161、トレーニングしても鍛えられない部分。
傾斜のついた台の先にある棒に足をかけて、腹筋運動を繰り返す。起き上がった時に、交互に左右の肘を膝に付けるようにし、わき腹を意識してのトレーニングだ。
平日昼間のスポーツジムは人も少なく器具の使用を待つ必要もない為、ミロクはこの時間帯を好んで利用している。トレーナー達も慣れたもので、シジュがいなくてもどのような体作りをすべきか、ミロクへのアドバイスは適切である。
だがしかし、腹筋に力を入れ上半身を起こす際に出る吐息、汗ばんで火照った肌はわずかにピンクに染まり、その整った顔にかかる黒髪を鬱陶しそうにかき上げる仕草でさえ周りの人間を魅了する。慣れているトレーナー達は直視しないように遠巻きに見ているが、今日は特に酷い。色気が酷すぎる。
そんな周りの人達の葛藤に気づく事なく、ミロクは機嫌よく筋トレをこなす。
(フミちゃんあの時、俺を「渡さない!」とか言ってくれちゃって……)
その発言に関して特にフミと話していないミロクだが、あの時彼女は確かに嫉妬してくれていたはずだ。美少女の奇行のせいで諸々流されてしまったが、彼の記憶にはフミの可愛らしい勇姿がしっかりと残っている。
気がつくと緩む顔を意識して引き締めつつ水を飲んでいると、綺麗なアルトのトーンで声をかけられる。
「ミロク、お疲れ様」
「姉さん珍しいね。こんな早い時間に」
「土日出張だったから今日は代休をとったのよ。お母さんからここにいるって聞いたから」
「そっか。まぁ運動は大事だよね」
「この前あなた達と踊って、体力不足を思い知ったからね」
ランニングマシーンに乗る姉ミハチの隣で、ミロクも緩やかなペースで付き合う事にする。ガラス張りになって外が見えるようになっているこの場所は、室内とは思えない開放感を感じられる。
「それにしてもミロクはアクティブな職業についてるはずなのに、室内でトレーニングなんて……外でランニングとか考えないの?」
「俺の本性引きこもりだからね。屋根のあるところでじゃないと運動したくない。それに外歩くだけで注目される事が多くなってきたんだ」
「ああ、そういえばそうだったわね。忘れてたわ」
楽しげに笑うミハチも、弟ミロクの事を笑えないだろう。外を歩けば異性に注目されるし、このスポーツジムでの人気も高い。言いよる人間が少ないのは、ひとえにヨイチが裏で動いているおかげ(?)である。
サイバーチームの私的流用は社長だから許されるんだろうなと、内心思いながら走っていたミロクだが、マシーンを止めてミハチに「電話してくる」と声をかけてからトレーニングルームを出て行く。
そのまま靴を履き替えジャージのまま外に出ると、刺すような冷たい空気に汗が冷えるのも構わずに走り出す。
「ヨイチさん!」
「ああ、ミロク君か」
「何やってるんですか!」
「いや、また僕の上腕二頭筋にね……」
スーツ姿のヨイチの腕にしがみつく季節外れの蝉……ではなく、美少女の須藤美海。ミロクは珍しくもヨイチを鋭い目で睨みつける。そんな彼の様子に驚くヨイチは、次の言葉に顔を青ざめさせる。
「今トレーニングルームに姉さんがいるんですよ! 窓から見えて慌てて走ってきました!」
「ミロク君、目がいいね」
「それよりも君は学校じゃないの?」
「今日は休みなのです。社会勉強のため如月社長についてきています」
「だからって、くっつく必要ないでしょ」
「すみません。つい」
そそと離れる美海の姿に、ふとミロクは疑問を感じる。
「そう言えば昨日、スタジオで会った時に俺を避けるような感じだったけど、男性が苦手とかじゃないんだ?」
「あの時は、役に入っていたので……内気なメガネ女子高校生という役でしたから」
無表情のまま淡々と話す美海はミロクを真っ直ぐ見ている。そういえばそんな事を言ってたなと思い出したミロクは、ヨイチと美海の後ろの存在に気づいて体が固まる。
「仲、良いのね」
その心地よいアルトの声に顔を赤らめる周囲の男達に反し、ヨイチの顔面は蒼白と化す。
ギギギと油切れのロボットのような動きで振り返ると、ヨイチの目に入るのは愛しい恋人の姿。
「あ、あの、どこから」
「どこって、何かしら」
「こ、この子はプロデューサーから預かっているんだよ。色々あってね」
「そう。預かっている女の子って、腕にしがみつかせるものなのね。初めて知ったわ」
「姉さん、ヨイチさんは……」
「ミロクは黙ってなさい」
「……はい」
ごめんヨイチさんというミロクのアイコンタクトに、全てを諦めたような笑顔で返すヨイチ。そんな美男二名と美女一名を、じっくり見ている女子高校生が一名。カオスである。
「まぁいいわ。私トレーニングに戻るから。じゃあね」
「ミハチさん!」
「お仕事中でしょ」
艶やかに微笑むミハチの美しさに、息を飲むヨイチは足を止める。確かに彼は他社との打ち合わせで移動中だった。こういう些末事で大事な仕事を投げ出すことを、彼女はとても嫌っている。
そのまま歩き去っていくミハチを、引きとめようとした手を降ろし俯くヨイチ。そんな彼の様子に非難がましい目を向けてから、ミロクは姉を追いかける。
「姉さん。分かっているんでしょ?」
「分かっているわよ」
「ヨイチさん気にしてたよ」
「そうでしょうね」
「姉さん!」
歩き続けるミハチの肩を掴み強引に振り返らせるミロクだったが、その瞬間激しく後悔した。笑顔の姉。その笑顔の奥にある感情を見てしまったことにミロクは後悔したのだ。
「ごめん、姉さん」
「変なミロク。何もないのに謝るなんて」
「でも……」
「そりゃね、あんな可愛い子を腕にしがみつかせていたのは、良い気持ちじゃないわよ。でも、やっぱり若いっていうのは強いの。それだけで」
「あんな子、姉さんの足元にも及ばないよ」
「ふふ、ありがとうミロク」
ミロクにも分かる。フミに近づく同年代の異性に対し、自分に湧き上がる感情は嫉妬よりも強い憧憬だ。そして年齢的に釣り合っているはずのミハチだが、仕事以外で接する若い女性には一歩引く癖がついていた。
「面倒くさい女よね。私って」
「そこが可愛い所だけどね!」
不意にひょいと抱え上げられたミハチの口から「ぐえっ」という美人らしからぬ音が聞こえたきがするが、そんな彼女の姿でさえも愛おしそうに見て微笑むヨイチ。その後ろには申し訳なさそうな顔の美海がいる。
「さ、今日はもう仕事終了! 出かけるよミハチさん!」
「え、だって仕事って……うぎゅおっ」
ミハチを抱え直すヨイチは、反論しようとする彼女の鳩尾に圧をかけてやる。問答無用というやつだろう。
「ミロク王子、これ」
おずおず美海が差し出してきたメモには、予定を明日にしてもらった打ち合わせ相手の電話番号が書いてある。その会社名を見て「普段着でも平気かな」と呟く。
「あの、明日になったのですから、行かなくても……」
「だったらヨイチさんがメモを俺に渡さないと思うよ。とりあえず電話してみてからだけどね」
「なるほど……」
「君も、気をつけないと」
「反省しております……」
行動は迷惑だが、CM撮影で問題を起こした妹の由海ほど迷惑ではない思考を持つ美海だ。しょうがないなと苦笑しつつ電話をかけるミロクであった。
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どんどん犠牲者が…w




