惨劇の斧槍
ある時、森の麓にある小さな開拓村が森から溢れた魔物に襲われた。よくある話だ。
しかしそんなものは外野の言い分で、村に住んでいる者からするとその言い分は全く違う。
皆が決死の覚悟で武器を取り、逃がせる者をいち早く逃がす。
村に住んでいた一人の若者も、村を守るために。
あるいは大事な誰かを守るために、武器を取った。
しかし強力な魔物たちの前に、村の人々は次々と倒れる。
致命傷を負った若者も、地面に倒れ伏す一人になりかける。
しかし大事な誰かへの想いと、必ず守るのだという矜持が、彼の膝が付く事を許さなかった。
魔物に追いつかれたせいで逃げられなくなっている村の一団が、ぼんやりとし始めた若者の視界に映る。その中には、必死で手を伸ばす幼馴染の少女の姿がある。
――逃げて欲しい。そう言ったはずなのに。
何を言っているのかは、彼の耳には届かない。
しかし少女の必死の形相と、何事かを言い含めるように口を動かしている村長の対比は、ぼんやりとし始めた若者の頭に小さな葛藤を生み出した。
――こんなところで、死ねるか。生きるのだ。皆で。
そして若者は、禁忌を破る決意をする。
村に祭られていた斧槍を杖にするように、幽鬼のような覚束ない足取りと異様な雰囲気で立ち上がる。そして異様な雰囲気のままに、若者は斧槍に手をかけた。
その斧槍は、この開拓村に持ち込まれていた守護の武器であった。
この強大な魔力が込められた武器があるから、魔物たちは魔力を恐れて近づかないのだと。
そんな話を聞いた事があった。
その時に話をしていた村長は——
「三度振るえば、あらゆる敵を倒し、あらゆる味方を起こす」
――そう語っていた。この武器は、そういう物なのだと。
ただし、この武器は台座から抜いてはいけない。
村長によれば、武器がある種の領域を作り、魔物を遠ざけているのだという。台座から引き抜けば、魔物は容赦なく村を襲うだろうと、彼は冗談交じりに語っていた。
しかし、例えそうだとしても。
――この場を切り抜けなければ、未来なんてないじゃないか。
視界に映る村長が、何事かを言っている。
もう、若者には何も聞こえない。
しかしきっと否定の言葉だろうと感じながら、若者はこれしかないのだと己に言い聞かせ、手に取った斧槍を勢いよく台座から引き抜いた。
重々しい見た目の筈なのに、不思議なほどに軽い。
――これならば、と。
若者は何故か湧き上がる興奮のような感情で体を支え、斧槍を雑に一度振るった。
鋭い風切り音と共に振るわれた斧槍は、周囲の空気を切り裂く。
若者の視界に映った魔物を見えない刃で切り裂いて、襲われる寸前であった村人たちを救い上げる。
「今のはっ!? ――あの、馬鹿っ、それを使うなっ!」
若者に助けられた村人は、しかし喜びよりも先に驚愕で叫んでいた。
聞こえなかった筈の声が、いつの間にか聞こえるようになっている。
若者には、腹を蝕んでいた熱い感覚も、下半身が濡れていく感覚も既にない。
――敵を倒せた興奮だけが、若者の口元に浮かんだ三日月となって現れる。
様々な感情が混じり合いながら、若者は再び斧槍を振るった。
今度は、無意識ではなく、意識的に。
破壊してやると明確な意思を持って、大地に叩きつけるように斧槍を振るう。
すると斧槍は地面を割って、巨大な爪痕となって魔物を襲う。
若者の視界に映った魔物たちを大地の顎で吞み込んで、襲われる寸前であった村人たちと魔物の間に小さな断崖を作り出した。……まるで、誰も逃がさないと言わんばかりに。
「あいつを止めろ!」
そして若者は。
村長の話を信じて。いや、言い訳にして。
片手のまま斧槍を頭上でぐるりと大きく回し、倒れた村人に向かって旗をかざすように武器を振るった。
あらゆる味方を起こすという、その効果を勘違いしたまま――
三度、斧槍が振るわれるその直前に。
村長の「やめろ!」という言葉が間に合わないまま――
静止の叫びが間に合わず、斧槍が振るわれたその時に。
斧槍から三度溢れた力が、青かった空を覆った。
斧槍の魔力で切り裂かれた魔物が生きているように立ち上がり、大地の顎に飲み込まれた魔物が死を否定する様に地の底から這い出す。
生暖かく湿った風が、斧槍の“味方”に命を吹き込む。
そして斧槍の忠実な配下となった死者たちは、斧槍が命じるままに生者を襲い始めた。
”敵”を、倒すために。
「違う…… こんなつもりじゃぁ……!?」
幼馴染の少女が亡霊となった魔物に切り裂かれた瞬間を目にして、若者はようやく正気に返った。
同時に、先ほどまで軽く振るえていた斧槍が、急激に重たくなっている。
しかも若者の手は、まるで斧槍と一体化してしまったように離れない。
「はやく、あいつを殺せ! 今なら助けてやれる!」
村長は激を飛ばし、若者に向かって駆けだしていた。
しかしそんな村長たちなど眼中にないように、若者の足は斧槍を引き抜いた台座へと向かっている。
まるで玉座に腰掛けるように、その場所こそが落ち着くのだと。そう言わんばかりに。
若者の背後で、村人の悲鳴が、響く。
見えない。
しかし、感じられる。
まるで村の中が体になってしまったように、肌の上を這う虫を潰したような気色の悪い感覚だけが、見えてもいないのに感じられる。
――そして地面に倒れた皆は、人ではなく死者として起き上がる事も。
やがて、村に静寂が下りた。
生きている者は、もう、誰もいない。
魔物は忠実な配下と化してしっかりと若者を——斧槍を守り。村人たちを皆殺し、なぜこんな状況になってしまったのだと絶望した。
――そんな中、若者だけが生きていた。
いや——斧槍に捕らわれた彼の魂は「生きている」と言えるのだろうか。
村を守ろうとした彼は、果たして人と言えるのだろうか。
その疑問に応えてくれるものは、誰も居ない。
――“敵”が居なくなって滅んだ村を照らす日が落ち、再び上る。
平和になった村では、それが何度も何度も続いていた。
それは明日のない、今日という日の繰り返し。
しかし確かに、村は平和になっていた。少なくとも、敵はいなかった。
――しかし、人は摩耗する。
当たり前のように繰り返される日常。
食べなくてもよくなった食事に、眠れなくなった体。近寄らなくなった人々と、近寄って来た冒険者を排除する不死の魔物の群れ。
やがて摩耗した村人たちは、一人の少女を除いて皆消えてしまった。
明るかった人々は、もう居ない。
ただただ平和になった村だけが、太陽の動きの繰り返しの下で静かに平和に佇んでいる。
そして若者は、斧槍から手を離せない。
だから仲の良かった知り合いが消えても、友達が消えても。逆に時折村の住人が増えたとしても、ただただずっとそこにあった。
執着がそうさせるのか、或いは慈悲なのか。
歌いながら村を徘徊するだけとなった少女の唄声だけが、昼夜を問わず村の中に木霊する。
死ぬことのない魔物に守られて、若者は消えることも許されない。
明るかった少女の寂し気な歌声だけが、平和な廃村に静かに響く。
繰り返される平和な日々。
時折村の入り口で旅人を誘う少女の唄は、いつしか「歌う亡霊」として密かに有名になっていた。
やがて、その地域には一つの噂ができた。
――滅んだ村と、歌う亡霊の噂話が。
――そうして誰の嘆きも歌声も届かない場所に向かって、小さな噂は一人で歩く。
まるで、親とはぐれた子供のように。
あるいは、家族の助けを求める子供のように。
誰かの手を引き村に帰り、そして噂が積み重なる。
――あの村に足を踏み入れたものは、生きて帰ることはない。
――しかし廃村には、持ち主を探す強力な魔法武器と、武器に宿った美しい幽霊も居るらしい。
そんな中、とある港町にて。
馬車に乗ってやってきた小さな噂の手を今回握ったのは、とある冒険者だった。
とある廃村に、強力な魔法武器が眠っている噂を。
そしてその魔法武器は、怪物が握っている噂を。
廃村の入り口では、美しい亡霊の唄声が響いている事を。
噂の真相など知らない彼は、すぐにその話を仲間に持って行った。
そして、彼らの胸に欲が湧く。
羨望、好奇、名誉。そして――それらが混ざり合った、大きな興味。
そうして噂に手を引かれていた彼らは、いつの間にか噂の手を引いていた。
そしてやはり、誰も帰ることはなかった。
少しだけ大きくなった噂が、再び誰かを求めて歩き始める。
まだ見ぬ誰かに、助けを求めるように。




