18・反撃(3)
「そうね、私の我がままにつき合わせているのだから……やっぱり、事情をお話しないといけないねえ」
「宝珠様、盗賊など信用できません。話さないほうが――」
「中野、この方たちを信頼しましょうよ。そうするしかないの」
執事が制するのを聞かず、水広宝珠は話を続けた。
「保険金目当てに嘘の盗難事件を仕組むなんてできやしません。保険をかけていないんですから。これは、私の最後の賭けなんですよ」
水広宝珠のほとんど見えないはずの瞳は、必死に何かを訴えかけるように、しっかりとDを捕らえていた。
「あんたたちは用意周到な泥棒のようだから、下調べで私のことは重々承知でしょうが、私は夫と離婚してからずっと一人だった。女伊達らにと言われながらも、会社を立ち上げて必死に働き、こうして一財産作ることができた。そのときの私は、私を捨てて浮気相手の女と再婚した夫を、仕事で成功して見返すことに必死だったの。まあ、仕事に集中することで忘れようとしていたのかもしれないけどねえ」
老齢の執事は、過去を語り始めた女主人を、彼女の背後から心配そうに見つめていた。
食事が済んでしまったヒロは、腕組をして目を瞑り、じっと座っている。Dは黙って宝珠の話に耳を傾けた。
「私には離婚したときに手放してしまった息子がいてね。だけど、私は息子にまったく会おうとしなかった。夫に捨てられて、惨めな生活を送っている姿を見せたくなかった。変なプライドが邪魔してね。元夫を見返せるようになったら、息子に会いに行こうと思って仕事に打ち込んだ。でも、仕事に夢中になって、気がついたときには何十年も経ってしまって」
そこまで一気に話し、女主人は両肘をテーブルについて顔の前で手を組んだ。
「今はもう孫も成人している有様。息子は五十歳になるから、親の手を必要とする歳ではないし、息子の子供も父親の後を継ぎ、何も心配はないはだったのに――」
ため息と供に吐き出された言葉尻の後には、不安を滲ませた重い沈黙があった。
深入りするな。
これ以上関わるなというように、ヒロが薄目を開けてDに合図した。Dも同感だった。面倒なことに巻き込まれたら、危険だ。なにせ、泥棒に入った先なのだから。なのに、好奇心が勝ってしまったのだ。
その先を促す言葉が、Dの口から無意識に出てしまっていた。
「何かあったのね?」
Dが興味を持って熱心に聞き入っているのがわかったのだろう。女主人は安心したように大きく頷いた。Dの横にいるヒロのため息が聞こえた。
「それが、今年の春先、離婚後初めて、息子がここを訪ねてきたの。自分の息子二人を連れてね」
息子や孫との対面は、良からぬことをもたらしたのだろう。女主人は目を伏せた。
「息子は、父親が亡くなって二年も過ぎたから、実の母親に会いに来たのだといったの。元夫は六十八歳のときにがんで亡くなったことは知っていたけれど、私は息子に会いに行かなかった。奥さんもいるし、今更、顔を出すなんてできなくてね」
突然やってきた息子は、今まで会いにいかなかった母親を責めたのだろうか。
家族を捨てたDは、水広宝珠の気持ちはわかっても、息子の気持ちは想像できなかった。
「私は突然のことで、声がかけられなかった。するとね、息子はこう言ったの。今日は仕事の話をしに来た、と」
スーツ姿の息子は、父親から引き継いだ会社が傾きかかっているといい、自分の息子に継がせたいがこのままでは心配だ。出資してくれないかと宝珠に訴えたのだという。
「もう私も七十歳。今まで息子に何もしてあげられなかった分、何かしてあげたいと思っていたの」
宝珠は明かり程度しか見えていないはずのうつろな瞳を、宙に泳がせた。
「でも、そのとき、こう言ってしまったの。出資するからには、会社の業績を提出しなさい、と」
すぐにでも現金を手渡したかったのに、ビジネスと言われてついそんな風に冷たくしてしまったのだとため息混じりに呟いた。
「感動的な再会なんて望んでいなかったけれど、どうして今まで会いに来なかったのかと責められたほうがいくらかましだった。あの子は、私のことなど母と認めてないって思い知らされたの」
宝珠の目が涙で潤んでいた。小柄な体が一層小さく、弱弱しく見えた。
何十年ぶりに会った母と息子。冷たい関係。
自分と妹、愛香とのトラブルを思い出しながら聞いていたDは、宝珠の気持ちがわかる気がした。
責められ、なじられたほうが、謝って許しを請うことができる。その機会さえ与えられないのは、辛い。いつまでも許してもらえないのだから。
「息子に金を渡したら、それで済むことだろう?」
ずっと黙っていたヒロが、宝珠を睨み付けて腹立たしそうに口を挟んだ。
「そうかもしれないねえ。母親として接しもらいたいなんて、虫が良すぎる話かもしれない。ビジネスとしてでも息子の役に立てたら、それでよしとしなければならないのよねえ。でも、もう一度だけ、確かめてみたい。もし、ほんの少しでも母だと思ってくれていたら……遺産はすべて息子に託そうと思って」
「で、全然だめだったら?」
Dは宝珠のほうに身を乗り出した。
「まだ決めていないけれど、どこかの福祉団体に寄付してしまおうかねえ」
息子を思っている割には、なかなか手厳しい。冷酷な感じさえする。Dは眉をひそめた。
「まだ話が見えない。俺たちの役割は何だ?」
ヒロの不機嫌な口調は変わらない。
「宝珠様の財産を盗んだ賊という役です」
執事が答えた。
「だから、それに何の意味がある?」
「財産がなくても、会いに来てくれるのか試したいのよ」
「それは無理だろう。金がらみで会いに来たくらいだぜ?」
ははっとヒロは短く笑った。
「それが、事件のあとに孫が来てくれたの」
宝珠はそう言っていくらか微笑んだ。
「上の子はしっかり者で、父親の会社を一生懸命手伝っているようね。下の子は警察官になっていて、今は警視庁にいるのよ」
ヒロとDは青ざめて顔を見合わせた。
「あんたたちを引き渡すようなことはしやしません。捜査に来たけれど、大丈夫」
ついほろりとして手を貸そうかと気持ちが傾いていたDだったが、一気に目が覚めて、背筋を正した。
やはり、一刻も早くここから出なければ危険だ。
「孫が来てくれたことだし、もう十分だろう」
「いいえ、息子は一度来たきり」
「俺たちがここにいる必要はないだろう」
「だめ、まだ逃がしませんよ。万が一、捕まってしまったら困るからね」
「別に私たちじゃなくてもいいでしょう?」
「ある程度の大物じゃないと、ばれてしまうからね。適任の泥棒をずっと探していたのよ」
「こんなこと、終わりがないじゃない。もう、籠の鳥はうんざり!」
「あと六日だけ待って。もうすぐ私の誕生日なのよ。十月八日、そこではっきりさせるから。報酬も倍にするわ。老い先短い年寄りのたった一つの我ままに付き合ってほしいの。ねえお願い、逃げ出そうなんて思わないで」
二人が逃げ出す段取りを進めているのを知っているような口ぶりに、Dはどきりとした。
まだどこかに隠しカメラがあるのだろうか。だとすると、逃げ切れない。
「いいわ。でもその代わり、あのダイヤのネックレスも頂けないかしら」
あくまで強気でいかないと、弱みに付け込まれそうな気がしたのだった。
「あれは……いいでしょう。私の誕生日に渡すということであれば」
宝珠は少し考えてから承諾した。
「それと、逃げないから、地下から出てもいいかしら。そうね、お手伝いさんってことで」
「あんたは派手だから、お手伝いさんには見えないねえ」
「あら、それは大丈夫。どうにでもなるから」
「でもお手伝いさんは足りているしねえ。そうだ、中野の姪が遊びに来ているということにしようか。あんたは、執事見習いってことにして」
宝珠は、ヒロのほうを向いてにっこり笑った。
「D、それでいいのか?」
「ま、いいでしょ」
なんにしても、軟禁状態から格上げだ。もう少し探りを入れて完全に安全だと確認してから脱出を考えてもいいと、Dは軽く考えていた。
ヒロは難しい顔をして不承不承という感じだったが、Dはあのダイヤを手に入れられるのであれば、多少のリスクがあってもいいと思っていた。
Dの考えは甘かった。このあと、危険な事態に陥ってしまうとは、そのときのDは思ってもいなかったのだ。




