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大正九拾九年

星と婚約者

作者: 星椋歩

「前略 しづゑ様

まづ最初に謝らねばなりません。申し訳ありません。


貴方は今、キャフェーで此の手紙を読んで居られる事でせうが、

御察しの通り、わたくしは貴方にお目に係る事が出来ません。

何故ならば、斯く云ふ事なのです。


わたくしが星ばかり見上げて居る事、もうご存知でせうね。

昨晩、いつものやうに空を見上げて居りますと、一ツ星が此方に向かい落ちて来たのです。

おやめづらしい事も有るものだ、東京では流れ星も見難くなつて居るのにと思案する間に、其れはみるみる近く大きくなつて来るでは有りませんか。

若しや巨大なる隕石では有るまいか、落ちてしまえば東京なぞ一溜りも無い。あゝ逃げるには時が遅過ぎる。わたくしはもう駄目でせうが、しづゑさんがどうか御無事で在らん事を。

などと考えて居りますと、何と不可思議な事に赤く燃え滾る一ツ星、私の前で速度を緩め、ぷかりぷかりと中空に浮いて居るのです」


「あら、まあ」


私は木目調の重厚なテーブルの上に置かれた紅茶のカップをゆっくりと持ち上げると、それを静かに口元に持っていった。


「いい香り」


「吾等人類の近代文明を支へるモノ、しづゑさんも御存知でせう。突如として歴史に姿現せる謎の浮遊鉱物、即ち『浮石』であります。凡そ天然自然の産物とは考え難く、其の出地を巡り幾拾余年もの間学者共の頭を悩ませ続けた此の浮石。わたくしは、宇宙より飛来せしモノと考えて居りました。それが」


「まあまあ、大変」


「突如わたくしの眼前にて浮遊さる巨大隕石、あゝ此れこそが、と直観したのです。

如何に採取すべきと頭を悩ませて居りますと、天より声が聞こえて参りました。

曰く『吾は遠く外宇宙より訪れし超絶文明生命也。貴君等人類に吾等が文明の片端をくれてやつた所、貴君らは更に寄越せと欲望留むる所知らず。貴君等の文明、吾輩等にとり取るに足らぬ物為れど、斯様に素晴らしき鉱物が因に奪い合ひ殺し合ひ、一惑星生命が自ら滅び行くは見るに忍び無く、今又此処に貴君等の所望する鉱物持ち来たり』」


「雪乃丞さんの元においでになるなんて、間の抜けた訪問者だこと。くすくす」


「勿論わたくしはかう答えました。『オイオイ外宇宙生命とやら、僕には荷が重過ぎるやうだから、此の上の第六天階層に住むお偉方に言つておくれ。彼等ならば貴君等の親切とやらも上手く汲み取り適当にやつてくれるだらう』と。

然るに、星の世界にも頑固者は居るやうで『いゝや吾等は貴君を見定めたのだ。見た処、貴君のみが此の鉱物、吾輩からの賜物で有ると気付いておつたやうではないか』と譲りません。

『然しですな、僕には婚約者が居つて、近日キャフェーで会う約束なのだ。さう云ふ訳で面倒事は御免被りたい』

『何と婚約者とな。可憐な乙女に心奪わる気持判らぬでないが、此方の鉱物、貴君等人類にとつて一大事では無いか』

『だがしづゑさんは僕が行かねば恐らく大心配なさるに違いない。其れ程御優しい方なのだ』

『えゝい埒が明かぬ。ではかうしやう。吾輩が貴君に化けてキャフェーに行かうではないか』

『失礼だが宇宙の生命に騙さるる程しづゑさんの眼は節穴では無いのだ』」


「くすくす」


「『うゝむ貴君の婚約者は余程聡明なる乙女と見える。では貴君は手紙を書き給へ。吾輩が貴君に化けて其れを届けやうではないか』

『理不尽では有るが仕方有るまい。何しろ人類の一大事なのだ。相判つた』

斯く為る激論の後、わたくしは人類の為に御用を成す事を決心致した次第で有ります」


「あらあら。お人好しな雪乃丞さん」


「しづゑさん。わたくしの覚悟を御汲み取り戴きますやうに。わたくしは此れより世界を廻らねばなりません。さう云ふ訳で、縁談は御忘れ戴くのが宜しいかと存じます。御縁有らば又いつかお逢いできるでせう。それでは、さやうなら」


「雪乃丞さん。くすくす」


ふとテーブルに目をやると、ティーカップの中の紅茶はすっかり冷めているようだった。


「女給さん」


私は、そばを通り過ぎようとする少女を呼び止めた。


「このお手紙を受け取られたのは、何時ですの?」


「その手紙でしたら、今朝、お若い紳士様が慌てた様でここに駆け込んでいらっしゃいまして」


「ふむふむ」


「ここに上品なお嬢さんが来られるはずだ、此の端の席に座るはずだからお渡しするように、と私が言付かったのです」


「そうですか」


「あの、何か御都合お悪うございましたか?」


「いえ、いいんです。ありがとう」


冷えた紅茶を飲みながら、内心笑いが込み上げる。


「くすくす、雪乃丞さんったら。今度はお空の星ですか」


この前は、地底文明人だったわね。その前は、海底弐万里より出で来たる大怪獣だったかしら。


「さて、今日はどこにお隠れになったのやら。くすくす」


私と雪乃丞さんが許嫁としての契りを交わしたのは、私がまだ物心つく前だった。当時雪乃丞さんは書生さん。それが今では二人とも立派な大人の男女。そのはずだけれど。


「どうかしら……雪乃丞さんったら、昔から子供っぽいんだから」


十六の歳に、私は雪乃丞さんに嫁ぐ事になっていた。多感だった私は押し付けられる縁談が嫌でたまらず、直前になって雪乃丞さんに破談にして頂くよう泣きながら頼み込んだ。今考えてみれば、家同士の約束に私たちがどうこう出来る訳はなかったのだ。困り果てた雪乃丞さんが考えてくださったのが。


「そうだ。あの時もお空の星だったわね」


半年後に飛来する彗星がこの星の空気を抜いてしまい、多量の人が窒息する。ただし、乙女のいる家だけは助かる。あなたの娘さんは乙女なのだから、彗星が通り過ぎるまで嫁には出さぬ方が良い、それがあなたの御家の為です。そんな子供じみた言い訳で、私の両親を物凄い勢いで説き伏せ、結婚を引き延ばしてくださった。


「あれから四年……」


あれ以来、事あるごとに言い訳を付けては結婚を引き伸ばし、雪乃丞さんは今でもそれを続けられている。雪乃丞さんお一人だけが。


「私……もうずいぶん前に心を決めているのですよ、雪乃丞さん」


私は受け取った手紙に向かい、静かにつぶやいた。


「さっきの女給さんと同じくらいの年頃から」


ティーカップはもう空になっていた。


「さて。探しに行きましょうか……今度こそ、私を貰ってくださいね、雪乃丞さん」


最近受け取る手紙には、私の事が多く書かれるようになった。それがとても嬉しい。


「隕石の話だったわね……帝都天文台かしら」


私の勘も最近はどんどん良くなっている。きっと、雪乃丞さんの考えがわかるようになってきたのね。くすっ。まるでもう夫婦みたい。

私はキャフェーを出ると、まぶしい太陽の光を浴びながら、帝都鉄道駅に向かって軽やかに一歩を踏み出した。

大正仇拾仇年シリーズ第参弾。

こういう世界書くのが楽しくなってきました。

登場する女給については前作をご覧ください。

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