処刑の鐘まで、あと九つ。偽聖女の罪で処刑されそうですが、騎士様は処刑前夜の牢で本当の恩人に気づいたようです
鐘の音が鳴る。
処刑の鐘まで、あと九つ。
石の壁から、冷たい湿気がしみ出してくる。
わたしは藁の上で膝を抱えて、鉄格子の向こうで聞こえる足音を数えていた。
明日の朝、わたしは死ぬ。
罪状は、聖女を騙った罪。北の奇跡を騙り、民を欺いた女。
足音がこちらに近づいて、止まった。
ランタンの灯りが揺れて、背の高い騎士が格子の前に立つ。
「今夜の牢番だ」
低い声だった。灯りの向こうの目が、刃物みたいに冷たい。
「……わざわざ、どうも。最後の夜くらい、話し相手が欲しかったんです」
「話をしに来たんじゃない。北の聖女を騙った女の顔を、見に来ただけだ……」
胸が、ぎゅっと縮んだ。
騙ってなんかいない。そう叫びたいのに、わたしには声を上げる気力すら残っていなかった。
騎士は、格子の前にどかりと腰を下ろした。
腰の剣帯には、その男の名前であろう文字が刻まれている。
彼はユーリ・ヴェルナーというらしい。
「大聖堂の正面に、聖女様の認定証が掲げてあるのを知っているか」
「……知っています。百合の形の、癒やし痕の写しでしょう?」
「ああ。聖女様が手で触れて治した者には、必ずあの百合の痕が残る。癒やし痕の形は、癒やし手ひとりにつきひとつ。同じ者に治された者は、みな同じ形の痕を持つ……」
ユーリは、淡々と続けた。
「治されてすぐは銀色に光るが、年月がたてば白く薄れて、形も分からなくなる。それでも……偽物には作れない」
言いながら、ユーリは服の上から左腕を押さえた。
無意識のしぐさに見えた。古傷でもあるのだろうか。
「聖典にもある。奇跡の真偽は、癒やし痕をもって判ずべし。……お前に治されたという者の体に、痕がひとつでもあるのか?」
わたしは、答えなかった。
答えたら、全部こぼれてしまいそうだったから。
遠くで、荷馬車の車輪の音がした。
「こんな夜更けに……」
「北の羊毛の荷馬車だ。毎年春になると、市場の宿に泊まりに来る」
その横顔が、ほんの少しだけ和らいだ。
「……北の方の出身なんですか」
「ハルデ村だ。お前が騙った、あの奇跡の村だよ」
心臓が、どくんと大きく鳴った。
ハルデ村。白樺の林を抜けた先の、雪に埋もれた小さな村。
わたしが三年前、最初にたどり着いた村だ。
この人は、あの村の人なのだ。
だから、こんなに怒っている。
自分の村を救った誰かの名を、わたしが汚したと信じているから。
そう思ったら、怖さよりも先に、泣きたいような気持ちがこみ上げてきた。
その時、鐘の音が鳴った。
処刑の鐘まで、あと八つ。
鐘の音で区切ったかのように、ユーリは黙ってしまった。
あたりに静寂が響く。
静寂は、処刑より怖かった。
わたしは我慢できなくなって、しゃべりはじめた。
怖いと口が止まらなくなるのは、昔からの悪い癖だ。
「北は、雪がきれいでしたね。三年前の冬、わたし、北に行ったことがあるんです」
ユーリの肩が、ぴくりと動いた。
「嘘をつくなら、もう少しましな――」
「嘘ではありません。ハルデ村の手前に、白樺の林がありますよね。幹に、赤い布がたくさん結んであって」
ユーリが、息をのんだ。
白樺の赤い布は、病が治るように村の人が結ぶおまじないだ。
行ったことのない人は、まず知らないだろうし、騙ることはできない。
「あの林の中で、男の子が倒れていたんです。妹さんを背負ったまま。妹さんは赤い毛糸の帽子をかぶっていて、男の子のほうも、ひどい熱で……」
膝を抱える腕に、ぎゅっと力がこもった。
「男の子、雪の中でずっと、妹さんの名前を呼んでいたんです。リタ、リタって。……あの子たち、元気にしているといいな」
ランタンの灯りが、大きく揺れた。
「……なぜ、それを」
ユーリの声が、かすれていた。
さっきまでの刃物みたいな冷たさは、もうどこにもなかった。
また、鐘の音が鳴った。
処刑の鐘まで、あと七つ。
ユーリが立ち上がろうとした拍子に、ランタンが床へ倒れかけた。
ユーリはとっさに、それを右手で直接つかんだ。
じゅっと嫌な音がして、焦げた匂いが鼻をつく。
「あつっ……」
考えるより先に、体が動いていた。
わたしは鉄格子の隙間から腕を伸ばして、ユーリの手のひらを両手で包んだ。
「動かないで」
手のひらの奥が、ほうっと温かくなる。
北の雪原で、何度も感じた温かさだった。
手を離すと、赤くただれていた火傷は消えていた。
代わりに、手のひらの真ん中に、銀色の小さな雪の結晶が浮かんでいた。
ユーリは、自分の手のひらを見つめたまま動かなかった。
それから、震える手で左の袖をまくり上げた。
肘の内側に、白く薄いあざのような跡があった。
それが今、わたしの力に呼ばれたように、ゆっくりと銀色に光りはじめていた。
浮かび上がったのは、雪の結晶。
今、手のひらに浮かんだものと、まったく同じ形のものだ。
「白く薄れていたから、凍傷の跡だと、ずっと思っていた。……今見れば、大聖堂のどの認定証とも違う形だ。寒い夜に、疼くんだ」
ユーリの声が、ひび割れていた。
「……あの冬、俺とリタを助けたのは、お前だったのか」
「あなたが……あの時の男の子だったんですね……」
わたしはなぜか、涙がぼろぼろ落ちて止まらなかった。
「嘘でないのなら……なぜ、裁判で言わなかった?」
しゃくりあげながら、わたしは話した。
三年前、大聖堂は北に聖女を送らなかった。
遠くて貧しい村だから、と。
けれども、その時ハルデ村を含む北の村々では、病が流行っていた。
癒やしの力を持つわたしと乳母は、二人でこっそり北へ行き、身分を名乗らずに村を回った。
貧乏男爵家の娘に、大聖堂の許しなんてもらえるはずがなかったから。
その甲斐あってか、北で流行していた病はほとんどなくなった。
しかし、どこから嗅ぎつけたのか、大聖堂はあれは聖女セレスティア様がお忍びで北へ赴き、名を伏せて民を癒やした奇跡だったのだ、と発表した。
その功績で、セレスティア様は王太子殿下の婚約者になり、殿下は北方の統治権を賜った。
「でもひと月前、下町で熱を出した男の子を、思わず治してしまったんです。泣いているお母さんをなだめたくて、北でもこうやって治したのよ、って……」
それが、どこからか大神官補佐のマティアス様の耳に入ってしまった。
それがわたしの運の尽きだった。
嘘を隠すため、大聖堂と王家は総力を挙げて、わたしを潰しにかかってきた。
もちろんそれに歯向かえるはずもなく、わたしは裁判で聖女を騙った悪人とされたのである。
ご高齢の大神官様は病に伏せっておられ、裁判はマティアス様に一任されていた。
裁判の前、マティアス様はわたしに耳打ちした。
ここで北へ行ったと認めれば、一緒に行った乳母も、黙って行かせた両親も、共犯として裁く、と。
「わたしひとりなら、いいと思ったんです。みんなを巻き込むくらいなら……」
ユーリは、しばらく何も言わなかった。
やがて格子を強く握って、低く言った。
「……よくない」
それから、ユーリは深く頭を下げた。
その額が、鉄格子にごつんと当たって、鈍い音がする。
「すまなかった。……三年間、俺は礼を言う相手を間違えていたようだ」
「え……」
「妹が、治ったあとこう話したんだ。雪の中で、女の人がやさしく『大丈夫』って言ってくれた、と。俺はその時熱があって、声しか覚えていなかったから、顔はわからなかった」
ユーリは、震えた声で続けた。
「お忍びで来てくださった聖女様に、一言礼を言いたかった。毎年、大聖堂の門の前に立って、お目通りを願い出た。一度も会ってはもらえなかったが……違う人の門の前に、立ち続けていたんだな」
だから、この人はあんなに冷たい目で、わたしを見に来たのだ。
恩人の名を騙る女が現れた、と信じて。
ユーリは顔を上げた。灯りに照らされた目が、赤くなっていた。
「さっき『動かないで』と言われた時……まさかと思った」
ユーリの言葉を遮るかのように、鐘の音が大きく鳴り響いた。
処刑の鐘まで、あと六つ。
「……同僚に、牢番を代わってもらう」
ユーリは、手のひらの痕を握りしめて立ち上がった。
「持ち場を離れたら、あなたが罰を受けてしまいます」
「構わない……三年分の借りだ」
「でも、今さら証拠なんて、どこにも」
「俺の腕にある。それから、市場の宿にも……」
ユーリは、指を折って数えはじめた。
「今夜、北の荷馬車隊が泊まっている。ハルデ村の男も何人かいるはずだ。あの冬、あなたに治された者なら、みんな同じ痕を持っている。白く薄れていても、あなたがそばで力を使えば、また光るはずだ」
「……あの時熱を治してあげた男の子も、手首に」
「その子の家は、どこだ」
「下町の、染物屋の裏です。青い戸が目印の……」
「分かった。それから詰所に寄る。聖女様が北へ発ったとされる週の、王宮の警備記録が残っているはずだ。……ブランシュ男爵家にも、同僚を走らせる。乳母殿とご両親に、誰も手出しできないように」
迷いのない声だった。
鉄格子の向こうで、ユーリが初めて笑った。
不器用な、少しだけ泣きそうな笑い方だった。
「夜明けまでに、必ず戻る」
そう言ってユーリが去っていった直後に鐘が鳴った。
処刑の鐘まで、あと五つだ。
代わりの牢番は、ユーリの同僚だという若い騎士だった。
「あいつ、自分から牢番を買って出たんだぜ。北の聖女を騙った女の顔を拝んでやる、ってな」
若い騎士は、あくびまじりに首をかしげた。
「それが、あんなに必死で走っていくんだから。何を話したんだ、あんた?」
鐘が鳴るたびに、心臓が跳ねる。
もし戻らなかったら。もし、途中で捕まっていたら。
それでも不思議と、三日間ずっと胸を締めつけていた怖さとは、違う怖さだった。
わたしは藁の上で膝を抱え直して、北の冬のことを思い出した。
乳母のハンナと二人、借りた荷馬車で雪道を進んだこと。
凍えた指で、何十人もの額に触れたこと。
治した人たちに名前を聞かれても、答えなかった。
答えたら、大聖堂の許しもなく奇跡を使ったことが知られてしまう。
それに、名乗るほどのことをしているつもりもなかった。
まさか、その時名乗らなかったことが、三年後に自分の首を絞めるなんて。
名乗らなかったから、あの人は三年間違う人を恩人だと勘違いしていた。
でも彼は、わたしに気付いてくれた。
鐘が、もうひとつ鳴った。
処刑の鐘まで、あと四つ。
格子の外の窓が、ほんの少しだけ白みはじめている。
わたしは、自分の手のひらを見つめた。
誰かを待つのは、こんなに苦しくて、こんなに温かいものだったのか。
鐘の音が鳴る。
処刑の鐘まで、あと三つ。
もし、彼が間に合わなかったら。そんなことを想像してしまう。
また、鐘の音が鳴る。
処刑の鐘まで、あと二つ。
空が、すっかり白んできた。
窓の外が、少しずつ明るくなっていく。
朝を告げる鶏の声が、遠くから聞こえる。
鐘の音が鳴る。
処刑の鐘まで、あと一つ。
その時、衛兵が迎えに来た。
手首に縄がかけられる。ざらざらした感触が、肌に食い込んだ。
牢を出るとき、わたしは一度だけ振り返った。
ユーリの座っていた場所には、倒れかけたランタンの煤の跡だけが残っていた。
処刑の鐘が鳴り響く。
その音とともに、東の空から朝日が差しはじめた。
大聖堂前の広場は、人で埋まっていた。
朝の冷たい風に、群衆のざわめきと、焼き栗の匂いが混じっている。
処刑台の上で、わたしは縄をかけられた手首を見下ろした。
正面の大聖堂には、聖女セレスティア様の認定証が掲げられている。
銀糸で縫い取られた、百合の痕。
壇上には、王太子ジークハルト殿下と、そのとなりにはセレスティア様。
ひと月後に婚礼を控えた二人は、まるで祝祭の見物にでも来たように並んでいた。
マティアス様が、罪状を読み上げる。
「北の奇跡を騙り、民を欺いた偽聖女、アデル・ブランシュ。聖女セレスティア様の御名を汚した罪により――」
ユーリは、まだ来ない。
罪状を読み上げる声がどんどん遠くなっていく。膝が、がくがくと震えた。
来なくても、恨まない。
あの人は、三年ぶりに妹の恩人を見つけた。
それだけで、わたしの三年間には意味があったと思えるだろう。
そう思おうとしたのに、勝手に涙が溢れる。体が震える。
本当は、生きたい。助けてほしい。
北の雪を、もう一度見たい。
「その刑、待たれよ!」
広場の端から、声が響いた。
人垣が割れる。先頭を走ってくるのは、ユーリだった。
その後ろに、日に焼けた北の男たちが十人ばかり。
小さな男の子の手を引いた、痩せた母親。
ひと月前、わたしが下町で熱を下げた男の子、トビーもいる。
「その騎士を捕らえよ!」
王太子殿下が叫んだ。
衛兵が動きかけたとき、壇の端で、年老いた大神官様が杖を鳴らした。
「待ちなさい。……騎士よ、何を申し立てるのだ?」
ユーリは、処刑台の下で片膝をついた。
「聖典に従い、奇跡の真偽を、癒やし痕をもって判じていただきたい」
「たかが騎士の申し立てなど――」
王太子殿下が割り込んで話す。
「殿下。聖典の申し立てを退けることは、王家にもできませぬ」
大神官様の静かな声に、殿下は唇を噛んで黙った。
ユーリが振り返る。
北の男たちが、次々に袖をまくり、襟元を開いた。
腕に、首筋に、手の甲に。
白く薄れた、引きつれのような痕があった。三年の月日で、形はもう分からない。
トビーが、母親の後ろからおずおずと手首を差し出した。
そこには、ひと月前の痕が、まだ銀色に光っていた。小さな雪の結晶だ。
最後に、ユーリが右の手のひらを高く掲げた。
ゆうべ牢の中で浮かんだ、銀色の雪の結晶。
「この子の痕も、俺の痕も、同じ一人の癒やし手に治された痕だ。……大聖堂の認定証と、見比べていただきたい」
群衆の目が、一斉に大聖堂を見上げた。
百合と、雪の結晶。
それは誰が見ても、違う形だった。
それは、聖女セレスティア様の残す癒やし痕ではないと、誰もが理解した。
「で、でたらめだ!」
マティアス様の声が裏返った。
「そんな痕、焼きごてでいくらでも作れる! 北の田舎者を金で雇ったのだろう! そんな白い古傷など、何の証にもならぬ!」
ユーリは、何も言わずに剣を抜いた。
群衆から悲鳴が上がる。
ユーリはその刃で、自分の左の手のひらを浅く切った。
赤い血が、石畳に落ちる。
ユーリは処刑台に上がってきて、わたしの前にその手を差し出した。
「アデル。頼む」
縄をかけられたままの手で、わたしはユーリの手を包んだ。
温かさが広がる。傷口が、みるみるふさがっていく。
手を離すと、血の跡の真ん中に、新しい雪の結晶が浮かんでいた。
その瞬間、処刑台の下で、どよめきが起きた。
北の男たちの白く薄れた痕が、いっせいに銀色に灯っていた。
腕の上で、首筋で、手の甲で。浮かび上がった形は、全部、雪の結晶だった。
ユーリの左の肘でも、三年前の痕が、同じ形に光っていた。
最初に声を上げたのは、前のほうにいた老婆だった。
「……聖女様だ」
その声が隣へ移り、そのまた隣へ移って、やがて広場じゅうのどよめきになった。
「そ、それでも、その女が金をせびったという証言はあった!」
「あ、あたしが、嘘をつきました!」
トビーの母親が、前に進み出た。
震える手で、紫の財布を高く掲げる。
大聖堂の紋が、金糸で縫い取られていた。
「このお金で、嘘の証言をしろって言われたんです。ゆうべ、この騎士様がうちに来て、トビーの手首の痕を見て……でもあたし、もう黙っていられなくて」
母親の声が、涙で崩れた。
「あの方は、トビーを治してくれたのに。お金なんか一銭だって、取らなかったのに……!」
泣き崩れる母親の背中に、トビーがしがみついた。
ユーリが、懐から一枚の紙を取り出した。
「警備隊の記録だ。三年前、北の灰熱病がいちばんひどかった週、王都では新年の祝祭が開かれていた。聖女セレスティア様は、その夜、王宮の舞踏会におられたと、記録が残っている。これでも、嘘だというのか?」
セレスティア様の顔から、血の気が引いていく。
王太子殿下が、一歩、身を引いた。
「わ、私も、この女に欺かれていたのだ!セレスティア、よくも――」
「殿下は、ご存じでしたでしょう!」
セレスティア様の声は、泣き声だった。
「だってあの夜、わたくしと踊っていらしたのは、殿下ですもの……」
広場が、しんと静まり返った。
何百もの目が、ゆっくりと殿下に向く。
殿下の顔が引きつった。
それから、取り繕うように、わたしのほうへ向き直った。
「……し、真の聖女が見つかったのは、王国の喜びだ。アデル嬢、あなたを王家に迎えよう」
お腹の底が、かっと熱くなった。
今まで自分たちの利益のために、わたしを陥れていた人間が、今度は手を差し伸べるふりをしている。
わたしは、縄の跡が赤く残る手首をさすった。
三日前、裁判で読み上げられた処刑命令書。
その最後に記されていた名前を、わたしは覚えている。
「わたしの処刑命令書に署名なさったのは、殿下です。ですから、王家に行くのはお断りいたします」
断られると思っていなかったのか、殿下は驚き、口をぱくぱくとさせていた。
大神官様が、杖をついて前に出た。
「癒やし痕を持つ者は、神に選ばれた者である。認定とは、大聖堂があとからそれを認めるにすぎぬ」
老いた声が、広場の隅々まで響き渡る。
「マティアスを捕らえよ」
マティアス様は衛兵に両腕をつかまれ、何かわめきながら引きずられていった。
大神官様は、それから壇上で震えているセレスティア様にも目を向けた。
「セレスティア。そなたにも、話を聞かせてもらおう」
衛兵が二人、セレスティア様の両脇に立った。
「な、なぜ私が!?確かに……今回は確かに私の手柄ではないですけど、私は聖女なのよ、そんな、そんなこと許される訳ないじゃない!そもそも、この件を勧めてきたのは殿下で、私は悪くないわ!」
「言い分はゆっくりと聞こう。……聖女の力を持ちながら、なぜ北へ行かなかったのかも、な」
大神官様は杖を突きながらゆっくりと、衛兵と外に出ていった。
あとで聞いた話では、マティアス様は投獄され、セレスティア様は聖女の認定を返上して、婚約も解消されたという。
王太子殿下は国王陛下から謹慎を命じられ、北方の統治権も取り上げられたそうだ。
縄をほどかれた瞬間、膝から力が抜けた。
倒れかけたわたしを、ユーリの腕が受け止める。
「……遅くなった」
「遅いです。結構ギリギリで、わたし……もう見捨てられたかと思いました」
泣きながら文句を言ったのに、ユーリは笑っていた。
「乳母殿もご両親も、無事だ。同僚が、ゆうべのうちに男爵家を守ってくれた」
その一言で、張りつめていたものが、ぷつりと切れた。
わたしはユーリの胸に顔をうずめて、子どもみたいに声を上げて泣いた。
ユーリは、わたしの前に両腕を差し出した。
左の肘には、三年前の雪の結晶。
右の手のひらには、ゆうべの雪の結晶。左の手のひらには、今朝の雪の結晶。
「今まで、あなたを探すべきだった、本当の恩人を、きちんと探していればこんなことは起こらなかったかもしれない」
「いいえ、今過去を悔やんでも、今は変わらないし、結果として真実が露わになりましたから……わたしもあの時の男の子がどうしているか、ずっと気になっていました。リタは元気ですか?」
「ああ、元気だ。今年で十二になる。ずっと、あなたに会いたがっている」
ユーリは、少しだけ言いよどんでから続けた。
「北に、来てくれないか。妹のためだけじゃない。俺が……あなたと一緒にいたい……だけなのだが」
その言葉を聞いて、わたしは色々な感情で胸がいっぱいで、うまく息ができなかった。
処刑台の下で、北の男たちが帽子を握りしめて、こちらを見上げている。
誰かが、遠慮がちに声を上げた。
「聖女様。……聖女様のお名前を、教えてもらえませんか」
北の村で、わたしはずっと「名もなき聖女」だった。
名乗ったら、大切な人たちを巻き込むと思っていたから。
でも、もう違う。
わたしは涙でぐしゃぐしゃの顔のまま、ユーリの手を握って笑った。
「わたしはアデル。……アデル・ブランシュといいます」
朝日が、三つの雪の結晶を、きらきらと照らしていた。
【終】




