閑話4、渋谷譲治(68)の場合。
モブ企画参加、雪白紅葉(邪神官)様『渋谷譲治キャラ設定』考案いただき、ありがとうございます!
泥のついた長靴を置くと、いつもの通り農具の手入れをする。
いつもと同じ、いつもの仕事。そこに温かく自分を迎える声が無くなったのが二年前の事。
「ただいま」
誰もいない家の中響く声に寂しさを感じるものの、これからの時間を楽しみにしている自分には些細な感情である。
渋谷譲治(68)、妻に先立たれ、子供は独立しているため一人暮らし。
農園を持つ彼は日々農作業に追われているが、基本仕事は若い者に任せているた為、彼の自由な時間は多い。
そんな譲治の楽しみは、とあるビルの裏手にあるバーに一日一回行くことだ。
風呂に入り、白いシャツに夏用のスーツを取り出す。ハットとステッキを身につけると『英国紳士』的な雰囲気の自分になる。
「いってくる」
生前の妻の喜んだ声が聞こえたような気がした。譲治は微かに微笑むと、そっと左肘を外側に向ける。
今日はいつもよりゆっくり行く事にしようと、彼はいつものルートで向かった。
駅前の商店街は夕方の活気に満ちている。
総菜屋は一品増やしてもらおうと副菜を多く置き、弁当屋は独身をターゲットにワンコインの弁当を多く置く。
その中をカツカツと靴音高く、英国紳士は歩いている。
ある意味名物になりつつある譲治は、喧騒の中を歩く姿を見ると「もうすぐ七時だな」と皆が知る。
実は今日に限っては少し遅めに歩いていたため、すでに七時を回っていたが、それを知らない人達が時計を見て焦っていたのはまた別の話だ。
路地に入り、雑貨店の並ぶ道を歩いていると、目立つ双子の兄妹がテラス席でぼんやりしてるのが見える。いつも譲治に挨拶してくれる兄の方も、惚けたような顔で頬を赤らめて座っていた。
(何か良い事があったのかな)
兄妹は揃って嬉しそうな顔をしていたので、悪いことでないのなら善きかなと、譲治はそのまま先に見えるビルの裏手に入っていった。
ここら辺の人間でも知る人ぞ知る、隠れ家的なバー。
若者客が少なく、しっとりとした雰囲気の中ゆっくり飲める、なかなか貴重な店だ。
窓の無い壁にドア一枚の入り口に足を踏み入れると、今日はビックバンドジャズではなく、ピアノソロのジャズだ。
聞いたことはないが心地よいフレーズに、譲治はにっこり笑ってマスターに「いつもの」と声をかけた。
店の奥にあるアップライトピアノには、すらりとした男性が座っている。どうやら今日は「当たり」の日だったようだ。
ピアノを弾く彼の近くの席には二人の男性が座っていた。
(良い筋肉をしているな。うちに欲しいくらいだ)
勝手に農業をさせる想像をしつつ、ピアノに耳を傾けていると、メロディを弾く右手を和音に変える。
(弾き語り?彼は歌も歌うのか)
心地よいテノールが店の中を満たしていく。
それにしても聞いたことはないが、なぜか心を浮き立たせる曲だなと思っていると、どうやら弾き終えたらしく男性は連れらしき二人に並ぶように座った。
「ミロク君、今の曲は何だい?」
「俺知ってる。ケッカイなんとかのエンディングだろ」
「さすがシジュさんですね。これ女性に人気なアニメでしたから」
「お前、俺を女好きみてぇに言うなよ……」
「え?褒めただけですよ?ねぇヨイチさん」
「シジュ、天然王子につっかかるな」
「そうだった。悪い」
「王子はやめてください!」
仲の良さそうな三人を見てほのぼのとしていると、マスターが譲治の好きなモルトウイスキーと塩辛を出される。
「今日は賑やかで良いね」
「そこのビルの方達なのですよ」
マスターと話していると、ミロクと呼ばれたピアノを弾いていた男性がこちらを向く。
「すみません騒がしくて」
「いや、たまには良いよ。ピアノも良かったよ」
「ありがとうございます」
ニコリと笑った彼を見た譲治は、その顔を見て驚く。整った顔に惹きつけられる瞳。最近たまたま見た雑誌に出ていた男性とよく似ていたのだ。
「君、雑誌に……」
言うつもりは無かったのに、つい言葉に出してしまった。彼…ミロクは気を悪くすることもなく、笑顔を深めて頷いた。
「そうなんです。ありがたい事に最近モデルとして活動させてもらってます」
ヨイチさんとシジュさんに助けられて……と、側にいる二人に話を振り、二人も譲治に笑顔で会釈する。
「そうだ、せっかくですから、俺何か弾きます。リクエストとかありますか?……といっても、俺の弾ける曲は限られているんですけど」
「そうか、ならせっかくだからお願いしようか。曲は君にお任せするよ」
たぶん、自分の知る曲は彼は知らないだろう。譲治は彼が弾くなら何でも良いと思った。
ミロクはしばらく考えていたが、コクリと頷くとピアノの前に座って鍵盤に手を置く。
ドレミ♭から始まる曲。
スローテンポで和音を刻むと、合間に高音を飾る。
「ムーンライト・セレナーデ……か」
妻の好きだった曲だった。
偶然なのだろうが、今日の自分にはピッタリの曲で、自然と笑みが溢れた。
(今日が良い日だったのは、この曲を聴けたのは、君を連れてきたからだろうか)
ピアノの音は優しく響いている。
譲治は意識して少し外側に出している左肘に目をやると、そこに温かさを感じた気がした。
閑話はこれで終了です。次回から本編です。
またモブ参加募集するかもしれません、ご興味のある方はご参加いただけると嬉しいです。
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