第六章 アンノウン173・永劫の引き出しー13
雅紀の意志は別世界にあった。
真っ白な世界。以前リベリオンが永劫の引き出しを収容していた時のレポートで見たことがある世界と酷似していた。
近場にランドセルとガラス片が落ちている。アンノウン16とアンノウン192だ。
奥にはトンネルが見えるが、あれは出口でも入り口でもない。アンノウン48だ。他にも見知ったアンノウンが数多く落ちていることから、ここは永劫の引き出しの中であることが理解できた。
「俺を取り込みやがったか」
雅紀は情けない気持ちでいっぱいになった。
今の自分自身は完全に許容超過を起こしてしまっている。
こうなってしまったエージェントは基本的にアンノウンと同等の扱いになる。出来るのならば収容、無理ならば――終了処分。
やっと見つけた妹を前に、俺は何をしているんだ。
雅紀は怒りを露にして床を叩く。
その行動にガラス片が僅かに動いた。鋭利な先を雅紀の方に向け、その存在を確認するや否や、襲い掛かってきた。
「ガラス片の怨恨⁉」
雅紀は突如振りかかった災厄を避け、普段通りにガラス片の怨恨を動かそうと試みる。
が、動かない。動かせない。
焦っているうちに、今度は背面から車でも衝突したかのような圧を受けた。
宙を舞った体が地面に打ち付けられ、何度か転がった後、ようやく自分が最速のランドセルに吹き飛ばされていたことが分かった。
なるほど。全部言うことを聞かないのか。
明らかに攻撃的な二つの攻撃を避けながら、雅紀は逃げるしか選択肢を持たなかった。
アンノウン48乱れた地盤!
反応は一切無い。
アンノウン29物干し竿!
反応は一切無い。
アンノウン188 Code B
反応は一切無い。
くそ。雅紀は舌打ちした。今まではアンノウン173が俺の支配下にあったら、全て持ち物として使いこなせていたにすぎないのか。
雅紀は逃げることに専念するしかなかった。だが、どこへ行くにしても真っ白な世界が続いているばかり。このままでは何もない世界でただ鬼ごっこをする為だけに生きることとなる。
目的があるのにこんな所で時間を取ってはいられない。
俺には、人生を滅茶苦茶にしたあの悪魔を退治しに行かなければならない。
「それが本当に重要な事なんですか?」
「っ⁉ 誰だ⁉」
誰もいないと思われた部屋に、雅紀へ問いかける声が聞こえた。
いつもの発作の際に聞こえる声、にしてはだいぶ違いがあった。
一体どこに、と言う振りはこの真っ白な世界では必要なかった。
「お前を入れた記憶は無いぞ」
「君が自宅に招いてくれないから、勝手に入っちゃった」
「不法侵入者が」
ピエロは不服そうな顔をしていたが、それ以上に不服、それどころか不信感を顕わにしているのは雅紀だった。
「ここは永劫の引き出しの中か」
「その通りだよ」
「率直に言いやがって。最悪だ」
普段は早く本題に入れと思いたくなるが、これほど素直に言われるとそれはそれで気分が悪くなってしまう。
「所で君は見つけられたかな? 復讐心よりも大切な物を」
「そのせいでこうなってるんだろ? 俺はお前に見事なまでにしてやられた。今になってようやく理解した。夢がアンノウン74になったのもお前に原因があるんだろ?」
「おやー? それについては否定しませんでしたっけ?」
「忘れたよ」
ペテンの言う事が真実になるのは分かっている。しかし、真実しか言えないと言う研究資料は無い。ペテンが嘘をついていれば、それは真実ではなくなる。雅紀は手のひらで踊らされたことにご立腹し、何一つ武器を持たないながらも、ペテンに立ち向かうことを決めた。こいつは口先だけのゴミだ。素手でも何とかなるに違いない。雅紀は怒りに身を任せた。
「話は最後まで理解すべきだとは思いませんか?」
雅紀の拳を、ペテンは悠々と避けて見せた。
次のフックも、蹴りも、あたかもそうなることを理解していたかのように避け続ける。
「それと、君はこんな所で遊んでいる暇はあるのかい? あぁ。勿論これは煽りだけど、事実でもあるよ」
ペテンの顔面に全力で拳をぶち当てたかったが、今置かれている状況を、思い出すことができた。
直後、後ろから一つのガラス片が飛んできた。あほと喧嘩をしていたせいで、追いつく時間を与えてしまったようだ。遮蔽物も何もない場所でアンノウン129は脅威になる。
「君はまだ行かなければならない場所がある。そこに辿り着くことが出来なければ。君とは一生のお別れになるだろう」
「そこに行けば俺の不幸が訪れ、行かなければ本当に死ぬわけか」
「そんな悲観した言葉で言わないで欲しいなー」
ペテンの悪ふざけに飽き飽きしてきた雅紀ではあるが、ガラス片は無数に飛来する。誰から誰への怨恨かは分からないが、かなり大きめで致命傷を与えるには十分な殺傷力を持っていた。
「この際もうどこでもいい。連れて行け」
「オシャレなカフェかな?」
「疑問文の時点でねえんだろうよ」
勿論雅紀が永劫の引き出しに納めたこともない。
「分かっているよ。寧ろ、君が乗り気な所は滅多にないからね、いい所に連れって行ってあげるよ」
「黙れ。それよりもどこにそんな物があるんだ」
「あるよ中央に。ほら」
ペテンは敢えて人差し指を曲げてどこに向けているのか分かりづらくさせて目的の場所を指差した。
そこには、雅紀が今まで保管したことが無い(アンノウン12こと、このピエロを除いて)物が存在していた。それに、実質それは保管不可能な物であって、何故ここにあるのかも理解出来なかった。
真っ白な世界の中央にはアンノウン173が置かれていた。それも普段見慣れた大きさそのままのアンノウン173。その筐体が部屋の中央に置かれていた。
「もっと近くで見てごらんよ」
その言葉に雅紀は同意しかけた。が、すぐさま訂正される。
「何でお前は来ないんだ」
「いいことが起きないからだよ」
「あっさりと言ってくれるじゃないか。俺をはめる気か?」
ペテンの事だからそんなことだろうと理解していた。
しかし、ペテンは別の答えと、その証拠を持ち合わせていた。
「食われるからだよ。永劫の引き出しの本性はここにあるんだ」
ペテンの横をガラス片が飛来する。ガラス片は怨恨の対象である雅紀めがけ直進していた。そのガラス片が何を思ったのか、突如回れ右をして、地面に落ちた。
「アンノウン173はただの入れ物だと思っているけど、実は意思を持っているんだ。アンノウンたちをばっくん! と食べちゃう恐ろしい化け物何だ‼」
童子に怪談をしているかのような大袈裟な手ぶりでペテンが説明する。その姿を雅紀は咎めることが出来なかった。両手を上下に広げて拍手のような行為をするおまぬけの姿には見覚えがあった。それはあの時の夢に出てきた物そのものだった。もし、ペテンの言う事が本当なら、あの永劫の引き出しの状態も理解できる。
床に置かれている永劫の引き出しは雅紀の知っている永劫の引き出しと瓜二つであるが、違う点が二点ある。
永劫の引き出しはチェーンでぐるぐる巻きにされ、その先端同士は、鉄製の南京錠によって繋がれている。これでは引き出しを開けることは出来ず、本来の目的を行使することは不可能だ。
「でも、君はアンノウンじゃないからそこに行っても平気なんだよ。そもそも、アンノウン以外がここに入る事は不可能なんだけどね」
「俺からしてみればお前がどうしてここに入れたのかが気になるがな」
「それはそれ。これはこれ。それよりも、君にはそれを使う必要があると思うんだよねぇ?」
何が必要なんだ、と雅紀は呆れて永劫の引き出しを見る。
普段見慣れている物と違い、何故これだけ厳重に閉じられているのだろうか。外側の永劫の引き出しも含めれば二重のロックになる。
おまけに今ここに来るまでこの存在に気付くことは無かった。普段なら中に入っている物は大概理解しているし、夢の中でアンノウンの残留思念が喚くのを何度も聞いたことがある。
…………いや、一つだけ、どのアンノウンか分からない声を、それも幾度と無く聞いたことがある。
「クラエ? ……食らう?」
食べると言う言葉で雅紀が真っ先に思い浮かんだのは目の前にある箱。
この錠前が解放され、鎖が解け、引き出しを上下に開けたあの化け物。
「こいつが、中に入ったアンノウンを食らっているのか?」
「それじゃ、君は今まで幾つのアンノウンを失ったのかな?」
「的外れか」
ペテンの即答は思う壺だったことを意味する。愉快な解答を謙譲したことに、雅紀は腹立たしくなる。
「君がこの中のことを一切知らないのは当たり前なんだよ。これは開けてはならない。この中には解き放ってはいけない物が入っているんだ」
「そんな爆弾を俺に渡したって言うのか?」
「君に必要だからだよ。復讐心よりも大切な物が無いのかな?」
「何度聞くんだそれを。俺には」
「それじゃ何で君の妹にそこまで固執するんだ?」
「っ⁉」
ペテンが今までに無い迫力で問いかけてきたので雅紀の言葉が詰まる。
「家族だからだ」
「違う。アンノウン74。非ずと呼ばれるアンノウンだ」
「それでもあれは夢何だ! 何で夢の形を成したのかは知らない! それが非ずの意志なのかは分からない。罠の可能性だってある」
「罠なら今までの君通りの行動をすればいいじゃないか? 僕にはいっつも素っ気ない態度をとってる。それでいいんだ。罠と踏み切って倒せよ。そうしないといつまで経っても、意地だけの追いかけっこは出来ないぞ」
ペテンが普段の嘲た口調から怒り口調に変わる。
挑発気味たその言い回しには扇動と思しき意味合いも込められていた。
雅紀は葛藤していた。
夢の存在と復讐には因果関係がある。
守れなかった。
そうであっても改めることは出来る。しかし、やり直すことは出来ないこともある。
悔いは残ったとしても、もう二度と、その好機が訪れることは無い。
雅紀はその、訪れる機会が無い世界から逸脱した世界に迷い込んでしまった。だからこそ、困惑はとてつもなく大きい。
守る為の復讐。
けど、今は守る存在が目の前にいる。
謎が謎を呼ぶ理解不能な状態に、雅紀はどうすればいいか分からなくなっていた。
「僕の言う事を信じればいいんだよ」
ペテンが静かに答えた。
「前にも言ったじゃないか? 扱いには慎重性が必要だけど有能性もある。これを使えばいい。そうすれば、君の悩みも解決されるだろう」
「それは真実か?」
「僕は真実のペテン真実しか言わないよ」
「それが、不幸な顛末になることを俺は知っているぞ」
「ふふっ。もう隠す必要性も無いようだね。それでも、君がその後どのようなことになるかは――話す必要性も無いね。それでも、君が進むのであれば、解放するがいい。君にまだ、復讐心が残っているのなら、それよりも大事な物を手に入れる覚悟を決めることだ。どんな真実が待ち受けるかは――ここから出た後にお話ししよう。そうなってくれることを、僕も願うよ」
そう言い残し、ペテンの姿は真っ白な世界に溶け込むように消えていった。
「誰も来てないだろうが――いや、後は俺に任せるってことか」
他人など入って来れない隔離世界。そこで自ら身を引いたのは、つまり最後は自分で決めろってことか。雅紀が嘆息する。
ペテンが身勝手なのは今に始まったことではない。けど、思い起こせばあいつの扇動には特異性があった。不幸な出来事であったとしても、必ず次に遭う約束を言葉に変えて告げている。今回もしれっとではあるが次の機会があることを臭わせるような口振りだった気がしなくもないと、雅紀は予感した。
ペテンにとって、雅紀は死んでしまったら困る存在。
それが善意であることは100%無い。利用する価値がどこかにあるから、こうやって死なない程度の茨道を歩ませ続けている。
雅紀はそれに応える義務は無い。どこで無視しても構わない。
しかし、残念なことにペテンは真実を告げる。どれだけ寄り道しても近道しても獣道を通ったとしても、辿り着くのはペテンの告げた目的地だ。
「つまり、また会うってことか。何が願っているよ、だ」
雅紀は愚痴を零すも、その言葉が足取りを軽くした。
中央にある永劫の引き出しに手を伸ばす。雅紀が近づいたと察知するや否や、アンノウン173はガタガタと動き出し、番犬の如く威嚇し始める。とはいう物の首輪が頑丈につけられた大型犬はそれ以上動くことが出来ず、おまけに口輪までつけられているから攻撃することさえできなかった。
雅紀はアンノウン173の本体と思しき場所に触れる。
そして、何故か雅紀はこの引き出しを開ける術を既に知っていた。
鍵は必要ない。
必要なのは、意志だ。
「クワセロ」
ガチガチ唸る引き出しの中からくぐもった声ではあったが、聞き取る事が出来た。
「何をだ。アンノウン16か? アンノウン48か?」
「ココニナイ。スベテ、ソロエル」
「全て。複数か。なら、幾つでも入るな」
その能力は正しくアンノウン173だった。ただし、本体の方は相当な美食家らしく、選り好みをする。
「非ずもそうか」
「クラウ! クラワセロ!」
引き出しが揺れる。
非ずが関連している。理由は定かではない。
しかし、それは雅紀にとって好ましいことでは無かった。
「アンノウン74は俺の妹だ。食わせる訳にはいかない」
アンノウン173が激しく動く。怒り狂った猿の如く引き出しの隙間をキィキィ鳴らしている。
「だが、出来るのならアンノウン74だけを食ってくれ。そうすれば、後の奴らは俺が見つける。アンノウン74の元となる部分だけを食って、夢を助けてくれ」
何とも身勝手な希望ではあったが、雅紀は真剣だった。
数多くのアンノウンに出会った彼にとって、アンノウンがどれだけ理不尽で反人間社会の存在かは嫌でも熟知していた。だからこそ、各国が秘密裏に保護し、更には研究を行い、他国を出し抜こうと暗躍している。
そんな存在に、雅紀は乞いた。
自身の全てを投げ出しても、家族を殺したアンノウンをぶちのめす。
以前ならその為に真のアンノウン173に懇願しただろう。
でも、今は違う。
それ以上の目的が出来た。
非ずは所有者を殺す。
所有者を殺す為の道具。
「俺は妹を取り戻す! お前はアンノウン74を食らえ!」
鎖が解かれた。鍵はされたままなのに、鎖だけが解けたかのように消えた。
永劫の引き出しの形が変わる。かつて見た、四面の捕食獣の姿に。
箱は雅紀を捕食するには圧倒的に小さかった。
それでも、雅紀は食われると言う精神干渉を受けていた。
あいつ(ペテン)はとんでもない物持たせやがったな。
雅紀が箱に飲み込まれる瞬間。少しだけ自身の視力、元の視力が蘇った。
その一瞬に映ったのは、あの時からずっと時を共にしてきたかのように成長をしていた妹の姿だった。
妹を今まさに捕食せんとばかりに伸びる右腕。
そこで雅紀は身体が自分の意志で動けることが分かった。
夢を握りつぶそうとした右手を抑え、変わりにその力を左手に移す。
両手に力が入る事が分かると、微動だにしない妹を、そっと抱き寄せた。
「お帰り、夢」
倒壊の音が、静かな挨拶を消し去った。




