31・企み(1)
「おい、柚子いるか」
そう言いながら東昇が部屋に入ってきた。
丁度、二人は抱き合っていたところだった。柚子は飛び跳ねるようにして立ち上がり、アリアから離れた。
「悪い、取り込み中か」
昇はにやにやしながら声をかけると、柚子は真っ赤になって「馬鹿!」と怒った。
しかし、昇は表情をすぐに一変させて厳しい目つきでアリアを見下ろした。
「ここでのおまえは、氷室とはどういう関係ということになっている?」
昇は単刀直入に訊いてきた。
たぶん昇は情報を得て水広の屋敷へ来たに違いない。下手なことを言ってもすぐばれるだろう。だが、本当のことを話せば自分の素姓も明らかになってしまう。それに、女性だということも。双子達との今までの関係を壊したくないと思っていたアリアは、打ち明けるべきか迷いながらも、いつものアルトの声で正直に答えた。
「……婚約者ということになっている」
「まさか!」
初めて知った柚子は、両手を口に当てて驚きの声を上げた。昇は予想していたのか、驚いた素振りを見せなかった。
「おまえ、やっぱり女だったのか。それとも、氷室を騙しているのか」
昇はアリアが女性だと決めてかかっているわけではないようだ。であれば、そういうことにしてみようか。
腕組をして硬い表情で立っている昇を目の前にして、アリアはそんなふうに推し量り、それを実行したのだった。
「そう、騙している」
ゆったりとソファに座り直したアリアは、タイトスカートにもかかわらず男らしく足を大きく組んで昇ににっこり微笑んだのだった。
厳しい顔つきをしていた昇は、口元を緩めて思わず苦笑した。
「おまえ、女の姿のときはそれらしくしないとまるでオカマだぞ」
「だって、窮屈で」
「せめて足を下ろしてくれ」
「面倒だな」
アリアは渋々足を下ろした。
「で、水広宝珠の財産相続とどう関係がある?」
昇はため息をつきながら次の質問をした。緊張の糸が途切れたように思えたが追及は変わらなかった。
ごまかしはきかないと感じたアリアは、重大なことを話すのだというように、二人の顔を見て一呼吸置いてからおもむろに口を開いた。
「北海道の美原工業を覚えている?」
「お前の父親の会社だ」
昇は即答した。
この分では、氷室と美原ななが繋がっていることも知っているに違いない。
柚子もそう感じたのだろう。アリアの傍らで口を挟まずに二人のやり取りに耳を傾けていた。
アリアは言葉を選びながら先を続けた。
「……正確には、美原ななは母親だけれど美原社長が父なのかわからない」
「どちらにしても、美原ななは美原博一と復縁して社長夫人に舞い戻っているのだからおまえは美原の子供だ」
冷ややかともとれる口調で、昇は注釈を入れた。
その通り。アリアは小さく肯いた。
やはり嘘はつけない。アリアは自分の知り得た真実を包み隠さず伝えることにしたのだった。
「氷室は警視庁を辞めると言っていた。そして、祖母である水広宝珠に取り入り、水広グループの跡取りに収まる気だろう。水広宝珠に美原工業との資本提携話を水広宝珠に持ちかけていた。後ろ盾がない氷室は、美原工業社長の娘との婚約が強いパイプとなると考えたのだろう。そのあとに恐らく、自分の兄が跡取りになる予定の氷室建設を乗っ取るのが目的だと思う」
「なるほど。美原工業は本州にまで手を伸ばしていて名前も知れている北海道の中堅企業だ。水広グループが北海道の基盤を作れるというメリットがある。氷室はグループの実権を得たいということか。自分の兄貴まで蹴落としたいとは強欲な奴だ。氷室が今の地位を投げ打ってもいいと考えた理由が、これでわかった」
昇は氷室に嫌悪感を露わにして顔をしかめ、髪をかき上げた。アリアの説明で納得したようだった。
「ところで……お前、やっぱり女だということになるな」
今までの厳しい目つきとは打って変わって、してやったりとでも言うように、昇は喜々として声を張り上げた。
「残念ながら美原に娘はいない。昇は女装の私が好きなんだろうけど、生憎、私は男に興味はない」
アリアは小馬鹿にしたように鼻で笑った。
今更、素性を隠すために男で通す必要はなかったが、アリアが女性だと知れば、婚約を無理強いする氷室に対して昇は無茶をするに決まっている。そうなれば、氷室は昇を潰すだろう。アリアは昇を巻き込みたくなかったのだ。
きっぱりと否定したアリアに、昇はやや不安になったようで、柚子の態度を見て事実なのか判断しようとしたのだろう。探るような視線を柚子に向けたのだった。
「ばっかみたい。そりゃあ、そうあってほしいでしょうけどね。残念だけどアリアは男なの」
柚子はアリアの気持ちを察したのか、ソファに肘かけの上に腰かけてアリアの肩に手をまわし、頭を寄りかからせてそう言ったのだった。
「私が女性だということにしていれば、氷室は悪いようにしないと思う」
「お前が女かどうかなんて、美原ななと氷室が接触した時点ですぐにわかってしまうだろう」
昇は反論した。
「……大丈夫。二人が会うまでに解決するから」
氷室とななが既に取引していることを伏せて、かなり苦しい嘘だったが、アリアは自信ありげに断言した。
「あいつはアリアが女だとすっかり騙されているというのか」
昇の眼はまだ疑っているようだった。アリアをじっと見つめている。
「そういうこと。どこをどう間違えたのか、馬鹿な奴だ」
アリアは肩をすくめた。
「百歩譲ってもしそうだとして、氷室と結婚するってことはないだろう?」
「まさか。心配無用、ちゃんと次の手は打ってある」
アリアは鼻で笑った。だが、本当のところ、この先のことは何も考えてなかった。
「馬鹿なまねはするなよ」
「男同士で結婚できるわけないし、これ以上馬鹿な真似なんてないね」
「真面目に話せ」
「ふざけてなんかないよ」
昇のきつい言葉に、アリアは笑って応えた。
これ以上どうしろというのか。最悪の場合、アリアは双子達から姿を消して、氷室との婚姻を受諾しようとしていたのだった。昇の言葉はそれをも見透かしているように聞こえた。
アリアにひっついていた柚子も、だんだん心配になってきたのか、今にも泣きそうな顔になっていた。
「アリア、どこにも行かないでね……」
「柚子まで、馬鹿だな」
アリアにしがみつくように柚子の手に力が入った。アリアは安心させようと柚子の頭を優しく撫ぜた。
十無の刑事生命を失わせたくない。昇を巻き込んで探偵業に差し障りがあってはならない。柚子の将来を汚したくない。
アリアは強がるしかなかった。




