プロローグ
少年の目に映ったのは、人ではない何か。
何かとしか捉えられないのは周りに立ち込める煙のせいか、はたまたその異形を表現する言葉がこの世には存在しないか、もしくはその両方か。
家全体に火の手が上がっている中で、少年の額には汗が流れ続けている。
皮膚をも黒焦げにしてしまいそうな高温の中ではすぐにでも気化し兼ねない雫ではあったが、少年の汗は引くことをせず、寧ろそれが氷のように冷たく感じられた。
その理由を少年は幼いながら理解していた。
目の前に転がる母であった焼けた肉塊。
そして今、異形によって持ち上げられた父親が何十、何百以上の肉塊に変わり果てた。
「お兄ちゃん! 父さんが、母さんが……」
少年の近くにいた少女が、惨劇を目の当たりにしたせいで思わず叫んでしまった。
火のオーケストラが奏でる火花に負けない声量に異形が気付かない訳も無く(寧ろ声を発しなくても気づいていた可能性もある)異形はこちらに近づいてくる。
「逃げるぞ夢!」
少年は夢と言う名の妹の手を取り、階段から下の階に降りることを決意した。2階建ての一戸住宅とは言え、窓を使っての脱出はまだ幼い兄妹にとっては命がけの行為になることは分かっていた。
しかし、今回ばかしはその判断が仇となった。
「うわっ!」
ベキッと言う音と共に、火の浸食を受け続けていた階段が遂に限界を迎え、そこに少年の体重と言う追い打ちを受けたせいで、階段は少年もろとも崩落してしまった。
熱さとは別の熱い物が体内に生成されていく感じに襲われる。突発的なアクシデントに受け身など考える余裕も無かった少年は背中から火と階段の端材の上へと転落し、身動きが取れなくなる。
「お兄ちゃん!」
吹き抜けとなった2階から夢の顔が見えた。落ちる瞬間慌てたせいで手を放したのが功を奏したか、夢は転落して怪我を負う事無く済んだ。
最も、それが済んだであり、それ以上の何物でも無かった。
少年の視界は瞼と言う闇に覆われていった。
最後に見たのは、胸部を何かに貫かれ、あり得ない量の吐血をした妹の姿だった。
◇
少年が再び目を覚ますことは無いと思われていた。
しかし、少年は再びその瞳に景色を映し出すこととなる。
真っ白な天井はあの日見た煤でくすんだ景色とは正反対の、所謂日常だった。
「! 先生! 大比田さんが目を開けました!」
少年は駆けていく白衣を着た人物を見て、ここが病室であることを理解した。
看護師が出て行ってから数秒もしないうちに医者がやってきた。
「もう少し呼吸器の方はつけておきましょう。あの大火事の中で数時間も煙を吸っていましたから肺器官が弱っていてもおかしくはありません。別の患者も彼のように回復してくれれば良いのですが……」
医者は今後の処置について看護師に説明した後、少年の病室を後にした。看護師も準備の為にすぐさま病室を後にした。
少しばかし回復した視力で周囲を見渡すが、少年以外の患者はいない。完全個室のようだ。
身体の節々に火傷と負傷による痛みが付きまとう。
その痛みが少年の記憶を鮮明に思い出される。
(何だったんだあいつは)
漠然とした記憶の中では異形の形すら思い出すことは出来ない。
寧ろそのことを思い出すたびに沸き上がる感情は、憎しみだ。
家族を全員殺した相手。何の前触れもなく平和な世界を壊した存在。
「おやおや、あれを前に生き残った人間がいるとは」
誰もいなくなったはずの部屋に声が響いたことに少年はほとんど動かない首と目を左右に動かす。
そして、いた。
面会者用と思われる丸椅子に足を組んで座る何者かは少年を舐めるように見ていた。
ただ、その人物は少年の親族でも何でもない。
寧ろこんな親族がいたとしても面会拒絶されそうな出で立ちをその男はしていた。
顔面をピエロのように真っ白に塗り、青いシルクハットに青と白の縦縞のシャツとズボン。道化師のような姿をした男はハロウィンでも無い限り公共施設に入るどころか表を歩くことさえできない。
そんな男がどうしてここに、そもそも入り口が開いた気配すら感じられなかった部屋にどうやって侵入したのか、少年にとってこの男は例の異形と同じく不思議な存在だった。
「異形みたい――そうでしょうね。私もこう見えてアンノウンですからね。組織ではアンノウン12・真実のペテンと呼ばれているそうですからね」
(真実のペテン? アンノウン?)
「分からないでしょうね。事実、表向きにはアンノウンは宇宙人やUMA同様存在しない架空の存在に見られています」
道化師、ペテンは少年の心情が読めているかのように、話すことが出来ない少年の疑問を丁寧に教えてくれる。ペテンは丸椅子から立ち上がり、少年の側へと歩み寄り、上から見下ろすように少年の瞳に映り込む。
「最も。君もここから退院する頃には私やあの化け物の存在を忘れているでしょう。エンブレムによって」
(エンブレム?)
「アンノウンを管理、研究する機密結社ですよ。今世間を賑わせている『大井戸町連続放火事件』を裏で作り上げて、アンノウンが原因であることを隠蔽する為に努力している苦労人たちのことです。君はアンノウンを見てしまい、尚且つ生きています。君はエンブレムにとっては厄介な種の一つになってしまいました」
秘密結社と呼ばれる胡散臭い存在に少年は疑問を持つも、それ以上に自身が厄介な種になっていることに不安を感じる。一体何をされるのか。そんな気持ちで頭がいっぱいになってしまった。
「別に殺される訳ではありません。記憶処理の一環を受けてしまいます」
少年の心の不安は、隠し事も何も許されないペテンによって読まれてしまう。
(記憶処理って、記憶を消されるってこと?)
どんなに努力しても無駄だし、ペテンには少年の心を逆撫でするような不快な点が無かったことから、少年は率直に質問を投げかけた。
「ご名答その通り」
だが、それもここまでだった。ペテンは少年の心を掌握し始める。
「君が知る事件の記憶は全て消されてしまいます。君の両親は放火事件で死んだ。そして妹も同様に、です。化け物何ていなかった。殺したのはそこら辺の囚人に全部なすりつけて終わりになるでしょう。君は何も知らない。化け物何て見てない。両親を惨殺されたのも、妹を目の前で殺されたことも見てないことになる。君はその時友達の家に泊まりに行っていたと記憶を書き換えられて終わりです。そう、終わりなんです」
ペテンの推測に罵声の反論をしようと試みるも、口には人工呼吸器が取り付けられ、手は痛みのせいかほとんど動かすことが出来ない。
「そうなりますよね。憎しみの相手を記憶処理で無かったことにしちゃいまーす。……なんて、自分勝手だよね。そうだよね。そんな君に僕から素敵なプレゼントを差し上げようと思いま~す」
外に漏れそうな拍手喝采、声高らかに宣言するペテンの姿に少年は疑心暗鬼になる。が、動けない以上ペテンの独断、独占演説は続く。
「君はこれから来る医者や看護師の顔を覚えておくこと。そして、一週間後今まで見たことが無い看護師男性と女性が現れるはずだから、『エンブレムの人間ですか?』と問いかけるんだ。そして、これを見せるんだ」
ペテンは助言をした後、一斗缶位の大きさの奇妙な箱を何にもない場所から突然取り出した。
見た目は正方形の箱であり少年が見える方向からは木製の取っ手のついた引き出しが二つついている。田舎にならまだありそうな木製の衣装棚を小さくした見た目をしている。
「若い割に妙なことを知ってるね。でもね、僕が持っている物はそこら辺で量産した物でも伝統の品でも無い。これは僕と同じ、そして――君の家族を襲ったアンノウンと同じ存在だ」
同じ。
その言葉を聞いた瞬間少年の中にあった怒りが別の方向にも進路を広げることになる。
「おっとっと。確かに僕もアンノウン。ただ、君にとっては悪い存在じゃ――今のところは無いよ。アンノウンは危険であるのと有用性があるもの、そして、有用性はあるけど危険性も伴う種類があるんだよ。君が会ったのは徹底的な危険性のみを孕んだ一種。そして僕たちは有用性があるけど、扱いには慎重性がいる部類だ。その代わり、君にとって悪い事ばかりではない」
僕たちは悪いアンノウンではないと説明をしてくるが、見た目が悪徳商法の黒服以上に胡散臭いから有用性、危険性以前に信用性が問題視される。少年は疑惑の目を更に深めることになるが、そんなことなどどうでもよくなる一言で、少年は落とされた。
「この有能性を使えばあの化け物にさえ対立することが出来る。それに、これを持っていればエンブレムも君の記憶処理を強行することは無くなるでしょう。寧ろ君の、君がこれから行う選択次第では君の存在を放っておくわけにはいかなくなるでしょう」
そう述べてから箱を差し出す。選択次第。つまり少年がそれを受け取ることか受け取らないかによって少年の未来は変わる。
全てを忘れる。
復讐に走る。
少年の答えは決まっていた。
それを事前に知っていたかのようにペテンは箱を少年に預けた。
箱は少年の中に溶け込むかのように入っていった。
それからちょうど一週間後、ペテンの予言通りエンブレムの人間が現れ、少年――大比田雅紀の生涯はアンノウン絡みに染まっていった。
アンノウン12・真実のペテン 危険LV?
調査報告
真実のペテンは全長180センチほどの人型であり、道化師のような見た目をしたアンノウンであり、人語を理解し、なおかつ喋ることも出来る。
アンノウン12に関する記録は少ない。それはアンノウン12の出現条件と大きく関わっていて、彼は対象が一人の時にしか現れない。その対象にも基準があるらしく、誰のもとにでも現れる訳ではなく、都市伝説のようにまじないや儀式などの出現を促す術も存在しない。
数少ないアンノウン12に出会った人物の話によると、アンノウン12は未来に起きる出来事の助言をしてくれるそうで、その助言どおりに動いていれば必ず良いことが起きていた。話し方はかなりフランクで軽いジョークも交えることがあり、何一つ危険のない存在に見える。
しかし、対象に与える助言は徐々に変化していき、最終的――――これ以上は何者かによって削除されている。