ショートコメディ『人塵くん』
教室は、今日も人混みだ。人混みで、息をするのが苦しくなる。誰か、私のことを見ているような気がする。気のせいだろうか。否、文字通り『気』のせいだろう。気のせいにすれば、丸く収まる。対人関係に角が立たない。気のせいだ。気のせい気のせい。
だって、彼らは私のことなど人混みの中の一人だとしか認識していないからだ。いや、彼らではなく、彼とした方が正確だろう。
彼は、彼らみたいなのではあったし、彼も、人混みみたいなものだ。その概念の中の一個体でしかない。
彼の名前は、人塵だ。今も、そこで、笑っているのか、笑っていないのか、わからない表情をしている。表情筋も、ここまで歪な形ができるものなのだな、と興味深い。人は、塵のように、生きていた。
彼は、私のことなど気にもかけないで、なにかをしていた。なぜ、そんなことをしているのか、彼自身も、よくわかっていないみたいだった。ただ、そこで、そうしないと、さみしいから、そうしてるような感じだった。
私も人塵くんと、同じかもしれない。さみしいから、こうしてる。こうしている間は、さみしくないような感覚があるから、それを続けているのだ。コロニーをつくって、仲良くしている生命体。
彼に話しかけてみようか。なぜ。何のために。そんなことを考える。話してみたら、もっと、さみしくなるかもしれない。意気投合して、仲良くなれるかもしれない。そんなの、わからない。
でも、話してみよう。話しをして、嫌われよう。そしたら、それ以上に、次は好かれるようになるはずだから。そしたら、次は、もっと、嫌われよう。その繰り返しだ。
まずは、この言葉から始めよう。いつもの台詞だ。もう聞き飽きたなんて言わせない。私は、だって、これしか、挨拶の仕方がわからないのだ。
今日も、根暗で、気弱で、内気な性格の私は――
「人屑くん、おはよう!! 今日もいい小春日和だね!!」
彼は、いきなりの声で咄嗟に反応できなかったみたいだ。定まらない視線の動きから察するに、私のことを探すのに難儀してる様子。窓辺から日光が差し込み、そこから穏やかなそよ風が入ってくる。視線は、まだ合わない。
人混みの中で、私を見つけるには、まだ、時間がかかりそうだった。それくらい、私は人混みの中で埋没しているみたいだ。私は、誰にでもなれるし、代わりはいくらでもいる代用品。
人と人との関係。その人混み。ほら。今日もその子があの子を見下してる。ふざけている。同調してる。静かに座っている。そんな雑踏の最中。黒板がある教壇の前で、彼は、見下ろしている。クラスメイトを、見下ろしている。そして、やっと、見つけた。目の先と、目の先が交差するように、私は向き合った、ように見えたが違った。
「人が人混みのようだ。よく見えない」
そう言って、沈黙した。どうやら、私はその他大勢のままのようだ。挨拶が返ってくることはなかった。
やがて「あ、いた」と声がして目が合う。
「〇〇さんおはよう。そうだ。今日もいい小春日和なのだ。誰がなんと言おうと、そうなのだ」
私は、嬉しい心地に浸った。彼がそう言うのなら、きっと、今日もいい小春日和なのだ。