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命日   作者: 長門 郁
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帰省




不快な音だ。甲高い声が耳元で真人の名前を呼んでいる。それでも真人は起きようとしない。

「いい加減に、起きなさい!」

すぱん!

真人の後頭部に、教科書がヒットする。

真人が飛び起きたのは言うまでもない。



田村真人はヒリヒリと痛む頭を摩る。

「たんこぶになってる」

じとっとした視線を、たんこぶを作った張本人に投げかけた。

「起きないのが悪い」

その張本人である星野麻央は、ラーメンを啜りながら更に強い視線を送り返した。真人はそれに怯み、そっぽを向く。

「かわいくねー」

そして炒飯を頬張った。一口分にしては大きいそれを気難しい顔で咀嚼している。

大学の食堂で、こうも殺伐とした空気を放っているのは真人と麻央の席だけだった。周りからはこの2人が恋人同士だとは見えないだろう。

「可愛くなくて結構。また避けてるし、グリンピース」

麻央はお箸で真人の皿を指す。そこには器用に避けられた緑色のグリンピースが転がっていた。真人はぎくっと肩を震わせ、脂汗を流す。

「食べなさい」

有無を言わせない麻央の言葉の圧力に、真人は反論できない。

「う……これだけは……」

「なに?聞こえない」

ここで地雷を踏んではまたたんこぶを増やしかねないと判断した真人は、意を決してスプーンに1粒のグリンピースを乗せた。何も知らないグリンピースはコロコロと転がっている。それすら真人には忌々しく思えた。

ゴクリと喉を鳴らす。そして、鼻を摘まんでそれを口内に入れた。噛むより先に喉を嚥下させ、匂いを感じないようにする。

しかし、嫌いな匂いというものは過敏に反応してしまうもので、真人は飲み込んだ異物感と僅かに残った香りに顔をしかめた。

「うげーまず……」

その間麻央はというと、

「はい、あと一口」

自分のれんげに、残ったグリンピースを積み上げていた。

「え、まじ」

やっと1粒飲み込んだというのに、れんげには多量の緑色の粒がこっちを見つめている、ように真人は感じた。冷や汗が背中を流れる。

「ほら」

麻央はれんげをくいっと真人に差し出す。しかし、真人はそう素直に口を開けられない。目で麻央に、ギブアップの意思を告げる。

「そんなに嫌?」

「嫌っていうか無理」

「しょうがないなぁ」

麻央はやれやれといった感じで、れんげを引っ込めた。空いた小皿にグリンピースを散らばせる。その中の1つを箸で持ち上げ、

「あと1粒だけ。食べられたらあとはあたしが食べてあげる」

と言いながら無理やり真人の口にグリンピースを突っ込んだ。

真人は半泣きになりながら声も上げられずに、暫く悶絶していた。

「よく食べられました」

その様子を見て、麻央は微笑む。真人にはその笑顔が愛おしく思えて、思わず顔が赤らんだ。心拍数や体温は正直に上昇し、冷や汗とはまた違う汗をかいた。

「……め、めんまくれ」

真人は精一杯の照れ隠しにそう言う。麻央の顔は見れなかった。

一方彼女は、

「ごめんもう食べた」

反対にとても冷めていた。




「帰省?帰るのか実家に」

帰り道にアイスクリームを頬張る麻央は、これから5日間実家に帰る旨を真人に伝えた。

「早くね?お盆にはまだまだだぞ」

真人は怪訝な顔をしている。

「うん。そうなんだけど……次の冬にね、お兄ちゃんが結婚するんだ!そのお嫁さんが来るっていうから、親族総出でお迎えしようって話になってて」

それから、麻央は自分の兄について語り出す。頭が良くてかっこ良くて、何でも教えてくれるそんな兄だと。いつものことながら、嬉しそうに楽しそうに自慢の兄のことを話すのだ。

真人は表面上ではうんざりしたように聞き流していたが、実際はそんな麻央を見ているのが好きだった。

「でも、びっくりだよ。結婚なんてさ。お兄ちゃんまだ25なのに」

「そんなもんじゃね?乗り遅れたら三十路まであっという間らしいぞ」

信号は2人の前に赤を映す。帰宅ラッシュで交差点は人で埋め尽くされていた。

「食べ終わったか」

真人の問いに麻央はこくりと頷く。ゴシゴシと大袈裟にジーンズで手を拭くと、真人に手を差し出した。

「はい、手」

麻央とっては何とでもないような行為だろうが、真人はそれが至福とも言えることだった。

自分より遥かに小さい手をぎゅっと握る。暑い気温と人の熱気でうんざりしていたところだったが、彼女の手はひんやりと冷たかった。

「結婚か……」

真人はポツリと呟く。麻央は意外そうな顔をした。そしてすぐにニヤニヤ笑い出す。

「なになに?真人も意識し始めた?」

「そういう訳じゃねーけど……」

図星を突かれて語尾が弱くなった。

(結婚……こいつと、麻央と)

ちらっと麻央を見る。旋毛付近は黒く、その周りから下は茶髪に染まっている髪が風に靡いた。

「ん?」

丸々とした瞳が真人を捉える。真人は麻央の黒い瞳の中の自分と目が合った。

「結婚するか……」

麻央の目は更に大きくなる。キョトンと、という表現が似合うそんな表情だった。

真人にとって半ば無意識のことだった。自分の言ったことを反芻して、後悔する。

「わ、悪い!ごめん!嘘!なんでもねー!」

信号が青になった。人の群れが移動する。流れに乗らない2人はその群れの障害物になっていた。真人は強引に麻央の手を引き群れに溶け込んだ。

「ねぇ、真人」

麻央が静かに声を掛ける。

「はい……」

耳まで赤くなっている真人は振り返流ことができない。彼女は一息置いて、


「バカじゃないの?」


そう告げた。

「……へ」

ある意味予想外の反応に、真人は唖然とする。2人は横断歩道のど真ん中で立ち止まり、障害物へと成り下がった。

「お前、バカはないんじゃねーの!」

ショックを隠しきれない真人は半泣きだ。

(ああもう変なこと口走るんじゃなかった……!)

反対に麻央は、微笑を浮かべている。

真人が好きなその笑顔で、


「まだ早いでしょ。バーカ」


やはり嬉しそうに楽しそうに言うのだった。

「ま、真央さんそれは、どういう意味でしょう……」

真人は言葉の真意が読めなかった。しかし、隠しきれない期待が顔に出てしまっている。

「さあ?どういう意味でしょう?ほら渡るよ」

今度は麻央の先導で横断歩道を渡る。真人の困惑っぷりに麻央は楽しそうに笑うだけだ。

「参ったなー、真人。そんなにあたしのこと好きなんだー」

クスクスと笑う声が真人を擽る。恥ずかしさと歯痒さが全身を襲った。

「か、からかってんなよ……」

「決まりだね」

麻央はうんうんと頷きながら真人の前に出た。向き直り人差し指を彼に向ける。

「真人もあたしと一緒に実家に来て!」


7月の下旬。赤い夕日が沈み、夜がそんな1組のカップルを迎えようとしていた。



麻央の実家は新幹線で3時間もかかるところにあり、当然交通費もかかる。2人は話し合い、時間よりも値段を気にしつつルートを決めて行った。

「夜行バスか…… 」

「仕方ないでしょ。一番安いんだから」

1人愚痴を言う真人を、麻央が宥める。真人も、費用がかからないのならと賛成したが、こうも何時間もバスに揺られては気分が優れなかった。

バスの中は冷房で冷えているが、外の空気が恋しくなってくる。しかし開けようとすると、

「熱風しか来ないんだから、開けないでよね」

隣の麻央に阻止されるのだった。

(想像していたのと、違う)

真人は落胆のため息を吐く。

真人と麻央は初めての旅行だった。それが彼女の実家というのも、真人にとってはハードルが高いものだ。道中、麻央はずっと本を読んでいる。

「かまってくれよ」

「今いいところ」

この調子では憂鬱になるのも無理はなかった。仕方なく、真人は無理やり睡魔を呼び寄せ眠りについた。


「相変わらずおバカだねぇ。昼間あんだけ寝てたんだから眠くなる訳ないでしょ……」

麻央は呆れた表情を隠さない。

「だってすることなかったし」

真人はむすっと唇を尖らせ反論する。横になっているとはいえ、眠気は吹き飛んでしまい、とても眠れる状態ではなかった。

「なんか話してよ」

無茶振りだとは理解しつつも、麻央にそうお願いする。すると予想外なことに、

「いいよ」

麻央からの返事は芳しいものだった。

「実はね、あたしも話したいことがあったんだ」



月があるでしょ。あれはね、あたし達が見ているあの月はね、本当の月じゃないの。

「は?」

この肉眼で見ている月は、1秒後の月。月からしたら、1秒過去の月を見ているの。

「もう少し分かりやすくお願いします」

うーんと、地球から1秒離れてるってこと。もし月が割れたとして、それがあたし達の目に届くのは1秒後ってこと。割れて、その衝撃は1秒遅れて地球に届く。こんな感じ。

「ふーん……」

ここで問題。太陽と地球の距離は何秒でしょう。

「……5秒」

もしそうだったら地球なんて丸こげだよ。正解は8分。もし太陽が大爆発を起こしたら、あたし達に残された時間は8分間ってこと。

「……ふーん」

興味なさそう。

「そんなことは」

ねぇ、真人。



真人は最期の8分間、何をする?




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