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第十八話 オーロラと夜光花

 会場に足を踏み入れた瞬間、世界の色がひときわ鮮やかに塗り替えられた気がした。天井いっぱいに広がるのは、魔法で映し出されたオーロラの幻影。緑や紫、淡い金色の光がゆっくりと流れて、見上げているだけで時間の感覚が曖昧になる。

 学生たちは笑い声と音楽の渦の中で、それぞれの夜を楽しんでいる。ドレスの裾が翻り、靴音が重なり、誰かの高い声がきらきらと弾む。


「じゃ、行こうか」


 声をかけられて、はっとする。誘ってくれた男子学生──きちんと礼儀正しくて、所作も丁寧な人だ。手を取られ、音楽に合わせて一歩踏み出せば、くるりと視界が回る。花と蔦の刺繍のドレスが広がって、周囲の光を受け止める。


「その模様、珍しいね」


「うん、植物をモチーフにしてるの。成長するみたいに刺繍も変わるんだって」


「へえ、凝ってるなあ」


 そこで会話は途切れてしまう。彼は悪くないし、気を遣ってくれているのもわかる。けれど言葉は表面だけを滑っている感じがして、私はうまく息を合わせられない。


 やっぱりこういうものなのかな。ダンスパーティーって。


 くるくると回りながら、笑顔を作る。音楽は楽しくてダンスも嫌いじゃないのに、どこか落ち着かない。意識が少しずつ周囲に流れて、ふと、視界の端で立ち止まる影を見つけた。


 会場の隅。賑やかな輪から少し外れた場所に、きらきらと光をかえすプラチナブロンドが見える。


 ──ロイ。


 一瞬、足の運びを間違えそうになった。来てたんだ、と驚きが先に立って、そのあとから言葉にできない感覚が追いかけてくる。


 彼は壁に寄りかかるように立って、誰とも踊らず、ただ会場を眺めている。いつもの少し距離を取るような佇まい。会場は笑い声と旋律で満ちているのに、彼の立つ場所だけが切り取られたみたいに静かに見える。


 なぜだかその瞬間、他の人と踊っている姿を見られたくなかった、と思ってしまった。別にやましいことなんて何もないのに。約束だって、ちゃんとしているのに。


 目が合う前に、くるりと回転する。ドレスの裾が花弁みたいに広がり、視界からロイの姿が消える。音楽に合わせて笑ってみせながら、それでもさっきの場所を探してしまうのを止められなかった。


 音楽が終わり、自然と拍手が起こる。パートナーはにこやかに礼をして、「飲み物を取ってくるよ」と人混みの中へ消えていった。

 私は柱のそばに残り、深く息をつく。天井に浮かぶオーロラの幻影が、ゆっくりと色を変えながら流れている。さっきまで華やかに感じていた光が、今は少しだけ遠く思える。


 そのとき、不意に誰かに強く腕を取られた。


「えっ?」


 驚いて振り向く間もなく、引かれる力に身を任せてしまう。人の波を縫うように進み、視線を上げた瞬間に呼吸が止まった。

 

 淡い光を受けて、プラチナブロンドの髪がきらきらと輝いている。夜の装飾に反射する光を跳ね返して、一本一本がまるで宝石のように輝いて見える。こんなふうに光をまとっている人は、他にはいないのではないか、と思うほど、目が離せない。


「……ロイ!」


 名前を呼んだ途端、どうしてだろう。驚きよりも先に、理由のわからない嬉しさが込み上げてきてしまった。こんなふうにいきなり腕を引かなくても、普通に声をかけてくれればよかったのに。やっぱり、ロイの考えていることはよく分からない。


 彼は振り向かないまま、返事もせずに歩き続ける。会場の喧騒が背後に遠ざかり、扉を抜けると夜の空気が肌に触れた。音楽は急に薄くなって、代わりに足音と私自身の呼吸がはっきりと聞こえてくる。それでもロイは止まらず、私の手を引いたまま進んでいく。


「あなたも来てたんだね」


 少し息を整えながらようやくそう言うと、彼は短く答えた。


「様子を見に」


 それだけ。相変わらず簡潔で、余計な言葉がない。


「踊らないの?」


「踊る理由がない」


「……あなたらしいね」


 小さく笑って横顔を見上げると、彼はわずかに視線を動かしただけで、何も言わなかった。夜の光に照らされた横顔は、会場の中で見たときよりもずっと輪郭がはっきりしている。


「あなたのパートナーは?」


 気になっていたことがどうしても口をついて出る。ダンスパーティーまでの間に、何度か耳にしていたのだ。ロイを誘おうかな、だとか、特別聞き耳を立てていたわけじゃないのに、そういう話は不思議と私のところに流れ着いてきた。


「パートナーはいない」


「え?」


 声が自分でも分かるほど間の抜けた響きになってしまった。パートナーもいない。踊りもしない。それなのに、わざわざここに来たの? どうして? 疑問が次々浮かび、頭の中で絡まり合う。

 たぶん、そのまま顔に出ていたのだと思う。ロイは足を止め、ようやくこちらを見た。


「本当は、君を誘おうと思ってた」


 声色は怒っているわけじゃないのに、苛立ちを含んだように聞こえて、だから余計にすぐには飲み込めなかった。意味も、その奥にある真意もうまく理解できない。驚きで思考が追いつかないのに、なぜだか周囲の景色ばかりが妙に鮮明に見える。


「……私を?」


 気がつけば、私たちは植物園のすぐそばまで来ていた。温室のガラス窓の向こうでは、夜光性の花が柔らかな明かりを放っている。白や淡い青の花弁が、ランタンみたいに夜の闇に溶け込みながらも確かにそこに在る。

 綺麗だとか、ロマンチックだとか、今は関係ないし、どうでもいいことを考えてしまう自分がいる。頭の中が追いつかないまま、感情だけが先に動いているみたいだった。


「だけど君は他のやつに誘われたって聞いて。それで気づいた」


 夜の空気を切るみたいに、ロイの声が続く。間を置くこともなく、言葉は重なり合って落ちてくる。


「早く言わないと他のやつに取られる。だからもう言う。君が好きだ」


 一息だった。本当に、息をつく暇も与えないみたいに。一拍置いて、夜光花がふっと強く光った気がした。それはたぶん、私の目が勝手にそう見せただけだ。

 顔が熱い。たぶん、ちゃんと赤くなっている。けれど夜の光は淡すぎて、彼には見えないかもしれない。その方がいい。今は、隠す余裕なんてない。


「ウィニフレッド、好きだ。誘えなくて悪かった。今度こそ俺を選んで欲しい」


 顔を上げるとロイはじっとこちらを見ていて、私は逃げ場を無くしてしまった。こんな顔、見たことがなかった。強張っているのに、目だけは真剣で、視線を逸らそうともしない。


「……そんな言い方って、ある?」


 私の声は呆れているみたいにも、怒っているみたいにも聞こえたかもしれなかった。でも、どれも正しくて、どれも違う。


「急に連れてこられて……それで突然そんなこと言われたら、驚いちゃうよ」


 言葉の続きを探して、夜光の花に視線を逃がす。こんなに綺麗だけど、今はそれどころじゃない。


「でも、私、あなたが来てるのが見えたとき……正直、ちょっと嫌だったの。他の人と踊ってるところ、見られたくなかった」


 いつかの日からずっと、胸の中を満たしていたものの正体に、私は気づいてしまった。ずっと見ないふりをしていた、いちばん中心にある感情。困るくらいに、はっきりしている。


「なんでか、自分でもよくわかんなくて。でも今なら……たぶんわかるの」


 私は小さく笑ってしまう。笑おうとしたというより、溢れそうなものをどうにか形にしようとした結果、そうなっただけだった。


「私も、ロイのことが好きみたい」


 心臓が忙しなく音を立てていて、立っているだけなのに足元がふわふわする。ロイはその瞬間、はっきりと目を見開いた。その表情があまりに意外そうで、私は一瞬、言葉を間違えたのかと思ってしまう。

 さっきまで、あんなふうな言葉を投げてきたのに。早く言わないと取られる、とか、俺を選んで欲しいとか。あれだけ勢いよく告げておいて、今になってこんなに驚いた顔をするなんて、少し変だと思う。


「……本当か」


「本当だよ」

 

 私はふわふわする足元を意識しながら、ちゃんと頷いた。逃げ場を残さないように、でも必要以上に力まないように。ロイが一歩近づいて、それから少し遅れて、彼の唇が動いた。


「ウィニー」


 あ、と心の中で声が出る。やっと、ちゃんと呼んでくれた。

 言葉を選ばず投げつけられた、印象最悪の初対面。必要以上に踏み込まない距離。分かり合えているのか、そうでもないのか、曖昧なまま積み重ねてきた日々。それでも、並んで歩くことがいつの間にか当たり前になっていた。


 指先が勝手に動いて、彼の頬に触れる。触れただけなのに、びくりと肩が揺れたのがわかって、それがなんだか可笑しくて、でも同時に息さえ止まってしまいそうになる。


 次の瞬間、視界が近づいた。引き寄せられる感覚と一緒に、唇が重なる。


 思ってたより柔らかいな、なんて、やっぱりどうでもいいことが最初に浮かんで、それから時間の感覚が曖昧になった。息の仕方を忘れて、苦しくなって、ほんの少し身をよじる。これくらいで離れるだろう、と思ったのに。

 腕の力がわずかに強くなって、逃がさないと言われているみたいだった。心臓の音が近すぎて、どちらのものかわからない。

 ようやく唇が離れたとき、私は息を吸うのに失敗して、変な呼吸をしてしまった。ロイはそれを気にした様子もなく、額を寄せたまま、低く息を吐く。


「……悪い」


「……それ、何に対してなの?」


 ロイは何も言ってくれない。でも、それでいいと私は思った。

 だって、ロイはそういう人だ。気持ちがないわけじゃない。むしろ、たぶん人一倍いろんなことを考えている。ただ、それを言葉にして並べるのが、あまり得意じゃないだけ。


 少し背伸びをすると、さっきよりも自然に視線が合う。私はそのまま、もう一度と唇を重ねた。

 触れた途端、ロイの手が私の手を探して、指先が絡む。ぎゅっと力が込められて、その温度がはっきり届いた。もう、離す理由なんてどこにもない。そう思って、私は握られた手にそっと力を返した。

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