表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/27

弓聖

森を越える前の静かな朝。

旅の一行の中で、ただ一人、剣士ケルンは弓の修練に励んでいました。

しかし、その練習に現れたアンナが、彼の運命を変えることになります。


弓を手にした聖女――

それは、神の息吹そのもののような一射。

見守る者たちは誰もが言葉を失い、ただその光景に魅了される。


けれどその時から、トリーもクロノ司祭も気づいていました。

――あの瞬間、アンナの中にいたのは本当にアンナだったのか?


「神と人との境界」が静かに揺らぐ第六話。

聖女アンナの“覚醒”が始まります。

森を越える前の準備の朝。

 ケルンは一人、宿舎の裏手で弓を練習していた。矢は的に届くものの、どこかぎこちない。額に汗を浮かべ、弓を握りしめている。


「うーん……やっぱり、何か違うんだよな」


 独りごちながら、ため息をつく。そこへ宿舎の扉が開き、アンナとトリーが姿を見せた。


「練習しているのですね」とアンナ。

「トリーから言われた通りにやってるんだが……これ、いったい何の意味があるんだ?」


「続ければ、きっと形になります」

 アンナは静かに答える。


「そうなのか? こんな練習、聞いたことがないし、正直続かない……でも、やるしかないんだよな」


 ぼやきながら、ケルンは矢をつがえ、弦を引く。放たれた矢は、的の端に刺さった。

 その様子を見て、アンナが小さくつぶやく。


「疑問があるようですね」


 そう言うと、彼女はゆっくりとケルンの手から弓を受け取った。

「お嬢様、弓など扱えるのですか?」とトリーが驚く。

 だがアンナは答えず、ただ静かに立ち上がった。


 風が吹く。金の髪が揺れる。

 その姿は、朝の光の中に立つ女神のようだった。

 弓を構え、呼吸を整え、放つ――矢は一筋の光となって、的の中心を貫いた。


「……!」


 ケルンは言葉を失う。

 その動作には、よどみも力みもない。流れるようでいて、すべてが調和している。まるで彼女が弓そのものと一体になっているかのようだった。


 アンナは弓を下ろし、静かに言葉を紡ぐ。


「弓を射るとは、あなた自身を射ることです。

 続けなさい。いつか、あなたの弓は――あなた以外の、もっと大いなる力が射るようになるでしょう。

 その時、あなたはこの国で最も優れた射手と呼ばれるはずです」


 そう告げると、アンナは弓を返し、背を向けた。

 残されたケルンは呆然と立ち尽くす。

 やがて、何かに導かれるように、無言で再び弓を手に取った。

 その姿は、もはや迷いのない射手だった。


 アンナとトリーは静かに宿舎へ戻る。

 歩きながら、トリーがぽつりと尋ねた。


「……お嬢様が弓を引かれるのは、初めて見ました」

「ええ」とアンナは微笑む。それだけで、後の言葉はなかった。


 その微笑に、トリーは言い知れぬ震えを覚える。

(お嬢様はいったい何者なの……? あの一射、あの気配――人ではない)

 背筋を冷たいものが走る。

 それでも彼女は黙って、アンナの背を追った。


 宿舎の扉を開けると、クロノ司祭が待っていた。

 アンナは軽く会釈をして自室に下がる。

 残されたトリーが司祭に向かい、口を開く。


「司祭様……いまのお嬢様、あれはアンナ様ではありません。

 わたしには、もっと別の年長の方がそこに立っておられるように見えました。

 弓を射ったことなど一度もないはずなのに……。あの一射には、言葉で説明できない何かがありました」


「お嬢さんは……アンナ様ではないのですか?」


「違います。……けれど、間違いなくアンナ様なのです」


 トリーは混乱したまま言葉をつなぐ。

 クロノ司祭はしばらく黙し、やがて深くうなずいた。


「わたしにもわかりません。

 けれど、何かが始まっている――そのような気がします。

 いまは見守るしかありませんね」


「はい。どんなお姿でも、アンナ様はアンナ様です。

 わたしはお嬢様に、最後までついて行きます」


「……そうですか。それなら心強い」

 司祭は穏やかに微笑み、窓の外を見た。


「明日は国境越えの難所です。早く休みましょう。夜明け前には出発です」


 その言葉を最後に、二人は静かに席を立った。

 ――外ではまだ、ケルンの放つ矢の音が、夜気に響いていた。

お読みいただきありがとうございます。

本話では、アンナの中に潜む“もう一つの存在”が初めて明確な形をとって現れました。

彼女の放った矢は、ただの技ではなく――神の意志の顕現です。

トリーとクロノ司祭の「理解できないものを前にして、それでも信じる」という姿勢も、

この物語の核心に関わっていきます。

次回は、**国境を越える試練の地”**へ。

そこに待つのは、何か、旅の真の目的の兆し。

どうぞ続きもお楽しみに。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ