16、弥勒の思う格好良さ。
日常回?です。
「おはようございます!」
ミロクが心掛ける『元気な挨拶』で事務所に入ると、ミントの香りを纏ったヨイチがデスクから気だるげに手を挙げる。どうやら先週から筋肉痛が続いているらしい。
「おはようミロク君、今日は迎えがなくてすまないね」
「いいえ大丈夫です。なるべく動いておけってシジュさんに言われてますから。車よりも電車の方が体を動かせますし」
二人で話していると、他にも何人かモデル仲間が事務所に入ってきたので、ミロクは挨拶を交わす。
当初、受け入れてもらえるか不安だったミロクだったが、あの動画のおかげで話のネタには困らなかった。ミロクが代理モデルをやった時に表紙を飾ったおかげで事務所に仕事の依頼が多く入るようになり、彼らもどんどん露出するようになる。
元々ヨイチのお眼鏡に叶った人材だから、売れるきっかけさえあれば後は早い。彼らはミロクにとても感謝していた。
そんな彼らからモデル・タレントのノウハウを教わっているミロクは、(一回り年下の)先輩にも恵まれ、日々成長しているのである。
「フミちゃん不在なんて珍しいですね、風邪ですか?」
「いや、ちょっと研修中でね。うちと取引している会社に行ってもらってる」
「そうですか……」
先日の発表会が終わった後、打ち上げをやろうとスポーツジムの人達と関係者で集まったのだが、フミの姿は見えなかった。気になって聞いてみたら、ヨイチから「用事があって帰った」という事だった。
研修だという事を知り、元気なら良かったと安堵するミロクに、ヨイチは恐る恐る問いかける。
「ところでミロク君、あの発表会で……最後のアレ……何かのサービスとか?」
「最後のアレ?ですか?」
「したでしょ?客席に向かって投げキッスとか」
「アレは……終わったら客席も明るくなって、フミちゃんの姿が見えて……」
「ふむふむ」
「そしたら思い出したんです『格好良いミロクさんを見せろ』って言ってたフミちゃんを」
「ふむ?」
「格好良いってよく分からないんですけど、モデルの仕事で投げキッスをリクエストされて、調子に乗ってやったら好評だったから……」
「その時の現場って、帰りが遅かった時の?」
「ああ、そうです。たまたまお客さんがいて、その人が鼻血吹いて倒れた時のです」
「ミロク君、投げキッス禁止」
「ええええ!?」
ヨイチとのやりとりを見ていた他のモデル達は、「流し目も!」「不意打ちスマイルも!」とか色々言っている。そんなのやっていないとミロクは不満げだ。
ミロクが不満に思うのは当然である。彼は視線を送ったり笑ったりしているだけだ。失礼な話である。
「おい!!ヨイチのおっさん!!」
「シジュ、ここでは社長と呼んでくれって……」
「それどこじゃねーよ!これどういうことだ!?」
息を切らして駆け込んできたシジュの手には、GAINAという男性雑誌が見える。そこにはスーツを着ている男性が三人……。
「それね。ミロク君一人の写真よりこっちが良いと言われてねぇ。僕は恥ずかしいけど帽子でちょっと顔も隠れてるし良いかなって」
「俺はそのまんま顔が写ってるじゃねーか!知らなかったからそこの喫茶店でコーヒー噴いちまっただろが!!一杯七百円のコーヒーを!!勿体無い!!」
「え、そこなんだ」
「わぁ、表紙になったんですね!すごい!二人とも格好良いです!」
「良い思い出になったねぇ」
ホンワカ話す二人をシジュは恨めしそうに睨む。出てしまったのはしょうがないが、事前に知らせないというのはどうかと思っている。
「言ったよ僕。電話でだけど」
「え?そうだっけ?」
「急に決まったから慌てて電話して、その時二日酔いで辛そうだったから一応メールもしたけど」
「あ、メール見てねぇや」
「シジュさんって細かい時は細かいのに、そこはアバウトなんですね」
感心したように頷くミロクは、シジュの作ったスケジュール表を見て再びうむうむと頷く。
雑誌の撮影が入っているミロクは、未だにわちゃわちゃ騒いでいる事務所を後にする。アットホームな雰囲気の事務所をミロクは気に入っていた。引きこもってた辛い時期もあったけど、その分を取り戻すように充実した日々、本当に自分は運が良いとミロクは足取り軽く駅に向かって歩いていった。
「で、落ち着いた?」
「…………はい、すみません」
「しばらく彼から外れるかい?」
「大丈夫です!仕事できます!」
「そうか」
ヨイチのデスクに隠れるようにしゃがんでいるフミは、フンスと気合を入れている。
ミロクが来た瞬間、消えるように隠れたフミに驚いたが、先日の発表会での様子をミハチから聞いていて事情は察していた。顔を合わせるのが恥ずかしいというフミと、気にしていないように見えるミロクの温度差が気になるところだが、まぁそれはゆっくりやるしかないのだろう。
「天然タラシ……まぁ少しは自覚してるみたいだけど、まだまだだね」
ヨイチは大きく深呼吸すると、緊張した面持ちで何処かに電話をかける。上手くいくかいかないか、今はこれしかないが、きっと動くと彼は確信している。
気合を入れている中で、パソコンから流れている音楽がミロクの歌うアニソンだったのは、少し締まらない気がするヨイチだった。
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