ケルン
三日目の朝、旅は少しずつ現実の重みを帯びてゆく。
剣を振るう者、祈りを続ける者、それぞれの「使命」が見えはじめる時間――。
アンナたち一行は、宿を発ち、王城を目指す途上。
護衛の青年ケルン、世話係の少女トリー、そして彼らを導くアンナ。
その朝、ほんの何気ないやり取りが、後に大きな分岐になるとは、誰も知らなかった。
静かな草原の朝、冗談まじりの声と、剣の音。
けれどその裏では、「運命を変える訓練」が始まろうとしていた――。
こうして、旅の三日目の朝が来た。
アンナとトリーが馬車小屋を出ると、宿のそばの原っぱで、ケルンと護衛たちが剣の訓練をしていた。朝露の光の中、金属の音が軽やかに響いている。
昨夜はケルンも護衛も宿に泊まり、朝食は宿で用意してもらえる。その前のひとときだ。
「聞いたよ、トリーが“セイント候補”だって? びっくりしたよ」
汗をぬぐいながらケルンが話しかける。
「お嬢様がそう言うから調べたら、可能性があるって言われただけです」
トリーは肩をすくめて謙遜した。
「じゃあ、これからは“セイント・トリー様”って呼ばなきゃな」
「やめてください。私は皆さんの世話係です。それは変わりません」
「はいはい、よろしく頼むよ――セイント・トリー」
「もうっ!」
軽口を交わすふたりのやりとりに、朝の空気がやわらかく揺れる。
そのとき、宿の方からアンナが姿を見せた。
彼女の白い外套が朝日に光って見える。
「ケルンは王城で士官になりたいのね」
アンナがトリーにたずねる。
ケルンがこの護衛任務に志願したのは、王城に行けば士官の口があるかもしれないという思いからだった。王城には東地区連合の拠点があり、そこから騎士団に登用された者もいる。
――けれど、このままでは士官は難しい。
アンナは内心でそう判断していた。
「トリー、昨日話したことをケルンに伝えておいて」
「はい……でもアンナ様、あの話は私には荷が重いです」
「大丈夫。トリーは優秀なセイント候補だから」
アンナの声音は静かだが、どこか抗いがたい力がある。
「それに、あなたの力があればきっとうまくいく」
「そんな簡単に……」
「もう決めたの。やるしかないわ」
むちゃぶりに近い口調だった。
「この旅が終わったら、あなたには私の手伝いをしてもらうから、覚悟してね」
(アンナ様……本当に人使いが荒い。前のお嬢様とはまるで別人みたい)
トリーは苦笑を浮かべる。
訓練を終えたケルンの前に、アンナが立った。
「ケルン。あなたは今日から弓の訓練をしなさい」
「えっ、なんで俺が?」
「剣では限界があるでしょ。でも弓ならできるはず」
「……」
ケルンは言葉を詰まらせた。図星だった。
「剣は苦手でも、弓には自信がある。そうでしょう?」
「……まぁ、多少は」
「なら決まりね。あとでトリーの話を聞いておくこと。いいわね?」
言い捨てるように言うと、アンナは踵を返して教会へと歩き去った。
残されたのはケルンとトリーだけだった。
「アンナ様、全部見透かしてるよな……」
「旅に出てから、お嬢様は変わられました。まるで別人みたいです」
「だよな。トリーがセイント候補だと見抜いたのもアンナ様だし……でも、まあ言われた通りにしてみるか。で、何の話をするんだ?」
「長くなるので、馬車で話しましょう」
「了解、よろしく頼むよ――セ・イ・ン・ト様」
「もうっ!」
ケルンがそんな軽口を叩けるのも、この時が最後になるとは、まだ誰も知らなかった。
馬車の出発
朝食を終えると、荷物を積み込み、隊は再び出発の準備に入る。
アンナたちセイントは先頭の馬車へ。
トリーは荷馬車の最後尾に乗り、ケルンが弓を手に隣に座った。
馬車が揺れながら動き出す。
トリーはアンナから託された“課題”をケルンに伝えた。
「これでいいのか?」
「ええ。でも続けるのは大変よ。私も今もずっと続けてるの」
「ふーん……やってみるか」
少しして、ケルンが投げ出した。
「もう無理だ!」
「だめ。休んでもいいけど、続けなきゃ」
「わかった、わかったよ。トリーが言わなきゃやってられないな」
「でも、何が目的なんだ?」
「アンナ様に聞けばわかると思います。もっとも、答えてはくださらないでしょうけど」
「つまり“やればわかる”ってやつか」
「そう。やれば、きっと見えるものがあるはず」
「……わかった。やるよ」
「えらい! がんばって!」
「トリー、なんか楽しそうだな」
「だって面白そうじゃない」
「俺は全然だけど」
「そう? 面白いと思うけど」
二人のやり取りはどこか噛み合わない。
けれどその会話が、どこか旅の朝を明るくしていた。
(この人、性格を直さないと苦労するわね……)
トリーは内心でつぶやく。
そんな彼女の思いも知らず、馬車は緩やかに街道を進んでいった。
ケルンに与えられたのは、ただの弓の訓練ではなかった。
それは「見る力」を試す、アンナの最初の試練。
トリーが伝えた“やればわかる”という言葉は、
やがてこの旅のすべてに通じる“鍵”となっていきます。
彼らがまだ知らぬうちに、運命の糸はゆっくりと編まれはじめていました。
次回、第5話――
「セイント達 サンディ、ベル、ノル」へと
ひとつの流れが結びついていきます。
ここまで読んでくださってありがとうございます。
ブックマーク・感想をいただけると励みになります!




