酒場にて
森を抜けた安堵の夜。
護衛たちが酒場で一杯やるうちに、奇跡の出来事が思わぬ形で広がっていく。
それは――神の加護か、ただの誤解か。
笑いと信仰、商魂と噂が交錯する、「聖女伝説」誕生の夜が幕を開ける。
一番の難所だった森を抜けた夜。
護衛たちは小さな町の酒場に集まり、安堵の息をつきながら杯を交わしていた。
「やっと抜けたな」「生きて王都に行けるとは思わなかったぜ」
「飲んでると聖女様にぶったたかれるぞ」
「トリーは怖ぇんだからな」
ケルンがそう注意するが、軽症組の兵たちはもう顔を真っ赤にしていた。
「軽症だ軽症! 一杯くらい平気だろ!」
「女が怖くて酒がのめるかってんだ!」
「ケルン、お前トリーに惚れてんのか!」
――まったく困った連中である。
ケルンは苦笑してグラスを置いた。
「けが人は一杯だけ。寝室に連れていけ。残りは治ってからだ」
「了解、隊長~!」
結局、酒と笑い声の渦の中で夜は更けていった。
ケルンが静かになった店内でクロノ司祭に頭を下げる。
「すまない。安心したせいで、みんな気が大きくなってる」
「仕方ないさ。明日、腫れて後悔するかもしれんがね」
二人は顔を見合わせて苦笑した。
「……それにしても、あの矢はなんだったんだ」
「あれは信号矢だ。音で知らせるためのものだよ」
「なぜあんなものを?」
「出発前にアンナ聖女から頼まれたんだ。『その矢を一つ、譲ってほしい』とね」
「……つまり、あの時、使うことを読んでいたのか?」
「そのようだ。まるで――予知していたみたいにな」
ケルンは唇をかすかに震わせた。
「あの矢……自分が射った感覚がなかった。吸い込まれるように飛んでいった」
そう言ってハッとした。
アンナの言葉が脳裏によみがえる。
(あなたの弓は、あなた以外の――そう、神様が射ることがわかるようになります)
「神様が……射ったのか」
呆然と呟くケルンに、クロノ司祭が首をかしげた。
その時、商人ルーツが割り込んできた。
「神様ですか!? ぜひその情景を絵に描きたいんです! あの矢笛とセットにして売り出せば、絶対に当たります!」
さすが商人、抜け目がない。
「おい、撃ったのは俺だぞ!」
「ケルンさんじゃ絵になりませんよ。聖女様ですよ、聖女様!」
「……おいおい」
「題して『魔を祓う聖女と光の矢』! 守護の御札と笛のセットにすれば旅人も買います!」
「利益は?」
「もちろん教会に寄付しますとも!」
クロノ司祭が苦笑した。
「まあ、教会も潤うなら悪くはないな」
その瞬間、ルーツの頭の中では計算機がカチカチ鳴りはじめていた。
夜が更け、酒場の噂は瞬く間に町中を駆け巡った。
「聖女様が魔物を退けた!」
「天空から光が降りた!」
「まるで女神の再来だ!」
翌朝、教会の宿で眠る聖女たちは、そんな話をまったく知らない。
ノルがあくびをし、ベルはまだ寝ぼけ眼のまま身支度をしている。
階下から司祭の声がした。
「朝食の準備ができました、どうぞ」
だが外に出た瞬間、三人は絶句した。
――教会の前が黒山の人だかりになっていたのだ。
「なんじゃこりゃあっ!」とケルン。
クロノ司祭が人々に向かって必死に説明している。
「皆さん落ち着いてください! 聖女様方はまだご休息中で――」
ベルが青ざめる。
「え、何これ? なんで私たち?」
「どうも『魔物を退治した聖女様』ってことになってるらしいです」とノル。
「……いや、退治してないし!」
しかし群衆は熱狂の渦だった。
「聖女様万歳!」
「女神様だ!」
「守り神が現れた!」
クロノ司祭が仕方なく言葉をつづける。
「出発の前に、聖女様から祝福を授けていただけるとのことです」
「ありがとうございます!」
「聖女様! どうかこの町をお守りください!」
アンナは小声でつぶやく。
「……完全にルーツの仕業ですね」
「宣伝上手すぎます」とトリーは額を押さえた。
見ると、もう「聖女のお守り木札」が売られている。
仕方なく、聖女たちは一人ひとりの手を取り、
「旅の無事を祈ります」「あなたに光の加護がありますように」
と微笑む。
――もはや即席の握手会だ。
「聖女様の手、すべすべだ……!」
「ありがたや……ありがたや……」
感涙にむせぶ群衆の中を、彼女たちは馬車に乗り込み、王都への道を再び進みはじめた。
「また来てくださいね、聖女様!」
「道中お気をつけて!」
歓声の中、アンナの一行は静かに町を離れていった。
――こうして、「聖女伝説」はこの地に残ることとなる。
森を抜けた先に待っていたのは、魔物ではなく“人の信仰”だった。
一つの誤解と噂が、奇跡へと変わり、物語を紡ぎ出す。
それを見守るアンナは、ただ静かに微笑む。
「人の心に光が灯るなら、それでいいのかもしれませんね」
次章――
聖女たちの旅は、新たな試練へと向かう。




