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姫君は麗し過ぎました

 

 馬車の扉が開かれて、帝国の騎士の手を借りた皇女殿下が降りてこられる。

 僕たちはこうべを垂れた状態でじっと声が掛かるのを待った。身分が上の者から下の者へ声を掛けるのが礼儀だからだ。

 

「エカードライヒ皇帝の娘……レーア・エルリカ・フォン・エカードライヒ、と申します」

 

 視線を下げていた僕は、耳に響く殿下の澄んだ声に驚いていた。澄み切った、けれど感情の色が乗っていない、寂しい声だ。

 挨拶を返そうと顔を上げて——


「…………!?」

「……?」


 この方は雪の精霊か何かなのだろうか?……真っ白な肌に、冬の空をそのまま閉じ込めたような薄い青の瞳がとても印象的で——目が離せない。

 トンっと、斜め後ろに控えていたコードに背中を突かれてハッと、我に帰る。


「——!あ…お会いできて光栄です。フォンゼルラント王国でカスパー辺境伯領を預かる、ハノ・ヴィドス・フォン・カスパーと申します。」

「カスパー卿……お出迎えいただき、ありがとうございます」


 普通に返答を貰えた事にホッとする。いきなり拒絶されたりしないかと、内心ヒヤヒヤしていたんだ。これは彼女が望んだ婚約ではないから。

 僕だってまだどう受け止めていいのか、よくわかっていない。


「いいえ、先に御目通り願うべきだったのでしょうけれど……初めてのご挨拶がこのような場になってしまい、申し訳ございません。本日は、ここから一刻程先の街でお休み頂く予定でございます。お疲れでしょうが、どうかもう少しご辛抱くださいませ」

「はい、承知致しました」

「到着しましたら、改めてご挨拶に伺ってもよろしいでしょうか?」


 彼女はピクリと目を瞬いた。


「……はい、わかりました」


 断られるかとも思ったけれど、挨拶を了承してくれた。1番立派な馬車へ案内して、僕達も別の馬車に乗り込む。


「おーい!大丈夫かー?」

「だいじょばない……」

「どうして?きちんとご挨拶してたと思うけど?」

「最初、固まってたけどな……」

「うゔ〜〜」


 馬車に乗り込んでから、ぼーっとしていたみたい。2人に引き戻される。

 全然きちんと出来てなかったよ、フィーナ。兄ちゃんに結婚はまだ早いのかも……


「で、お兄様、一目惚れしちゃったの?」

「うーん?? でもすごく……すごく、綺麗な方だったね……」

「まぁちょっとびっくりするくらいの美人だったな」

「そうね、あそこまで綺麗だと嫉妬する気にもならないわ。あの方が義理とはいえ親族になるのか……なんか実感が沸かないかも」


(そう!そうなんだよ!実感わかないよね…)


 彼女はすごく綺麗だった—— 


 失礼な話だけど、帝国の姫君が辺境の貴族と婚約だなんて、何か事情があるのだと思っていたんだ。性格にものすごく難があるとか、お身体に差し障りがあるとか……

 でも、特にそんなところは見受けられなかった。少し会っただけではわからない類のものって可能性もあるけれど。

 

 夜会に参加なさったら、王国貴族たちのハートを鷲掴みにすることだろう!着いて早々、婚約が白紙になることを覚悟しておいた方がいいのかもしれない。

 

 そう思うのは、陛下が姫の相手にカスパー家を選んだ理由がわからないからだ。カスパー家は確かに王国の忠臣と言われる一族だけれど、現在は権利も財力もない弱小貴族。はっきり言って帝国の姫とは釣り合わない。


(それに僕は……)


 王都で皇女殿下を慕う貴族が現れれば、婚約も組み直されるのではないか?と思ってしまう。別に我が家でなければならない理由が思いつかない。まあ考えても仕方ないか、と暗い気持ちを振り払う。

 

 皇女殿下はすごく綺麗で。けれど、何か引っかかる方だった。均整の取れたお顔立ち。雪のように真っ白なお肌。青銀の淡く煌めく御髪。冬空を溶かし込んだ瞳。綺麗だ。どこもかしこも綺麗だけど……

 

 温度の無いお顔に載っている瞳は、ガラス玉のように無機質で。冷たくて、何処か寂しそう——

 

 そういえば、殿下はだいぶ素気無かったような。もしかしていきなり嫌われたのだろうか…?


「おーい、いきなり落ち込んでんのか?」

「まだ諦めるのは早いわ、お兄様! 皇女様のこと、気になっているのでしょう?」

「……うん。皇女殿下はとてもお綺麗で……でも、少し寂しそうに見えたんだ。それがなんだか気になって——僕のこれは、一目惚れ、なのかな……?」

「それは、もうちょっと話してみたらわかるだろ。…まぁ、ハノが寂しそうに見えたってゆうなら、そうなんだろうよ。まずは寂しくないようにして差し上げないとな!ハノが殿下の旦那になるんだからな」

「そうだね、まだ婚約者だけどね!…ただの、気のせいなら良いんだけど」


 あの色の乗っていない声の裏にある、彼女の気持ちを知りたいと思った。




***


「お疲れのところ、お時間をくださってありがとうございます」

「私は、ただ座っていただけですから」

「座っているだけでも慣れない旅は疲れるものですよ」


 今日の行程を終え、改めて挨拶に伺った。僕たちを出迎えてくださった殿下に、着席を勧める。

 僕の後ろで騎士服に身を包んだ2人は家族なのだと紹介すると、少し驚かれたようだった。


 元辺境伯令嬢が騎士服を着て兄の護衛をしてるとは思わないよね……

 幸い、フィーナが騎士として振舞っていることに嫌悪感はないようなのでホッとする。


「殿下、ハーブティーは召し上がりますか?」

「ハーブティー?……ええ、時々頂きますが…」

「では、よろしければこれを」


 カスパー領から持ってきたお土産を広げる。


「これは、うちの庭で採れたハーブを使って調合したものです。疲労回復に効果があるのですよ」


 世間には『庭のハーブなんて!』と言うご令嬢もいる。「何処何処産の〇〇」にこだわるタイプの人たち。けれど殿下の場合は、突然ハーブティーが登場して少し驚いているだけのようだ。


「それから、こっちはカスパー領の名産の花を使った香油です。皇女殿下に贈りたいと伝えたら新しく調合してくれたんですよ。そうそう、この香油瓶と、茶葉の容器も街の親父さんたちが作ってくれたんです。お姫様に渡すなら!と……あ、すいません。」


 一生懸命考えてくれた街の人たちのことを思い出して、嬉しくなった僕はいつの間にか彼女を置いてきぼりに1人で喋り続けていた。


「いいえ。それで……続きは?」

「あ、はい…『お姫様に渡すならうんと可愛くしないといけないな!』と言って、街の娘さんたちにも相談して作ってくださったんです。

 ここに、茶葉の容器に青い石が嵌め込まれているでしょう? これはカスパーで良く取れる石なんです。高価なものではないのですが、色がとても綺麗で、カスパーらしくていいんじゃないかと街の娘さんたちが提案してくれて」

「ええ、とても綺麗な色だと思いますわ」

「ありがとうございます。その……もし気に入った物があれば使ってみてください。」

「ええ、お心遣い有難うございます」


 模範解答みたいな社交辞令の受け答えが返ってきた。不満を見せることもなく、かと言って喜んだ風でもなく。

 あっさりとした返事に、会話が速攻で終わってしまった。こうゆう時、話を振るのが上手なコードが羨ましい。僕は話題を振るのが下手だ。

 

(いきなり押しかけて、迷惑だっただろうか……?)


 お疲れだろうし、もうお暇しようと思っていたら、彼女がポツリと呟いた。


「カスパー卿は、領地の民と……仲がよろしいのですね。それに——いえ、なんでもありません」


 ん? エカードライヒは大きな国だから、やっぱり貴族と平民にはもっと壁があるのかな……


「……カスパー領はあまり大きくありませんし……助け合って暮らしているので仲は良い方だと思います」

「そう、なのですね」

「はい! それで、あの……宜しければ、またお茶をご一緒しませんか?……僕は帝国に行ったことがありませんので、お話をお聞かせいただければと」

「帝国の話ですか……わかりました」


 帝国の名前を出すと、少し空気が堅くなったような気がした。警戒なさっているのかもしれない。

 殿下は望んでフォンゼルラントへ来られた訳ではないし、彼女からすれば、いきなり現れた男がどんな目的で婚約者になろうとしているのかわからないのだ。


(失敗したかな…?僕には野心とは、そうゆうのは無いんだけどな……)


 殿下もずっと気を張っていたら、息苦しくなってしまうと思うんだ。何とかして差し上げれたら良いのだけど……


 これからの事といえば、王都に着いたら夜会が待っている……

 カスパー領がすごく田舎だってことも、辺境伯家が貧乏ってことも、僕の立場が弱いことも……王都に着くまでには伝えておかないと。

 本当は言いたくないけど、隠していたって仕方ないし……何も知らないまま夜会に出たら、最悪、殿下を傷付ける結果になりかねない


(——ああ、やだな……)


 自分で自分の株を下げたくは無いな……と思った。




***


 殿下は物静かな方だった。


 僕もお喋りな性格ではないから、一緒にいても会話は少なめだけれど、お話をすると真摯に耳を傾けてくださって、時折殿下の方からも気になったことを聞いてくださる。

 立ち寄っている街や、カスパー領のことを話した。それから殿下が王国に慣れやすいように王国での習慣や、食生活のことなど、気づいたことを気づいた時に、取り留めもなく——

 

 相変わらず感情があまり見えない方だけれど、一緒に過ごす時間の中で、少しだけ堅さが薄らいだように思う。ゆっくり流れる殿下とのお茶の時間、僕は結構気に入っていた。けれどもう、それも最後になるかもしれない。


 明日は王都に到着するのだ。


 これまでお話ししてみても、やっぱり殿下に問題があるようには思えない。もし、挙げるとするなら表情が薄いことくらい?——それはそれで、ミステリアスな魅力の1つとして捉えられると思う。王都に着けば、殿下の美貌は直ぐに噂になるだろう。


 国同士の繋がりを深めるためなら、辺境伯家より相応しい家は沢山ある。身分が釣り合っていて、帝国に劣らぬ暮らしを提供できる、優しい男性が沢山いる。

 僕たちの婚約は正確にはまだ結ばれていない。実際に婚約が成立するのは教会に行ってから——夜会より後のことだ。その前に僕に変わって婚約を結びたい、と申し出る男性が大勢現れることだろう。


 彼らが国王陛下にレーア皇女殿下との婚姻を願い出たら——?

 

 そうなれば、すぐに彼女は手が届かない方になってしまうだろう……そもそも、カスパー家が婚約先に選ばれたことの方が謎なのだ!


(——レーア皇女殿下、貴方は麗し過ぎました)


 僕にはあまりに勿体ない程に——


 お顔もお綺麗だけど、身分が低い僕にも丁寧に接してくださって、嬉しかった。短い間だったけれど、一緒にお茶を飲むあの時間がなくなると思うと……なんだか寂しいのです。……王都がもっと遠ければいいのに……と思いました。

 

 胸の中でだけ、素直な気持ちを溢す。少しは王国に親しみを持っていただけただろうか? 他国に嫁ぐ不安は減っただろうか? 


「皇女殿下、お伝えしておかなければならないことがあります。」

「…はい?」

「僕とカスパー家についてです。お察しかもしれませんが、カスパー領は田舎です。それから裕福でもありません。それにカスパー家は『辺境伯』という爵位に対する一般的な位置付けより、ずっと立場が弱いのです」

「え……?」


 返事に困っているであろう殿下を、置いてけぼりにして、そのまま先を続ける。


「立場が弱い理由は、最近情勢が安定していて、国境守護の役割を意識する機会が無いから、というのが1つの理由です。でも1番は私の所為です。カスパー家は武功を称えられて叙爵された家なのに、私がとても弱いからです。何が言いたいかというと……私との婚約で、殿下が不快な思いをなさるかもしれません。」

「そんな…」


 殿下を遮って、ブンブンと首を横に振る。皇族の言葉を遮るなんて、とても失礼なことだけど。


「本当のことなのです。ですから……もし、王都での夜会で良きお相手に出会われるようなことがあれば、その時は遠慮なく仰ってください。国家間のことですのでお約束は出来ませんが……殿下のご希望に添えるように、最大限努めます」

「……そう……ですか」

「明日は夜会の前に伺います。それでは、今日はゆっくりお休みください」


 明日のエスコートは僕だけれど、彼女の邪魔にならないように頑張ろう。これで良いんだ……


「……わかりました」


 殿下の冬空のような瞳が、冷たさを増したように感じた……けれど、それは一瞬のことで、僕の見間違いだったのかもしれない。

 

 内ポケットの、渡せない婚約指輪が妙に重たかった——


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