その手を取るのは
威圧的な美男子の言葉に、押し黙ってしまった僕。言い返す言葉がなかった。だって殿下は、僕には勿体無い方だから…
お互いに黙ったまま——そんな嫌な空気を破ったのは、思わぬ人の声だった。
「ハノ様……」
「へっ?…あ、はい! 殿下、どうされましたか?」
いつもの”カスパー卿”ではなく名を呼ばれて、一瞬誰に呼ばれたのかと思った。
「”殿下”ではありません。“レーア”と、呼んでくださいと…言ったはずです」
(——いや……言ってないですよね…?)
「……で、殿下?」
冬空のような瞳がじっとこちら見つめてくる。その瞳は、不満です!と主張している——
「……レーア、です」
「レーア…様」
そう名前で呼ぶと、彼女はすっと手を伸ばす。反射的に手を差し出すと、ご自分の手を重ねられたので、僕はそのまま自分の腕へと運ぶ。
僕の腕に手を置いた彼女は、すっとガラスのように無機質な瞳で侯爵子息を一瞥した。意外な殿下の行動に唖然としている周囲を無視して、殿下が僕の腕を引く。
「……喉が、乾きました…」
「はい、あちらで少し休みましょう…」
フィーナを戻って来たコードに任せて、僕らはバルコニーに向かう。休憩室に行くよりも夜風に当たりたいと殿下がおっしゃったから。
「殿下?」
「……」
(え…?どうしよう?)
「レーア様?…」
「……どうして、置いていってしまわれたのですか?」
「えっ……あ、申し訳ありません…」
すぐに謝った僕に、彼女は余計に不満そうな顔をする。今日の彼女は表情豊かだ。それが良い表情でないのは残念。
「……カスパー卿は、私のことが……お嫌いですか……?」
レーア皇女殿下がぽそっと呟いた。
「えっ?そんなわけありません!……どうして……?」
「どうしてって……」
彼女は何かを耐えるようにぐっと眉根を寄せる。——ああ、殿下はきっと気持ちを吐露することに慣れてらっしゃらないんだ……
「レーア様、思った通りにおっしゃってください。モヤモヤしたままは良くありません。でも本当に言いたくないことなら、無理に仰らなくていいです」
彼女は少し考えた後、ゆっくりと口を開く。
「……他の相手を探すようにと、おっしゃいました……今日は、無言で私を眺めておられました……会場に入ってからは目を合わせてくださらないし……それに、初めてお逢いした時も、じっと固まっておられました……」
(あああぁ——!!!)
それで嫌いな相手に無理をして合わせている、という結論に至ったのか——こうやってレーア様の口から聞くと、酷いな……
慣れないことを口にして、どこか居心地悪そうなレーア様に、教えてくださってありがとうございますと伝える。キョトンとした表情を浮かべた彼女に、笑わないで聞いてくださいますか?と、前置きしてから話す。
「やっぱり固まっていたこと、お気付きだったんですね……でも、嫌だったわけではありませんよ」
ほうとうに?と、不信げにこちらを見るレーア様——僕の顔が赤くなっていたことまでは気付かなかったんですね……
「初めてお逢いした時、僕はレーア様に……その…見惚れていました。コードが後ろから突いてくれるまで、挨拶も忘れて——今日もそうです。慌ててエスコートしたから、そういえば何も申し上げていませんでしたね…」
「……アドルフィーナ様のことは褒めてらっしゃいました……とても、素敵でしたけれど……」
ぽそりとまたレーア様が零した言葉に、目を丸くする。
「フィーナは妹ですから…可愛くは思っても……見惚れはしないです。その、今日お迎えに上がった時は……あんまりお綺麗だったから……このまま夜会にお連れしたくないと思ってしまいました。……今日の貴方を見れば、妻に迎えたいと思う者が沢山現れると思ったから……」
「ではどうして……他の相手を探せ、と仰ったのですか?」
「それは……昨日も申し上げた通り、カスパー家では貧しい暮らししかできないからです。家格も釣り合っておりません。それに何より、私は貴族の中で軽んじられています。こんな男が夫になるのはレーア様も嫌がられるだろうと…先程は、恥ずかしながらレーア様の表情を見るのが怖くて——目を合わせられませんでした」
「そう…ですか……嫌っておいででは、ないのですね……?」
「はい、とんでもございません」
「では……ハノ様とお呼びしても?」
「ええ、もちろんです、レーア姫」
やっと、今日ずっと……どこか御機嫌斜めだった彼女の表情が緩んだように感じた——思わず満面の笑みになる。
「ではハノ様……踊りましょう」
「えっ?……本当にやるんですか?その、実際問題、僕はあまり上手くありませんよ?」
「大丈夫です…ハノ様が躓いても、私がフォローしますから」
私と踊る約束ではなかったのですか? と言う彼女に……はい、と返す。あんなことを言っておいて踊らなかったとなると、また笑い者にされてしまうのは間違いない。一緒に踊ってくれるなんてレーア様はお優しい方だ。
結論を言うと、ダンスにはちっとも集中出来なかった——
僕らが踊っている間、「まぁ!皇女殿下とカスパー卿だわ!」とか、「本当にカスパー卿と踊ってるんだ……」とか、「雪の精が2人くるくると舞っているみたいね」などと言う声が上がっていったらしい。
殿下は青銀の髪、僕は薄い金髪でどちらも白っぽいから、雪みたいに見えるのかも。
なんだか婚約者というより、小さな子供が踊った時のような感想を述べられている気がするけど…そこはもう、諦めるしかない。
背も低い上に童顔の僕は、『ハノ、世の中には儚げな少年に懸想する変態がいるから気をつけるんだぞ…男女問わずだからな』と言われている。つまりどう頑張ってもカッコいい絵面にはなれないのだ……
悪口じゃ無いだけ良いとしよう!……まあ、実際踊っている間はそんなこと気にしている場合ではなかった!
緊張しまくっていた僕の代わりに自然と体を寄せてくれたレーア様——お顔が近いし、色々近いし、僕はダンス下手だし……リラックスなんて無理!と思っていると…
『大丈夫ですから、上を向いて……そうですね……私の顔だけ見ていてください』
彼女は僕の耳元に顔を寄せて囁いた。
カアッと顔に血が登って……それでも言われたとおりに顔を上げると、今日1番穏やかな表情のレーア様と目が合う。
そのまま捕まったみたいに目が離せなくなって——『1曲なんてすぐに終わります』と、彼女が言ったとおり、あっという間に曲が終わっていた。
レーア様はダンスがとてもお上手みたいだ。僕は時折、頼りない動きになっていたのだけれど、側から見るとそれなりのダンスになっていたらしい。
相当上手く立ち回ってくださったに違いない。他には何が得意で、何が苦手なんだろう? まだまだ知らないことだらけだなーと思う。
夜会が終わってレーア様を部屋の前まで送り届け、そのまま別れの挨拶をするレーア様の手を軽く引いて、引き留める。彼女は、どうしましたか?と言って顔を覗き込んでくれる。
「レーア様……私と、婚約してくださいませんか?」
「え……?」
予想外の言葉に戸惑った表情を浮かべている。だって僕らの婚約は両国の王によってもう決められているものね。でも…
「私の口から直接、言いたかったのです…その…」
そう言うと、彼女は頷いて続きを聞いてくれる。
「まだ出会ったばかりだけれど、私は貴方と一緒にお茶をするあの時間が好きです。……今日、貴方の隣に他の男性がいるのを見て……嫌な気持ちになりました。……僕では貴方に釣り合ってないのはわかっています!でも……もっと、貴方と過ごしていたいと思いました。この婚約は国が決めたことだけれど、僕は自分の意思で貴方と婚約したいと思っています」
少し驚いたような表情を浮かべて僕の話を聞いているレーア様。今日は本当に彼女のいろんな顔を見ている気がする。そのまま、少し固まっていた彼女は……やがて頬を緩めると――
「はい……」
と小さく応えて、少し恥ずかしそうに俯いてしまった。
僕はずっと内ポケットに入っていた婚約指輪を取り出す。
彼女の白くて細い指を手にとり「本番は教会での婚約式だけど……直接婚約を申し込んで、お渡ししたかったから…」と言って彼女の指にはめる。レーア様は、まじまじと自分の薬指を眺めた。
「ありがとう、ございます……ハノ様」
彼女はほんのりと、それでも幸せそうに笑ってくれて……僕は嬉しすぎて思わず抱きついてしまった。
(——いやいや、何してるんだ―!!)
「——っ、申し訳…」
「ハノ様、婚約者同士がくっついているのは…普通ですよ?」
慌てる僕が可笑しかったのか、ふふっと笑って優しく抱きしめてくれたレーア様。彼女に釣られて、暫く2人でクスクスと笑った——