第六章 アンノウン173・永劫の引き出しー2
香港は約1300平方キロメートルと言う狭い地域に1千万人近くも人が住む、中華人民共和国の人口密集地域である。イギリスの植民地であった歴史上、欧米の文化や独自の技術が独立したこの地域は、中国の他地域よりも経済の発展が圧倒的に早く、経済的自由競争の元、各国の金融機関やネットサービス会社が進出した結果、200平方メートル近い海岸の埋め立ても経て、香港の経済力は中国全体の60%にも及ぶ税金が賄えるほどとなった。
それ故に、今なお独立を訴える話は後を絶たない。
中国としては国家の大事な財政源を失いたくない気持ちがあり、香港としては自分たちが稼いだお金を15億人と言う世界最大規模を誇る国の人達に、税金を通して分け与えなければならないのかと言う憤りがある。
香港は実際危ない状態にある。
それでも香港でフィアンセ香港支部の十年祝賀会を開くには、それ相応の理由があった。
「何か見たことある人ばっかりいるわね――何よりあの長い車。どこもかしこもリムジンばっかじゃん」
「ねぇ! あれって『レインバレーの夕陽』に出ていたシェーン・ロバートじゃない⁉ ガチもん⁉ やばっ! インスタアップしないと!」
香港空港に着いた時点でそこは既に雅紀たちにとって場違いの世界だった。
政府関連のお偉いさんに、有名企業の社長、そして、普段は画面かスクリーンの向こう側の人物であるハリウッドスターが普通に歩いている姿を見ることが出来た。
異様な光景に佳澄は身動ぎし、涼花はハリウッドスターを見つけるや否やスマホのカメラモードを起動する。しかし、すぐさま近くにいた黒服の男が射角に入り撮影の許可を下ろさなかった。涼花は黒服にシャッターを切ることは無く、変わりに舌を出して罵った。
「夫婦で来ている奴が多いな」
「宝石の類は富豪の貴婦人方の嗜みみたいな物ですからね。夫にとっては貴婦人の美しさと宝石の美しさが地位や権力の証とまで言われておる」
「分からん」
一方でお偉いさんどころか現日本総理大臣すら知ら無さそうな雅紀が、この光景に関しての知識を折川から伝授して貰っていた。しかし、全くもって効果なしのようだった。
「ところでさ。本当に大丈夫なの?」
場違いの空気に早くも圧倒されかかっていた佳澄が誰に、と言わずに問いかけた。
「安心した前。私は今、折川物産の社長で大金持ちなんだぞ? 何なら政府からの助成金で少しばかしの宝石なら見繕えるじゃろう」
「マジ⁉ 政府そこまでやってくるの⁉ なら私20カラット以上のダイヤ買って貰おう。そしてメルカリで」
「あたしが言っているのはそっちじゃないわよ。フィアンセって実質フィリップス商会の表の顔でしょ? あたしたち今から相手の懐に潜り込もうとしている訳よ? つい二日前問題起こしたばかりなのに」
折川の自信に、涼花は別の意味で興味を示す。
しかし、佳澄が懸念していたのは折川の懸念とは別の物であり、それは今から行う潜入作戦に直接響く問題であった。
「花小金井君の言う事はよく分かる。じゃがそれは真壁君にも言えることだ。彼女がどれだけ川田支店長のことを恨んでいたかは先日理解したじゃろ? そんな彼女がリスクを負うとは到底思えん」
折川の考えは憶測でしかなかったが十分な説得力があった。
実際に香港はあらゆる国から企業が集まる地帯である。それはアンノウン絡みの企業も同じであり、ここにはフィリップス商会の表向き企業フィアンセを始め、リベリオンやUWS、その他アンノウン関係企業とそれに裏で関わっている企業が軒を連ねている。
どんなに強固なセキュリティーであれ突破されてしまう昨今に、誘蛾灯の如く人が集う密集地域ではいつ情報を盗まれるか分かった物では無い。アンノウン絡みの諜報であれば最もであるのは彼らがよく理解しているはずだ。
「だから私たちも勇み足をしている場合では無い。今夜祝賀会が行われる以上、潜入しなければならない」
「そうだな。夢がそこにいるなら、行くしかない!」
「はぁ……折川さんまで……本当に大丈夫なのかしら」
すぐさま入国許可を取り、侵入すると言う強硬手段に佳澄は頭を抱えなければならなかった。
「頑張るしかないですよ佳澄パイセン。いざとなれば、いつものあれお願いしますよ。私は監視カメラ全部ハックして存分に撮影させてもらいますから!」
例え問題が起きたとしても佳澄が持つアストラル・マキナの効果を使えば簡単に戦線離脱を行うことが出来る。今回の収容違反者確保計画において真っ先にメンバー入りされただけの実力を、彼女は持ち合わせていた。
「それはあんたも一緒でしょ。涼花」
涼花も当然メンバー入り確定の人間であった。
「あんたも潜入メンバーの一人なんだから頑張るのよ」
だが、そこには大きなすれ違いがあった。
「ん?」
何か違和感を覚えた涼花は首を傾げた。涼花がおかしな点に気付くまでにさほど時間はかからなかった。
「さて。時間が無いぞ。すぐにホテルへ向かうとしよう」
佳澄の気がかりな発言が無ければ、涼花のポジションはそこだと断定していた。
「そこで着替えるとしよう」
数十分後、涼花はメンバーに選ばれたことを永遠と後悔することになる。
アンノウン129・奪われた密輸船 危険LV3
回想
10〇〇年地中海ではヨーロッパとアフリカ、アジア間の流通が盛んだった。そして、略奪者、俗に言う海賊の動きも盛んであった。
商船を狙う海賊。その海賊を追う義賊と言う名の海賊。その頃の地中海は無法地帯と化していた。
「今日も豊作だったな! アジアからの商船に当たったのは相当運がいい」
「ですねお頭! これで船も改築できるんじゃないっすか?」
小柄で無精ひげを生やした不潔な男がマストの根元を蹴った。その瞬間マストがメキメキ音を立てて傾きかけた。
「馬鹿野郎! 帰れなくなるじゃねえか!」
そんな傾きとは比べ物にならない勢いで小柄な男は筋肉隆々の大男に蹴り飛ばされた。被害者は小柄な男だが、全体から見れば小柄な男が加害者になる。
「すいやせん親分……」
「すいません。で済めば絞首台はいらねえんだよ! おい。ここから陸まで後どのくらいかかる?」
「ここからなら……ギリシャのカ――」
「問題外だ! ヨーロッパ圏はどこも警戒区域だ! アフリカを目指せ!」
「ですが……ここからですと、頑張っても十日は」
地図と太陽相手ににらめっこを続けながら語る航海士の子分の言い分に親分は舌打ちだけで返した。そして小柄な子分に断罪者の如き顔で判決を言い渡す。
「もし三日以内に辿り着けそうに無いならお前を船から叩き落とす。それが嫌なら漕いででも足掻け!」
「む、無茶なぁぁ……」
どう考えても物理的に不可能な命令に絶望を隠せない小柄な子分。マストが40度近く傾いたせいで、風の恩恵は半減となった今、残された動力源は人力のみだった。
「ん? また商船か? にしてはでかいですね」
航海士の子分が遠くに見える影に反応した。
親分は望遠鏡を取り出して影の見える方を眺めた。
そこらの商船よりも明らかに大きく、王族か富豪の船の可能性が大きかった。
しかし、王族の船の象徴である旗が掲げられておらず、後は船の上に衛兵らしき姿も無かった。それ以前に船上には人らしい姿が一つも無かった。
「何だあれは奴隷船か?」
大きさ的にはその可能性も大いにあり得た。奴隷船なら衛兵も絶対に同船しているはずだが、船上に出ていないと言うことは、内部で何か騒動でもあって応援に向かっているのだろう。と、親分は考えた。
「あれを奪うってのはどうですか? あれならすぐには沈みそうに無いですし。仮に奴隷船なら中にいる奴を釈放すれば引き込むことも出来ますぜ?」
「ほう。お前にそれだけの勇気があるのか? あんな馬鹿でかい船に喧嘩を売る覚悟があるなら、お前一人で行ってこい!」
解決の糸口を見つけた。と意気揚々に提案した子分だったが、親分はリスクの高さを警戒して接触を拒む意思を示した。
内部に何が待ち受けているか分からない恐怖か、手漕ぎでアフリカまで24時間労働するか。
どちらにしても小石を蹴る程度にあっさりと人生の終わりを迎えそうな展開に、子分は小型のボートを使って謎の商船に単独特攻することを決意した。
親分はさっさと逃げる準備をしながら、その行方を追っていた。
その結果は、意外な方向に転じた。小柄な子分はあっさりと商船に潜入。商船内にあったらしいテーブルクロスを両手で広げて手招きするように無防備で振り続けた。
その行動に、いずれあの馬鹿が潜んでいた伏兵に後ろからぐさりと刺されるだろうと、航海士の子分に近づくのはしばらく止せと合図を送る。
ざっと一分程見ていた。途中「何故来ないんですか⁉」と言わんばかりに振り続けた結果、小柄な子分は疲れ果てていた。無防備所か疲れ果てた子分が未だに攻撃されていないことを確認した親分は商船に接近する。
梯子を下ろせと命令したら良質な紐はしごが下ろされた。予想は出来ていたがかなりいい所の商船のようだ。
「やりましたぜ! この商船の中には誰もいやせん。俺たちの物ですぜ!」
「待て。そんな訳があると思うか? こんな良船が無人でどこにも接岸せずに漂う訳がないだろ。お前ら端から端まで探せ! この盲目は信用できん」
小柄な子分の言い分は一蹴され、他の子分たちによって商船内の調査が行われた。
それから僅か数分。商船内には誰もいない所では済まない結果がもたらされた。
あり得ないほどの食料。高級絹織物。狐の毛皮。後は貴族が喜びそうな貴金属の数々が見つかった。
「これだけあればしばらく食っていけますぜ!」
「妙だが、確かにそうだな」
親分は未だに不信感を抱いているも、部下たちはこの大成果にお祭り騒ぎだった。酒樽を開け、肉厚なベーコンや塩漬けの魚をつまみに、宴は絶頂期に達していた。
親分も酒樽の一つから酒を汲み、口にしてみたが今までに感じたことの無い味わいに、これが何の酒か理解する努力を諦め、酔いつぶれることにした。
古い船の破棄が決まった。
略奪した新しい船が、彼らの新しい船となり、住居となった。しばらくは仕事(強奪)をする必要性は無いほどの食料の備蓄はあった。食料が無くなるまでにアフリカ圏に移動し、そこで強奪品を密売すればいい。上手いこと売れればもう海に出る必要性すらなくなるだろう。
全てが思い通りに行くと思われていた。
事件は4日後に起こった。
「おい誰だこれ!」
「最近食料の減りが激しいと思っていたら。誰だ、女なんか連れ込んだ奴!」
木造の船内に木霊するやかましい声に胃がキリキリする親分が発生元へ地団太を踏みながら近づく。
「うるせえぞ! 女々しい声ばっか上げやがって! キャンキャン喘ぐのは犬と女だけで良いって」
親分は下品な比喩を使って扉を開けた。
が、その比喩がまさか現実になるとは思いもよらなかった。
女がいた。4日間過ごしていく中で誰とも遭遇しなかったはずの船の中に女性がいた。
それも黒人や黄色人種の奴隷じゃない。白人の、それもどちらかと言えば貴族の出のような整った顔をしている。
「何処かに隠れていやがったか。無人で船が動くわけは無いだろうし、外から入る事は不可能だ。毎日見張りはつけていたんだからな」
「どうしますか親分? 最近食料の減りが激しかったのは誰かがこいつに食いもんを与えていたに違いありませんぜ。裏切り者を早く探しちまいましょう」
「こんな細い体で、家畜の豚並みに食うと思ってるのか? もし食料が無くなってるのが事実なら、こいつ以外にも誰か息を潜めている奴が船の中に何人かいるってことだ。もう一度、今度はねずみの巣穴一つでも確認しな! 後、これは悪い事でもねえ」
親分は突然現れた白人女性に近づいて行った。
「どんだけ上手い飯と酒があったとしても味わえねえもんがあるだろ? 丁度良かったじゃねえか。黙っていた奴は許せねえが、今夜のお供を譲ってくれるってなら許しても構わねえぞ?」
親分は白人女性の顎を持ち上げ近くで顔を覗き込んだ。
陶器のような真っ白な肌にぷっくりとした唇は魅力的だった。
女は不潔な大男を前にして、何一つ身動ぎしなかった。
寧ろ、身動ぎしたのは親分の方だった。
「な、何だこいつ⁉」
女は確かに女らしかった。
その生気がない瞳以外は。
「親分、どうしたんすか? な、何だこの白目女!」
「お前! こいつをどこかにや――ぐっ! 何しやがるばけもん!」
自身の正体を知られたからか、或いは侮辱された事の腹いせか。女は大男に噛みついた。しかし、例え女が狼の遺伝子と牙を持っていたとして、海の上で常に危険と戦い続けていた大男の腕を食いちぎることは不可能だっただろう。
「俺は人魚やハーピーみたいなばけもんとやる気何かさらさらねえ! ぶっ殺してやる!」
親分は女の首を絞めにかかる。女の首の二倍近く太い親分の手にかかれば絞める前に折ることだって可能だろう。
それを実行させまい。と、襲い掛かる脅威が、親分の腕に刺さった。
「ぐわっ! 誰だ! 俺に向かって包丁投げた奴は!」
腕から血を垂れ流しながらも、親分は包丁の飛んできた方向を見た。
そこで、島の住民を皆殺しにした海賊の船長や一国の護衛隊にすら怯えを見せなかった親分の顔が一瞬にして青ざめた。
宙に浮いた皿、ナイフ、フォーク、テーブル、椅子、絵画。
何より、今までどこにいたのか、黒人の部族。東の黄色人種。西洋騎士団と言う異色の組み合わせの人間たちだった。
「や、野郎ども! こいつらを排除しろ! 早く! 早」
親分が羽交い絞めにあった。身を捩りそいつの顔を見た。
生気がない目をしていた。けど、そいつを良く知っていた。自身の部下だった。
ここで親分はようやく理解した。奪ったのは俺たちじゃない。俺たちは、奪われたのだ。




