ルーツ
国境の森――それは、東の聖女たちが王都へ向かう旅の中で、最も危険と恐れられる場所。
霧深く、盗賊や魔物が潜むという伝説が絶えない地。
そしてその朝、アンナたちはその森の入口に立っていた。
新たな仲間を加え、未知なる闇へと歩み出す――。
静けさの中に、運命の歯車がゆっくりと回り始める。
五日目の朝が訪れた。
冷えた空気の中、白い息が馬の鼻先から立ちのぼる。今日から、ついに国境の森へ入る日だ。
この森は、山がちな地形の間を抜けていく長い道で、魔物や盗賊が出没すると言われている。だからこそ、護衛たちが同行しているのだった。
出発の準備をしていると、一人の男がクロノ司祭に声をかけた。
「初めてお目にかかります。わたしはルーツと申します。旅の商人をしております」
「旅の商人の方ですか。どうされましたか?」
クロノ司祭は、荷をまとめていた手を止め、穏やかに応じる。
「実はお願いがありまして……。この森を越えて王城へ向かわれると伺いました。もしよければ、皆さんの一行に同行させていただけないでしょうか?」
男は頭を下げた。見たところ、旅の疲れが顔に浮かんでいるが、怪しい様子はない。
「王城からこの東の地区に商用で来ておりましたが、仕事が終わったので帰るところです。しかし、この境の森は一人では危険と聞きまして……剣などはさっぱりでして」
と苦笑しながら言う。
クロノ司祭は少し考えた後、うなずいた。
「なるほど。お名前はルーツと言いましたね。たしか、その名は王城の商会でも聞いたことがありますが……」
「はい、その通りです」
ルーツは懐から木製の札を取り出し、商会ギルドの印を見せた。
「ケルン、どう思う?」とクロノ司祭は振り向く。
「この村の人にも聞いたが、商人で間違いないようだ。危険な森だし、仲間が一人増えるのは悪くないと思います」
「そうか……ならば、馬車の隅にでも乗ってもらおう」
「助かりました!」
ルーツは安堵の笑みを浮かべ、深々と頭を下げた。その表情には、心からの安堵が見て取れた。
荷の積み込みが終わり、聖女たちも箱馬車に乗り込む。
アンナはケルンと短く何かを話していたが、その内容までは誰も聞き取れなかった。
彼女の瞳は、これから向かう森の奥を静かに見つめている。
隊列が整う。先頭には護衛の馬車。続いて、アンナたち四聖女とトリーが乗る箱馬車。
御者台にはケルンが弓を構え、慎重に周囲を見渡している。
そしてクロノ司祭は護衛たちとともに先行の馬車に乗り込んだ。
「――さあ、出発だ!」
誰かの声が響くと、馬の嘶きがそれに応えた。
蹄の音が土を打ち、箱馬車がゆっくりと動き出す。
薄い霧が流れ、森の影が彼らを飲み込む。
それは、長い旅路の中でもっとも試される一日となる、静かな幕開けだった。
国境の森――それは、ただの地理的な境界ではなく、
それぞれの心の中にある「恐れ」と「信頼」を映し出す鏡でもあります。
新たに加わった商人ルーツ。
彼は果たして幸運の導き手なのか、それとも運命が差し向けた試練なのか。
次回、「森の影、そして弓の光」
――闇の中で放たれる一矢が、彼らの行く末を変える。




