クロノとマーチ
王都で開かれる“聖女の競技会”。
その裏では、誰も知らない静かな奇跡が起ころうとしていました。
東の小さな村から送り出されたアンナ聖女。
代役として選ばれた、特別な力など持たぬはずの少女。
しかしその夜、古代の言葉がふと彼女の唇からこぼれます。
その一節が、時を超えて――この世界を揺るがす“祈り”となることを、
まだ誰も知らなかったのです。
静かな夜の灯、二人の司祭の語らい。
第3話「クロノとマーチ」、どうぞお楽しみください。
小さな司祭館の一室。
夕餉のあと、二人の司祭は丸い木のテーブルを挟んで向かい合っていた。
ランプの火が、壁に柔らかい影を落としている。
マーチ司祭が湯気の立つお茶を注ぎながら微笑む。
「……ひさしぶりだね。」
クロノ司祭は、湯気の向こうで穏やかにうなずいた。
「ああ、教会学校を卒業して以来だ。」
軽い近況のやりとりが一段落すると、マーチ司祭が声を落とす。
「ところで——先ほどの話だが。あの言葉……あれを聞いて、正直驚いたよ。」
クロノ司祭の顔に、わずかに陰が差した。
「実は、昨晩のことなんだ。アンナ聖女が、不思議な歌を口ずさんでいた。あれは、古い言葉——おそらく古代語だと思う。」
「アンナが?」
マーチ司祭は眉をひそめた。
「そうだ。以前から彼女をよく知っているが、そんな素振りは一度も見せたことがない。」
クロノ司祭は小さくため息をつく。
「今回の競技会も、本来なら姉の方が候補だった。だが急病で出られなくなり、急きょアンナが代わりに選ばれたんだ。
能力的には候補生に毛が生えた程度……いや、他も似たり寄ったりだったがな。結局、有力者の家筋ということで代役になったわけだ。」
「なるほどね。」
マーチ司祭はうなずき、湯呑みを手に取った。
「この競技会は、どうせ結果は決まっている——そんな噂もある。王城見物くらいの気持ちで送り出した、というわけか。」
「そうだが……どうも、様子がおかしい。」
クロノ司祭の声は低く沈んでいた。
「古代語の歌い手、そして“セイント”の出現。
今まで聞いたことのない出来事が立て続けに起きている。」
マーチ司祭は肩をすくめる。
「大変だろうが、考えすぎかもしれん。送り出せば、それで終わる話だろう。
……アンナの家は古い。古い伝承のひとつやふたつ、残っていても不思議じゃない。」
「そう、だな。」
クロノ司祭は自分に言い聞かせるようにうなずく。
「貴重なセイントの発見だった、それだけで十分お手柄だ。」
「それで、アンナ本人には何か変化が?」
マーチ司祭が問う。
「態度も話し方も、いつもと変わらない。だが——あの言葉だけは、説明がつかない。」
クロノ司祭は額に手を当てた。
「うーん、困ったものだ。」
マーチ司祭は少し考え込み、やがて顔を上げた。
「……王城に着いたら、教会学校の先生に会ってみるといい。古語を研究している人だから、何か知っているかもしれない。」
「なるほど、それは良い考えだ。」
クロノ司祭が少し表情を緩める。
「じゃあ、経過と紹介の手紙を書いておこう。」
「助かる、頼むよ。」
窓の外では、夜風が木々を揺らしていた。
二人の司祭はその後も遅くまで話し込み、ランプの灯が消える頃には、すでに夜は深く更けていた。
ここまで読んでくださり、ありがとうございます。
今回は“アンナの歌”の伏線が初めて登場する章でした。
司祭たちの静かな会話の中で、物語の世界が少しずつ動き出していきます。
クロノ司祭の戸惑いと、マーチ司祭の穏やかな態度。
その対比の中に、信仰と疑いの境界を描きました。
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ではまた次回、第4話でお会いしましょう。




