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20・恋心

「もし、私に何かあったときは、柚子を頼む」

 東昇はアリアにそう頼まれたのだ。

 氷室慎司のせいで、アリアは柚子を突き放さなければならなかったに違いない。昇はそう思っていた。

 氷室慎司はスリの現行犯を見逃してアリアを泳がすばかりか、正規の捜査方法をとらずに十無を利用している。それに、わざわざアリアに接触して相手を警戒させるような真似をしている。

 目的は女怪盗Dを逮捕することではない。もしかすると、アリアの身が危険なのではないか。

 はっきりとした理由があるわけではないが、昇は漠然とした不安を感じていたのだった。だが、昇にも氷室の目的が何なのかつかめていなかった。

 一刻も早く、氷室の目的を探り出さなければ。

 アリアとの接点が必ずあるはずだと考えた昇は、柚子をアパートに引き取ったその日の夕方から丸一日かけて歩き回り、情報網を駆使して氷室慎司の周辺を徹底的に調べ直したのだった。

 氷室慎司の両親は再婚だった。父親はそこそこの建設会社を経営しており、氷室の兄がすでに片腕となっている。

 家族間のトラブルは調べた限りでは何も出てこなかった。

 氷室の最近の行動で、引っかかることが一つあった。プライベートで北海道へ行っているのだ。

それも一人で、一泊だけ。

「ずいぶんとせいが出るわね。それ、何の依頼? また無償奉仕じゃないの?」

 深夜、誰もいなくなった事務所でパソコン画面とにらめっこしていた昇に、音江槇おとえまきが来て声をかけた。

「依頼は受けている」

 昇は画面から目を放さずに返事をした。

「副所長である私にまったく報告がないけれど」

「忙しくてね。後で報告する」

「依頼主くらい報告しなさい」

「……アリアだ」

 音江槇は一瞬言葉に詰まった。

「危ないことに首を突っ込まないで。犯罪がらみはごめんだわ。刑事の十無に任せたらいいじゃない」

「兄貴はそこまで手が回らない」

「だからって、昇がやらなくても」

「正式な依頼だ」

 報酬があれば、何の問題もないと考えていた昇は、堂々とそう答えて音江槇の方を振り向いたのだった。

 だが、音江槇の顔は以外にも強張っていたのだった。

「私も、手伝う」

 槇の予想外の申し出に、今度は昇が言葉に詰まった。

「それは……」

「何か都合悪い? じゃあ決まりね。早速、今までの経過を教えて」

 そう言って、槇は隣のデスクの椅子に勢いよく腰掛けた。

 槇に押し切られてしまった。普段であれば、昇は必要ないといって断るところだが、断ってしまうと、何故か槇が泣きそうに思えたのだった。

 昇にそう思わせるほど、槇は必死の形相だったのだ。

だが、アリアのことで頭が一杯だった昇は、そんな槇の心情を汲み取ってやれる余裕がなかった。

 昇は槇の言動に引っ掛かりを持ちながら、事務的に状況を伝えた。

「――で、氷室の北海道への一泊旅行は観光ではないことは明白だ。推測だが、誰かに会いに行ったのではないかと思う。……どうかしたか? おまえ、顔色悪いぞ」

 昇は槇の顔を覗き込んだ。

 調査内容の進行状況を報告していくうちに、槇の顔から血の気が引いていったのだった。

「大丈夫よ」

 槇はかすれ声でそう答えたのだが、ぐったりと首を折るようにして俯いた。

「具合悪いのか?」

 槇は少し顔を上げて頭を横に振った。

「……ねえ、この調査から手を引いて」

「どうして?」

「アリアが依頼した内容は今掴んだ情報で十分。それ以上の調査を求められていないでしょう?」

「だが、氷室慎司の真の目的を探らないと意味がない――」

「いいから手を引いて!」

 しっかりと顔を上げた槇は、声を荒げた。その勢いにたじろいだ昇だったが、一方的に押さえつけられて納得できるはずもなかった。

「では、俺一人でやる」

「どうしてもというなら他の人を担当にする! 昇はこんな仕事をする必要なんかない」

「俺が請けた仕事だ。きっちり報酬も貰うのに何が悪い」

「私情が入っているじゃない。冷静な判断ができないわ!」

「俺は冷静だ。おまえのほうこそどうかしている」

「父は――所長はあなたを目にかけているのよ。わかる? ゆくゆくはあなたに事務所を継いでもらいたいと思っているの。もっと事務所全体を見て――」

「俺は今の仕事をやり遂げるだけだ」

「私の気持ちはどうなるの?」

 昇ははっとした。

今になって、昇は槇の気持ちにようやく気づいたのだった。すっかり忘れていたが、槇は昇に好意を抱いていたのだ。

「俺は――」

「昇がいないと、この事務所はどうなるの?」

「俺より優秀なやつは大勢いるじゃないか」

「昇じゃないとだめなの!」

 そう言って槇は昇の胸に身を埋めた。

「おい……」

 昇は以前から槇の気持ちを薄々感じ取っていた。だが、幼馴染という心地よい関係を壊したくなくて、知らないふりをしてきたのだった。宙ぶらりんにしてきたつけが、回ってきてしまったのだ。

「悪い。俺はその気がない」

 昇はきっぱりとそう言って、槇の両肩をつかんで起こした。

「あのこのせいね。あのこは犯罪者なのよ。昇を不幸にするだけだわ!」

「アリアのことか」

「いずれ捕まる。捕まらなくても、氷室がアリアを連れて――」

 槇は途中で口をつぐんだ。

「おまえ、何か知っているな?」

 昇は目が泳いでいる槇の顔を覗き込んだ。

 アリアがらみのことで槇が関わった人物は、今までに一人しかいない。もしかして、槇はまだその人物と繋がっているのか。

「美原ななに関係しているのか!」

 昇に両肩をつかまれている槇は、逃げ場がなく黙って俯いた。

「槇、知っていることを全て話せ」

「話したら、昇は私を見てくれる?」

「それとこれとは別の話だ」

「違う、切り離せない」

「……」

 槇の瞳が、切なそうに昇を捉えていた。

 その瞳に応えられない昇は、槇の両肩からゆっくりと手を下ろし、口をつぐんだ。

「本気なの? 少年相手に」

「俺は、女だと思っている。でも、そんなことはどうでもいい。俺はあいつのことが好きだ」

 音江槇の顔がこわばった。

いやだ。槇は全身でそう表現しているように見えた。だが、ここで自分の気持ちをはっきり伝えておかなければ、音江槇をもっと傷つけてしまうことになる。

 昇は目を逸らさずに言葉を続けた。

「槇は上司で、大事な幼馴染だ。だが、それ以上にはなれない」

 槇の口元が震えていた。泣かせたくなかった。

「馬鹿!」

 昇に背中を向けて立ち上がった槇は、怒鳴り声を残して事務所をばたばたと出て行った。

「ごめん、槇……」

 その後姿に向かってそう呟いたのだが、槇が言いかけた言葉の続きが何だったのかということで、昇の頭の中は一杯だった。

『捕まらなくても氷室がアリアを連れて――』

 どういう意味なのか、昇は図りかねていた。

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