閑話8、白井透矢(26)、月白優香(29)、狩野吾朗(56)の場合。
短めの三話分を詰め込みました。
ひろたひかる様、白虹様、かのひ様
モブキャラ募集企画、ご参加ありがとうございます。
酢の香りが染み付いた店内を、丁寧に掃除していく。
閉店後に床清掃はしてあるから、朝は食材を使う場所を重点的に磨いていく。
白井透矢(26)は、寿司職人になってから日が浅い。いや、正確には店に入ってから五年以上なのだが、寿司を握れば握るほどに自分の足りない部分が浮き出てくるのだ。
大将と呼ばれ師匠でもある父は「それが成長だ。励めよ」と言ってくれて、ホッとしたのは去年の話だ。正直向いてないんじゃないかと、辞めようとも思うくらい悩んでいたのだ。
そうはいっても、早々前向きに明るくなれるわけでもなく、基本の掃除、道具の手入れなどを丁寧にこなしていった。
父親は仕入れの為に市場に行っている。いつもはついていくのだが、今日は「一人でやらせてくれ」と頭を下げてきたのだ。
特に断るつもりはなかった透矢が慌てていると、「今日は大事な客が来る。俺の都合ですまん」と言う。構わないと言うと「ありがとうな。だから今日は卵焼きを頼んだぞ」と続けて言われた時、一瞬何を言われたのか理解できなかった。
うちの店の卵焼きは、代々大将だけが作っている。
大将が不在なら卵焼きを出さないくらいに、こだわりを持ってお客様に出している一品だ。
「父さん、俺にはまだ無理だ」
透矢は自分のダメな部分をやっと自覚して、一からやり直そうと思っていた矢先に、まさかそんな大仕事を任されるとは思ってもみなかった。
「無理どうかは客が決める。開店前に俺の客が来るから、注文されたら出せるように作っとけ」
そのまま魚の処理を始める父親を恨めしげに見つつ、透矢は出汁を作り始めるのであった。
「大将、久しぶりだね」
「イソヤの旦那、今日はありがとうございます!」
透矢が入り口に目を向けると、暖簾をくぐる男性と、その息子らしき人が入ってきた。
イソヤと呼ばれた壮年の男性は、品の良いスーツ姿に程よい筋肉が付いているであろう体と、さぞかし昔はモテたであろう整った顔立ちをしている。
そしてイソヤの面差しに似た青年は、ハッとするくらい美しく整った顔に、柔らかな長めの黒髪が頬にかかると男でも虜にするような色香を放っていた。
(こんな綺麗な男もいるんだな……ん? どっかで見たような?)
「この度は、息子さんの芸能界デビューおめでとうございます」
「芸能界……あ! この前雑誌に載ってたミロクってモデル!」
「透矢!!」
「あはは、良いんですよ。俺の事を知っててくれて嬉しいです」
父親に怒鳴られた透矢に、青年…ミロクは柔らかく微笑む。思わず顔を赤くする透矢に、父親は「早く作れ」と苦笑して言った。
卵焼き専用の型に流し込んでいくと、ジュワッと黄色が広がっていく。店内には出汁の良い香りと卵の焼ける香りが広がり、イソヤとミロクの顔は綻ぶ。
温かいまま食べたいという客の要望に、普段は寝かせてから出す卵焼きを焼きたてのまま切って出す。
イソヤとミロクは早速一口頬張ると、幸せそうにヘニャリと顔を緩めた。
「うん。なるほどね」
「うん、うん」
透矢は俯いたまま無言だ。美味しいという言葉はない。
それは当たり前だろう。こんなのまだ客に出すような出来じゃない。
意を決して謝ろうとする透矢に、ミロクは「次に来た時も君に頼むよ」と言った。
思わず顔を上げる。
この人何言ってるんだ?……と。
「この卵焼きにお金を払うと俺は損をする。だから次も頼む。俺が得したなって思うくらい美味しいの食べさせてもらえるまで。俺はここに来たら必ず君の卵焼きを注文するからね」
その綺麗な笑顔を間近で見れるチャンスを、透矢は棒に振ってしまう。
ぼんやり霞む視界の向こうに向かって「いつか泣きながら美味いと言わせてやる!」と心で叫ぶ透矢だった。
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「いってくるよ」
「いってらっしゃい」
いつものやり取り、いつもの景色、そして……いつもの優しさ。
月白優香(29)は仕事に行く夫を見送ると、小さくため息を吐いた。
夫は優しい。四十路を越えた彼は、役職にも就いているし収入も多い。優香は働くことなく養われている。
そして、彼は優香を心から愛している。溺愛していると言ってもいい。
「優しくて、頼れて、何が不満なのかしらね」
まるで自分を責めるかのような独り言を言い、何の気なしに夫が読んでいた雑誌に手を伸ばす。
「……!?」
いつも夫が見ている、メンズファッション雑誌だ。それなのに見出しが少しおかしい。
「アラフォーアイドルの色香、彼らのデビューを祝ってスーツ特集?」
アイドルで、アラフォーで、デビュー?
ページをめくると、惹きつけられる表情とスタイルの良い三人の男性。
十代のアイドルには無い完成された筋肉を彼らに似合うスーツで覆い、ボタンを外すのを今か今かとと待っているかのような色気剥き出しの表情。
カメラに向けているであろう目線は、まるで優香を口説こうとするかのように、捕らえて離さない。
「すごい……ミロク、ヨイチ、シジュ……何このイケメン達。え? アラフォーなの?」
特に一番年上のヨイチに優香は惹かれていた。
夫と同じ歳で、このスタイル。最近筋肉が衰えてきた夫とは大違いだ。
アッシュグレーの髪を綺麗に整え、切れ長の目が和の雰囲気を醸し出している。きっと着物も似合うだろう。
「ア、アイドルってことは、い、色々、グッズとか、あ、あるのよね? ね?」
誰に問いかけているのであろうか、優香は夫の部屋に置いてあるデスクトップのパソコンを起動させ、ネットサーフィン、SNSのリアルタイム検索をする。その間約一分三十三秒。
「……何ですって! 隣の駅の商店街に出没多し!? 早速行かなきゃ!!」
人妻優香はアグレッシブな行動をする女性であった。
「……普通の商店街よねぇ」
ネットの情報では、アラフォーアイドル344(ミヨシ)御用達の店が多くあり、本人達も来たりなんだりムフフとの事だ。ムフフとは何かというと、ネットにそう記載されていたのだ。
「とりあえず本屋で344関連の雑誌とか探しちゃおうかしらん」
小さいながらも品揃えの良さそうな本屋に入ると、がっつり店頭にラノベコーナーが出来上がっている。
流行っているのかもしれないが、揃えすぎだろうと優香は目線をそこに向けると『ミロク王子、夏の三十六選!』と大きく書かれた垂れ幕があった。
「ミロク……王子?」
「はい、何ですか?」
不意に隣に立っていた男性が、優香の独り言に反応してきた。思わず手に取った本を落としそうになり、慌ててひっくり返りそうになっていると、その男性がグイッと優香の腰を引き寄せる。
「ひゃっ!」
「おっと、大丈夫ですか?」
落としそうになった本も優香の手と一緒に握り、その男性は整った顔に微笑を浮かべる。
そしてその手に持っている本を見ると「これ、面白いですよ」と耳元で囁き、去って行った。優香は耳を押さえてしばし呆然としていると、店の奥から二人の男性が出てくる。
「あちゃー、またうちの王子がやらかしたか?」
「ええと、君、大丈夫かな?」
ぼんやりとしている優香を心配する男性の声に、彼女は思わず振り向く。そして彼らの顔を真正面から見てしまった。
「あ……ああ……」
「これヤバくね? 俺ちょっと飲み物買ってくっから、オッサンは彼女についててやれ」
「分かった。……君、大丈夫?」
アッシュグレーの前髪を書き上げて、切れ長な目に優香を気遣う色を浮かべているヨイチ。自分の夫と同じ年齢とは思えないその姿に、優香はもう失神寸前だ。
気がつくと、ペットボトルのお茶を持って電車に乗っていた。
喉が乾いていることに気づき、持っていたお茶をごくごくと飲む。味はよく分からない。
ラベルを見ると「すっきりセンブリ茶」とあった。苦くも渋くもない。そんな馬鹿なと、少し笑った。
「優香!」
地元の駅に着くと、仕事帰りの夫と偶然にも会えた。
夫の優しげな笑顔に安心する自分。やっぱり夫と結婚して良かったと、心がホンワカするのを感じた。
(……でも、344のDVDは買おう)
懲りない人妻優香であった。
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その日、狩野吾朗(56)は不機嫌だった。
子供は成人して家にはいない。まだアラフォーで若々しい妻の尋と、夫婦の時間をゆっくりと過ごそうと思っていたのに、気づいたら妻は『アイドル』にハマっていた。
男三人のユニット、『344(ミヨシ)』だ。
しかも、アラフォーアイドルのくせに新人だと言う。一体何なんだ。訳が分からない。
妻が「ミロク君可愛い!応援しなきゃ!」とウキウキで言う度に、表では笑顔で頷く吾朗は、裏でイライラを募らせて低反発枕を殴るという日々を送っていた。
「ねぇ、今度イベントがあるんだけど、一緒に行かない?」
ある日、妻が吾朗に放った言葉は、彼を奈落へと突き落とすものであった。
なぜだ……なぜ妻はそのアイドルの追っかけに、自分を付き合わせようとするのだ……
吾朗は「仕事だから」と言ったが、その日の妻はなぜか執拗に誘ってくる。
(まぁ、一度くらいなら良いか)
吾朗がついそう思ってしまったのは、妻のしつこさと、アイドルに夢中になってからの妻が異様に肌つやがよくなり、色気のようなものまで発するようになった為である。
(見せてもらおうじゃないか)
同じ男として負けられない戦いがあると、吾朗は相変わらずの穏やかな雰囲気の裏で、闘志を燃え上がらせるのであった……
「旦那さんですか。嬉しいですね。来ていただいてありがとうございます」
まるで春の日差しのような温かい笑顔。整った顔には嫌味は一切なく、吾朗とその妻に向けて真摯に対応してくれていた。
自分の隣にいる妻は顔を真っ赤にして、なぜかハンカチで鼻を押さえており「献血行ったのになぁ」と言っている。
「楽しんでいってくださいね」
「はい!!」
会場入りする344メンバーの入り待ちをする妻に付き合っていると、若い男に声をかけられる。
どうやら妻は頻繁に追っかけをしているらしく、344のメインボーカル・ミロクに顔を覚えられているようだった。
確かに好きな事をしろと言ったが、そうじゃない。そういう事じゃないんだ。
吾朗は複雑な気持ちでため息をついた。
会場の席に着くと、女性だけじゃなく男子も半々程いるのに驚く。後方には品の良いお年寄りたちが横断幕を用意している。
わざわざ最後列で用意しているところが、他のファンに気遣っているのだろうと思い妙に温かい気持ちになる。
「始まるよ。楽しみだね」
「あ、ああ」
会場内が暗くなり、歓声の中ライトアップされたアラフォー……とは思えない、若々しい歌とダンスに、吾朗は不覚にも魅入られてしまった。
ボーカルを追いかけるように、コーラスの二人は追いかけ、ハモって響かせていく。
皮膚が粟立つような演出を加え、彼らが動くたびに煌めく汗でさえ、キラキラとその舞台に一役買っているかのようだった。
そうか、妻はこれを見せたかったのか。
(こういう時間の共有も、悪くないかもな……)
ふと、メインボーカルのミロクががこちらの方を見て、指先を唇に当て、手をこちらに伸ばした。
投げキッスだと認識した時にはも遅く、隣から「んぐぅ!」という謎のうめき声が……
「おい、おい! 尋!?」
顔を真っ赤にしてハンカチを赤く染めた妻は、ふにゃっとなって座っていた。
前言撤回。
(344のミロクは、気に食わん!!)
吾朗は不機嫌そうにしながらも、妻が言うならもう一回くらいなら一緒に行っても良いかなと、少しだけ思うのであった。
お読みいただき、ありがとうございます。
ひろた先生……なぜ、なぜに寿司職人……流石です( ;´Д`)




