17・反撃(2)
「急ぐぞ」
階段を駆け上がりながら、ヒロが言った。
言われるまでもなく、Dはヒロの後にぴったりとついていた。
食事のたびに二人は色々な理由をつけて時間を延ばし、女主人が不在の部屋に足を忍ばせていたのだった。
水広宝珠の寝室は、一階の左端にある。地下階段は屋敷の右端にあり、食堂はその間にあるため、前を通り過ぎなければならない。だが、扉はいつも閉められているため、気づかれないように通過できた。
二人は二分とかからぬ間に、寝室の前へたどり着いた。
ヒロが用心深く扉のノブを回したが、前回同様に鍵はかかっておらず、難なく部屋へ滑り込めた。
三度目の侵入だった。壁に備え付けのランプ型ライトが三ヵ所ほど灯ったままになっていたが、二十畳ほどの部屋は木目調の壁のせいで日中でも薄暗かった。
目が悪いのだから、もっと明るくしたほうが動きやすいのではないだろうかと、Dは不思議に思った。
どの部屋も薄暗いのだ。地下室が一番明るいくらいだ。
「暗いし広いし、嫌になっちゃうわ! 十分足らずじゃ見つけ出せやしない」
Dは両手を壁に這わせて探りながら、文句を言った。
クローゼットに飾り棚、ドレッサー。それらしい場所はすべて調べつくした。後は隠し扉などがないか確認するしかない。
「この部屋以外には考えられないが……」
ヒロも反対側の壁を探っている。
食事のたびに地道な作業。それも数分間しかないのだ。
「おい、ここ、音が違う」
ヒロがDを手招きした。
そこはベッド横の壁だった。
木目の壁は腰板との境目が少し磨り減っていた。ヒロが壁を押してみると、ライティングデスクの机板のように一メートルほどの幅で壁の一部が手前に開いた。
「見つけた!」
Dは飛び上がって喜んだ。
「だめだ、もう時間がない」
ヒロが腕時計を確かめて言った。
「ここまできたのに」
「決行は明日だ。戻ろう」
ヒロは舌打ちしているDの腕を引っ張って扉へ進んだ。
間一髪だった。
二人が地下室に戻ったのと、執事が地下階段を下りてきたのは同時だった。
「はい、お待ちどうさま!」
執事が扉を開けるか開けないうちに、Dは部屋を飛び出た。
執事は細い目を丸くしている。
「おい、ご老体をあんまり驚かせるな」
「あら、ごめんなさい」
Dは上機嫌だった。
明日には防犯カメラの映像を手に入れて、窮屈で退屈なこの生活ともおさらばできる。おまけに、例のダイヤも手に入るのだ。
そう考えると、どうしても顔がほころんでしまう。
食堂は眩しい日差しに包まれていた。
Dは思わず目を細めた。大きな窓の外に、青々とした木々が揺れているのが見える。
光の中で、水広宝珠はいつも通り穏やかな笑みで二人を迎えた。待たされても、決して嫌な顔をしないのだった。
「それではいただきましょうか」
女主人と向かい合わせに席に着いたDとヒロも、女主人に習って両手を胸の前で合わせて『いただきます』をした。
今回の昼食も、バランスのとれた昔ながらの日本食。一汁三菜。
幼い頃からどちらかというと洋風の食卓で育ったDは、こんな食事を毎食摂った経験はなかった。豪邸に住む女主人のものとは思えない質素な食事。
Dは絹さやの味噌汁を口にしながら、ふと違和感を覚えた。
こんな食事をする人物が、保険金詐欺など思いつくものだろうか。
確かに、上質な食材を使用している。高齢だということもあるかもしれない。
女主人は地味なグレーのワンピースを着ている。衣類にもお金をかけているようではない。屋敷をうろついてわかった、質素で尼僧のような生活。
女主人の楽しみといったら、毎月のクラシック・コンサートくらいのものだ。
コンサート会場で見た、きらびやかな宝石を身につけていた水広宝珠からは想像できない。
「お二方とも、入り用なものはございませんの?」
女主人が箸を休めて言った。
隣に座るヒロは、黙々と食事を摂っていて返事をしそうにもなかった。
「テレビ……今日の新聞が見たいわね」
無視するのも嫌な気がして、Dは無駄だと思いつつそう要求した。
「それは、いかがなものでしょうねえ、中野」
女主人は傍らに立つ執事に意見を求めた。
「ほかのものでしたら、ご用意いたしますが」
予想通りのせりふだった。
「もう十日以上経ちますけど、私たちいつまでこうしていたらいいのかしら」
カレイの煮付けをつついていた手を止めて、Dは少し苛々した口調で言った。
「そうねえ、もう暫く……」
女主人は、困ったように頬に片手を当てて首を傾げた。
いつもこんな調子で、何を訊いてものらりくらりとかわされる。
お年寄りをいたわるのも限界だ。
「あのね、年寄りのお遊びに付き合っている暇なんかないのよ」
「お遊びではありませんよ。私の、総てを賭けているのだから」
きつい口調で言葉を浴びせるDに、水広宝珠は戸惑うでもなく、穏やかに答えた。
「保険会社から盗難保険金を巻き上げようって魂胆でしょう?」
明日にはここから逃げられるのだという安心感も手伝って、Dは思っていたことをぶちまけた。
ヒロは、Dの横で「もうよせ」と目配せしていたが、Dは無視して続けた。
「そんなに私腹を肥やしてどうするつもり? 私には理解できないわ」
女主人は、行儀よく両手を膝にのせて、正面に座っているDのほうを向いて黙っているのだった。
彼女の視力は、人の形が薄っすらとわかる程度しかないはずだったが、Dはじっと見つめられているような気がした。
女主人の、悲しげに何かを訴えているような瞳。Dは弱いもの苛めをしているような嫌な感覚になった。
「別に責めているわけじゃないの。なんだかわからないで巻き込まれるのは嫌なのよ」
お年寄りを相手に、口が過ぎてしまった。後悔したDは穏やかにそう付け足した。




