18、決める覚悟は弥勒に有るか否か。
事務所に戻ると、ヨイチはすぐに会議室にミロクとフミを連れて行く。少し顔を強張らせたヨイチは、ミロクが座ると同時に会話を切り出した。
「尾根江加茂って、アイドルをプロデュースしてる人を知ってる?」
「あ、はい。『鶯谷七』とかも、彼のプロデュースですよね」
身近なアイドルというコンセプトで始め、彼のプロデュースした数々のアイドル達は、今や全国的に人気のあるグループとなっている。
姉妹グループとして『代々木上原五』などもあるが、やはり人気だ。
各グループが集まって人気投票なども行われているらしい……が、詳しい話は割愛させていただく。
とにかく有名なプロデューサーで、ヨイチのような弱小事務所にお呼びがかかるとは思えないくらいの大物である。
「その尾根江さんが、動画の件で前々からミロクくんに興味を持っていてね……この前の発表会に出るので良かったらなんて言ってたら、本当に来たみたいで」
「え!?オネエ…尾根江さんが来てたんですか!?うわ……ちょっと恥ずかしいな」
エアコンの効いた事務所内にもかかわらず、ミロクは汗が額を伝うのを感じた。まさか芸能関係者がいるとは思わなかった。それを言うならミロクもヨイチも芸能関係者なのだが、少しパニックになった彼はフミが持ってきてくれたお茶を一気に飲み干し、早くなった心臓をなんとか落ち着かせる事に成功する。
「僕もねミロクくんには才能がたくさんあるから、色々伸ばしていけたら良いなって思っていたよ。でもまさか……こんなに早くチャンスが舞い込むとは思っていなくてね……」
「ヨイチさん……俺のために色々ありがとうございます!」
ミロクはヨイチの自分に対する思いを知る。モデルだけではなく、もっと先のことまで考えていてくれた。フミが自分に献身的なこともそうだが、社長のヨイチまで自分のことを考えていてくれたとは、ミロクはこの事にいたく感動していた。
「うちの所属タレントは家族も同然だ。それに君の事は人間的にも尊敬しているよ。だからしっかり考えて欲しい。事務所の為でも僕の為でもない、自分の為に決めて欲しいんだ」
「はい……!!」
ミロクは目を潤ませて微笑む。フミもヨイチが強制しないと知ってホッとしていた。
「それに、まだ何かやるって決まったわけじゃない。まぁ、だからこそ覚悟を決めてから尾根江さんに会って欲しいんだけどね」
「分かりました!返事は明日でも?」
「尾根江さんは来週来るそうだ。その時まででいいよ」
「ありがとうございます!社長!」
ヨイチの事務所の裏手にあるビルに、隠れ家的なバーがある。
木材をベースにした品のある内装に、客席はカウンターのみ。
BGMはもちろんジャズだが、どこかで聞いたことのある曲だ。ピアノのみのスローテンポでジャズアレンジされている。
しばらく聴いていて思い出す。『星に願いを』だ。
どうやら奥に置いてあるピアノに弾き手がいたらしい。後ろ姿だけでも綺麗な女性というのは分かるものだ。アッシュブラウンの長い髪は緩くウェーブがかかり、弾いている動きに合わせてサラリと揺れた。
弾き終わると店のマスターに会釈し、カウンターにいるヨイチの隣に座った。
「聴いてる客が僕とマスターだけなんて、勿体無いくらい素敵なピアノだったよ」
「だからこそ緊張しないで弾けたのよ」
少しだけたれ目気味の目を伏せて、カウンターに出されたカクテルを手に持つミハチの仕草に、ヨイチはつい見惚れてしまう。
お互いのグラスを軽く触れ合わせると、澄んだガラスの音が小さく響いた。
スーツを着て髪をきちんとセットしているヨイチは、ジムで会う時とは違ってインテリ然としている。小さい事務所とはいえ、社長である彼の動作は一つ一つが洗練されていた。
その不思議なギャップを知るのは何人いるのだろうかと、ふとミハチは考えるが、今は心にしまっておく。
ヨイチは自分の持っているグラスを掲げる。
「乾杯……かな」
「何にかしら?」
「君の弟の前途に」
「……守ってやってね」
「もちろん」
もう一度グラス同士を合わせると、ヨイチは今日の出来事をミハチに話し出す。
そして夜は更けていくのであった。
濃いキャラの予感。
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