。「被災地のテレビで――」「入院中、お天気お姉さんがーー」そんなウソっぽい言葉たちが、頭から消えていく。

アナウンサーは私にとって好きな仕事なんだろうか。やりがいのあることなんだろうか。

「っていうか、俺怪しいよね?長内岳です。あっちのビルの2階でトレーナーをしてるの。お姉さんは?名前は?」

「清水美桜です」

凝り固まったものがほぐれるようだった。さっきまでいたアナウンススクールの皆が子供に思えた。



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