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28・すれ違い(2)

 おまえの意思で氷室と一緒にいるなんて絶対にありえない。

 十無の強い視線ははっきりとそう断言するようにアリアを突き刺していた。

 目を逸らしたら、嘘だと白状しているようなものだ。そう思ってアリアは十無をしっかりと見つめ返した。

 不本意であろうとも、氷室と一緒にいると決めたのは嘘ではない。アリアはそれが最良の選択だと思っていた。

 十無に迷惑はかけられない。

「嘘だろ」

 十無は眉間にしわを寄せてアリアの顔を見下ろしている。

 嘘だと言えたらどんなにいいだろう。でもそうするわけに行かないのだ。逆らえば氷室は十無に制裁を加えるだろう。

「刑事さんには関係ないことだ」

 アリアは精一杯突っぱねた。

「……そうか」

 十無は気の抜けた声でそう返事をしてあっさりと引き下がった。押し問答になるのを覚悟していたアリアは、十無に見放されたように感じたのだった。

腕を組んで俯いた十無は、少し考え込むように黙ってから、氷室に視線を移した。

「ところで、氷室警部、水広宝珠が祖母だということを隠していましたね。身内の捜査はできないはずです。Dの捜査からあなたを外すよう伝えます」

「そんなことをしてあなたに何の得がありますか。身内と言っても、私の祖父は離婚していて、水広宝珠が祖母だとわかったのはつい最近のことです」

 言い訳をする氷室に、十無は苛立ちを隠さなかった。

「決まりは決まりだ」

「それは困りますね。Dを確保して華々しく警視庁を去るという筋書きが台無しになってしまう。では、こうしてはいかがですか。あなたが正式に今回のDの事件に加われるように取り計らうということで」

「交換条件か」

「悪くない提案だと思いますが」

 全て自分の思い通りにことが運ぶと確信しているのか。氷室は嫌らしい笑みを口元に浮かべていた。

 そんな条件を十無が呑むわけがないとアリアは高をくくっていたのだが、十無は暫し考え込んだ後、「わかった」と肯いたのだった。

 意外な返事にアリアは耳を疑った。

 曲がったことを全く受け付けない十無が、不正に目をつぶるとは。氷室の言いなりになってまでDを捕まえて手柄を立てたいのか。

 十無も氷室に屈したのかと思うと、アリアは悔しくてたまらず、膝の上の両拳を強く握り締めたのだった。

「賢明な判断ですね」

 氷室は当然とでも言うように、銀縁眼鏡の奥の瞳を細めて頷いた。

「あらあら、皆さん怖い顔をして何事ですの?」

 食堂にいたDが顔を出して会話に参加した。

「いえ、仕事でちょっとしたトラブルが発生しましてね」

 抜けぬけと氷室が応対した。

「まあ、何か悪い知らせでも? 事件でもあったのかしら」

 大袈裟な驚きようで、Dは心配顔を氷室に向けた。

「詳しく話すわけには行きませんが、もう解決したので心配いりません」

「それはよかったこと」

 か弱い淑女を演じていたDを、十無の観察するような不躾な視線がとらえていた。あからさまな視線に、Dが気付かないはずはないのだが、態度には出さずに初対面のふりを通して、氷室に紹介を促した。

「こちらの方は?」 

「池袋警察署の刑事、東十無です。で、あなたは水広宝珠さんの?」

 氷室が答えるまもなく、十無自ら自己紹介をした。その口ぶりは事務的で、勤務中の刑事そのものだった。

「私の執事の姪、和美さんです。不審な者ではありませんよ」

 執事の中野に手を引かれてやってきた宝珠が口を挟んだ。

「皆さん、お掛けになって、お茶でもいかが」

 宝珠がそう促すと同時に、執事に徹しているヒロがティーセットをワゴンで運んできた。宝珠も話しに加わりたいのか、アリアの横にある一人掛け椅子を陣取った。

 十無はアリアをはさんで宝珠と反対側に腰を下ろしながらも、何か引っかかることがあるのか、Dから目を離そうとしない。

 以前、暗がりの中でとはいえ、Dに会ったことのある十無が何かを感じとったのではと、アリアは内心冷や冷やしていた。

「和美さん、どこかでお会いしませんでしたか」

 十無はとうとうそう質問してきたのだった。

 絶体絶命。アリアは動揺し、鼓動は早鐘のようになり、横に座る十無に聞こえるのではと思うほどだったが、Dの出方を見守っているしかなかった。

 ヒロは顔色一つ変えず、皆に淡々と紅茶を勧めている。

 しかし、アリアの不安をよそに、Dは突拍子もないことを言ってこともなげに危機を脱したのだった。

 十無と向かい合わせのソファに腰を下ろそうとしていたDは、驚いたように一瞬目を見開き、頬を赤く染めてこう言ったのだった。

「いいえ初めてお会いしますけれど。嫌ですわ、刑事さん。そんなナンパの常套手段のようなことを」

「そんなつもりは決して!」

 十無は耳まで赤くして強く否定した。その声は裏返っていた。

「ほう、東君が女に興味があるとは」

 氷室は立ったままティーカップを口に運びながら、面白そうにニヤニヤしている。

「警部! 茶化さないでください」

 十無は茹で蛸のように真っ赤になりながらむきになって否定した。

アリアは笑いをこらえるのに苦労したのだった。

 大いに動揺した十無は、額に汗を滲ませて、もはや冷静な判断ができる状態とは言い難かった。

「若い人はいいねえ。刑事さんにいい人がいないのなら私から和美さんを推薦しますよ」

 宝珠までも、調子に乗って十無を弄んでいる。

「や、そういう話は困ります。仕事中ですから」

 当人は本当に困っているのだろうが、傍から見ていると、生真面目に答える姿は滑稽だった。

「可愛い方。刑事さんて純情なのね」

Dはしれっとして、十無に微笑みながら止めを刺している。

 十無は口をぱくぱくさせるだけで返す言葉が出てこないようだった。Dはいとも容易く十無を手玉にとったのだった。

「お遊びはこのくらいにして、東さん、先ほどの約束はくれぐれも忘れないように」

 氷室がそれた話を軌道修正して釘をさした。

「念を押す必要はない」

 十無は来たときと同じ難しい顔に戻っていた。

「男に二言はない、ですか」

 氷室が見下したように鼻で笑った。

 だが、氷室のそんな態度にも十無は腹を立てるでもなく、落ち着き払ってこう続けたのだった。

「私もここに滞在します」

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