15・二人の関係(3)
「部屋を訪ねてなんの意味がある? 警戒させるだけだろう!」
エレベーターに乗り込むや否や、東十無は氷室慎司に食って掛かった。
「どうせ、最初から東さんが張り込んでいることは知られているでしょう」
「それはそうだが……あんたこそ、馴れ合いなんじゃないのか。あいつとあんな……」
あんなに馴れ馴れしそうに肩を抱いて、とはさすがに言えない。なんと言っていいのか困り、十無は言葉を濁した。
「ずっとあなたと一緒に捜査をしていましたが、なにか問題でもありましたか」
氷室は平然としている。
アリアとはどういう関係だ。
そう訊きたいところだったが、さすがにストレートには訊けなかった。
「あいつに何を言った?」
「それは秘密です」
十無にいう必要などないというような、こけにした口ぶりだった。
一階に到着し、氷室は先に降りた。
「待てよ! おまえ、何を企んでいる?」
「人聞きの悪いことを言わないでください。私は犯人検挙に努めているだけです」
氷室は振り返って勝ち誇ったように鼻で笑った。
「くそっ、馬鹿にするな!」
十無は氷室の襟首につかみかかった。
「落ち着け。私にこんな態度をとっていいのか?」
氷室の鋭い視線と強気の荒い言葉。
上司に楯突いていいのか。お前の進退は俺が握っている。
氷室の言葉の裏には、そういう意味が含まれていた。
十無はゆっくりと氷室にかけていた手を下ろした。氷室はずり落ちた銀縁眼鏡を指先で持ち上げてから襟を正した。
「なかなか、東さんも血の気が多いですね。意外でした。それとも、アリアのことだからでしょうか。彼に特別な感情をお持ちのようだ」
「そんなこと、あるわけないだろう!」
そう言ったものの、十無は顔が高潮していくのが自分でもわかった。
「なるほど。素直ですね」
「茶化すな!」
十無は怒鳴ることで赤面をごまかそうとしたが、氷室は見透かしたように冷ややかに口の端で笑った。
「その馬力があれば出世競争にも勝ち進めるかもしれませんね。一つだけ教えましょう。私は手土産ができたので、Dの一件に決着がついたらこの仕事に見切りをつけるつもりです」
「見切りって」
「警察を辞めるつもりです。未練はないと言ったでしょう? 自分の上に人が立つのが嫌なんでね。警察では上に行くのに限界がある。さて、雑談はこのくらいにして、東さん、帰って休んで下さい」
「氷室――」
「自宅で休みなさい」
「……」
出世は望まないが、刑事という職業は絶対に失いたくなかった。この仕事のほかには考えられない。十無はこれが自分の天職だと思っている。悔しいが、十無は黙って従うことにした。
氷室は十無から車のキーを受け取って、アリアの張り込みを引き継いだ。
十無は最寄りの地下鉄駅まで歩いた。
十月の昼時、日差しは暖かく心地よいのだが、気分は最悪だった。
足がふらつくのは寝不足のせいだけではないのだろう。仕事に私情は禁物だが、氷室がアリアの肩を抱いている光景がどうしても頭から離れないのだ。
そして、氷室の、『手土産』と言う言葉。
何をさすのか。その『手土産』はどこにもたらされるものなのか。
アリアは明らかに氷室を見て怯えていた。
氷室はアリアに危険をもたらす存在に違いない。敵を打つにはまずは敵をよく知らなければ。氷室慎司の身辺を探ってみよう。昇に頼んで徹底的に調べてあいつの足をすくってやる。
十無は被疑者であるアリアの肩を持っていることに、自分で気づいていなかった。
氷室にぶつけられなかった拳の分を、十無は氷室の情報収集に注ぎ込もうとしていた。




