月輪
旅の最終地、王城前夜。
アンナは三聖女に「目に見えぬ光」の修行を授ける。
静寂の中に現れる一瞬の輝き――それは神聖か、それとも人の心が生み出す幻か。
やがて彼女たちは、聖と魔の境界に触れる。
この夜が、三人を“伝道の聖女”へと導く最初の夜だった。
「なにも見えません、真っ暗です」
ベルが目を閉じたままつぶやく。
「わたしもです」
「同じく……」
ノルとサンディも首を横に振った。
「そうですよね」
アンナは微笑んだ。
「では、まず力を抜いて座ってください。
目を閉じて、今動いている唯一のもの――呼吸を観てください」
「呼吸……?」
サンディが首をかしげる。
「鼻の先を空気が通ります。入って、出て。
ただそれを見つめるんです」
「馬車の中でも言ってましたよね」ベルが思い出したように言う。
アンナは机の上の小さなベルを手に取った。
「これを鳴らしたら始めますね」
チリン――。
小さな音が静かに広がった。
四人は静かに目を閉じる。
夜の空気がゆっくりと流れ、呼吸の音だけが残った。
……
再びベルが鳴る。
「どうでしたか?」アンナの声が落ちる。
「……なんとか呼吸を追えました」
「途中で考えごとが出てきても、戻れました」
ベルとノルが答える。
「ずっと見てたら、なんか光ったような……?」
サンディが首をかしげた。
アンナの瞳が優しく光る。
「それでいいんです。
でも次は、光が見えても気にしないで、呼吸を続けてください。
何度も繰り返すうちに――それは近づいてきます。」
「えっ、近づくんですか!?」
「こわ……」ノルが小声でつぶやく。
「大丈夫です。恐れずに続けてくださいね」
アンナは微笑み、再びベルを鳴らした。
チリン――。
……
一分ほどして、ベルが目を開けた。
「見えました……! なんか、光るものが!」
「ぼんやりしてるけど、動いて……寄ってくる感じ!」
「わたしも!」
三人が同時に叫ぶように言う。
アンナはゆっくりとうなずいた。
「よくできました。今見た光は幻ではありません。
けれど――追いかけてはいけません。」
「どういう意味ですか?」ベルが尋ねる。
「光は、あなたの心が映し出しているんです。
それを掴もうとすると、すぐ消えてしまうでしょう?」
三人は顔を見合わせる。
まさにそうだった。
「今日はこれで終わりにします。
寝る前と、朝起きる前に、同じことをしてみてくださいね。
見えても見えなくても構いません」
アンナはそう言って、静かに立ち上がった。
トリーが続き、二人はテラスを後にした。
残された三人はぽかんと顔を見合わせた。
「なんだったんだろう、あれ……」
「夢みたい……」
「でも、ほんとに光ってたよね……」
――夜は更けていく。
* * *
朝。
清らかな風が吹き抜けるテラスに、アンナの姿があった。
「おはようございます。みなさん、どうでしたか?」
「アンナ様、あれ……見えました!」
「寝る前も、起きる前も!」
「わたしも、光がぼんやりと!」
三人の声が弾む。
「さすがですね。では――目を閉じてみてください。
いま、何が見えますか?」
「……光です。頭の少し上あたりに」
三人はほぼ同時に、空中を指さした。
アンナの唇に、微笑が浮かぶ。
「この姿、どこかで見たことありませんか?」
「え……? あっ、女神様の絵!」
「聖人の像も、光が出てます!」
「そう、それが“月輪”。
聖なる光輪です。」
アンナの声が静かに響いた。
「けれど、これは危険でもあるのです。」
「危険……?」ノルが息をのむ。
「光があれば、影が生まれる。
聖女がいれば、悪魔もまた現れます。」
三人の表情が固まる。
「昔、この事を知り、多くの信者を集めた者がいました。
しかし拒まれたとき、怒りに呑まれ、人々を滅ぼそうとした。
それが“聖者の顔をした悪魔”の始まりです。」
「ま、まさか……」
「そんなことが……」
「魔は外にはいません。
それは――人の心の中に生まれるのです。」
アンナは三人を見渡す。
その瞳は、まるで真実を映す鏡のようだった。
「だから、光を見た者こそ、心を磨かなければならない。
光を善に変えるか、闇に堕とすかは……あなたたち次第です。」
「どうして、そんな危険なことを私たちに?」ベルが問う。
「これからの時代、人は強くなります。
けれど、心の闇も深くなる。
だからこそ――“聖女の根”を絶やしてはいけないんです。」
アンナの声は穏やかだったが、どこか切なさを帯びていた。
その瞬間、三人の中で何かが変わる。
彼女たちはまだ知らない。
この日を境に、後に「伝道の三聖女」と呼ばれる運命になることを――。
静寂の修行、見えた“光”。
それは奇跡ではなく、人の心が生み出す鏡のようなもの。
アンナが示したのは、力そのものよりも――
**「どう心を保つか」**という教えだった。
次章、王城の競技会が始まる。
だがこの夜見た光こそが、三聖女を未来へ導く“月輪”となる。




