その名
「ぐぅぅぅぅぅう〜……ぐおぉぉぉぉ……」
「エムル、お前……寝ながら叫ぶな!こっちがうなされるわ!」
朝5時――
村の訓練場で始まったエムルの修行は、開始15分で“寝落ち”により中断された。
「いやぁ〜……昨日の疲れがさ〜、こう……夢で“森喰い”がパンになって襲ってきて……」
「どんな夢見てんだよ!てか訓練になってねぇ!!」
「オシャル先生が厳しすぎるんだよー!“魔力は小指から出せ”とか“魔力の呼吸”とか!」
「それ全部、お前が勝手にやってただけだろ!俺は何も言ってねぇ!」
⸻
そんなドタバタな修行をしていた中――
訓練場の裏手、物陰に見覚えのある影があった。
「……また来てたのか」
「気付くなんて、さすがね」
黒いフードを脱ぎ、現れたのは街で何度か対峙した“暗殺者”の少女。
細身の体に、涼しげな瞳。けれど、瞳の奥には鋭い覚悟があった。
「そろそろ名前、教えてくれてもいいか?」
沈黙が流れる。
しばらくして――
「……エルシア。元・暗殺組織《黒翳》所属、コードネーム“影喰い”」
「元、ってことは――」
「辞めたの。貴族の命令で人を殺すだけの人形、もううんざりだったから」
一瞬、風が吹き抜ける。
その風の中、エルシアの髪がさらりと揺れた。
「それで……今は何をしてる?」
「うーん……“居場所探し”?かな」
そのとき、エムルが木の影から顔を出す。
「オシャル〜!今度こそ“魔力玉”成功しそ――うわっ!誰かいる!? え!? かわいっ!?」
「ちょ、失礼だろ!」
「ご、ごめんなさい!あの、私、エムルです!オシャルの幼なじみで、ちょっとドジだけど魔力量だけはすごくて、それで……」
「自己紹介長い!」
「っていうか、もしかして“気になってた暗殺者さん”?」
「まぁ、そうね。気になられてたなら……悪い気はしないわ」
「ええっ!?それ、どういう意味で……!?」
「おい、会話が女子トークに持っていかれたぞ……」
⸻
三人の距離は、不思議な空気の中で少しずつ縮まっていった。
エルシアは剣術と魔術の複合型。
制御が下手なエムルにとって、実は理想的な魔導指導者だった。
「たとえば、魔力の収束は“怒り”じゃなく“意志”で支配するの。怒鳴っても魔法は言うことを聞かないわ」
「おぉ……それっぽい……!」
「てか、めちゃくちゃ教え方うまいなお前」
「私だって、昔は“教わる側”だったのよ」
エルシアの言葉には、どこか重みがあった。
⸻
その夜。
オシャルは一人、焚き火の前で剣を研いでいた。
そこにエルシアがやってくる。
「剣、好きなのね」
「……まぁな。剣は嘘をつかないから」
「人は嘘をつく。組織も、仲間も、家族も……」
「でも――信じてみたいんだよ。剣を通して、誰かの本気を」
エルシアは少しだけ、笑った。
「変なの。でも……そういうの、嫌いじゃない」
「エムルも言ってた。“オシャルはバカ真面目だけど、安心できる”ってな」
「へぇ、そんな風に言ってたの」
「でも、その後に“時々パンより信用できる”って言ってた」
「やっぱ信用されてねぇな!!」
二人の笑い声が、焚き火の中で優しく弾けた。
⸻
その頃、ギルド本部では――
「……ついに、“王都からの高難度任務”が動き出すか」
ゼイドが静かに地図を見つめる。
そこには、“王都直轄の迷宮”の名が記されていた。