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26・役者勢揃い(3)

 氷室がいたときとは違う気まずさ。この状況を作り出してしまったのはアリアだ。

 アリアはそのことに気付いていたが、Dに対する苛立ちを抑えられなかった。

「二人で話したほうがよさそうね」

 Dはアリアとヒロに気を使って立ち上がったのだが、ヒロも「話すことなどない」と言い、それに続いた。

「だめよ、ヒロ。アリアちゃんと話しなさいよ」

 Dが止めたのも聞かず、ヒロはアリアのほうを見向きもせずに退室した。

「やれやれ、困った人」

 大息をついたDは、アリアを見た。

「ヒロはね、ここにいる間中苛々していたの。あなたに会えなくて」

 嘘だ。内心、アリアは即座に否定していた。

 それならば何故、無視するような態度をとるのか。

「疑っているような顔ね。でも本当よ。どうして素っ気ないのかは悔しいから教えてあげない」

 Dはウインクした。

 ヒロの気持ちは私が一番よく知っているのよ。アリアはそう言われたように感じたのだった。Dは慌てず騒がずヒロを見守る余裕のようなものを漂わせている。

アリアにはそれが悔しかった。

 いつもそばにいたのは自分だったのに。

「そんなに恨めしそうな目で見ないで。これだけは言っておくけれど、アリアちゃんの態度一つで全てが変わってしまうのよ。よく考えて行動してね」

「どういうこと?」

 Dは意味ありげに微笑むだけで、何も答えなかった。そして、客間の場所を教えてからアリアを残して行ってしまった。

 アリアは一人取り残された。

 二人の目的が何か聞きそびれてしまった。氷室をどうあしらっていいのかもわからない。ヒロに助けを求めることもできない。

 柚子は東兄弟がしっかりと保護してくれるだろう。今、自分を必要と思ってくれる人はいない。

「もう、どうでもいい」

 はき捨てるように呟いた。

アリアは酷く孤独に感じたのだった。

 


  翌朝、東昇あずまのぼるの腕の中には柔らかくて暖かいものが丸くなって収まっていた。昨夜からずっとこの状態だった。

 それはとても心地よく、そこにそうなるのが当然のように感じられた。腕の中でじっと動かないそれは、甘い匂いのする眠り人形のようだった。

柚子が瞳を開けたら起きよう。

 昇はそう思っていた。昇は時々薄っすら目をあけて起きていないか確認し、また瞳を閉じて眠りについた。徹夜で氷室慎司について調べていた昇は、カーテンの隙間から日差しが漏れる時間になっても、このまどろみから抜け出せなかった。

 だが、午前九時過ぎ、その環境は壊されたのだった。

「昇、電話」

 昇の携帯電話はいつまででも鳴り続け、とうとう柚子が起きてしまった。それに続いて昇も渋々起き上がり、仕方なく電話を手に取った。

 着信に『十無』と表示が見えた。

「なに」

 昇はすこぶる不機嫌な声で応答した。

「今忙しいのか、悪かったな。実はアリアを見失った。それで、氷室の行きそうな場所を知らないか?」

電話から聞こえる十無の声は早口で、焦りを全く隠していなかった。

「アリアがいなくてどうして氷室が出てくる?」

 昇は大方の理由は調査で見当がついていたのだが、動揺している十無がどう答えるのかわざと訊いたのだった。

「それは……尾行していればこんなことには……アリアは無理に笑っていたから、それで……」

 案の定、十無は意味不明の説明をしたのだった。昇はニヤニヤしながらそれを聞いていた。そうしている間に、目の前に座っている柚子がふと視界に入り、つい今しがたまでの自分の行動にはっとした。

 柚子が泣いていたから可哀想で慰めた。別に手を出したわけじゃない。こんな子供相手に手を出すはずがない。そんなことをしたら犯罪だ。だが、確かにずっと抱きしめていた。

 昇は変な汗が手に滲んできてどぎまぎした。

 柚子はそんなことには気付かない様子で、電話のやり取りをじっと聞いているようだった。

「おい、聞いているのか」

「ああ、ごめん」

昇は自分の考えを打ち消すように、頭をぶんぶんと横に振った。

「まず……本庁に連絡してみたのか」

「とっくに。今日は風邪で休むと連絡が入っているそうだ。だが、自宅のマンションは人の気配がないし、携帯電話も出ない」

「少し待ってみろ。まだ朝だぜ。病院かもしれない」

「実家を知らないか?」

「だから、待てって」

「待てない」

 昇は呆れて小さくため息をついた。

確かに、氷室の目的はアリアに関連しているのだろう。氷室がアリアを連れて行くのだと音江槇おとえまきが口走ったことからもそう推測できる。それにしても、十無の焦り方は異常だ。何がそこまで十無を焦らせるのか。

「なあ、落ち着け。アリアがどこに行ったかわからなくなるのは、今までもよくあったことだ」

「違う! 今回は違う」

「どこが」

「……勘だ」

 昇は絶句した。理論的な兄が何の根拠もなく行動している。

 無言でいると、十無がぼそぼそと付け足した。

「……昨夜のタクシーに乗り込んだときのアリアの思いつめたような顔が、ずっと引っかかっている。それに、アリアは女の姿で出かけている。それがどうしても氷室とかかわりがあるような気がしてならない」

 小学生並みの根拠に、昇は呆れた。

「おい、冷静になれ。そんなことで慌てているのか」

「……それだけではない」

「じゃあ言ってみろ」

 電話口で十無が話そうか躊躇っているのがはっきりとわかった。いくら待っても十無は黙っているだけだった。痺れを切らして催促しようと昇が口を開けかけたところで、ようやく話し始めた。

「……氷室がアリアを張り込む理由を教えてやるといって一緒にあいつの部屋を訪ねた。……氷室は肩に手を置いてアリアを引き寄せ、親しげに耳元で何ごとかを囁いた。あいつはじっとしていて……」

氷室はまるで恋人気取りのようだったと言った時には、余程話したくなかったのだろう、十無の声は辛うじて聞き取れる程度に小さくなっていた。

氷室がアリアに好意を寄せて言い寄ることなどありえない。何の得もないことを奴がするだろうか。

昇はわからなくなって、思わず唸った。

「兄貴、俺の情報では氷室慎司は美原ななと接触している可能性がある。もしかして、ななにアリアを引き渡す条件で報酬を得るのかもしれない」

 昇は柚子を刺激しないようにできるだけ声を潜めて話したのだが、ななの名前に敏感に反応した柚子は、目を大きく見開いた。

「氷室は金に困ってない。親はそこそこ大きい会社の社長だ」

「だから、金とは言ってない。氷室が欲しいものと引き換えということだ」

「……氷室は手土産ができたから、警視庁は辞めると言っていた」

 手土産。

「きっと、アリアのことだろう」

 氷室はななと交換条件で取引したに違いない。

「おまえ、氷室がアリアのスリをわざと見逃していたことを知っていたんだろう? 柚子から聞いたぞ。どうして俺に教えなかったんだ。それを知っていれば、アリアが氷室の言いなりになっていた理由がわかったのに」

「……ごめん」

 アリアは昇に仕方なく言ったくらいだ。十無になど絶対に知られたくないのだろう。そう思うと昇は言えなかったのだ。

「なながまた悪さを? アリアが危険なの?」

 柚子は不安そうに昇を見上げて、口を挟んだ。

「そんなことは俺がさせない」

 昇は携帯電話を口元から離して、柚子の頭をくしゃりとなぜた。

 それにしても、アリアを手土産にして得られる、キャリアを投げ打ってもいいほどの見返りとは何か。

 内部情報を漏らすような兄ではないが、今の十無であれば少しは融通が利くような気がした。昇は電話の向こうの兄に命令口調で言ってみた。

「俺が徹夜で収集した情報を特別に教えてやるから、兄貴も知っていることを教えろ」

「……わかった。さっさと言え」

 思ったとおり少し躊躇したようだが、十無は昇の提案に了承した。

「急かすな。黙って聞け。いいか、次男の氷室慎司は子供の頃から兄貴と比べられていた。氷室は親の会社を継ぐことを熱望していたようだが、父親は長男に継がせた。だが、その後会社は傾き始め、経営は下降の一途だ。氷室は兄を散々批判し、役員を降りろとまで言ったらしいが兄は譲らなかった。氷室はプライドが高く野心家タイプだ。そんな奴があっさりキャリアの道を諦めるということは、兄を見返すチャンスを得たということだ」

「どんな?」

「兄貴が今捜査している松涛の盗難事件、被害者は水広宝珠みずひろほうじゅという資産家だったな」

「そうだ」

「その捜査に入る前にも氷室は親父と兄とでそこを訪ねている」

「知り合いだったのか」

「水広宝珠は氷室慎司の祖母だ。実は、氷室の尾行をしてもらっていて――」

「それを早く言え! アリアも一緒にちがいない!」

「おい、待て。落ち着け、早まるな」

 昇は今すぐにでも乗り込みそうな勢いの十無をいさめたが、電話は無情にも一方的に切れてしまい、氷室の情報を引き出すどころではなかった。

「畜生! 兄貴のやつ、何も見えなくなってる! 止めに行かないとまずいぞ」

「私も行く!」

「ややこしくなるから、柚子はここにいろ」

「やだ、一人にしないで」

 置き去りにしたら、柚子は今にも泣き出しそうだった。昇は柚子を連れて行くしかなかった。

 二人は車に飛び乗り、水広宝珠宅に向かったのだった。

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