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32・企み(2)

同じ頃、氷室慎司は着々と計画を進めていたのだった。

「美原さん、いや、お義母さんとお呼びした方がよいでしょうか」

 深夜、ベッドサイドのライトだけの薄暗い部屋で、氷室はベッドに足を投げ出して、上機嫌で携帯電話の相手に話しかけていた。

「まだ結婚もしていないのに気が早いわね。お義母さんだなんて一度に年をとったみたいで嫌だわ、ななと呼んで。でも、本当に七草を連れてきてくれるのかしら。それと、水広グループの話と」

「心配いりません。万全です」

「結果が全てなの。お願いね」

「わかりました」

 氷室は自信たっぷりに返事をして電話を切ったた。

何も問題はない。七草も従順にしているし、東十無は手出しできないだろう。あとはお婆様の機嫌を損ねないようにして話を進めるだけなのだ。

携帯電話をオーバーテーブルに置いてベッドに寝そべり、気を緩めていたときだった。氷室は人の気配を感じて飛び起きた。

「誰だ!」

「さすが警視庁刑事」 

 背後の窓からハスキーな声がして、振り向いた氷室はぎょっとした。

 いつの間にかベランダの窓が開いており、二階なのにカーテン越しに人が立っていたのである。

 月明かりもない暗がりで、つば広のキャスケットを目深にかぶっているため顔は隠れているが、ノースリーブから延びる白い腕とふくよかな胸元が、ベッドサイドの仄かな明かりで確認できた。

「ふふふふ」

 氷室は突然のことに言葉を失っていたが、正気を取り戻すと同時にそれが誰なのか確信し、ベランダに駆け寄ったのだった。

 女は猫のようなしなやかさで氷室から数歩後ずさった。

「Dだな!」

「あなたねえ、腹黒いことばっかり考えていたら、貰えるものも貰えなくなるのよ。もっとも、私が頂きますけど」

 説教めいたことを言う女に、氷室はかっとなって捕まえようと手を伸ばしたが、ひらりとかわされた。室内に降り立った女にベッドサイドの明かりを消され、部屋は闇に包まれた。

「忠告に来たの。水広宝珠が可哀そうだから。泣かせるようなことをしたら、あなたの大事なものも貰うわよ」

「犯罪者のくせに生意気な!」

 氷室は携帯電話を手に取ろうとしたが、オーバーテーブルに置いたはずの電話は女の手にあった。

「無駄なことはしないのよ」

 女はぶらぶらしていた電話を勢いよく窓の外へと放り投げたのだった。

「きさま、いい気になるな!」

 氷室は飛びかかったつもりだったが、今度も身をかわされて女には指一本触れることができなかった。それどころか、女に背後を取られて片腕をひねられ、氷室はうめき声を上げたのだった。

「だから、無駄なのよ」

 氷室は細身だったが長身で柔道もこなし、女に軽々しく締め上げられるような腕前ではなかった。にもかかわらず、いとも簡単に女に負けてしまったことに氷室は茫然としていた。

「いいこと? さっき言ったこと忘れないでね」

 ハスキーな声が耳元で繰り返した。

「水広宝珠を失望させないこと」

 その言葉尻が終るか終らないかというところで、気配はあっという間に窓の外へ消えた。

 窓に駆け寄ることも忘れて、氷室はその場に座り込んでしまった。

「馬鹿な、私が女にねじ伏せられるとは」

 動揺と困惑で胸が高鳴っていた。

 今まで敗北を知らなかった氷室は、打ちのめされたショックで暫く茫然としていたのだった。

 生ぬるい風が、ベランダのカーテンを揺らしていた。


 翌朝、七時。アリアにしては早い起床だった。

柚子と昇に楽観的なことを言って強がったはいいが、内心不安で寝付かれず、早く目覚めたのだった。

ぼんやりした頭をすっきりさせるため、外気を吸おうと窓を開けた。東京にしては秋晴れの青い空。清々しい空気が心地よく肌を撫ぜた。

庭を見下ろすと、ヒロの姿が植え込みの間から覗いた。声をかけようとしたアリアだったが、開きかけた口を閉じた。Dが一緒だったのだ。一階からは死角になる植え込みの陰で、二人は何か話し込んでいるようだった。

「やっぱり、いつも一緒か」

 アリアは窓際にもたれ、つくともなくため息をついた。

 そんなところへ、無粋な男が訪ねてきた。

「失礼する」

 ノックしてすぐ、ドアが開けられた。

 氷室慎司だった。

「まだ寝むそうですね。闇夜の中、飛び回っていたわけではないでしょう?」

「飛び回る? あなたに自由を奪われてそんなことはできない」

「拘束した覚えはありませんが」

 氷室は冷笑した。

 昨夜、Dが何か行動したのだろう。という程度はアリアにも見当がついた。だが、深く詮索するのは危険だと感じ、話をそらした。

「女性の部屋に朝早く押し掛けて失礼だね」

 アリアは窓の外をむいて、冷たい言葉を返した。

「女性扱いしてほしいということですか」

 アリアはちらと氷室を盗み見た。氷室の視線はアリアの服装を確かめるように足元から上へと動いていた。

 アリアはまだパジャマの上にガウンをはおっているだけだった。髪も寝起きで絡まっている。

「女らしくはできない。考え直すのであれば今のうちだよ」

 ふてぶてしく言ったつもりだった。だが、氷室は口の端をあげてかすかに笑い、アリアのそばに近づいてきた。

「今はそのままで結構。そのうち、私の好みに変わってもらいます」

「無理だ」

「あなたに選択の余地はありません」

 氷室はアリアの肩を抱いた。

「こんなところでやめろ!」

「ではどういうところではいいのですか?」

 氷室は銀縁眼鏡の奥の目を細めた。

声を張り上げたアリアを見て、氷室は面白がっているようだった。

「どういうところでもいやだ」

「それは通りませんね。おや、執事が滞在中の女性にお熱ですか。それであなたは不機嫌に?」

窓のそばにきた氷室は庭にいる二人に気がついたのだった。

「関係ない」

「どうやらあなたとあの執事は知り合いのようだ。恋人ですか」

「違う」

「だが、気になる存在には違いない。では、アピールしてみてはいかがです? あなたのことをどう思っているのか」

「なに? やめ――」

 氷室はにやにやしながらアリアを抱きすくめて、窓辺でキスをしたのだった。

 アリアの騒ぎ声でヒロが窓を見上げた。目撃されたのは間違いなかった。

 ヒロが乗り込んでくるのではと思ったアリアは、氷室を突っぱねて窓の下を見たのだが、ヒロはDに腕を掴まれて立ち止まっていた。

 何事かを話してから、ヒロはDの腕を振り払い、アリアのいる方を一瞥してから、ふいと植え込みの中に消えたのだった。

 ヒロは来ない。

 見捨てられたと思ってショックを受けたアリアは諦めと絶望で一杯になった。

「どうやらあなたのことは、眼中にないようですね。私はあなたを大事にします。決して寂しい思いはさせない」

 氷室がそう言って肩を抱き寄せても、アリアは拒絶しなかった。

 自分のことなどどうでもいい。

 アリアはうつろな目で氷室の胸にもたれかかり、紺色のネクタイをぼんやりと眺めたのだった。


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