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7・喧嘩

「昇! 脱いだもの置きっぱなしにしないで! 新聞もちゃんと片付けてよね」

「やれやれ、ここにいてもあんまり家と代わり映えしないなあ」

 東十無が本庁に呼ばれていたその頃、東昇は新聞を床から拾い上げながら、ため息をついていた。

 土曜日の遅い朝、昨夜も帰宅が遅かった昇はゆっくりしたいところだったが、そうはいかなかった。

「居候は文句言わないの! いるだけで迷惑なんだから、これ以上余計な迷惑がかからならないようにしてよ」

「俺がいて助かっていると思うけれどなあ」

「どこが」

 柚子は昇をきっと睨みつけた。

アリアのマンションに居座って三日が経っていた。

この間、昇は誰かにあとをつけられている気がしていた。最初は自分が対象かと思ったのだが、探偵事務所についてくる気配がないのだ。

対象はどうやらアリアのようだった。アリアの身辺で何かが動き始めている。アリアはまだそのことに気がついていないようだった。

 自分がアリアの傍にいることで、アリアを守ることができるのではないか。昇はそう考えていた。

 だが、つけられているという証拠がなにもない状態では、このことを話したとしても、気のせいだと一笑に付されることがわかりきっていたので昇は黙っていた。

「なによ、どんなことが助かるって言うの」

「……だから、それは色々あって……とりあえず晩飯作るから」

「そんなことしてもらっても、迷惑なだけ」

「そう言うな。花の女子高生なんだろ? 主婦みたいなことばかりしていると、変に所帯じみて今からおばさんになるぞ」

「なによ、酷い! 私はお料理が好きなの! アリアに美味しいって言われるのが好きなの!」

 柚子はヒステリックに金切り声をあげた。

言い方を間違えた。怒らせる気は毛頭なかったのだが、いっそう怒らせてしまった。

たまに女子高生らしく友達と寄り道して帰るのもいいんじゃないかと思って、そう言おうとしたのだが、憎まれ口になってしまった。

柚子は扱いづらい。女の子を喜ばせる文句の一つくらい、普段の昇であればいくらでも出てくるのに、柚子が相手となるとそれがうまくできない。突っかかってくる柚子に、つい意地悪い言葉を返してしまうのだ。

「ごめん、そういう意味じゃなくて……」

「アリアが言っていた男のことはわかったの? なによ、偉そうなことばかり言って、さっぱりじゃないの。どこが優秀な探偵なのよ。 毎日ふらふらと遊び歩いているだけじゃない。早く家へ帰りなさいよ」

 柚子の機嫌をこれ以上損ねないように下手に出ようとしたはずだったのに、昇は頭に血が上ってしまった。

「こっちが大人しく黙っていれば、俺の苦労も知らないで言いたいことを言いやがって。おまえ、アリア、アリアってべったりしすぎだ。いっつもおまえが帰りを待っていると思ったら、アリアだって息苦しく思っているだろうな」

 しまった。昇は柚子の顔を見て口を半開きにしたまま固まってしまった。

 真っ直ぐにこちらを凝視した柚子が、涙目になっていたのだ。瞬きをしたら、涙が落ちてしまいそうなほど目を潤ませているが、寸前のところで堪えているのがわかる。

「柚子?」

 まさか泣くとは思わなかった。

女の子が泣きそうなとき、どうしてあげたらいいのかも昇はよくわかっていた。だが、それ以上声をかけることすらできなかった。どんなことを言われても泣きそうもないと思っていた柚子が、どうしてこんなたわいもないことで。

昇の動揺は大きかった。

「ごめん、言いすぎた」

 昇はうろたえながら咄嗟にありふれた言葉で謝った。

「馬鹿!」

 柚子はその場を逃げるように自室へ駆け込んでしまった。

 昇は棒立ちになっていた。

 〈アリアに美味しいって言われるのが好きなの!〉

 イコール、アリアが好きなの!

柚子はそう言っていたのだ。アリアのことを本気で想っているのだ。

あんなになんでもずけずけとものを言う柚子なのに。それが言えない。大事に大事に想っていただろうに、そこを不用意につついてしまったのだ。

「ああ、俺って馬鹿? 子供相手に本気でやりあってしまった」

 昇はソファに倒れるように座り、髪をクシャリとかき上げた。

 そこへアリアがようやく起きてきた。昨夜、午前様だったのだ。

そういう日の翌日は、柚子も気を使ってアリアを起こさない。

昨夜、アリアは二十三時過ぎまでバーで一人、飲んでいた。後をつけていた昇はそこまでの行動は把握していた。その昇とアリアを尾行している人影もそこまではしっかりついてきていた。だが、アリアはトイレに立っていなくなり、昇は置いてきぼりを食らった。もう一人の尾行者もまんまとアリアに逃げられたのだった。

知った顔の者が尾行するのは至難の業だ。ご丁寧に、アリアはバーテンダーに昇宛のメモを置いていった。

『私をつけ回すより、例の男を探し出して』

 実はその男の件はほとんど調査が済んでいた。ただ、引っかかる部分があるため、事務所の調査員にバイト代をはずんで、仕事外でこっそり調査に協力してもらっている段階だった。

 昇はアリアに逃げられたあと、アリアをつけていた尾行者を逆につけてみたのだ。刑事かと思いきや、以外にもそれは昇と同業者の探偵だった。

 いったい誰が依頼主なのか。昇はまだそこまではつかんでいなかった。

「昇、おはよう」

 アリアの眠そうな声。あのあと、誰かと会ったのだろうか。

「おまえ昨日は――」

昇は振り向きざま、言葉途中で思わずアリアを見つめてしまった。

アリアの身支度はすっかり終わっており、サングラスまでかけて寝起きとは思えない。ワイシャツは袖口を折り、胸元のボタンが少しあいたままでハイネックの黒いアンダーシャツが見えている。その細い首につい目がいってしまったのだ。そこから、華奢な体を想像した昇は、至近距離にアリアを感じて変に意識してしまった。

「なに?」

 やばい。俺、欲求不満か。

 居候してから三日も経つのに、アリアを身近に感じると昇は落ち着かないのだった。

慌てて冷静さを取り戻そうと、昇はわざとつっけんどんに話した。

「おまえ、家の中くらいグラサンやめろ」

「昇がいるから仕方がない」

「ということは、柚子しかいないときははずしているのか」

「え? うん」

 柚子は特別か。

昇は「ふうん」と不満の声を出した。

「それより、柚子はどうしたの? おなか空いたんだけれど」

「それが、ちょっと……喧嘩を」

「昇、また余計なことでも言ったのか」

 柚子がアリアのことを好きなのに、それを茶化してしまった。とはまさかアリアには言えない。たぶん柚子はそのことを知られたくないはずだ。

「いや、些細なことなんだけど……」

 言葉を濁した。

「柚子とうまくやっていけないのであれば、出て行ってもらう」

「俺が悪かった。つい言いすぎたんだ」

昇は冷やかな口調のアリアに、素直に謝った。

「気をつけてよ。柚子はああ見えても繊細なんだ。それに、機嫌直してもらうのに一苦労するんだから」

アリアは腕組をしてやれやれとでもいうように、大息をついた。

「柚子って図太いんじゃないのか」

「そう見せているだけだよ。あーあ。柚子の食事、食べ損ねた」

 昇にくるりと背を向けて、あてつけのようにそう呟きながら、アリアは柚子の部屋へ行った。

「へえ、アリアって案外、柚子のことわかっているのか」

二人の仲の良さに、昇はちょっと面白くなかった。

昇はソファに落ち着いて何の気なしにテレビを眺めていたが、アリアが柚子の部屋に行って二十分ほど経ってもアリアが出てこないので、気になり始めてちらりと柚子の部屋のほうを見た。

アリアがなだめても柚子がごねて話が長くなっているのか。

新聞を開いてみても二人が気になって身が入らない。足を何度も組みなおし、昇は落ち着かなかった。

アリアのところに柚子が同居しているというのは、傍から見れば同棲だ。兄妹のように仲がいいから見落としていたけれど、男と女が同棲していることには違いない。ひょっとして二人はそういう仲なのか。告白などとっくの間に終わっていて付き合っているのだとしたら。もしかして、今までとんでもない思い違いをしていたのか。

そんな想像をしてしまった昇は、とうとういても立ってもいられなくなり、柚子の部屋の前へ忍び寄った。

と、そのときドアが開いた。昇は寸でのところで鼻っ柱をドアにぶつけそうになった。

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