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僕と迷える猫

「ハノ様——っ!」


 ぐいっと突然強い力で後ろに引っ張られ、慌てて目を開く。ふわりと顔にかかる青銀の髪からは、カスパー領に咲く白い花の香りがした。

 婚約者様の緊迫した声と硬質な空気に、穏やかな時間は壊されてしまったのだと悟る。


「レっ——」


 ガンッと何かを弾く音がする。外には列車に並走する複数の馬たち、その馬上には新しい矢を番えている襲撃者がいた。

 

 ——危ない!!


 咄嗟にレーア様の前に出ようとする僕を、彼女は自らの腕に抱き込んだ。


「いけません——!このままじっとしていて」

「ですがっ——!」

「ハノ様!……このままで」


 ぎゅっと腕の力を強めて、言い聞かせるレーア様。冬空色の瞳は真剣な色を帯びていて——僕は何も言い返せなくなる。2本目の弓が放たれる前にコードとフィーナが僕たちを庇うように前に出て応戦する。それ以上攻撃がこちらまで届くことはなかった。


 コードは向かってくる敵の攻撃を弾き返し、襲撃者たちが乗り移ろうと取り付けたワイヤーを断ち斬る。その後ろからフィーナが襲撃者の馬を狙って攻撃を放つ。足を失った襲撃者たちは次々と取り残されて行った。


「フィーナ!俺は上を見てくる」

「こちらは任せて!気をつけてね」


 敵を撃退し終わると、ひらひらと手を振ったコードが車体の上に消えた。

 他に侵入しようとする者がいないか探しに行ったのだ。たまたまデッキにいたから地上から狙われただけで、本来はこっそりと車内に侵入し、機を見て襲撃してくる予定だったはず。

 このままデッキにいるのは危険だ。警戒を解かないまま、急いで王城の騎士たちと合流する。


『——まだ……足りないのかしら……』


 途中で断ち切られたワイヤーを眺めながらレーア様が零した言葉が……染み付くように耳に残った。




 危機を脱して戻った僕らを出迎えたのはフカフカな長椅子と、仏頂面のルーベアト卿、ロート卿。フィーナが先程の襲撃について彼らに伝えた。

 彼らは顔を青くした後、ぐちぐちと嫌味を並べ、レーア様に自分たちがお側で護衛をすると申し出たのだけれど、彼女は2人を追い出してしまった。


 『お2人共、ありがとうございます。襲撃者がこの部屋の中に入ってこないよう……お守りください。』と彼女が言った時、フィーナも満面の笑みで2人を激励していた。




「レ、レーア様……?重いでしょう……?」


 3人だけになったコンパートメントの中で、レーア様の膝の上に頭を乗せていた。


「いいえ……そんなことありません」

「ですが……」

「さっきまで射殺されそうになっていたのですよ……? このまま、少しお休みください」


 恥ずかしくて、両手で顔を覆った僕。お休みって……膝枕のまま? こんなのドキドキして休めないよ? 手の影からチラリと顔を出すと、瞳を揺らしたレーア様がこちらを覗き込んでいた。

 彼女の表情を見て、スゥッとそれまでの浮かれた気持ちが引いていった。僕はそっと彼女の頭に手を寄せる。


「では、少しお言葉に甘えて」

「……はい」

「フィーナも、こっちにおいで」

「うん……レーア様?」

「フィーナ様……こちらにいらして?」


 向かいに座っていたフィーナも、レーア様の横に移動して肩に頭を預ける——レーア様には今、寄り添う温もりが必要なのだと思った……

 僕を見下ろすレーア様の瞳に甘さは無かった。薄青のゆらゆらと揺れる瞳は、迷子の子猫のようで、それでいて子を守ろうとする母猫のように……必死に見えた——




 その夜は、バーンスタイン伯爵の所有する屋敷の一つにお邪魔した。襲撃があったという知らせを受けた伯爵は屋敷の警備を増やしてくださった。

 バーンスタイン伯爵は、僕とも対等にお話しくださる数少ない貴族の1人。バーンスタイン家が、”武”より”文”に寄っているのも理由の1つかもしれない。バーンスタインの家門には作家や画家、音楽家の方が多くいらっしゃると聞く。代々文官を多く輩出してきた家系だし、伯爵ご自身も文学や芸術に造詣が深い。


 肥沃な土地で育った野菜や、ルイーク湖で採れた新鮮な魚料理をいただいて、伯爵が手配してくださった音楽団の演奏を聴いた。そんな気分ではなかったのだけど、土地に根差した穏やかな音色を聴いていると、ざわざわとした心が薙いでゆくようだった。

 弦楽器の低く深い音色と、音と一緒に空気を振るわせる波が心地よい。きっと伯爵が心が落ち着く曲を演奏するように指示してくださったのだろう……伯爵の心遣いに感謝だ。


『我が領での厄介ごとを避けたいというのもありますから、お気になさらず。……ああ、そうだ!その代わり、今度チェスの手合わせをお願いできるだろうか?カスパー卿はお強いと聞いたものでね』

『それほどではありませんが……私でよければ喜んで』


 領地を出るまでの間、伯爵家の護衛もお貸しくださることになった。何から何まで、お世話になり通しだ。僕も、こんなスマートな心遣いができる紳士になりたいと思う。




***


 レーア様とフィーナを部屋まで送り届けた後、伯爵が用意してくださった客間に戻って、今日の出来事を思い返していた。レーア様は何か心当たりがおありなのだろうか?


 コンパートメントに戻った後、僕らは列車が到着するまで寄り添った。途中で帰ってきたコードは僕たちを見ると『外で警備をしています』と言って静かに扉を閉めてしまった。なんだかんだと真面目だから、自分までレーア様に寄りかかる事態は避けたかったのだろうな……

 駅に着いてからの彼女に、特に変わった様子はなかったように思う——なんでもないならいいのだけれど。


 ポツリと零した彼女の暗い声が、僕の耳を離れなかった……


「——ノ、おい、ハノ……?」

「え——っ、コード?」

「どうした?ぼうっとして」

「ううん、ちょっと考え事」


 ベッドに寝転んで天井の壁画を眺めていた。椅子に腰掛けて、ぼぅ—っと気の無い返事をする僕に目を向けたコードは歯切れの悪そうな顔をしている。


「——まぁいいか……。なぁ、あのお姫様……やっぱりなんかあるぞ」

「なんかって?」


 コードは少し難しい顔で言葉を探しているようだ。


「ねぇ……襲撃者って追い払えたんだよね?」

「ああ、列車に飛び乗ろうとしてた奴らは全員追い払ったが……このまま警戒した方がいいな。襲ってきた理由も、誰が背後にいるのかもわかってない……」


 顎に手を当てた彼は此方をじっと眺める。


「……ん?」

「それはそうとハノ、あの時何が起こったかちゃんとわかってるか?」

「ううん……」


 わかっていない……

 あの時、何かが僕たちに向かってくる矢を弾いた。僕は、レーア様にただ庇われていた……


「そこからか……あれな、皇女殿下の魔力だ」

「レーア様の? 魔法を使ったの?」

「魔法ってゆうより、ただの魔力の塊みたいだったんだよな……防衛、本能……みたいな……?」

「みたいな……? それって珍しいの?」

「みんながあれだけの魔力の塊が出せたら、戦死者はグッと減るだろうな。敵も、味方も……。飛んできたのは只の矢じゃなくて、魔弓の攻撃だった——皇女殿下はかなり魔力が多いはずだ。なんでそんな姫を国外に出したのか……? 普通、帝国内で嫁がせると思わないか?」


 魔力は多いに越したことはない。魔術師の名門とかだと、結婚相手を選ぶのにも魔力の多さを考慮する家が多いと聞く。

 けれどカスパー家はその辺ゆるゆるらしくて、割となんでもOKだったようだ。両親にも『好きな人を守れる男になりなさい』って言われていた記憶がある。

 当時から魔力も体力も少ない僕に『身体を守れということではないわ。ハノの得意なことで奥さんを元気にできるようになりなさい』って……そう何度も言い聞かされた。

 

 両親は恋愛結婚だったらしい。叔父さんも、フィーナもそうだし……カスパー家は貴族としてはだいぶ変わってるんだよね。

 一般的にはやはり魔力量は重視される傾向にある。それに貴族はもちろん老舗の商家などでも、家同士で決めた結婚が主流だ。

 

「うん……そう、だね。変だよね…」


 2国間の同盟の礎としての婚約。けれど、どうしても皇女の輿入れが必要なわけではなかったはずだ。フォンゼルラント王国と、エカードライヒ帝国、この2国の力関係は圧倒的にエカードライヒの方が上なのだから。

 なのに、少し見ただけでわかるほど魔力の多い皇女を格下の国の……見たことも、会ったこともない弱小辺境伯爵家に嫁がせようとしている帝国——いったい、どんな事情があったのか?


『まだ……足り無いのかしら……』


 暗く、冷たく、底なしの沼に沈んでいくような響き——彼女は何を、奪われてきたのだろうか——?


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