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処刑の鐘まで、あと九つ。偽聖女の罪で処刑されそうですが、騎士様は処刑前夜の牢で本当の恩人に気づいたようです

作者: 桜木ひより
掲載日:2026/10/02

鐘の音が鳴る。

処刑の鐘まで、あと九つ。


石の壁から、冷たい湿気がしみ出してくる。

わたしは藁の上で膝を抱えて、鉄格子の向こうで聞こえる足音を数えていた。


明日の朝、わたしは死ぬ。

罪状は、聖女を騙った罪。北の奇跡を騙り、民を欺いた女。


足音がこちらに近づいて、止まった。

ランタンの灯りが揺れて、背の高い騎士が格子の前に立つ。


「今夜の牢番だ」


低い声だった。灯りの向こうの目が、刃物みたいに冷たい。


「……わざわざ、どうも。最後の夜くらい、話し相手が欲しかったんです」


「話をしに来たんじゃない。北の聖女を騙った女の顔を、見に来ただけだ……」


胸が、ぎゅっと縮んだ。

騙ってなんかいない。そう叫びたいのに、わたしには声を上げる気力すら残っていなかった。


騎士は、格子の前にどかりと腰を下ろした。

腰の剣帯には、その男の名前であろう文字が刻まれている。

彼はユーリ・ヴェルナーというらしい。


「大聖堂の正面に、聖女様の認定証が掲げてあるのを知っているか」


「……知っています。百合の形の、癒やし痕の写しでしょう?」


「ああ。聖女様が手で触れて治した者には、必ずあの百合の痕が残る。癒やし痕の形は、癒やし手ひとりにつきひとつ。同じ者に治された者は、みな同じ形の痕を持つ……」


ユーリは、淡々と続けた。


「治されてすぐは銀色に光るが、年月がたてば白く薄れて、形も分からなくなる。それでも……偽物には作れない」


言いながら、ユーリは服の上から左腕を押さえた。

無意識のしぐさに見えた。古傷でもあるのだろうか。


「聖典にもある。奇跡の真偽は、癒やし痕をもって判ずべし。……お前に治されたという者の体に、痕がひとつでもあるのか?」


わたしは、答えなかった。

答えたら、全部こぼれてしまいそうだったから。


遠くで、荷馬車の車輪の音がした。


「こんな夜更けに……」


「北の羊毛の荷馬車だ。毎年春になると、市場の宿に泊まりに来る」


その横顔が、ほんの少しだけ和らいだ。


「……北の方の出身なんですか」


「ハルデ村だ。お前が騙った、あの奇跡の村だよ」


心臓が、どくんと大きく鳴った。


ハルデ村。白樺の林を抜けた先の、雪に埋もれた小さな村。

わたしが三年前、最初にたどり着いた村だ。


この人は、あの村の人なのだ。

だから、こんなに怒っている。

自分の村を救った誰かの名を、わたしが汚したと信じているから。


そう思ったら、怖さよりも先に、泣きたいような気持ちがこみ上げてきた。


その時、鐘の音が鳴った。

処刑の鐘まで、あと八つ。


鐘の音で区切ったかのように、ユーリは黙ってしまった。


あたりに静寂が響く。


静寂は、処刑より怖かった。

わたしは我慢できなくなって、しゃべりはじめた。

怖いと口が止まらなくなるのは、昔からの悪い癖だ。


「北は、雪がきれいでしたね。三年前の冬、わたし、北に行ったことがあるんです」


ユーリの肩が、ぴくりと動いた。


「嘘をつくなら、もう少しましな――」


「嘘ではありません。ハルデ村の手前に、白樺の林がありますよね。幹に、赤い布がたくさん結んであって」


ユーリが、息をのんだ。


白樺の赤い布は、病が治るように村の人が結ぶおまじないだ。

行ったことのない人は、まず知らないだろうし、騙ることはできない。


「あの林の中で、男の子が倒れていたんです。妹さんを背負ったまま。妹さんは赤い毛糸の帽子をかぶっていて、男の子のほうも、ひどい熱で……」


膝を抱える腕に、ぎゅっと力がこもった。


「男の子、雪の中でずっと、妹さんの名前を呼んでいたんです。リタ、リタって。……あの子たち、元気にしているといいな」


ランタンの灯りが、大きく揺れた。


「……なぜ、それを」


ユーリの声が、かすれていた。

さっきまでの刃物みたいな冷たさは、もうどこにもなかった。


また、鐘の音が鳴った。


処刑の鐘まで、あと七つ。


ユーリが立ち上がろうとした拍子に、ランタンが床へ倒れかけた。

ユーリはとっさに、それを右手で直接つかんだ。

じゅっと嫌な音がして、焦げた匂いが鼻をつく。


「あつっ……」


考えるより先に、体が動いていた。

わたしは鉄格子の隙間から腕を伸ばして、ユーリの手のひらを両手で包んだ。


「動かないで」


手のひらの奥が、ほうっと温かくなる。

北の雪原で、何度も感じた温かさだった。


手を離すと、赤くただれていた火傷は消えていた。

代わりに、手のひらの真ん中に、銀色の小さな雪の結晶が浮かんでいた。


ユーリは、自分の手のひらを見つめたまま動かなかった。

それから、震える手で左の袖をまくり上げた。


肘の内側に、白く薄いあざのような跡があった。

それが今、わたしの力に呼ばれたように、ゆっくりと銀色に光りはじめていた。


浮かび上がったのは、雪の結晶。

今、手のひらに浮かんだものと、まったく同じ形のものだ。


「白く薄れていたから、凍傷の跡だと、ずっと思っていた。……今見れば、大聖堂のどの認定証とも違う形だ。寒い夜に、疼くんだ」


ユーリの声が、ひび割れていた。


「……あの冬、俺とリタを助けたのは、お前だったのか」


「あなたが……あの時の男の子だったんですね……」


わたしはなぜか、涙がぼろぼろ落ちて止まらなかった。


「嘘でないのなら……なぜ、裁判で言わなかった?」


しゃくりあげながら、わたしは話した。



三年前、大聖堂は北に聖女を送らなかった。

遠くて貧しい村だから、と。


けれども、その時ハルデ村を含む北の村々では、病が流行っていた。


癒やしの力を持つわたしと乳母は、二人でこっそり北へ行き、身分を名乗らずに村を回った。

貧乏男爵家の娘に、大聖堂の許しなんてもらえるはずがなかったから。


その甲斐あってか、北で流行していた病はほとんどなくなった。


しかし、どこから嗅ぎつけたのか、大聖堂はあれは聖女セレスティア様がお忍びで北へ赴き、名を伏せて民を癒やした奇跡だったのだ、と発表した。

その功績で、セレスティア様は王太子殿下の婚約者になり、殿下は北方の統治権を賜った。



「でもひと月前、下町で熱を出した男の子を、思わず治してしまったんです。泣いているお母さんをなだめたくて、北でもこうやって治したのよ、って……」


それが、どこからか大神官補佐のマティアス様の耳に入ってしまった。

それがわたしの運の尽きだった。


嘘を隠すため、大聖堂と王家は総力を挙げて、わたしを潰しにかかってきた。

もちろんそれに歯向かえるはずもなく、わたしは裁判で聖女を騙った悪人とされたのである。


ご高齢の大神官様は病に伏せっておられ、裁判はマティアス様に一任されていた。


裁判の前、マティアス様はわたしに耳打ちした。

ここで北へ行ったと認めれば、一緒に行った乳母も、黙って行かせた両親も、共犯として裁く、と。



「わたしひとりなら、いいと思ったんです。みんなを巻き込むくらいなら……」


ユーリは、しばらく何も言わなかった。

やがて格子を強く握って、低く言った。


「……よくない」


それから、ユーリは深く頭を下げた。

その額が、鉄格子にごつんと当たって、鈍い音がする。


「すまなかった。……三年間、俺は礼を言う相手を間違えていたようだ」


「え……」


「妹が、治ったあとこう話したんだ。雪の中で、女の人がやさしく『大丈夫』って言ってくれた、と。俺はその時熱があって、声しか覚えていなかったから、顔はわからなかった」


ユーリは、震えた声で続けた。


「お忍びで来てくださった聖女様に、一言礼を言いたかった。毎年、大聖堂の門の前に立って、お目通りを願い出た。一度も会ってはもらえなかったが……違う人の門の前に、立ち続けていたんだな」


だから、この人はあんなに冷たい目で、わたしを見に来たのだ。

恩人の名を騙る女が現れた、と信じて。


ユーリは顔を上げた。灯りに照らされた目が、赤くなっていた。


「さっき『動かないで』と言われた時……まさかと思った」


ユーリの言葉を遮るかのように、鐘の音が大きく鳴り響いた。

処刑の鐘まで、あと六つ。


「……同僚に、牢番を代わってもらう」


ユーリは、手のひらの痕を握りしめて立ち上がった。


「持ち場を離れたら、あなたが罰を受けてしまいます」


「構わない……三年分の借りだ」


「でも、今さら証拠なんて、どこにも」


「俺の腕にある。それから、市場の宿にも……」


ユーリは、指を折って数えはじめた。


「今夜、北の荷馬車隊が泊まっている。ハルデ村の男も何人かいるはずだ。あの冬、あなたに治された者なら、みんな同じ痕を持っている。白く薄れていても、あなたがそばで力を使えば、また光るはずだ」


「……あの時熱を治してあげた男の子も、手首に」


「その子の家は、どこだ」


「下町の、染物屋の裏です。青い戸が目印の……」


「分かった。それから詰所に寄る。聖女様が北へ発ったとされる週の、王宮の警備記録が残っているはずだ。……ブランシュ男爵家にも、同僚を走らせる。乳母殿とご両親に、誰も手出しできないように」


迷いのない声だった。



鉄格子の向こうで、ユーリが初めて笑った。

不器用な、少しだけ泣きそうな笑い方だった。


「夜明けまでに、必ず戻る」



そう言ってユーリが去っていった直後に鐘が鳴った。

処刑の鐘まで、あと五つだ。


代わりの牢番は、ユーリの同僚だという若い騎士だった。


「あいつ、自分から牢番を買って出たんだぜ。北の聖女を騙った女の顔を拝んでやる、ってな」


若い騎士は、あくびまじりに首をかしげた。


「それが、あんなに必死で走っていくんだから。何を話したんだ、あんた?」


鐘が鳴るたびに、心臓が跳ねる。

もし戻らなかったら。もし、途中で捕まっていたら。


それでも不思議と、三日間ずっと胸を締めつけていた怖さとは、違う怖さだった。



わたしは藁の上で膝を抱え直して、北の冬のことを思い出した。


乳母のハンナと二人、借りた荷馬車で雪道を進んだこと。

凍えた指で、何十人もの額に触れたこと。


治した人たちに名前を聞かれても、答えなかった。

答えたら、大聖堂の許しもなく奇跡を使ったことが知られてしまう。


それに、名乗るほどのことをしているつもりもなかった。


まさか、その時名乗らなかったことが、三年後に自分の首を絞めるなんて。



名乗らなかったから、あの人は三年間違う人を恩人だと勘違いしていた。

でも彼は、わたしに気付いてくれた。



鐘が、もうひとつ鳴った。


処刑の鐘まで、あと四つ。


格子の外の窓が、ほんの少しだけ白みはじめている。


わたしは、自分の手のひらを見つめた。

誰かを待つのは、こんなに苦しくて、こんなに温かいものだったのか。


鐘の音が鳴る。

処刑の鐘まで、あと三つ。



もし、彼が間に合わなかったら。そんなことを想像してしまう。

また、鐘の音が鳴る。

処刑の鐘まで、あと二つ。



空が、すっかり白んできた。

窓の外が、少しずつ明るくなっていく。

朝を告げる鶏の声が、遠くから聞こえる。


鐘の音が鳴る。

処刑の鐘まで、あと一つ。


その時、衛兵が迎えに来た。

手首に縄がかけられる。ざらざらした感触が、肌に食い込んだ。


牢を出るとき、わたしは一度だけ振り返った。


ユーリの座っていた場所には、倒れかけたランタンの煤の跡だけが残っていた。


処刑の鐘が鳴り響く。


その音とともに、東の空から朝日が差しはじめた。

大聖堂前の広場は、人で埋まっていた。


朝の冷たい風に、群衆のざわめきと、焼き栗の匂いが混じっている。


処刑台の上で、わたしは縄をかけられた手首を見下ろした。


正面の大聖堂には、聖女セレスティア様の認定証が掲げられている。

銀糸で縫い取られた、百合の痕。



壇上には、王太子ジークハルト殿下と、そのとなりにはセレスティア様。

ひと月後に婚礼を控えた二人は、まるで祝祭の見物にでも来たように並んでいた。


マティアス様が、罪状を読み上げる。


「北の奇跡を騙り、民を欺いた偽聖女、アデル・ブランシュ。聖女セレスティア様の御名を汚した罪により――」


ユーリは、まだ来ない。

罪状を読み上げる声がどんどん遠くなっていく。膝が、がくがくと震えた。


来なくても、恨まない。


あの人は、三年ぶりに妹の恩人を見つけた。

それだけで、わたしの三年間には意味があったと思えるだろう。


そう思おうとしたのに、勝手に涙が溢れる。体が震える。

本当は、生きたい。助けてほしい。


北の雪を、もう一度見たい。



「その刑、待たれよ!」


広場の端から、声が響いた。

人垣が割れる。先頭を走ってくるのは、ユーリだった。


その後ろに、日に焼けた北の男たちが十人ばかり。

小さな男の子の手を引いた、痩せた母親。


ひと月前、わたしが下町で熱を下げた男の子、トビーもいる。



「その騎士を捕らえよ!」

王太子殿下が叫んだ。


衛兵が動きかけたとき、壇の端で、年老いた大神官様が杖を鳴らした。


「待ちなさい。……騎士よ、何を申し立てるのだ?」


ユーリは、処刑台の下で片膝をついた。


「聖典に従い、奇跡の真偽を、癒やし痕をもって判じていただきたい」


「たかが騎士の申し立てなど――」


王太子殿下が割り込んで話す。


「殿下。聖典の申し立てを退けることは、王家にもできませぬ」


大神官様の静かな声に、殿下は唇を噛んで黙った。


ユーリが振り返る。

北の男たちが、次々に袖をまくり、襟元を開いた。


腕に、首筋に、手の甲に。

白く薄れた、引きつれのような痕があった。三年の月日で、形はもう分からない。


トビーが、母親の後ろからおずおずと手首を差し出した。

そこには、ひと月前の痕が、まだ銀色に光っていた。小さな雪の結晶だ。


最後に、ユーリが右の手のひらを高く掲げた。

ゆうべ牢の中で浮かんだ、銀色の雪の結晶。


「この子の痕も、俺の痕も、同じ一人の癒やし手に治された痕だ。……大聖堂の認定証と、見比べていただきたい」


群衆の目が、一斉に大聖堂を見上げた。


百合と、雪の結晶。

それは誰が見ても、違う形だった。

それは、聖女セレスティア様の残す癒やし痕ではないと、誰もが理解した。


「で、でたらめだ!」


マティアス様の声が裏返った。


「そんな痕、焼きごてでいくらでも作れる! 北の田舎者を金で雇ったのだろう! そんな白い古傷など、何の証にもならぬ!」


ユーリは、何も言わずに剣を抜いた。


群衆から悲鳴が上がる。

ユーリはその刃で、自分の左の手のひらを浅く切った。


赤い血が、石畳に落ちる。

ユーリは処刑台に上がってきて、わたしの前にその手を差し出した。


「アデル。頼む」


縄をかけられたままの手で、わたしはユーリの手を包んだ。


温かさが広がる。傷口が、みるみるふさがっていく。

手を離すと、血の跡の真ん中に、新しい雪の結晶が浮かんでいた。


その瞬間、処刑台の下で、どよめきが起きた。


北の男たちの白く薄れた痕が、いっせいに銀色に灯っていた。

腕の上で、首筋で、手の甲で。浮かび上がった形は、全部、雪の結晶だった。


ユーリの左の肘でも、三年前の痕が、同じ形に光っていた。


最初に声を上げたのは、前のほうにいた老婆だった。


「……聖女様だ」


その声が隣へ移り、そのまた隣へ移って、やがて広場じゅうのどよめきになった。


「そ、それでも、その女が金をせびったという証言はあった!」


「あ、あたしが、嘘をつきました!」


トビーの母親が、前に進み出た。


震える手で、紫の財布を高く掲げる。

大聖堂の紋が、金糸で縫い取られていた。


「このお金で、嘘の証言をしろって言われたんです。ゆうべ、この騎士様がうちに来て、トビーの手首の痕を見て……でもあたし、もう黙っていられなくて」


母親の声が、涙で崩れた。


「あの方は、トビーを治してくれたのに。お金なんか一銭だって、取らなかったのに……!」


泣き崩れる母親の背中に、トビーがしがみついた。


ユーリが、懐から一枚の紙を取り出した。


「警備隊の記録だ。三年前、北の灰熱病がいちばんひどかった週、王都では新年の祝祭が開かれていた。聖女セレスティア様は、その夜、王宮の舞踏会におられたと、記録が残っている。これでも、嘘だというのか?」


セレスティア様の顔から、血の気が引いていく。

王太子殿下が、一歩、身を引いた。


「わ、私も、この女に欺かれていたのだ!セレスティア、よくも――」


「殿下は、ご存じでしたでしょう!」


セレスティア様の声は、泣き声だった。


「だってあの夜、わたくしと踊っていらしたのは、殿下ですもの……」


広場が、しんと静まり返った。

何百もの目が、ゆっくりと殿下に向く。


殿下の顔が引きつった。

それから、取り繕うように、わたしのほうへ向き直った。


「……し、真の聖女が見つかったのは、王国の喜びだ。アデル嬢、あなたを王家に迎えよう」


お腹の底が、かっと熱くなった。

今まで自分たちの利益のために、わたしを陥れていた人間が、今度は手を差し伸べるふりをしている。


わたしは、縄の跡が赤く残る手首をさすった。

三日前、裁判で読み上げられた処刑命令書。


その最後に記されていた名前を、わたしは覚えている。


「わたしの処刑命令書に署名なさったのは、殿下です。ですから、王家に行くのはお断りいたします」


断られると思っていなかったのか、殿下は驚き、口をぱくぱくとさせていた。


大神官様が、杖をついて前に出た。


「癒やし痕を持つ者は、神に選ばれた者である。認定とは、大聖堂があとからそれを認めるにすぎぬ」


老いた声が、広場の隅々まで響き渡る。


「マティアスを捕らえよ」


マティアス様は衛兵に両腕をつかまれ、何かわめきながら引きずられていった。


大神官様は、それから壇上で震えているセレスティア様にも目を向けた。


「セレスティア。そなたにも、話を聞かせてもらおう」


衛兵が二人、セレスティア様の両脇に立った。


「な、なぜ私が!?確かに……今回は確かに私の手柄ではないですけど、私は聖女なのよ、そんな、そんなこと許される訳ないじゃない!そもそも、この件を勧めてきたのは殿下で、私は悪くないわ!」


「言い分はゆっくりと聞こう。……聖女の力を持ちながら、なぜ北へ行かなかったのかも、な」


大神官様は杖を突きながらゆっくりと、衛兵と外に出ていった。


あとで聞いた話では、マティアス様は投獄され、セレスティア様は聖女の認定を返上して、婚約も解消されたという。


王太子殿下は国王陛下から謹慎を命じられ、北方の統治権も取り上げられたそうだ。




縄をほどかれた瞬間、膝から力が抜けた。

倒れかけたわたしを、ユーリの腕が受け止める。


「……遅くなった」


「遅いです。結構ギリギリで、わたし……もう見捨てられたかと思いました」


泣きながら文句を言ったのに、ユーリは笑っていた。


「乳母殿もご両親も、無事だ。同僚が、ゆうべのうちに男爵家を守ってくれた」


その一言で、張りつめていたものが、ぷつりと切れた。

わたしはユーリの胸に顔をうずめて、子どもみたいに声を上げて泣いた。


ユーリは、わたしの前に両腕を差し出した。


左の肘には、三年前の雪の結晶。

右の手のひらには、ゆうべの雪の結晶。左の手のひらには、今朝の雪の結晶。


「今まで、あなたを探すべきだった、本当の恩人を、きちんと探していればこんなことは起こらなかったかもしれない」


「いいえ、今過去を悔やんでも、今は変わらないし、結果として真実が露わになりましたから……わたしもあの時の男の子がどうしているか、ずっと気になっていました。リタは元気ですか?」


「ああ、元気だ。今年で十二になる。ずっと、あなたに会いたがっている」


ユーリは、少しだけ言いよどんでから続けた。


「北に、来てくれないか。妹のためだけじゃない。俺が……あなたと一緒にいたい……だけなのだが」


その言葉を聞いて、わたしは色々な感情で胸がいっぱいで、うまく息ができなかった。


処刑台の下で、北の男たちが帽子を握りしめて、こちらを見上げている。

誰かが、遠慮がちに声を上げた。


「聖女様。……聖女様のお名前を、教えてもらえませんか」


北の村で、わたしはずっと「名もなき聖女」だった。

名乗ったら、大切な人たちを巻き込むと思っていたから。


でも、もう違う。

わたしは涙でぐしゃぐしゃの顔のまま、ユーリの手を握って笑った。


「わたしはアデル。……アデル・ブランシュといいます」


朝日が、三つの雪の結晶を、きらきらと照らしていた。



【終】

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