旅立ち
――これは、ひとりの少女が「光」を見つける物語。
伯爵家の末娘アンナ。
姉の代わりに、王都で開かれる聖女競技会へ出場することになった彼女は、
特別な力もない、少しおっとりした少女です。
けれど旅立ちの前夜、彼女は“光の啓示”を受けます。
それが夢だったのか、女神の声だったのか――誰にもわかりません。
夜明け、家族と別れ、仲間たちと共に馬車に乗り込むアンナ。
彼女の旅は、ただの聖女競技会候補としての旅ではなく、
やがて「人の中に眠る光輪」を見いだす長い巡礼の旅の始まりとなります。
奇跡の予感とともに幕が上がる、静かで優しいファンタジー。
少女の旅立ちを、どうか見届けてください。
アンナの旅 第1話 旅立ち
明日は出発という夜に――それは起こりました。
明日からの旅の安全を女神様に祈り、静かに眠りについたその夜。
突然、全身が何かに締め付けられるようになり、まったく動けなくなったのです。
そして、どこからともなく――
(あなたですね)
優しい声が聞こえました。
(ようやくここに戻ることができました。あなたとともに)
声……でしょうか。いや、そうではないのかもしれません。
まばゆい大きな光が上から降り注ぎ、私の身体と一体になり――そして、消えていきました。
これは夢だったのでしょうか。
――これが、すべての始まりでした。
出発の朝
教会の前では、引率のクロノ司祭様が二台の馬車の前で出発の挨拶をしていました。
「皆さま方、今日はようこそおいでくださいました」
「本日から、よろしくお願いいたします」
教会前の広場には多くの人が見送りに集まり、ざわめいています。
「おお、あの子が出るのか」「また見られるとは思わなかったな」――そんな声も聞こえてきます。
「アンナ、アンナ。起きなさい、もう朝よ」
目を覚ますと、柔らかな光がカーテン越しに差し込んでいました。
(えっと……昨夜は、女神様に祈って、それから……眠ってしまったんだっけ)
「お母様、おはようございます」
「さあ支度をして、朝食に行きましょう。忘れ物をしないようにね」
「はーい!」
食堂へ行くと、お父様もいらっしゃいました。
「おはようございます」
「おお、アンナ。よく眠れたか?」
「はい、ぐっすりと」
「旅は初めてだからな、心配だ」
「そろそろ出発の時間だ。馬車がやってくる前に、二階で寝ているマリー姉さんに一言かけてきなさい」
「はーい!」
二階のドアをノックして、「アンナです、入ります」と声をかけます。
ベッドの上では、病弱なマリー姉さんが上半身を起こして、静かに微笑んでいました。
「無理に起きちゃだめだよ」
「だいじょうぶ。せっかく私の代わりに出発するんだから、せめて見送りだけでもさせてね。玄関まで降りられないけど、この窓から送るわ」
姉はそう言ってアンナの手を取ると、力のない身体で精一杯抱きしめます。
「無理しないでね。体に気をつけて」
「だいじょうぶ。お姉ちゃんこそ大事にね」
その時、下から声が響きました。
「馬車が来たよー!」
アンナがドアへ向かおうとすると、ふと――
(時間がかかるけど、これでだいじょうぶ)
――という声が、どこからともなく聞こえました。振り返っても、誰もいません。
(……空耳?)
「じゃあ、行ってくるね!」
「ドア、閉め忘れてるわよ!」
「はーい!」
マリーは苦笑しながら、窓の外を見つめます。
(ほんとに大丈夫かしら……)
外では、競技会が開かれる王城へ向かう箱形馬車と荷馬車が準備されていました。
「忘れ物はありませんね?」
「もう、大丈夫だってば!」
アンナは両親に手を振り、二階の姉にも笑顔を向けます。
――こうして旅立ちの時がやってきました。
この旅が、思いもよらぬ長い旅となることを、このとき誰も知る由もありませんでした。
馬車の旅
王城までは七日ほどの道のり。
同乗者は東地区代表の聖女サンディ、ベル、ノル、そして侍女のトリー。計五名の旅路です。
馬車の窓から見える風景には、うっすらと雪が積もっています。
王国の東北地方――それがここだと教えてくれます。
道中の小さな村では食料を補給しました。
ベルの故郷が近く、彼女の話で車内は明るくなります。
「この辺りはチーズの生産が盛んなのよ」
「おいしいの?」とサンディ。
「これも美味しいですよ」と言って、サンディは袋から干し肉のようなものを取り出しました。
少し酸味があり、香り高く、不思議と心が落ち着く味でした。
一日目の夜
旅の一日目は野営となりました。
馬車を円形に並べ、焚き火を囲んで簡単な夕食をとります。
護衛や侍女たちが忙しく動き回る中、火の揺らめきが夜を照らしていました。
やがて、静けさの中に――歌声が響き始めます。
アンナが立ち上がり、ゆっくりと歌い出したのです。
それは誰も知らない言葉。
けれど優しく、どこか懐かしい旋律でした。
聴く者すべてが、息を呑みました。
歌い終わると、拍手が起こります。
「アンナ、すごい! こんな歌、聞いたことないわ」
とノルが感動の声を上げます。
クロノ司祭は不思議そうに尋ねました。
「この歌は、何の歌だね?」
「わかりません。ただ、どうしても歌いたくなって……」
司祭はしばし黙考し、低くつぶやきました。
「この言葉……とても古い。もう使われていない神聖語に似ている。どうして君が……」
アンナは首をかしげるばかりです。
「まあ、いいじゃないですか。良い歌でしたよ」
と護衛のケルンが笑い、場の空気を和らげました。
「そうだな。……では、そろそろ休もう」
クロノ司祭は頷き、夜の見張りの話を始めます。
火はやがて静かに小さくなり、夜空の星々が広がりました。
こうして――アンナたちの旅が、静かに幕を開けたのです。
こまでお読みいただき、ありがとうございます。
第1話「旅立ち」では、アンナという少女がまだ何も知らないまま、
世界と女神の導きに足を踏み入れる“始まり”が描かれました。
一見ただの代役としての出発。
けれど、その背後では確かに“光”が動き始めています。
それは、誰の中にも宿る優しさや祈り、
そして目に見えない導きの象徴――光輪。
この作品では、戦いや魔法よりも「人の心の清らかさ」「信じる力」を軸に、
静かであたたかなファンタジーを描いていきます。
読み終えたとき、貴方にも光輪が現れていることに気がつくでしょう
次回、第2話「トリー」では、
一人の侍女が、思いがけない“奇跡の人”となります。
どうぞ、アンナたちの旅路の続きをお楽しみに。




