25・役者勢揃い(2)
氷室慎司を介して美原が資本提携を打診している?
黙って聞いていたアリアは意外な展開に耳を疑った。Dは相変わらずポーカーフェイスで、黙って聞いていた。
氷室は水広グループに取り入って地位を築きたいのだろう。それをどこからか嗅ぎつけたななが、美原工業との提携を手土産にすることを、持ちかけたに違いない。
ななは資本提携を餌に、娘との婚姻を条件にして、娘であるアリアを自分の手元に連れ戻そうという魂胆なのだろう。
氷室とななの目的がアリアにもようやくわかったのだった。
だが、ななと氷室の目的が明白になったからといって、今のアリアは氷室の言いなりになるしかなく、口を挟むこともできず、人形のように座っているしかなかった。
「慎司さんは警視庁に勤めていますよねえ」
「私は今の職を辞めるつもりです」
きっぱりと断言した氷室を、宝珠は悲しそうに見つめた。
きっと、宝珠はビジネスのことより、孫とたわいのない話をしたかったのだろう。だが、アリアには寂しげな宝珠に、いたわりの言葉をかけるような心の余裕はなかった。どうにかして自分の置かれている状況を打開することばかり考えていた。
「お婆様の会社は十分な力をお持ちですが、全国ネットを展開するために、北海道での基盤も必要ではないでしょうか。私は美原工業とお婆様の水広グループを提携することはお互いにメリットがあると考えています」
氷室は自信たっぷりに持論を展開し、宝珠が寂しそうな笑みを浮かべていることには気がつかないまま、自分の世界に陶酔していた。
「それで、慎司さんは氷室建設を継ぐことになっているお兄さんと競いたいのですね」
「兄では今の時代を乗り越えられない。氷室建設は水広グループに吸収します」
「それで、いいのかしらねえ」
「祖父は浮気相手と一緒になったときいています。お婆様が私と手を組めば、憎い氷室の名を消し去ることができるのですよ」
「……確かに恨みましたよ。女を作って私を捨てたあの人を。あの人は、息子までも私から奪った。でもねえ……」
宝珠は乗り気ではないようだった。
「父は、実の母親――お婆様のことを一切口にしなかった。だから、私も、水広グループがお婆様の会社だったとは、祖父が亡くなるまで全く知らなかったのです。知っていれば――」
「会長だと知っていればもっと早く会いに来ていたということかしらねえ」
「い、いえ、そういう意味ではなく、お婆様の存在を知らされていたら、と」
祖母に地位と財力があると早く知っていたら、すぐにでも会いに来たのに。
氷室はそう思っていたに違いない。氷室は口を滑らせてしまったのだ。取り繕うように言い直したが、宝珠の落胆は明らかで、表情は益々曇っていった。
「今夜は疲れました。この話はまた今度。夜も遅いし、よかったらあなたも泊まっていきなさい」
宝珠はアリアにそう言ってから硬い表情で立ち上がった。
執事の中野がそれと同時に動き、宝珠の傍らへ静かに立った。
「お休みなさい」
宝珠は軽くお辞儀をし、ごく自然に中野の片腕に手を回して寝室に下がった。
三人は、気まずい雰囲気の中に取り残されたのだった。
「宝珠様もああ言っておられたのですから、遠慮なさらずお泊りになってはいかがでしょう」
沈黙を破ったのは、中原洋こと、ヒロだった。
今まで、離れたところにひっそりと立ち、成り行きを見守っていたのだが、三人に近づいてそう促したのだった。
ヒロは何を考えているのだろうと、アリアは耳を疑った。
アリアがここに残れば、ヒロやDと接した時にぼろが出ないとは言い切れず、危険なのだ。
「そんな、突然押しかけておいてご迷惑をおかけするわけには行きません」
アリアは丁重に断ったのだが、氷室はそれを認めなかった。
「泊まらせて貰いなさい。そして、明日もう一度話の続きをしよう」
「慎司さんも、明日はお仕事があるでしょう」
「私は、暫くここに滞在することになった」
「えっ」
「この女の好き勝手にさせるわけにはいかない」
氷室は正面にいるDを睨みながらそう言った。
仲が悪いというレベルではない。むき出しの敵意。Dと氷室が敵対していることは明白だ。
Dは相変わらず微笑んでいた。それは、氷室をさげすむような態度だった。
「何がおかしい?」
氷室は感情をあらわにしてDに食ってかかった。冷静な氷室もDにかかるとポーカーフェイスを保てないようだ。
「いーえ、別に」
そう言って、Dはまたもや見下したように微笑んだ。
「馬鹿にするな」
「馬鹿にしたつもりはないけれど、お婆様があんまり可哀想で」
「どういうことだ」
「あなた、お婆様の権力と財産目当てだって見え見えなのよ」
ヒロはDに目配せしていた。それ以上口出しするなとでも言っているようだった。
「そんなことはない。今後のことを考えて――」
「苛々するわね!」
Dは語彙を強めてそういったかと思うと、すっくと立ち上がった。
氷室が怪訝そうにDを見上げ、アリアは何事かとはらはらしながら二人を見つめた。ヒロはというと、もうDを止められないとでも思ったのか、執事として無表情を決めこみ、直立姿勢を保っていた。
「どうして仕事の話なんかするの。あのね、あなたお婆様がどんな気持ちなのかわかっているの? お婆様はきっと幻滅したわね!」
こうなるとDを止めることは不可能だ。片手を腰に当て、氷室を指差して言いたい放題だった。感情に任せて後先考えずに言っているのだろう。
Dは宝珠にかなり感情移入している。
盗みの下見で潜入しているのかと思っていたアリアは、どんな目的でDとヒロがここにいるのか、全くわからなくなった。
氷室が追っている渋谷区松涛で起きた七千万円の盗難事件。被害者宅は水広宝珠宅であり、Dはすでに追われているということを、このときのアリアはすっかり忘れていたのだった。
「いい? 十月八日のお婆様の誕生日に、あなたのお父さんを連れてきなさい。それができたらお婆様のご機嫌も少しはよくなるでしょう」
氷室は圧倒されたのか、口を半開きにしてぽかんとしていた。
「わかったの?」
「た、他人のあなたに指図を受ける必要はない」
氷室はようやく反論した。
「別に、お婆様の信頼を得たくないのであれば実行しなくてもいいけれど?」
氷室は人に指示されることが嫌いなのだろう。悔しそうに唇をかみ締めた。
「お婆様の機嫌を損ねたのは事実よ」
Dは勝ち誇ったように鼻で笑った。
アリアはヒロが微かにため息を漏らしたことに気付いた。
「さ、慎司さんもお疲れでしょうから部屋でお休みになって。七草さんの部屋は私が案内するわ」
Dの独り舞台だった。
氷室は無言で立ち上がり、居間を出て行った。
扉が閉まると同時に、ヒロが唐突にDの鼻先まで近づいた。
「おい、無茶苦茶だ!」
「あら、ちょっとあおってやったのよ。そのほうが早くけりがつくわよ」
「危険だ。あまり目立つな」
ヒロは厳しい顔をしてDを怒りつけたのだった。
氷室はアリアを婚約者だと紹介したのに、ヒロは真っ先にDの傍に行ったのだ。
ヒロが自分のほうへ飛んでくると思っていたアリアは、沈んだ気持ちになった。
「私は大丈夫だけれど、アリアちゃん、婚約者って……」
むしろ、Dのほうが心配してくれた。ヒロもようやくアリアのほうを振り向いた。
「何かやったのか」
咎めるようなヒロの口調と冷たい視線がアリアに向けられた。
ヒロのことをこんなに心配していたのに。
アリアは泣きたくなるのを堪えて言い返した。
「ヒロこそここで何をしているの」
「新聞で知っていると思うが、ここの盗難事件の件で――」
「こっちは心配ないわよ。もうすぐ済むから」
Dがにっこり微笑んだ。
何でも任せてというようなDの笑顔が、アリアには腹立たしく思えたのだった。
「私も、自分で何とかできるから心配ない」
「おまえ、強がるな」
「強がってない」
「嘘をつけ」
「どうせ私は、ななのところに戻ればそれで済むんだから!」
「本気で言っているのか」
「かまわないで」
自分のことすら解決できず、迷惑をかけるだけの存在に見られたくない。
アリアは精一杯虚勢を張っていた。
「大方、ななが氷室を焚き付けたのだろう。とすると、面倒だな」
ため息をついたヒロは、アリアの言うことなど聞かなかったかのように、対策を思案し始めた。
「だから、自分で何とかするって――」
「あの氷室という男に、弱みでも握られたんだろう」
見透かされている。アリアは押し黙った。
「そんな言い方をしなくても」
まるで、子を叱る父親とそれをとりなす母親のようだ。
間に入って援護してくれたDが、アリアには気に入らなかった。
Dは関係ないのだから口出ししないで。
子供じみた独占欲が、沸々と湧き出て、アリアの中でDを悪者に作り上げていった。




