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8・敵

「なによ」

 部屋から出てきた柚子は、見上げるようにして昇を睨んだ。

「いや、ちょっと心配になって」

「なにが?」

 柚子に突っ込まれ、昇はへらへらと笑ってごまかした。

 まさか、アリアと柚子が……なんて想像していたとは絶対言えない。

「干渉しないでよね」

「さっきはごめんな」

「そのことはもういい」

柚子は少し口を尖らせていたが、目は怒っていなかった。機嫌は直ったようだ。アリアはどんな方法で柚子の機嫌を直したのだろうと、昇は柚子の横にいるアリアのほうをちらと見た。

「これから柚子とランチに出かけてくるから」

 アリアは苦笑しながら言ったので、やれやれ、そういうことかと昇は納得した。

「俺も行く」

「だーめ。昇は調査に精を出してね」

 憎たらしいくらい、柚子は晴れやかな顔をしていた。

数分後、外出の支度をしたアリアに、昇一人を部屋に置いておけないと言われ、二人が出かけると同時に昇も部屋を出された。

「昇、昨日のように尾行はなしだからね」

 マンションの薄暗い階段を下りながらアリアに釘を刺された。

「えーっ、アリアの後をつけてたの?」

 柚子が敵意に満ちた目を昇に向けた。

「いや、偶然だったんだ」

 昇は苦しい言い訳をした。

「で、アリアはあのあと誰かと会ったのか」

「そんなことより、何かわかった?」

 昇は軽く話をかわされてしまった。

「少しね。まだ不確かだからもう少し待ってくれ」

 昇は半分嘘をついた。アリアのことが心配でまだここにいたかったのだ。

 アリアはサングラス越しに昇の顔をじっと伺い、「そう」と、納得していないような返事をした。

 昇はそれ以上訊かれないように、慌てて話を振った。

「アリア、何時に帰る?」

「夕方には帰る」

「ということで昇、じゃあね〜」

 マンションのエントランスまでくると、柚子は上機嫌で昇に向かってウインクし、アリアと二人で仲良く歩いていった。

「なにがということで、だ」

昇は古ぼけたマンションの壁を蹴飛ばして八つ当たりをした。面白くなかった。仲のいい二人を見ていると、柚子のことを少しでも心配した自分が間抜けに思えてきた。

「犬も食わないなんとやらだ。アホらし」

 思いっきり伸びをしたところで、昇の携帯電話が胸元で振動した。

 兄、十無からだった。でようか迷ったが、応答した。

「おまえ、どこをほっつき歩いているんだ。いい加減に帰って来い!」

案の定、電話の向こうの十無は、大声でがなり立ててきた。昇は思わず携帯電話から耳を離した。

「おい、聞いているのか」

「頼むからもう少し静かに話してくれ」

 昇がそう言っても、十無の声は大きいままで話にならない。仕方なく、昇は十無に負けない声で言い返した。

「悪いけどまだ帰れない。今、アリアのマンションに居候しているから」

 昇の言葉に、十無は一呼吸ほど沈黙があった。

「どういうことだ」

 声から、十無の動揺が手に取るように感じられた。

「アリアを守りたい」

「何か、おこるのか?」

 携帯から聞こえてくる十無の声には心配がにじみ出ている。勤めて冷静に話しているようだが、僅かに声が震えているような気がした。

「まだなにもないけど」

「これからおこるのか?」

「兄貴、そんなにアリアのことが心配だったら、そっちが持っている情報を俺に話せ」

「なんのことだ」

「知ってるぜ。兄貴が警視庁に呼ばれたってこと」

「別に隠していたわけじゃない。今日、出向いたところだ」

「そうか。なあ、捜査三課の氷室慎司って奴と会ったのか? どういう奴だ? そいつ、アリアに会ったようだぜ」

「氷室を知っているのか」

 昇が切り札の名前を出すと十無はうめいた。やはり何かありそうだ。

「そいつ、音江探偵事務所にも俺の顔を見に来たぞ。何の捜査にかかわっている? アリア、いやDの事件か」

「……」

「当たりだな? そういうことか」

 十無が無言でいるということは、イエスだ。

「最近の事件でDの犯行の疑いがあるものといったら、渋谷の件か」

「仕事上のことは何も教えられない」

「そうか、ということはこの件が仕事だとうことか」

「……」

 またまた十無は無言だ。

「ひょっとして、アリアでDを釣ろうって魂胆か」

「俺は知らん」

 必死に否定すると肯定しているようなものだ。昇は十無を自分のペースに引きずり込んでいった。

「でも、氷室刑事はアリアとDのつながりを何処でかぎつけたんだろう。兄貴は誰にも言っていないのに」

「俺が訊きたい」

 十無は泣きそうな情けない声を上げている。

 解せないのは、氷室がなぜわざわざアリアに会う必要があったのか。それに、氷室と会ったときのことをアリアは詳しく話そうとしなかった。

アリアが言いたくないような何かがあったに違いない。

「おい、訊くだけ訊いて手の内は見せないのか」

 昇が黙り込んでいると、十無が話をせっついた。

「おおかた、その氷室刑事は兄貴にアリアの尾行でもさせるつもりなんだろう?」

「……」

「まさか、俺も対象なのか」

「……確かにお前もマークされている」

 十無はすんなり白状した。

この数日、尾行されていたのは十無の差し金だったのだろうか。

「そりゃないぜ。俺、尾行されるようなことは何もしていないぞ。昨日の探偵も兄貴の差し金か」

「探偵? まだ何もしていないぞ。今日本庁に顔を出したばかりだと言っただろう」

「そうか、じゃあ誰が……」

「まさか、氷室……」

「氷室刑事が?」

「いや、なんでもない。いくらなんでも探偵まで使うとは思えない。とにかく、お前にその気がなくても、アリアと接触している時点で加担していると見られてしまうのは確かだ」

「俺、兄貴にだいぶ迷惑をかけている?」

「俺のことは心配するな」

 十無の声が妙に優しい。相当迷惑をかけたようだ。お荷物の、できの悪い弟を庇ってくれているのだ。

 昇は情けなくなって小さくため息をついた。

「兄貴、ごめん」

「わかればいいんだ」

十無の立場が悪くなっていることは想像がついた。あの氷室刑事に使い走りのようなまねをさせられているのだろうか。

「でも……」

「そこにいてお前の好きにやれ。俺もそのほうが良いと思っている。俺はお前のように自由が利かないから」

 アリアの傍にいて守ってやりたいのは十無も同じなのだ。逮捕したくないというのが、たぶん本音だ。それができない立場の十無は、歯がゆい思いをしているのだろう。

「わかった。好きにする。俺の情報だと、氷室刑事はキャリア組みの切れ者で、出世株だということだが」

「その通りだ。俺達と歳は一つしか違わないのに、なかなかの奴だ。いろんな意味で」

 十無は含ませるような言い方をした。

「やり方が汚いのか」

 十無は受話器の向こうでふっと鼻で笑ったようだった。そしてこう言った。

「かなりあくどい」

 昇は息を呑んだ。

 十無が人を悪く言ったのを耳にしたのは、昇はこれが初めてだった。十無は滅多なことでは悪態をつかない。

 アリアを守るのは大変かもしれない。気を引き締めなくては。そんな思いから、昇は携帯電話を手にしながら無意識に背筋を正していた。

 どんな網を張ってくるのか。昇は氷室慎司が恐ろしくなった。

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