279、大人の時間と二人の変化。
だいぶお待たせしまして……
なかなかトイレから戻らないシジュを心配していたミロク達は、連絡を受けて驚く。
「それで? ニナは無事なんですよね?」
「落ち着いてミロク君、フミの泊まる部屋に案内したってことだから大丈夫だよ」
「ニナさんのことはお任せください! まだ時間も早いですし、プチ女子会をしてきますよ!」
笑顔でニナのことを受け入れるフミの優しさに、ミロクは蕩けるような笑みで返しながらも多量のフェロモンを振りまく。少し酔っているせいか色気がかなり増しているようだ。恐ろしい。
フェロモン爆撃を受けながらも気力で持ち直したフミがタクシーに乗るのを見守り、シジュに指定されたバーへと向かうミロクとヨイチ。
「明日は一度東京に戻ってラジオの収録をして、それから名古屋ですよね」
「東京の公演は佐藤さんや学生のダンスチームも加わるからね。事前に合同練習する時間が少ないけど、振り付けは簡単だしなんとかなるかな」
「ふふ、まさか佐藤さんとライブに出るなんて思ってなかったですけど、なんだか楽しみになってきました」
夜の大阪の街、のんびりと歩きながらも会話の内容はもちろんライブのことだ。彼らが真面目なのもあるが、やはり根底には「自分たちが楽しむことでたくさんの人を楽しませたい」というのがあるからだろう。
「オッサン、ミロク、こっちだこっち」
「シジュさん!」
「へぇ、本当に隠れ家って感じなんだね」
革張りのソファーとオレンジのランプ、壁一面に並ぶブランデーのボトルと静かに流れるクラシックなジャズ。小さなバーカウンターが備え付けてある一室に通されたオッサン達三人。ヨイチは置いてあるボトルの銘柄に笑みを浮かべ、ミロクは目をキラキラさせている。
「シジュの知り合いは、なかなかの御仁とみたよ」
「すごいです! 大人の空間って感じですね!」
「俺も不思議なんだよな。なんで色々知ってるのか聞いたら『ドワーフなので』って言われるから、もう俺の中でそういうことにしといた」
「ドワーフさん、すごいです!」
タバコやめてなきゃ葉巻が吸いたいと騒いでいたシジュは、ヨイチといくつかウィスキーを飲み比べしてご満悦だ。
頬を染めたバーテンダーが色鮮やかな紫色の液体が入ったグラスを差し出す。ミロクをイメージしたというそのカクテルは「バイオレット・レディ」だ。
「おい、これって……いや、何でもねぇ……」
「香る色気を表現したってところかな?」
「すごく甘く香りますね。美味しいです!」
ニコニコ顔で飲むミロクを、ヨイチとシジュは微妙な表情で見ていた。
翌朝、ニナも午前中に東京へ帰るということで、ミロク達も同じ新幹線に乗る……と、シジュが手際よくチケットの変更をしていた。彼にしては珍しい行動だ。
「また変なのがいるかもしれねぇだろが」
「子供じゃないんだから大丈夫だと思うけど……いや、なんでもないよ」
不機嫌そうなシジュにヨイチは苦笑してミロクとフミに声をかける。
「お土産とかは大丈夫? 生ものなら配送を頼まないとだから、新幹線の時間に間に合うものなら買ってもいいよ」
「限定のお菓子買ったので大丈夫ですヨイチさん!」
「ミロクさん、これ、まさか自分用とかじゃないですよね?」
「ち、違うよ、配るやつだよ」
的確なフミのツッコミにミロクは目を逸らして言い訳をしていたが、『344』の専属トレーナーであるシジュは聞き逃さなかった。
「ミロク、帰ったら即トレーニングに入るぞ。ラジオまで時間があるだろ」
「そんなぁ!」
情けない声を出すミロクの持っているお菓子の袋をシジュは容赦なく取り上げる。しかしその中のいくつかを渡しているところが、弟に対して甘い兄であった。
「ヨイチさん、色々とありがとうございます」
「ああ、ニナちゃん。昨日は大変だったみたいだけど、お店の人は大丈夫そう?」
「昨日の夜、ホテルから女性スタッフに連絡はしてます。知り合いに世話になるので朝イチで帰りますって」
「お疲れ様だね」
「はい……同じ店の人だからって、少し油断してました。普段はもっと上手くやれるんですけど」
そう言って微笑むニナにヨイチは複雑な感情を抱く。ここで何か言うべきなのだろうと思う彼だが、明らかに自分の役目ではない。
「上手くやる必要はないと思うけどね。そこら辺は今度プロに聞いてみるといいよ」
「プロ、ですか?」
こてりと首を傾げるニナに、ヨイチは意味ありげに微笑むのだった。
そして二人席にいる男女は、お互いそっぽを向いたまま座っている。
「……ねぇ、ひとつだけ言っていい?」
「……んだよ」
「そのシャツ、ガラの悪い輩にしか見えないんですけど」
「ほっとけよ」
シンプルな白いシャツに黒のパンツスタイルというニナに対し、隣のシジュは相変わらずサングラスに、なぜか鯉の刺繍の入ったTシャツにジーンズという姿だ。日に焼けた肌との相乗効果?で、どこからどう見てもガラの悪いオッサンである。
「まぁ、全身ウニクロで揃えてる兄もどうかと思いますけど」
「アイツ好きだよなぁ。たまに違うの着てると思ったら、スタイリストさんがくれたとか言ってるやつだし」
「もったいない……」
「本命が気にしてないからいいんじゃねぇの? アイツが着てればウニクロに見えないし、むしろウニクロのモデルかっつーくらい似合ってるしな」
兄のミロクを中心にすれば会話は途切れない。当の本人はフミの肩に頭をのせて寝ており、ポワポワ頭の小動物女子は真っ赤になって震えている。通路を挟んだ向こうの席にいるヨイチはノートパソコンを取り出し仕事をしていた。
窓の外を見たまま視線を動かさないニナを、シジュは眩しげに見ると一枚のメモを彼女の手に持たせる。手の中にある数字の羅列を見たニナは眉をしかめる。
「何これ?」
「持っとけ」
「いらないです」
「頼むから」
少し掠れたその声に、ビクリと体を震わせたニナは再び窓の外を見る。
「……ありがと」
その耳が赤くなっているのを見て、シジュは安堵のため息を吐く。そして、彼は自分の心が変化したことに気づく。
彼女に自分を見て欲しいと、確かにそう思ったのだ。
お読みいただき、ありがとうございます。
隠れ家なバーは本当にあって、素敵な思い出をふわっと描かせていただきました。
さすがドワーフさんだなって思いました。
コミカライズ版のオッサンアイドル……公開日の確定までしばらくお待ちくださいませ。




