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5・居候

「ちょっとお! 何考えてるのよ、いったい」

「けちけちするな。いいだろ、空き部屋があるんだから」

「冗談じゃないわ。年頃の女の子のマンションに転がり込むなんて非常識よ!」

「堅いことをいうな。アリアはよくて俺はだめか」

 午後九時過ぎ。アリアは『仕事』を終えて帰宅したのだが、玄関ドアを開けたところで部屋の奥から言い合う声が聞こえてきたのだった。

 東昇と柚子だ。

 アリアは靴を脱ぎ捨てて、廊下を小走りした。

「どうしたの、柚子――」

「アリア! ねえ、何とかしてよ!」

「うわ!」

 開いているドアから、柚子がいきなりアリアの胸に飛びついてきた。

まさか柚子に抱きつかれるとは思ってもいなかったアリアは面食らった。

 東昇と柚子が喧嘩? しているところにアリアは帰宅したのだった。

 ヒロが泊まるための普段使っていない部屋で、ベッドの上に胡坐をかいて腕組をした昇が、小学生並みに口を尖らせていた。側にはボストンバッグが転がっている。

「絶対だめ!」

ヒステリックに叫んだ柚子はアリアにしっかりしがみついている。

「昇がここに泊まるって言うの」

「はあ?」

 アリアはぽかんと口を開いた。

「いいだろ? 迷惑かけないからさ」

 昇はへらへらと笑っている。

「いるだけで迷惑なの!」

「飯の支度をしてやってもいいぞ」

「結構です!」

東昇は十無と口喧嘩して飛び出してきたというのだ。

そしてこともあろうに、アリアと柚子の住むこのマンションに泊めて欲しいというのだ。

 敵意むき出しの柚子にアリアは落ち着くように言ってから、しがみついていた腕を離して静かに言った。

「昇、自宅に帰ってほしい。刑事さんの兄弟を泊めるわけにはいかない」

「兄貴は関係ない」

「そうもいかない」

 アリアと昇の押し問答になった。

 何かとまずい。『仕事』がやりづらくなるし、第一、十無の立場も悪くなり、迷惑がかかるかもしれない。オーケーするわけにはいかないのだ。

「わかった。じゃ、玄関の前で寝る」

 家出少年状態の昇はごねた。

「勘弁してよ、それでなくても落ち込んでいるのに」

 アリアはつい愚痴を吐いた。

「何かあったの?」

 すかさず柚子が聞き返した。

「いや、たいしたことじゃないけれど……」

 アリアはもごもごと言葉を濁した。

 池袋駅での失態は指先に自信のあったアリアにとってショックだった。一応、泥棒の弟子である柚子には絶対知られたくない。

それにしても、アリアのことを知っていたあの男は何者なのか。

「アリア、あいつに会ったのか」

 アリアの言動を見て昇の瞳が鋭いものに変わった。こんなときの昇の表情は、刑事の目をした仕事中の十無に似ている。

「あいつって?」

 昇の言い方でぴんと来たのだが、アリアはとぼけて訊いた。

「俺の事務所に来たあの男だ」

 気をつけろ。

 昇はアリアにそう忠告していた。

 あの男が昇の事務所に現れた男なのだろうか。

「……目つきが刑事のようだった」

「何があった?」

「別に……」

「別にという感じではないぞ。何があった?」

「なんでもない!」

 アリアは声を荒げた。

悔しい。あんな奴に見破られたなんて。やり返してやりたい。アリアはあの男に対して沸々と闘志が湧き起こっていた。

そして、つい口を滑らせたのだ。

「……あの男の素性を調べてくれるのなら泊めてもいい」

「よし、約束だ」

 即答だった。

「えっ、アリア、嘘でしょ」

 柚子のその声は、アリアには聞こえていなかった。

 あの男を野放しにしておけない。こちらが包囲される前に先手を打たなければ。

 アリアはそう考えた。

 何も言わないアリアに柚子はそれ以上抗議をしなかった。黙ってアリアに従ったのだ。その口元は強く締められ、じっと耐えていたのだった。この時、アリアはそんな柚子の気持ちを全く察知していなかった。

「じゃ、私は風呂に入るから」

「それじゃあ、泊めてくれるお礼に、背中でも流してやろうか」

 昇がにやりと笑った。

「あの男の調査だけで充分!」

「ちぇっ、残念」

「何が残念なのよ?」

 柚子が口を挟むと、昇はべつにぃと言って肩をすくめた。

 柚子はまだ言い返したそうだったが、アリアはそれを遮った。

「明日の朝食は昇が作ってね」

 と言って、アリアは脱衣所へ逃げた。

 脱衣所のドアを閉めてから、アリアは胸を押さえた。

「背中を流すって?」

昇に突飛なことを言われて、まだ心臓がどきどきしていた。洗面台の鏡に映るサングラスを外した顔は赤面していた。

こんなことで動揺してどうする。過剰な反応は変に思われる。別にどうってことない。昇が悪ふざけを言っただけなんだから。

アリアは自分に言い聞かせ、大きく息を吸ってゆっくりと吐き出した。

昇の影に十無を見てしまう。多分それが原因なのだろうとアリアは気付いていた。わかっていてもポーカーフェイスは保てない。意識すればするほど動揺が大きくなってしまうのだ。

「馬鹿な約束をしてしまった」

 今更、部屋には泊められないとは言えない。でも何日もここに泊まられては精神衛生上よくない。服を脱ぎながら解決策を考えた。

「あの男の調査結果を聞いたら、さっさと出て行ってもらおう」

 そう妥協策を作り上げて、アリアはそれ以上考えるのをやめた。

「なんとかなるさ」

アリアはざぶんと湯に浸かった。

 

アリアが風呂に入ってしまい、空き部屋に昇と二人きりになった柚子は腕組をしてキッと昇を睨み付けた。

「いい気にならないで。アリアにとって昇は邪魔者でしかないんだから」

 ベッドの上で胡坐をかいていた昇は、じっと柚子を見上げて真顔で言葉を返した。

「……お前、随分俺のことを敵視しているな」

「当然よ」

「前にも増して俺に風当たり強くないか」

「そんなの、ずーっとずっと迷惑だったんだから、今に始まったことじゃないわ!」

 柚子は攻撃を緩めない。

「そうかなあ」

 昇は納得いかないような口ぶりだった。

「昇に何がわかるっていうの」

「……別に、お前のことをわかろうとは思わないけど」

 そんなことはどうでもいいとでもいうように、昇はあくびをしながらベッドに仰向けにごろんと寝転がった。

「ねえ、あてあるの?」

「なにが」

「アリアが頼んだ男の調査」

「うーん、まあなんとなく」

「本当に?」

「そのうちつかめる」

「なんだ、手がかりでもあるのかと思った。早く調査を終わらせて出て行ってね」

「ホンとにお前って冷たいな」

 昇の文句を背中で聞きながら、柚子はその部屋を出た。

 柚子は口元を硬く閉め、廊下を挟んで向かいの自室に駆け込んで扉をバタンと閉めた。

「アリアとの生活を奪うのは絶対に許さないから」

 ベッドに寝転がって、柚子は自分の気持ちを確かめるように声に出した。

 柚子の声が部屋に虚しく響く。

 いつかはアリアと離れるときが来る。頭ではわかっていたが、感情がそれを許さなかった。

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